第16話 自分を貫くって大変!


 ああ、まただ……

 僕は自分のケータイを手にしたまま、思わずうつむく。今日、何度も繰り返されている着信。出るのが怖くてそのまま数十秒間、放っておくと、あきらめたように着信音が消える。着信履歴には、ずっと同じ名前が表示されている。坂田信也(さかた しんや)くんは、僕と同級生で生徒会書記。確か、隣のB組のはずだ。クラスメートの東原さんによれば、思い込みが激しい性格で、畑山さんはじめ他のメンバーは結構、手を焼いているらしい。

 数分後、また同じ相手から着信がある。あまりのしつこさに観念した僕は、渋々電話に出た。

 「何回同じことを言わせるんだよ。学級費調査はできてるのかよ!」

 受話器の向こうからは、今日何度も聞かされた坂田くんの声が響く。

 「いえ、まだです……」

 「お前、学級委員だろ! さっさとやれよ!」

 「だから、坂田くんの指示したやり方ではできないって、何度も言ってるじゃないですか?」

 「こっちに保管してある去年の書類を見ると、ちゃんとできてるんだ。同じ人間で、森本の生徒なのに、なぜ去年の学級委員にできてお前にできないんだよ!」

 「そんなこと言っても、未来のことなんて、わかるわけないじゃないですか!」

 「いいから早くやれよ。各クラスとも、期限は今週いっぱいだぞ!」

 「あ、ちょっと、待ってくだ……」

 電話は、そこで一方的に切れてしまった。

 僕が坂田くんに依頼されている学級費調査という仕事は、毎年、前期と後期に1回ずつ、生徒会から依頼が来る。森本学園では、各クラスに学級費という名目で、ごくわずかだがお金が交付されていて、学校行事などにクラスとしてお金が必要な場合、担任の先生に言えばその中からお金をもらって使えるシステムだった。もっとも、体育祭、文化祭、遠足、合宿など学校単位の行事には別に予算が付く。だから、学級費は、例えばクラス独自で誰それの誕生会などといった行事を開くときに使う程度で、まったく使われないまま終わることも珍しくなかった。

 坂田くんが各クラスの学級委員に依頼してきたのは、今年度に入ってから使った学級費の額と、使った内容を回答するというものだ。坂田くんから来た依頼メールでは、今年度に使った学級費の額を、4月から翌年3月まで、月ごとに記入せよという指示になっていた。だが、今年度なんてまだ始まったばかり。4月と5月はいいとして、6月なんてまだ終わってもいないのに使った額を答えるなんてできるわけがない。まして、7月以降なんてどう答えたらいいのか、まったく見当もつかなかった。

 僕は、仕方ないので畑山さんに相談した。「未来のことなんてわかるわけないんだから、去年使った額を今年も使うと考えて、去年と同じ額を書いておけばいい。去年いくら使ったかは、学級委員が預かっている学級費出納帳につけてあるから、それを見て調べて」というのが畑山さんの答えだった。それを聞いた僕が、去年と同じ額でいいですと言ったところ、坂田くんが「まじめに答えろ」と怒り出し、僕に電話攻勢をかけてくるようになったのである。

