第26話 花火大会の夜
<筆者より>
本作では、これまで、1人称により、主人公・安達正人とヒロイン・畑山志織の視点を時々、切り替えながら執筆してきました。しかし、3人称で描いた方が自分に合っているように感じるので、第1部後半(生徒会編)に入るのを機会に、これからは3人称で描くことにします。
「わあ、畑山さん、可愛い! すごくきれいです!」
正人は思わず、声をあげた。浴衣姿の志織が、くるりと身体を1回転させたのだ。それはあたかも、ファッションショーで、売れっ子のモデルが最新のファッションを観衆に見せつけるときのようだった。
「そう? 自分では、あまり可愛いと思わないんだけどなー」
そう言って、正人の前ではしおらしく謙遜(けんそん)する志織だったが、本当は可愛い、きれいと言ってほしそうなオーラが全身から漂っていることを、正人は的確に見抜いていた。デート中の女の子に対しては、これ以外の回答があり得ないことも、正人は知っていた。
「そんなことないです! 可愛いです! それに、畑山さんと、夏休み中にまたデートできるなんて、うれしいです!」
日頃は気弱な正人が、今日は精いっぱい、自分の思いを志織に伝える。
「あたしもうれしいよ。……余計なお邪魔虫が3匹、ついてきてるけどねー」
そう言って、志織は、正人から視線を外し、ちらりと横を見る。赤、黄、ピンク――そこには色とりどりの浴衣が、花のように咲き誇っていた。
「わ、志織、酷っ。お邪魔虫ってさー、そーんな言い方、しなくて良くね?」
志織の首に腕を絡めながらそう言うのは、真っ赤な浴衣を着た利奈。
「ほーんと、酷いよねー。安達くんの前で2人きりになりたいのはわかるけど、私たちだって、親友じゃないのー?」
そう言って、ふくれっ面をするのは、ピンクの浴衣を着た雪乃。
「まあいいじゃない? 私たちだって、せっかく来たんだから、楽しもうよ」
ご機嫌斜めの2人をなだめるのは、黄色い浴衣を着た小夜。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られるって昔から言うでしょ? あんたたち、あたしたちの邪魔したら、馬に蹴られるよ?」
青色の浴衣を着た志織が、負けずに言い返す。
「ぷっ。馬に蹴られるって――いつの時代の話ですかい、お嬢さん。あっしら、今もう、21世紀に生きてるんですぜ」
利奈が、なぜか江戸っ子をまねたべらんめえ調で、志織をからかう。
「とにかく、ふざけてないで、いい場所取らなきゃ! 花火、始まっちゃうよ!」
「わ、いけないっ!」
いつも冷静沈着な小夜のひと言に、居合わせた一同、慌てて場所取りに向かう。
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「カルチャーランドもりもと」でのデートの帰り道に約束したとおり、志織と正人の2人は、花火大会を見に来ている。森本市花火大会は、毎年、8月第1土曜日の夜の恒例行事だ。市内はもちろん、遠くは県外からも観客が訪れる。ここ数年、酔っ払って道端で寝たりするなど、一部にマナーの悪い大人がいると聞いたが、森本学園中等部の面々が実際にそれを目撃したわけでもなく、至って平和そのものだった。ただひとつ、どこで聞きつけたのか、利奈・雪乃・小夜が一緒なことを除けば――。
「つーか、なんであんたたち、あたしたちが今日ここでデートするの知ってたのよ?」
「さーて、なんでかなー?」
利奈がしらばっくれる。志織は改めて、この親友を侮りがたいと思ったが、せっかくのデート、これ以上の無駄な詮索はやめておこうと思い直す。早々と会場に来たおかげで、最前列の、花火が最もよく見える場所が確保できた。
「じゃ、全学園公認ラブラブバカップルのおふたりさんは、隣同士で座りな」
「誰がバカップルだっ!」
志織の抗議の声を無視して、利奈が志織と正人に隣同士の席をあてがう。5人、並んで座り、花火の開始を待つ。
「あ、そうだ、安達。あたし、綿飴食べたいから、ちょっと買ってきてくれないかなぁ〜」
「え? 僕ですか?」
正人が、驚いたように利奈を見る。
「ちょっと利奈! あたしの許可なく、安達を勝手に使わないでよ!」
「いいじゃんかよ〜、志織。あんたも綿飴、食べたいだろ?」
「それは、……食べたい。ごめん安達、あたしの分も買ってきて」
親友に本心を見抜かれ、観念したように志織が白状する。しかし、志織には自分で買いに行こうという考えはないらしかった。
「畑山さんも食べるんですか!」
「っていうかさー、ここにいる全員食べるよね? じゃあ安達。5個買ってきてよ。ここの全員分」
「わかりました……」
志織に命令されて、そそくさと買い出しに行く正人。デートなのかなんなのか、次第にわからなくなってきたな、と思い、正人は思わず苦笑する。森本学園の女子の中でも、とびきり元気なこの4人を相手に自分ひとりで対抗するなんて、アリが象と戦うくらい無謀だと、正人は理解していた。
