第18話 突然の発覚


 「おはよー!」

 いつものように、元気に登校し、あたしは2-Cの教室に入る。その瞬間、先に登校していたクラスメートの目がいっせいにあたしに注がれる。いつもと少し教室内の空気が違うのを、あたしは敏感に察知した。

 「ちょっと、志織! 何のんきにおはよーなんて言ってんの!」

 自分の机に荷物を置くあたしに、利奈が血相を変えて駆け寄ってくる。

 「ん? なんかあった?」

 「なんかあった、じゃないでしょーが! 学園新聞見てないの? あんた、思いっきり出てるって!」

 「まだ見てないけど。あたし、新聞に載るような悪いことも、目立つこともしてないよ」

 「あんたはそのつもりでも、実際、出ちゃってるの! とにかく、見に行くよ!」

 利奈は強引にあたしの手を引っ張る。あたしは廊下に連れ出された。よくわからないが、勝手に学園新聞のネタにされてるとしたら天下の一大事だ。利奈と一緒に、学園新聞掲示板に急ぐ。

 森本学園には学園新聞がある。新聞部が週1回、発行しているもので「森本ウィークリー」という、週刊誌のような名前だ。はるか昔は生徒会が編集発行を担当していた時代もあり、生徒会の中では放送広報担当の書記が受け持っていた。だが、新聞部が結成されて以降、編集発行は新聞部の権限になっている。取材対象に制限はなく、新任や退職される先生、各クラスの紹介、部活動・同好会の紹介や対外試合の日程・結果速報といった無難な記事がほとんどだが、ときには生徒会長の支持率調査などの刺激的な記事、そしてごくまれに生徒会・部活動・同好会で起きた事件・スキャンダルなどが載ることもある。

 新聞部の部員は部長以下、ジャーナリズム精神の強い人も多く、「生徒会など学園内権力の監視」を学園新聞の使命と考える人もいる。学園内では生徒への影響力も大きい。取材能力、調査能力も侮りがたく、油断がならないことも事実だ。

 ようやく掲示板の前にたどり着いたあたしは愕然とした。日頃は見に来る人もまばらな学園新聞に人だかりができている。それをかき分けながら、あたしは新聞が張り出されている掲示板の前に進み出る。それを見た瞬間、あたしは全身の力が抜けるように、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 『中等部で初夏の珍事? 生徒会に君臨する「森本のマリー・アントワネット」に衝撃の恋人発覚! 本紙だけが知っている喫茶店「お忍びデート」の一部始終』

 1面トップにでかでかと躍る、まるで週刊誌のような見出し。そしてあろう事か、あたしと安達が「カルチェ・ラタン」で仲睦まじく(?)ケーキを食べている写真が掲載されている。記事のリード(導入部分)にはこう書かれていた。

 『中等部生徒会で「10年に1人の敏腕書記」の呼び声高く、現在、生徒会長に最も近い女子として知られる畑山志織。学園屈指の美少女ながら中等部一と言われるほど気が強く、かつて学園中の男子を震え上がらせた彼女は、今なお一部で「森本のマリー・アントワネット」と呼ばれる。学業と生徒会活動に全青春を捧げ、浮いた話とは無縁と考えられてきた“生徒会のエース”に衝撃の恋人が発覚した。お相手は、彼女と同じ2-Cに在籍する安達正人だ。2週間にわたる執念の取材の結果、2人の“決定的瞬間”を、ついに本紙のカメラが捉えた』

 「ねえ、志織、これマジ?」

 あたしの側で、利奈が尋ねる。がくがくと膝の震えが止まらず、周りの生徒たちが何か言っているが上の空だった。ようやく少し落ち着きを取り戻したところで、人だかりの中から「あっ、噂の本人だ!」「話題の人が来たね〜」という冷やかしの声が上がるのがわかる。事態を理解し、正気に戻ったあたしは立ち上がり、

 「誰が話題の人だっ!」

と叫んだ。

 「志織、聞いてんだけど、これホントなの?」

 あたしが答えないのを見て、利奈が学園新聞の掲示された掲示板を覆っているガラス戸をこんこんと手で軽く叩きながら再び尋ねる。

 「ホントも何も……ここまではっきりと証拠を出されて、今さら違うなんて、言えるわけないじゃない!」

 あたしがそう言うと、人だかりの中から「うそ、マジ?」「ホントなんだ!」という驚きの声が上がった。

 「ったく、誰よ、こんな記事書いたのは! あたし、書いていいなんて言ってない!」

 あたしは思わず叫んだ。

 学園新聞の貼っている掲示板は、ちょうど市役所や法務局などの掲示板のようにガラス戸で覆われていて、掲示物に直接触れられないようになっている。ガラス戸の鍵を持ち、掲示物の張り替えができるのは、新聞部や生徒会の広報担当書記などごく限られた人だけだ。広報担当の書記ではないあたしにはその権限はないし、生徒会メンバーは他の団体が発行した掲示物には一切触れないというのが学園内の暗黙のルールだった。先輩方の時代に、生徒会に批判的な記事を書いた学園新聞を、生徒会メンバーが勝手に外して処分したところ、言論弾圧、報道の自由の侵害だとさらに強く批判されて、生徒会はかなり痛い目に遭った。