 そして昼休み。また僕のケータイに着信がある。

 「安達くん、例の調査、答える気になったかね」

 電話の主は、やはり坂田くんだった。僕はうんざりしながら、朝と同じことを答える。

 「答えたい気持ちはありますけど、未来のことなんてわかりませんから答えられません。去年と同じ額を書くのがダメだと言うんだったら、どうしたらいいか教えてください」

 「去年の学級委員はできているんだ。もしお前ができないというなら、それはお前が無能なだけだ」

 「未来のことなんてわからないから、答えろと言われても困るって、何度言ったらわかってくれるんですか!」

 「去年の学級委員はできていると、こっちこそ何度言ったらわかってくれるんだよ! とにかく調査には答えろよ!」

 何度、同じやりとりを繰り返したかわからない。完全な堂々巡りで、時間ばかりが過ぎていく。

―――――――――――――――――――― ◇ ――――――――――――――――――――

 電話攻勢は翌日も続いた。

 「安達、例の調査は、終わったかなぁ?」

 僕が、まだですと答えると、坂田くんはまた怒り出す。

 「何回言われても、未来のことはわからないから答えられないです。他のクラスの学級委員もみんな困ってるんじゃないですか?」

 僕が聞き返すと、坂田くんは、

 「他のクラスのことはお前にはどうでもいいことだ。とにかく、指示したとおりにやるように」

と答え、一方的に電話を切ってしまった。

 僕はもう限界だった。これ以上は、何度同じやりとりを繰り返しても進展がないとわかっていた。もう電話に出るのも嫌だった。悔しく思うと同時に、疲れてしまった僕が机に突っ伏したちょうどそのとき、誰かに軽く肩を叩かれた。顔を上げるのも嫌でそのまま突っ伏していると、再び、やや強めに肩を叩かれると同時に「おい、少年、起きなさい」という声がする。仕方なく顔を上げると、畑山さんが立っていた。

 「どうしたの? 疲れてるみたいじゃない? 電話してるときも怯えてるみたいだし。何かあった?」

 「いえ、何でも……」

 「何でもないわけないじゃない? 何かあったんでしょ?」

 さすがは畑山さんだと僕は思った。何度も学級委員を経験し、数多くの男子を見てきた畑山さんだけに、僕の様子がおかしいことなどとっくにお見通しなのだろう。観念した僕は、これまでのいきさつを畑山さんに話した。畑山さんは、いつの間にか僕のすぐ前の席に座っている。僕の話をじっくり聞くつもりらしく、僕にはそれがありがたかった。

 「そんな大変な目に遭ってて、何で今まで黙ってたの? 相談してくれればいいのに」

 「でも、僕、自分の力で解決してみたくて……」

 僕は答えた。偽らざる本音だった。学級委員になって3か月、僕は、ここで解決のバトンを畑山さんに渡してしまうことになるとしたら、悔しくて仕方ないという気持ちだった。言葉を継げなくなり、黙ってしまった僕を諭すように、畑山さんは言った。

 「気持ちはわかるよ。学級委員として、安達は成長したもんね。誰の目にもはっきりわかるくらいに。だからこそ、自分の力を信じてみたくなる気持ち、わかる。あたしも小学生で初めて学級委員をやって、少し仕事を覚えたら、背伸びがしてみたくなったから。ひとりで何でも仕切っちゃう男子に一生懸命反抗したっけ。あー、懐かしいなぁ」

 少し遠い目をしながら、思い出語りをする畑山さん。僕はどう答えていいかわからず黙っていた。畑山さんが僕のことを心配してくれているのは素直にうれしい。でも、それだけでは何か寂しいという気持ちも同時に僕の中に芽生え始めていた。この気持ちをどう整理すればいいのだろう。背伸びは確かにしてみたい。でも、不器用な僕がちょっと背伸びしてみたくらいでは、生徒会書記を務め、口も達者な坂田くんには勝てそうな気がしないことも事実だった。

 「自分のレベルを超えるような難しいことまで、ひとりで抱え込んじゃダメ。そこは気をつけないと、成長する前に、安達が追い詰められちゃうよ。それに学級委員はみんなのために役に立つことが第一。目の前の仕事を確実に結果につなげることが、安達に求められてる役割だとあたしは思うけど?」

 畑山さんと僕の間に、奇妙な沈黙が流れた。僕がどう出てくるか、しばらく様子をうかがっていた畑山さんが、僕が何も答えないのを見ると、僕の顔をまっすぐに見据え、また口を開いた。

 「それで安達はどうしたいの? 難しい仕事をひとりで抱え込んで、先に進めないままにするつもり?」

 少し棘(とげ)を含んだ言い方だった。畑山さんは、自分の思っている通りの答えがほしいとき、僕にこういう言い方をする。初めて一緒に帰ろうと僕を誘ってきた放課後の「安達が、どうしても嫌なら、無理にとは言わないけど」など、その典型だ。あのときの僕に、嫌だと答える選択肢はなかった。今もあのときと一緒だ。これ以上、僕ひとりでこの仕事を抱え続けることは許さないという、畑山さんの絶対的な意思が感じられる。

