第21話 畑山志織を泣かす会


 僕は、通い慣れた通学路を、今日も畑山さんと並んで歩いて帰っていた。

 2人の交際が秘密だった頃は、学級委員の仕事を終えてからでないと、僕は帰り道に決して誘ってもらえなかった。委員の仕事のない日は、2人、一緒に帰りたいとどんなに強く願っても、かなうことはなかった。

 だが、今は違う。予期せぬ形とはいえ公認になってしまった僕たちは、今、誰をはばかることなく、委員の仕事があろうとなかろうと、堂々と一緒に帰ることができる。畑山さんに生徒会の仕事や、女子同士の放課後の付き合いがある日を除き、僕は、毎日のように畑山さんと一緒に帰るようになっていた。突然の公認に最初は驚き、なにかと冷やかしてきたクラスメートも、次第にその現実を受け入れていた。

 「この前、篠田さんという1年生の女子が、僕に挨拶をしてきたんです。生徒会で、畑山さんにお世話になってるって……」

 「ああ、結衣ちゃんね。なかなか元気でしょ? あの子はね、生徒会のムードメーカーみたいなものかな。あたし、結衣ちゃんには期待してるの」

 畑山さんは、驚く様子もなく、落ち着いた表情で言う。

 彼女の名前は篠田結衣(しのだ ゆい)。生徒会期待の1年生だ。森本学園の生徒会は、役員の人数が規約で決められており、会長、副会長と10人の書記で執行部を構成する。この他に選挙管理委員が2人、監査委員が1人いるが、この3人は執行部には入らない。

 公立中学、高校の生徒会役員は、多くても6〜7人くらいのところがほとんどだが、森本学園の生徒会は15人(執行部に限れば12人)ものメンバーがいることになる。こんなに人数が多い理由は、共学化の際に、旧男子部と女子部の生徒会をそのまま合併させたことが原因だ。共学化直後の一時期、生徒会役員が多すぎるから減らそうと「行政改革」が提案されたこともあったが、企業と違い、生徒会役員を減らしてもコスト(人件費)削減にならないことに加え、できるだけ多くの生徒に役員のチャンスがある方がいいとの声も強く、役員削減の話はいつしか立ち消えになっていた。そんな中、筆頭書記の畑山さんは、事実上のナンバー3として、まだ2年生なのに会長、副会長を補佐し、残り9人の書記を指導する立場にあった。

 篠田さんは、まだ生徒会の正式メンバーではなく「手伝い」の立場だ。一般の部活動と異なり、役員数が規約で決まっている生徒会は、1年生がすぐに加入を希望しても、役員に空きがなければ迎え入れることができない。生徒総会は通常、9月。3年生の役員がそこで引退し、空きが出たらようやく加入希望者を迎え入れることができるが、そこまでに半年ある。手をこまねいていては優秀な新入生を次々と一般の部活動に奪われてしまう。

 そこで、森本学園の生徒会では、加入を希望する1年生を、入学直後から「手伝い」としてキープしておくことが慣例になっていた。最初の半年間は手伝いとして、いわば「見習い」の期間。正式メンバーではないから、生徒会の意思決定機関である役員会ではオブザーバー扱いだが、ここで仕事をしてみて優秀と認められた人が、半年後、執行部からの誘いで役員選挙に立候補するのだ。

 「篠田さんのどこに期待してるんですか?」

 「どこって、全部かな。結衣ちゃんは、とにかく優秀。ここだけの話だけど、あたしの次の生徒会長に推薦したいと思ってるくらいなの。――あ、この話は誰にも言わないでね。絶対だよ」

 わかりました、と僕は答える。学園新聞のインタビューでこそ「だれが生徒会長にふさわしいかはみんなが決めること」と謙虚に「優等生回答」をした畑山さんだが、すでに次の生徒会長になることをある程度見越して、その前提で話をしていることを、僕は感じ取っていた。畑山さんとのこれまでの付き合いで、約束を破ったら自分に未来がないことも、僕は理解していた。

 誰にも邪魔されない2人だけの帰り道で、他の誰にも言えないような秘密の話を、こうして畑山さんが僕だけにしてくれることもあった。畑山さんは、学園新聞の一件でよほど懲りたのか、僕に秘密の話をするとき、周囲を見渡して、他の生徒など森本関係者がいないか確認するようになった。畑山さんに特別扱いしてもらえることは、僕の小さなプライドを敏感にくすぐった。いじめられて泣いてばかりいた頃、自分にプライドなんてないと思っていた僕が、わずかの間にこんなふうに変わってしまうなんて、自分でも信じられなかった。