 それ以来、全校生徒によって選挙で選出されている生徒会メンバーはプライドを持ち、少しの批判くらいで動じてはいけない。正当な批判には謙虚に耳を傾けなければならないが、いわゆるゴシップの類にいちいち目くじらを立てるのは「選ばれた」生徒会メンバーのすることではないと先輩方からは教えられてきたし、あたしも後輩メンバーにはそう教えてきた。あたし自身、後輩たちの生きた教材になるべきだと考えて、あえて強気に振る舞ってきた。

 でも、この展開はさすがにあたしにとっても「不意打ち」だった。初めて安達を誘って一緒に帰ったあの日……あたしと一緒に校門を出るとき、きょろきょろしながら「誰かに見られたらまずくないですか?」と怯える安達に対し、あたしは「何がまずいの?」と表向きは強気に振る舞った。不器用だがまじめで一生懸命な安達のことは別に嫌いではないし、このまま公認になるならそれでもいいと思っていた。でも、こんな形で、こんなに早く、そのときが訪れるなんて思っていなかった。自分でも好きなのかどうかわからない、この気弱な男子……安達に対しては、もう少し、このままあいまいな関係を続けたかったのに……。

 そのとき、人だかりの中から、安達がひょっこりと姿を見せた。やっぱり、うちのクラスの男子に連れられて、ここに来たらしいが、いかにも気の弱い安達らしく、不安に押し潰されそうな表情をしている。

 「畑山さん、どうしよう、これ……」

 「何おろおろしてんのよ。あたしたち、何も悪いことなんかしてないんだから、堂々としなさいったら!」

 「でも、うちの学園には、恋愛禁止の校則が……」

 「それがどうしたのよ。他のみんなだって堂々と恋愛してるじゃない? あたしたちが同じことをして、何が悪いのよ?」

 「僕はともかく、畑山さんは生徒会書記ですよ。堂々と校則を破るなんて……」

 「そんなの校則が間違ってるの。前から言ってるでしょ。そんな校則、あたしが廃止してやるって」

 あたしは、思わず安達を怒鳴りつけてしまう。気の弱い安達に守ってほしいなどという気持ちはないが、ここまで気弱で挙動不審な姿を見ると、あまりに情けなくて苛立ちを抑えられなかった。だが、あたしに怒鳴られたことで、余計に下を向き、押し黙ってしまう安達を見て、あたしは急に申し訳なくなった。

 安達の言うとおり、森本学園中等部には「恋愛禁止」という校則がある。今時、AKBじゃあるまいし、いつの時代かと思うような校則だが、男女別学から共学に変わる際「風紀の乱れ」を怖れた理事長が独断でそんな項目を入れたらしい。もっとも、堂々と校則を破って恋愛をする生徒を前に先生方も“黙認”する形でこの校則は事実上形骸化していた。初めは高等部にも同じ校則があったが、先輩方の努力で数年前に校則が改正され、恋愛禁止の条文は削除された。だが中等部ではまだ校則改正には至っていなかった。形骸化しているとはいえ、全校生徒にとって恋愛禁止の条文を削除する校則改正は悲願であり、あたしにとって最大の目標でもあった。

 そのときだった。

 「ラッタッタ、ラッタッタ、ラッタタ、ラッタッタ、ラッタッタ、ラッタタ、……」

 のんきで脳天気な、壊れた歌声が響いた。

 「はぁ〜い、これは掲示板の前が人だかりで大変なことになっておりますね〜。日頃はよりどり、みどり、閑古鳥の学園新聞が、ときならぬ大人気でありま〜すっ」

 まるで実況中継のように大声でしゃべりながら、スキップで近づいてくる男子生徒。この立ちまくったキャラは、見まがうことなどあるはずがない新聞部の2年生、神田待来(かんだ またい)だ。「マタイ」とは変わった名前だが、クリスチャンの両親に付けられたもので、キリストの12人の使徒の中にそういう名前の人がいるらしい。