加藤や山下をはじめ、男子のいじめっ子からの命令には暴力を振るわれても抵抗していた自分が、この4人の命令には比較的抵抗なく従っていることが、正人には不思議だった。加藤たちが今、自分のこの姿を見たら「なんであいつらの命令は聞けるのに、俺の命令は聞けないんだよ!」と怒り出すに違いないと思うと、正人は苦笑を禁じ得なかった。おそらく、彼女たちの命令を自分が比較的抵抗なく聞けるのは、学級委員就任後の自分を、彼女たちが陰に陽に、さまざまな形で助けてくれたからに違いないと、正人は思っていた。
5人、仲良く、綿飴をほおばり始める頃、ドーンと耳をつんざく音とともに、夜空を色とりどりの花が彩り始めた。どこからともなく歓声が上がる。
「やっぱ、最前列は違うねー」
「クソあっつい中、早くから来て良かったよなー」
「もう、利奈! 言葉遣いが乱暴だよ」
例によって、雪乃が利奈の言葉遣いを注意するが、利奈は華麗にスルーしている。相変わらず、時々会話も聞こえなくなるほど大きな音で、花火が上がり、振動があたりを揺るがす。正人はふと、横を向く。夜の帳(とばり)が降りて辺りは暗く、すぐ隣に座っている志織の表情はうかがえないが、花火が上がって明るくなったとき、一瞬だけそれが可能になる。花火に照らされた志織の表情は、昼間とはまた違って、可憐さの中に妖艶(ようえん)さをも含んでいた。正人はふと、視線をそらす。
「どうしたの?」
「いや、別に。……なんでもないです」
正人に見つめられた志織が、不思議そうに発した疑問を、正人は打ち消す。胸がどきどきして、全身を熱気が駆けめぐる。その熱気が、少しだけ涼しくなった夜風にかき乱される。自分の体内で、そんなせめぎ合いが行われているような不思議な感覚を、正人は抱いていた。
(なんか、無性にどきどきして、……これじゃ、花火どころじゃないよ)
胸の鼓動の原因を、正人は完全に理解していた。生徒会と敵対関係にある学園新聞でさえ「学園屈指の美少女」と認めざるを得ない、公認彼女の志織。男子にひそかに人気らしい雪乃。元気いっぱいで彼氏がいるとの噂のある小夜。そして、元ヤンキーという経歴から男子に恐れられているものの、ルックスは標準以上の利奈。そんな女子たちを、今、正人は独占しているのだ。学園の「非モテ男子」たちに今のこの状況を見られたら、彼らに妬まれ、命がいくつあっても足りないくらいボコボコにされるのではないか。そう思うと、何もかもうまく行き過ぎの今の状況が、何かの不幸の暗示のような気がして、正人は気が気ではなかった。
パパパパパーン。バラバラバラバラッ、パーンパーンパーン。
花火大会の終わりを告げる最後の色とりどりの花が打ち上げられる。辺りが一瞬、昼間のように明るくなる。しかしそれも束の間、静寂とともに、辺りは急に薄暗くなった。終了のアナウンスとともに、周囲がざわつき始める。最前列を占めていた5人もそれぞれに立ち上がる。昔よりだいぶ少なくなったといわれるものの、ずらりと並んだ出店を冷やかしながら、会場の出口に向かって歩く。
「あー、終わっちゃったねー」
小夜が、少し寂しげに言う。
「祭りの後はいみじうさみし、か」
利奈が言う。
「それを言うなら、祭りのころはいみじうをかし、でしょ」
利奈の間違いに雪乃が突っ込む。
「あれ? そうだったっけ? 悪い悪い」
利奈は思わず照れ笑いする。が、その表情が反省しているようには、正人には見えなかった。正人自身、雪乃の突っ込んだ内容がよく思い出せず、思わず聞いてしまう。
「あのー、それ何でしたっけ?」
「枕草子。やだ安達くん、忘れたの? 習ったじゃない?」
「あはは……そ、そうでしたよね」
顔を引きつらせながら、正人は隣を歩いている志織の表情をうかがう。志織は、やれやれといった表情で苦笑いすると、
「ま、いいんじゃないの? 試験の時にちゃんと勉強して、間違えなければね」
と答える。
「志織ってさ、ほーんと、合理的だよね。テストの時さえ勉強してればいいって態度がさー」
「でも、勉強してるように全然見えないのに、成績いいよねー」
「あんた、学園新聞みたいなこと言わないでくれる? ちゃんと、みんなの見てないところでは、勉強してるんですって」
小夜のからかいに、志織が少しムキになって答える。そんな女子たちのやりとりを聞きながら、ホント、この4人は仲がいいんだな、と正人は思う。学園新聞に正人との「喫茶店お忍びデート」をすっぱ抜かれたことに激怒し、林部長に食ってかかった後、受けたインタビュー。「全校生徒からは、畑山さん、あなたが全然勉強しているように見えないのに、常に成績上位なのは不思議だという声が寄せられているんですが」と問う林部長に、志織が「人知れず努力はしているんです。勉強していないわけじゃないんですよ」と答えたやりとりを、正人は思い出していた。
「ねえ、みんなさー、このまままっすぐ帰っちゃうなんて、もったいなくね? 夜なのに暑いし、かき氷でも食わない?」