 「ところで、畑山さん。話は変わるんですけど、こないだ、僕たちのことが学園新聞に出たとき、林部長が言ってた『畑山志織を泣かす会』の伝説って、何ですか?」

 僕が、突然話題を変えてそう言うと、畑山さんは急に不機嫌な表情になり、

 「そんなこと、あんたは知らなくていいの!」

と言った。

 「え、畑山さん、怒っちゃいました? ご、ごめんなさい」

 僕が慌てて謝ると、次の瞬間、畑山さんはいたずらっぽく笑いながら、

 「相変わらず気が弱いね、安達は。さっきまでは教えてあげるつもりはなかったんだけど、あんたはあたしの公認なんだし、やっぱり教えてあげようかなー」

と言い、話し始めた。

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 畑山志織を泣かす会。

 かつて、あたしが通っていた地元の公立小学校に、そんな名前のグループがあった。

 気が強くて、自分が正しいと思ったら意見は絶対に曲げず、最後には貫き通すというのが、今、おそらく、安達があたしに抱いているイメージだろう。だが、そのあたしも、利奈やゆっきーからは「昔よりは丸くなった」と言われる。その言葉通り、小学生当時のあたしは今以上に強気でわがままだった。

 当然、そんなあたしを快く思わない一部の男子児童が発起人となって、あたしが5年生の年、夏休みが明け、2学期が始まって間もない頃にこの会が作られた。あたしに嫌な思いをさせられたり、虐げられた(と自分で思っている)人なら誰でも加入資格がある。「クソ生意気なあたしを懲らしめ、泣かせる」という会の趣旨に賛同する人が、少ない小遣いの中からひとりあたり200円を支払って加入する、というものだった。

 あたしを泣かした男子は、泣いている姿を写真撮影して会長に提出。会長が認めれば「泣かした」と認定される。加入するとき、メンバーが支払ったお金は積み立てておき、あたしを泣かすことができた人に賞金として全額が贈られる。メンバーの誰かがあたしを泣かすことができた時点で会は解散。ただし、期限までに誰もあたしを泣かすことができなかったときは、全員が「負け」となり、このお金はあたしに贈られる。会の活動(あたしを泣かすための行動)は、集団で行ってはならず、1対1でなければならない、というのがこの会の基本的ルールらしかった。最盛期には、他のクラスの男子も含めて50人が加入し、積立金は1万円もあったという。

 それから、会のメンバーによるあたしへの猛烈な嫌がらせが始まった。水道水を頭からかける、会のメンバーが給食当番の時はあたしにだけ給食を配膳しないなどは序の口で、あたしの机にゴキブリを入れる、あたしの持ち物を隠す、「ブス」「お前みたいな怪獣女は学校に来んな」と罵る、などといった嫌がらせが繰り広げられた。

 だが、会のメンバーは50人いるはずなのに、嫌がらせをしてくるメンバーは20人そこそこで、初めから半分に満たなかった。明らかに、嫌々入らされているメンバーがいたことに加え、女子児童の間であたしの立場が揺るがなかったことにより、嫌がらせはすべて不発に終わった。どんな嫌がらせを受けてもあたしは絶対に泣かないと決めていたし、実際、その通りに泣かなかった。それどころか、あたしは言われたら言い返し、やられたらやり返す。逆に男子の方が泣かされて戻ってくることもたびたびで、女子の間では「志織に泣かされる会」に改名した方がいいと陰口を言われていた。

 秋が過ぎ、冬が訪れても、会のメンバーの誰ひとり、あたしを泣かすことができなかった。冬休みが明けて3学期が始まると、新年を迎えて気持ちが変わったためか、あたしに嫌がらせをしてくるメンバーはぐんと減り、5人を割り込んだ。嫌がらせを続けるメンバーも、嫌々やっているというのが明らかで迫力がなくなっていた。

 そして、1月の中頃。会のメンバーだった他のクラスの男子に、あたしは突然「話がある」と呼び出された。指定された場所に行くと、いかにも気の弱そうな男子2人が待っていた。