 「やっぱり、……僕ひとりでは、無理かもしれないです」

 畑山さんに気圧(けお)されて、僕は、期待されたとおりの答えをした。

 「うん。あんまり無理しちゃダメ。あたしが話をつけるから、坂田から電話やメールがあったら、すぐに伝えて。電話だったら代わってもいいよ」

 畑山さんが、学級委員として未熟な僕を気遣って言ってくれていることは理解できた。悔しい気持ちはあるものの、これが限界だということも自分でわかっていた。畑山さんがせっかく出してくれた助け船に、ここで乗った方がいいかもしれないと思い直した僕は、結局、畑山さんにその後を委ねた。

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 しばらくして、僕のケータイに再び着信があった。恐る恐る、僕は通話ボタンを押し、受話器を耳に当てる。

 「キミぃ、いい加減にしたまえ。ちゃんとやってもらわなきゃ困るんだよ」

 受話器の向こうの坂田くんは、まるでテレビドラマに出てくる会社のイヤミな上司のようなしゃべり方で、催促してくる。だが、僕はもう限界だった。

 「ごめんなさい、僕、もう限界です……」

 「何が限界だよ。仕事に限界とかないだろ?」

 坂田くんはなおも獲物を襲うライオンのように食い下がってくる。僕のそばに駆け寄ってきた畑山さんが、ぽんぽんと僕の肩を叩くと「代わって」と耳元でささやく。

 「すみません。僕、もうダメなので、電話、代わりますね……」

 そう言うと僕は、受話器の向こうで坂田くんが「お前、何言ってんだよ!」と叫ぶのを無視して、畑山さんにケータイを渡した。

 「もしもし、畑山だけど。坂田、あんたさっきから何ワケわかんないこと言ってんの!」

 「え? 畑山さん? 何で畑山さんが電話出るんだよ?」

 「あたしも2-Cの学級委員だからに決まってんでしょ」

 「え? 畑山さんって学級委員だったっけ?」

 「何バカなこと言ってんの? 生徒会書記と兼任しちゃいけないってルールはうちの学園にはないから、前期は兼任してるって、こないだ言ったでしょ? あんた、学級委員にそんな無茶言うってのは、安達だけじゃなくあたしにもケンカ売ってることになるんだよ!」

 坂田くんは声が大きく、受話器の外まで話し声ががんがん聞こえてくる。そんな坂田くんが、さっきまでの勢いはどこへやら、受話器の向こうで固まっているらしく、無言だった。それにしても、畑山さんがうちのクラスの学級委員だってことすら知らないで言ってるとは……。さすがは学園中で「アホの坂田」と言われるだけのことはある。僕はあきれて言葉が出なかった。

 「それはそうと、あんた、安達に未来のことを書け書けって、無理なこと言ってるみたいじゃない? 未来のことを正確に予測して、書いて出せって言うんだったら、あんたが今すぐタイムマシーンでも発明して持ってきなさいよ!」

 「それは……」

 畑山さんが容赦なくたたみかける。坂田くんは絶句している。あっという間に形勢が逆転した。

 「でも、去年の書類を見ると、ちゃんと数字が書いてるんだよ! 去年の学級委員にできて、なんでお前らにはできないんだよ!」

 形勢を逆転され、苦しくなった坂田くんが、逆ギレ気味に畑山さんに食ってかかる。しかし、畑山さんは落ち着き払っていた。

 「それは、去年だって、前の年に使った額を入れてもらってるだけ。各クラスから上がってきた前の年の会計報告と照らし合わせたら、そんなことくらいすぐわかるでしょ。そもそも、あんた、学級委員にワケわかんない指示をする前にその辺のこと、ちゃんと調べたの?」

 畑山さんが、坂田くんを責め立てながら僕の方を向き、意地悪な笑みを浮かべる。今までの経験上、畑山さんがこの笑みを浮かべるのは絶対的な自信があるときだ。遠巻きにその様子を見ている男子数人が、声を潜めて「畑山、怖ぇー」と言っているが、その声は畑山さんには聞こえていなかった。受話器の向こうで固まっているらしい坂田くんに向かって、畑山さんが冷たく言い放つ。