突然、利奈が提案する。
「あんた、さっきも綿飴食べたのに、まだ食べるの?」
志織が驚きの声を上げる。
「いいじゃん。花火大会の夜は、あたしら未成年が夜遊びしても補導されなくてすむ、1年1度のチャンスなんだからさー」
利奈が言う。森本市では、この花火大会の夜だけは、未成年者の夜遊びが黙認されていた。確かにこのチャンスを活かさない手はない。
「そうだね。1年1度だし、行こ行こ!」
意外にも、小夜が同意し流れが決まる。いつの間にか5人は、市の中心部、森本駅前の商店街まで歩いてきていた。ここまで来れば、行くところは決まっている。女子たちは、学校からの帰り、いつも寄り道しているなじみのスイーツ屋さんに入った。正人も、女子たちに流され何となく入店してしまう。4人の女子たちは、店員とは顔見知りだと自慢するが、今日は普段と違って夜遅い時間のためか、店員に知った顔はいないようだった。
言い出しっぺの利奈は、やはりかき氷を注文。残る3人の女子たちは、それぞれに好きなスイーツを注文している。スイーツに疎い正人は結局、志織と同じものを選んだ。
「ふたり、同じものを頼むなんて、やっぱ夫婦だねー」
「誰が夫婦だ誰がっ!」
またも、小夜のからかいに、志織がムキになって答える。やがて注文が揃うと、またおしゃべりに花が咲く。森本学園でもとびきり元気な4人だけに、いつまで経っても賑やかなまま、夜も次第に更けていった。
花火の明かりに照らされたとき一瞬正人が見た、志織の、可愛らしさの中にも妖艶さをたたえた表情。自分の意思とは無関係に、いわば、偶然の重なり合いで全学園公認の関係となった志織の中に正人が見たそれは、大人の女性への階段を上り始めようとする思春期の少女の今を示していた。
正人は、不思議な感覚を抱いていた。自分よりもずっと大人で、生徒会書記、学級委員として教室の中を自由自在に操る志織は、正人にとって今なお雲の上の存在だった。そんな志織が、大人の女性への階段を上り始めることによって、自分との差がさらに開いてしまうことに対する怖れを、正人は感覚的に理解していた。
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店を出て利奈、雪乃、小夜と別れた正人と志織は、歩き慣れた道を帰途につく。時刻は午後10時を過ぎ、さすがに吹き抜ける風もいくぶん涼しくなった。
「あーなんか、今日は全然、デートらしくなかったね。まったく、あのお邪魔虫どもときたら。安達、ホントごめんねー」
志織が、そう言って照れ笑いを浮かべる。参ったな、とでも言いたげな表情が浮かんでいた。
「仕方ないです。でも、あの3人、あ、畑山さんも入れて4人。ホント元気ですよね。みんないつもあんな調子なんですか?」
「うん、そうだよ。周りのお客さんに、うるさいって思われなかったかな」
「畑山さん、よく疲れませんよね」
正人がそう言うと、志織は、じっとりと湿った視線を正人に向け、
「うっさいな。あたしも最初のころは疲れたよ。あの子たちといるとね。でも、今はもう慣れちゃったかな。あれも生活の一部だから」
そう言って、志織は大きく伸びをする。それを終えると、志織は、正人のほうに視線を向ける。
「ねえ、さっき花火の時、安達、なんか不安そうに見えたんだけど。何かあった?」
正人はどきりとするとともに、志織の観察眼の鋭さに舌を巻いた。同時に、自分のほんの小さな変化も見逃さず、心配してくれる志織に感謝していた。しかし正人には迷いもあった。あのときの心の内を、ありのままに、話していいのだろうか――?
「公認彼女のあたしに、隠し事なんてよくないぞ!」
持っていた団扇(うちわ)で、志織が、正人の頭をはたく仕草をするので、正人は観念したのか、心の内を話した。
「畑山さんと公認になれただけでも、自分に似合わないくらいの幸せなのに、今日、西野さんや杉田さん、東原さんにまで囲まれて、花火を見れるなんて、なんだか幸せすぎるような気がして……。何もかもうまく行き過ぎで、何か、悪いことがこれからあるんじゃないかって気がしたんです」
「あはははは」
志織は笑い飛ばす。そして、しっかり正人の方を向くと、正人の目を見ながら言った。
「心配しすぎなんだって。だいたい安達は、今までが不幸過ぎたんだよ。いじめられっぱなしで、空気みたいに存在感もなくって。今まで不幸過ぎたのを、今、取り返してるだけ。そんなことで悩む暇があるんだったら、どうしたらもっと幸せになれるか。どうしたらもっと取り返せるか、考える方がいいと思うけど?」
「あ、はい……そうですよね」
正人は、相変わらずの志織に感心するとともに感謝した。的確なアドバイスにお礼を言わなくちゃ、と思ったが、言い出す暇もなく、『玉井』に着いてしまう。2人はいつものように、ここで別れると帰宅の途に就いた。志織のにぎやかな親友たちに邪魔されてしまったが、これはこれでよかったのかな、と思えるところが正人だった。