 「畑山さん、助けて。このままでは、僕たち、グラウンド1000周の刑になっちゃう……」

 「何のことだか全然わかんないんだけど。わかるように言いなさいよ!」

 あたしがけんか腰でそう言うと、2人は、驚くべき事実を打ち明けた。自分たちは“会長”から、どんな手を使ってでもあたしを泣かせ、もし1月が終わるまでに誰もあたしを泣かすことができなかったら、会メンバーは全員、グラウンド1000周の罰にする、と言われたというのだ。

 「だから、畑山さん。“嘘泣き”“泣きまね”でいいから、僕たちのためにしてよ、お願い」

 あたしは呆れた。なんでこいつらのくだらない“いじめごっこ”なんかに付き合わされなくてはならないのか。目の前で泣きそうな顔になっている男子の「哀願」を、容赦なくはねつけた。

 「知らないよ。そんなことあたしに関係ないし、あんたたちが自分で招いたことでしょ。言われた通りにグラウンド走ったら?」

 「無理だよ。そんなに走ったら、脚の骨が折れちゃう。お願い畑山さん、“泣きまね”でいいから、お願い」

 「やだ。いくら頼まれたって、そんなこと絶対してあげない!」

 「お願いです。僕たちを助けると思って……」

 「だいたい、あんたたちどういうつもり? 去年から、さんざんあたしに嫌がらせ、いたずらしたくせに、自分たちがピンチになったら助けてくれとか、ふざけるのもいい加減にしなさいよ!」

 怒りを抑えられなくなったあたしは男子を怒鳴りつけると、きびすを返し、その場を立ち去ろうとした。だが、2人がうつむき、泣き出したのを見ると、突き放すつもりだったのに少しだけ同情する気持ちが生まれた。あたしは再び振り向き、動揺する2人に言った。

 「そんなひどい命令、聞かなきゃいいじゃない? なんでそんなこと、あんたたちがしなくちゃいけないの?」

 「それは、僕たちが会のメンバーで、“会長”が怖いから……」

 泣きながら、ひとりがそう答えた。

 「だったらそんな会、やめちゃえば? 1月が終わるまでに会をやめちゃえばいいのよ。そしたら、あんたたちは会のメンバーじゃないんだから、そんな罰とか関係なくなる。“会長”が誰だか知らないけど、もし『走れ』って言われたら、僕たちは会はやめたんだから関係ないって言えばいいじゃない?」

 あたしがそうアドバイスすると、血の気を失って蒼白だった2人の顔が生気を取り戻した。

 「言われてみれば、そうだよね。なんで僕たち、そんな簡単なことに気づかなかったんだろう。畑山さん、ありがとう」

 結局、2人は会を脱退した。その後は雪崩を打ったように脱退者が相次ぎ、「泣かす会」はわずか半月足らずでひと桁にまで激減した。誰もあたしを泣かすことができなかったら、全員グラウンド1000周という厳しい締め付けは完全に裏目に出た。“会長”が期限に定めた1月末には、ついに会は会長含め、3人だけになっていた。

 50人の男子の会を、たったひとりで壊滅させた女。

 いつしか、それがあたしに対する評価として男子の間で定着。一転して男子があたしを怖れるようになった。2月に入り、“会長”が加藤であることを突き止めたあたしは、教室で、クラスメートみんなが見ている前にもかかわらず、加藤の胸ぐらをつかんで壁に押しつけ、怒鳴りつけた。

 「他の男子を苦しめて、あんた、何とも思わないの? みんなを苦しめた罰として、あんたひとりでグラウンド1000周、走りなさいよ!」 

 だが、結局、加藤はグラウンドを走らなかった。 

 一方、あたしは贈られた“賞金”1万円の使い道に困り果てていた。このお金の管理をしていたメンバーまでが「畑山志織を泣かす会」から脱走、会長がお金の持ち逃げに気づいたときは手遅れだった。この男子児童が、後日、「約束」通りに積立金を“賞金”として届けに来た。あたしは「そんなお金、要らないし、もらっても使いたくない」と拒否しようとしたが、男子児童は、お金の入った封筒をむりやりあたしに押しつけ逃走した。その後、あたしはこの男子にお金を返しに行ったが、「今さらみんなに返すなんてできないし、自分にはどうにもできない」と受け取ってもらえなかった。