 「ま、事前にちゃんと調べてたら、そんなバカな指示、するわけないよね? 坂田、もう1回ちゃんと調べて、指示を出し直すこと! 前の年に使った額と同じだけ今年も使うということにして、各クラスから報告してもらうように指示をし直して。いい?」

 受話器の向こうから、坂田くんの、覇気に欠けた「はい」という声が聞こえた後、一方的に電話が切れた。

 「というわけで、安達、あたしがガツンと言ってあげたから」

 そう言うと、畑山さんは、勝ち誇ったように笑みを浮かべ、僕にケータイを返してきた。自分の席に歩いて行く畑山さんに向かって、一部始終を見ていた男子が、

 「畑山、お前、時々、おもしろいこと言うよな」

と言った。

 「何が?」

 畑山さんが聞き返すと、その男子が言った。

 「未来のことを書いて出せって言うんだったら、タイムマシーン持って来いって、おもしろい切り返し方だよな。今度、俺、それ使わせてもらっていいか?」

 「別にいいけど。でも、そんなの、使うときってあるの?」

 「冷静に考えると、ねえな」

 「あははは。ま、使用料いらないから、使うときがあったらどうぞ」

 畑山さんはそう言って笑った。別に、クラスの男子全員が畑山さんを怖れているわけではなかった。ちゃんと会話を成立させられる男子も、うちのクラスにいることはいる。でも、自分ほど畑山さんのことを理解している男子はいないと、この時点で僕は自負していた。

―――――――――――――――――――― ◇ ――――――――――――――――――――

 「畑山さん。僕、悔しいです。僕の方が正しいってわかってるのに、坂田くんに結局、納得してもらえなかったから……」

 放課後。生徒会の仕事に行こうとする畑山さんを呼び止めて、僕は、抑えられなくなった自分の気持ちをぶつけた。教室内にはまだ何人かの生徒がいて、僕たちのやりとりを興味深く聴いている。

 「何言ってんの? 安達、今日はがんばったじゃない? 結果は出なかったかもしれないけど、あんなに自分が正しいって、貫き通す安達を、あたし、初めて見たよ」

 畑山さんは、そう言って笑った。ただ、教室内のためか、2人だけの帰り道で見せる、あのとびっきりの笑顔ではなかった。

 「それはそうかもしれないですけど、……僕、こんなの納得できないです!」 

 畑山さんに自分の仕事を認めてもらえたことは率直に嬉しかったが、僕には納得できないことがまだ残っていた。「各学級委員は、その年度の学級費の使用見込みを正確に記入して、生徒会の担当役員に提出すること」とプリント(調査用紙)に書いてあることだった。先のことなんてわからないにもかかわらず、坂田くんが、先のことを予測して書け書けと僕に要求してきたのも、元はといえばこのように書いてあることが原因だし、僕もそのことが原因で、反論できず言い負かされてしまった。今回は、畑山さんがいてくれたからよかったようなものの、プリントの内容をなんとかしてもらわないと、僕の後に学級委員になった人が、また同じ苦しみを味わうことになるのではないかと思ったのだ。

 「納得できないって、何が?」

 僕の激しい口調が気に入らないのか、畑山さんは、一転してやや不機嫌な表情で尋ねてくる。僕は、プリントの該当する場所を指で示しながら、畑山さんに見せる。

 「何って、……これ見てもらえますか? こんなことが書いてあると、誰だって坂田くんみたいに思うに決まってます! 何とかならないんですか!」

 畑山さんは、僕が差し出したプリントを手で奪い取って眺める。思えば、僕が両手で差し出したプリントを、今みたいに畑山さんが片手でぱっと奪い取り、中身を確認するシーンはこれまでにも何度かあった。こんなとき、同級生で上下関係はないはずなのに、まるで先輩後輩関係みたいで悔しくなる。でもそれは僕にとって、耐えなければならないことのひとつだった。少なくとも、畑山さんに一人前の学級委員と認められるまでは……。