 あいつ! まったく頭にきちゃう! そう思ったあたしは、神田の胸ぐらを右手でつかんでその身体を壁に押しつけ、

 「ちょっと神田! 答えなさいよ! この記事、あんたが書いたの?」

と聞いた。

 「あいたたたた! 暴力反対! みなさ〜ん、生徒会書記が報道の自由を踏みにじってま〜す!」

 「何が報道の自由よ! 人のプライバシーを勝手に暴いて、あんたたちこそ人の人権踏みにじってるじゃない?」

 周りの生徒たちを味方に付けようと、神田が被害者ぶるので、あたしも負けじと言い返す。

 「おや、これはこれは。生徒会のエース書記、畑山さんじゃありませんか」

 落ち着き払った、威厳のある声がする。振り向くと、新聞部の部長、林拓馬(はやし たくま)先輩が立っていた。

 「林先輩……」

 「畑山さん。我が森本学園の校訓、まさか生徒会書記のあなたが忘れてはいないだろうね」

 「……森本学園の生徒は紳士淑女たれ」

 「今あなたが神田くんに対してしていることが、淑女とはとても思えないのだが。神田くんの胸ぐらをつかんでいるその手を、離してくれないか」

 落ち着き払った声で林先輩が言う。悔しいけど、先輩の言う通りだと思ったあたしは、神田の胸ぐらから手を離す。急に身体が自由になった神田が、ゲホゲホと咳をした。少し手に力を入れ過ぎてしまったようで、反省した。林先輩が、記事への不満・疑問があるなら部長の自分が部を代表して聞くというので、言った。

 「あたしに対して、あまりにひどい書き方じゃないですか! 『生徒会に君臨する森本のマリー・アントワネット』って、まるであたしを独裁者みたいに! 『浮いた話とは無縁』ってのも大きなお世話だし、『かつて学園中の男子を震え上がらせた』って、何を根拠に言ってるんですか? 『10年に1人の敏腕書記』と『学園屈指の美少女』は事実通りだからいいですけど、それ以外は事実無根です!」

 あたしと林先輩のそのやりとりを聞いていた利奈が、

 「志織の奴、敏腕書記、美少女って、自分で言うか……」

と呆れつつ、頭から湯気を出して床に崩れ落ちるのがおぼろげに見えたが、今はそんなことに構っていられない。

 「何を根拠にって、まさか忘れたわけじゃないだろう? 小学生時代にあなたが作った、『畑山志織を泣かす会』のあの伝説を」

 あたしは思わず言葉に詰まる。林先輩ったら、あの黒歴史をこんなところで持ち出さなくても……。

 個人のプライバシーを暴くような記事をなぜ書いたのか、とも問いただした。先輩は、生徒会書記を務めていて、場合によっては次の生徒会長になるかもしれないあたしは一般の生徒とは違い、その一挙一動は他の生徒に注目されている。他の生徒に対する影響力もあるあたしの行動や日常を報道することは、学園新聞にとっては“公益性”があるのだと主張した。学園内だけでなく、こうしてあたしの学園外の姿も伝えることで、あたしが次の生徒会長にふさわしいかどうか一般の生徒も判断できるようになる。そのための情報提供だというのである。

 「生徒会役員をしている生徒には、プライバシーはないんですか」

 「ないわけではない。あなたが夜、どんな服装で寝ているかまで書き立てればプライバシーの侵害だ。だけど部活動の部長や委員会・生徒会の役員をしている生徒のプライバシーの範囲は、一般の生徒よりかなり狭いと思ってほしい。例えば、普通の会社員が会社帰りに居酒屋で飲んでいるのを新聞が書くのは問題だが、政治家や芸能人ならプライベートで誰とどこで会い、何をしていたかにはニュース価値がある。あなたは生徒会書記だから、学園新聞としては政治家や芸能人と同じ扱いなんだ」

 「わかりますけど、それを勝手に判断する権利が新聞部にあるんですか!」

 納得できないあたしがさらに食ってかかったところで、ホームルーム5分前を告げる予鈴が鳴った。あたしがよほど悔しい顔をしているのを察したのか、林先輩は言った。

 「畑山さん。あなたはいずれ生徒会長になる人だ。新聞部としても、一度、きちんと時間を取って取材、インタビューをしなければと思っていたところです。せっかくの機会ですし、私たちの取材を受けてもらえませんか?」

 あたしは結局、林先輩のあまりに紳士的な態度に負け、申し出を受けることにした。インタビューの日時は後で連絡するという。こんな隠し撮りのような真似をされて悔しい気持ちはあったが、取材を拒否することによって、余計にあることないこと書き立てられるのは勘弁してほしいし、自分が器量の小さい女だと思われるのも御免だ。それよりは、自分の思っていることを素直に話して情報をコントロールする方がいいと思い直したからでもあった。

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