 あたしは、事の経緯を両親に話し、お金の使い道について相談。両親のアドバイスを受け、3学期の終業式の時、そのお金でクラス全員にプレゼントを贈った。自分が意地悪をしたあたしから思わぬプレゼントをもらって、会のメンバーだった男子の中には、泣いて謝りに来た人、感謝の手紙やメールを送ってきた人が大勢いた。

 あたしが6年生になってからも騒動の余波は続いた。「泣かす会」を壊滅させられたことを根に持った男子2人が、あたしのクラスに押しかけてきたのだ。そのうちのひとりが、あたしに向かって「お前、女のくせに生意気なんだよ」と言い放った。

 あたしは表情ひとつ変えず「女は生意気にしちゃいけないって法律でもあるの?」と、平然と言い返した。この男子は「ないけど……」と言い、そのまま押し黙ってしまった。すると、今度はもうひとりの男子が「お前、児童会委員だからって、いい気になるなよな」と言ってきた。この男子に対しても、あたしは「あんたなんか、委員にもなれないくせに!」と言い返してやった。

 この男子はよほど悔しかったのか、ぶるぶると肩を震わせ、「なれないんじゃなくて、ならないだけだ!」と捨てゼリフを吐くと、泣きながら走り去った。50人の男子の会をひとりで壊滅させた上、仕返しに来た男子も2人まとめて「返り討ち」にしたあたしを見て、教室中が静まりかえった。

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 「そ、そんなすごすぎる歴史があったんですか……」

 「これはあたしの黒歴史。ホントは安達にも知られたくなかったんだけどね。まったく、森本の新聞部までが、なんでこんなあたしの黒歴史を知ってんだか」

 畑山さんは、苦笑いしながら僕に言う。

 「あたしがマリー・アントワネットと言われるようになったのは、このことが原因なんだけどね」

 「でも、ひどいですよね、そいつら。女のくせにとか、差別じゃないですか」

 僕がそう言うと、畑山さんは、

 「安達がそう思ってくれるだけで元気が出るよ。さすがはあたしの公認ね!」

と言った。僕は、畑山さんが加藤を嫌い、目の敵にしている理由が理解できた。同時に、「泣かす会」のメンバーには1000周走れと言っておきながら、自分が畑山さんに追及されても、走らず、知らんぷりをした加藤を心の底から軽蔑した。

 「そういえば加藤、この前、畑山さんのこと、女のくせに生意気って言ってましたよ」

 「知ってるよ。安達が、加藤にあたしのことをカッコいいって言ってくれたときでしょ? だって、聞こえてたもん」

 「畑山さんが、加藤にゲンコツを食らわしたときですよね」

 「そんな話はしなくていいから」

 「畑山さん、怒らないんですか」

 「怒ってないと言えば、もちろん嘘になるけど、あんなバカ相手にしたって仕方ないし、そんなこと言ってる奴は、自分で自分の評判を落としてることに自分で気づいてないだけ。そのうち絶対、バチが当たるから」

 畑山さんは、自分自身に言い聞かせるようにそう言った。

 「だから安達は、3つのことだけ心がけて。あたしの公認であり、2-Cの学級委員であることに誇りを持って、あんなバカの挑発には乗らないこと。2つ目、挑発には乗らなくていいけど、差別や弱い者いじめをする人への怒りをしっかり持って、自分は絶対にまねしないこと。そして、怒ってもいいけど、それをいつでも前向きな力に変えていくこと。いいかな?」

 畑山さんがそう言ったので、僕は一瞬間を置いた後、意を決して言った。

 「最後の3つ目は難しそうだけど、精いっぱい頑張ってみます」

 僕のその答えを聞いて、畑山さんは、うん、その調子、と僕を励ます。『玉井』に差し掛かったところで、いつものように、僕たちは元気に挨拶をして別れると、別々の道を自宅に向かう。

 知る人ぞ知る伝説といわれた「畑山志織を泣かす会」をめぐる一連の歴史。畑山さんみずから「黒歴史」と呼ぶ一連の出来事。畑山さんがマリー・アントワネットと呼ばれる原因になった出来事のすべてを知ることになった僕は、また一歩、畑山さんに近づくことができた。畑山さんが、他の誰にも話せないけど僕にだけは話せる内緒の話。そして2人だけが知るお互いの秘密が、少しずつ増えていく。自分が畑山さんにとっての「特別の存在」に変わっていく実感が芽生え初め、僕はくすぐったさを隠せずにいた。

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