 周りの音をシャットアウトしたかのような、ものすごい集中力でプリントの中身を確認していた畑山さんが、顔を上げて僕のほうを見る。僕は一瞬たじろいだ。生意気な態度を取ってしまった僕は、畑山さんが何を言い出すのか、少し怖かった。

 「なるほど。言われてみれば、そうだよね。うん、あたしも安達の言うとおりだと思う」

 そう言って、僕が制服の胸ポケットにさしていたシャーペンを「貸してね」と言いつつ奪い取ると、畑山さんは、立ったまま、すぐそばの机の上にプリントを置いて、さらさらと何かを書き入れた。

 「これでどうかな?」

 畑山さんが、シャーペンを僕のポケットに戻しながら、プリントを僕に片手で差し出す。僕は、悔しかったから自分も片手で受け取りたかったが、やっぱり畑山さんの機嫌を損ねてはいけないと、両手で受け取ってしまう。僕が文句を言ったプリントの説明書きは、畑山さんの手で「学級委員は、去年使った学級費の額を月ごとに記入して、生徒会の担当役員に提出すること」に書き直されていた。

 「はい……これならいいと思います」

 「うん、わかった。じゃあこれから生徒会の会議だから、あたし、これ直すように提案しておくよ。今まで、あたしの提案が通らなかったことはないから、任せて」

 そう言うと、畑山さんは僕を置いたまま、少し急ぎ足で教室を出て行った。畑山さんと僕のやりとりを見ていた杉田さんが、僕のそばに歩いてくると、言った。

 「安達くん、すごいじゃない? 志織に意見を言って、認めさせるなんて。安達くんは知らないかもしれないけど、志織が男子の意見を認めるなんて、めったにないんだよ。それに、安達くんの意見だからって、バカにしないで、ちゃんと認める志織もすごいと思う」

 杉田さんのその言葉に、僕は大いに励まされた。いじめられっ子だった僕が、教室の中で、他人に自分の意見を認めてもらえるなんて今までなかった。僕の意見だと言うだけで、みんなバカにして、内容も見ずに却下して終わりというのが今までの人生だった。そんな僕が、初めて、自分の意見を認めてもらえた。しかも、仕事に関してはクラスの誰よりも厳しい畑山さんに。

 今日は、自分で自分にご褒美をあげてもいいのかな……ささやかな成功体験を胸にしまい込みながら、僕はふと、そんなことを思っていた。

―――――――――――――――――――― ◇ ――――――――――――――――――――

 数日後の帰り道で、僕は、杉田さんに言われたことを、ほぼそのまま畑山さんに話した。

 「まるであたしが男子を虐(しいた)げてるみたいに聞こえるじゃない? あたし、安達にこんなに優しくしてあげてんのに、ゆっきーも失礼だな。そう思わない?」

 「いや、その、なんて言うか……」

 僕は思わず口ごもった。坂田くんや、加藤、山下に対する畑山さんの態度は虐げてるようにしか見えないけど、「杉田さんの言うとおり」だなんて怖くて答えられない。でも、「畑山さんは優しいです」なんて事実に反することも言えない。

 「ま、ゆっきーとは普段からちゃんと話してるし、安達も答えにくいだろうから別にいいけどね」

 僕が答えに窮しているのを見て、畑山さんが意地悪く笑いながら言う。畑山さんのこの意地悪い笑みが、僕は最初怖かった。でも、最近は慣れてきたのかあまり怖いと思わなくなっていた。本気で意地悪をするつもりではなく、単に僕をからかっているだけだというのが次第にわかってきたからだ。

 「それはともかく、今回のことは大変だったでしょ。ホント、安達はよく頑張ったと思うから、悔しいとか、そんなこと思わなくていいよ」

 「はい。そう言ってもらえるのはうれしいですけど、でも僕、やっぱり悔しいです。今度もまた、畑山さんに助けてもらうことになって……」

 僕がそう言うと、畑山さんは、横を向き、僕のほうを見ながら、一転してまじめな表情で言った。

 「あんたみたいな、まじめで一生懸命なタイプの人を助けてあげるのは好きだし、いいんだけど、今回、安達はひとつだけ、大きなミスをしてる。そのミスがなければ、坂田をあんなに怒らせることはたぶんなかったと、あたし、思うんだよね。さて、安達くんのどこがミスだったか、わかるかな?」

 「えっ……?」

 思いがけない畑山さんの言葉に、僕は一瞬驚き、次に頭の中が真っ白になった。ミスって、いったいなんだろう? 全然思い当たらない。それ以前に、坂田くんを相手に一生懸命がんばりすぎたせいか、記憶すらあいまいになっていた。

 「ごめんなさい、畑山さん。僕、全然わからないです……」

 僕が正直にそう言うと、畑山さんが答えた。

 「安達はこういう経験、初めてだから仕方ないか。安達があたしに相談に来たとき、『未来のことなんてわかるわけないんだから、去年使った額を今年も使うと考えて、去年と同じ額を書いておけばいいから』って、あたしが答えたの、覚えてる?」

 「はい」

 「その後、あんた、坂田から電話がかかってきたとき、『去年と同じでいいです』って、答えたそうじゃない?」

 「はい。畑山さんに言われたとおりに、そう言いました」

 「だから、それがダメなの。たぶん、坂田が怒ったのはそれが原因だと思うよ」

 「なんでですか! 僕は、畑山さんに教えてもらったとおりに答えただけです! それなのに、それがダメだって言われても……」

 僕は頭が混乱し始めていた。それを敏感に察知したのか、畑山さんが僕をなだめるように言った。

 「勘違いしないで。あたしは別に考え方が間違ってると言うつもりはないよ。第一、それはあたしが教えたんだし。あたしが言いたいのはそうじゃなくて、あんたがそれをそのまま『去年と同じでいい』って、電話で坂田に言っちゃったのがいけないの」

 「なんでですか!」

 「当たり前じゃない? 坂田は、プリントに書いてあるのをそっくりそのまま受け取って、安達に、先のことを正確に予測して調査に答えなさいって言ってるのに、安達は理由もちゃんと説明しないまま、電話で『去年と同じでいい』でしょ? 坂田にしてみれば、あんたにバカにされた上、2-Cは調査のプリント書かないから、お前が書けって言われているように、感じたんじゃないかな?」

 「僕は、そんなつもりで言ってないです!」

 「安達はそういうつもりじゃなくても、相手がそう思っちゃうことがある。それが言葉の怖いところだよ。せめて『未来のことは予測できないけど、今年もうちのクラスは去年と同じ人数で、去年と同じ活動をする予定なので、学級費を使う額も去年並みになると思います。だから、去年の額を今年使う予定の額だと考えることにして、そう記入していいですか』って、安達がちゃんとそういう聞き方をしていたら、全然違ってたと思うんだよね」

 僕は、まだ納得できない気持ちだった。無言で下を向いて歩く僕に、畑山さんは続けた。

 「だから安達、悔しい気持ちはわかるけど、自分の考えを人に理解してほしかったら、結論だけじゃダメ。なぜそう考えるのかまでちゃんと説明するように心がけないと、わかってもらえないよ」

 「でも、僕、そういうのは苦手で……」

 僕が、言葉を絞り出すようにやっとの思いでそう言う。畑山さんの顔に、少し困惑した表情が浮かんでいた。

 「ま、最初は仕方ないよ。相手が坂田じゃなかったら、ここまでこじれずにすんだだろうし。そういう意味では事故みたいなもんだから、今回のことは気にしなくていいよ。困ったことが起きても、今までだったら逃げるか、泣くか、黙って下を向くかしかなかった安達が、あそこまで坂田相手にがんばれたんだもん。今は、とにかく自分で自分を、ちゃんと褒めてあげるんだよ。そして、家に帰ったらゆっくり休んで」

 「はい……。ありがとうございます」

 僕がそう答えたところで、『玉井』が見えてきた。僕がへとへとに気疲れしているのを察したのか、畑山さんは、「あんまりクヨクヨすんなよ。じゃあまた明日ね!」と、僕に元気に声をかけた。僕も、それに応えなければいけないと思い、精いっぱいのカラ元気を出して「さよなら!」と答えた。

 ああ、学級委員なんて辞めたい。久しぶりに僕はそう思った。

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