第12話 辛い告知


 放課後。あたしは気が重かった。いったんは収まったと思っていたのに、水面下で続いていた安達に対するいじめの事実。本人も知らないその事実を、今から本人に告げなければならないのだ。気が重くないわけがない。

 あたしのメールを見ていたらしく、安達は帰らず、教室に残ってくれている。ちらりと教室を横目で見渡す。安達をいじめている、我がクラスきってのクズ男子――加藤と山下はまだ残って談笑している。この2人がいる前で、話なんてできるわけがない。あたしは平静を装いながら、生徒会室まで一緒に来るよう、安達に言い渡した。

 「いいですけど、何でまた生徒会室に?」

 安達は怪訝そうな顔をする。生徒会室は、書記をしているあたしにはおなじみの部屋だが、安達にとっては未知の部屋だけに無理もない。

 「あそこには密談ができる部屋があるの。ひそひそ話にはちょうどいいんだよ。とにかく来て!」

 最近の安達は、あたしが言ったことはこなせる程度に学級委員の仕事も覚えてきたが、意志が弱く周囲に流されやすいところは以前と全然変わっていないようだ。その証拠に、あたしがこうして強く言えば素直に従う。

 「ほら、緊張しなくていいから、入って」

 生徒会室に着くと、あたしは安達を中に招き入れた。きょうは生徒会の活動日ではなく、人は少ない。だが、生徒会長の浅田順一(あさだ じゅんいち)先輩と副会長の木村さつき(きむら さつき)先輩は室内にいた。2人とも3年生。この秋の生徒総会が終われば引退だ。2人に明るく挨拶すると、浅田先輩は「おぅ」と右手を上げて挨拶。無愛想だけど、この人は誰に対してもこんな感じだ。こんな無愛想でよく会長が務まるなぁと思うけど、全校生徒は気にしていないらしく、まぁこれでいいのだろう。一方のさつき先輩は、

 「お疲れ、志織ちゃん。その子は?」

とあたしに聞く。うちのクラスの安達正人くんです、とあたしが答えると、さつき先輩は、

 「ああ、志織ちゃんが時々言ってる学級委員の子ね」

と言った。

 「安達くん、学級委員、初めてなんだって? 志織ちゃんに、ちゃんと仕事教えてもらってる?」

 さつき先輩が安達に尋ねる。まったく、コイツったら先輩に挨拶もしないで。そう思ったあたしは、肘で安達の身体を軽く小突いた。『挨拶しなさい』と言う意味だけど、理解してくれるかどうかは確証が持てなかった。

 「あ、すいません。僕、安達正人って言います。よろしくお願いします。畑山さんには、仕事を丁寧に教えてもらっています」

 安達は答えた。先輩女子と話すのはこれが初めてなのかもしれない。緊張しているのが見え見えで、横で見ている分にはおもしろく、あたしは「キシシシ」という効果音が聞こえてきそうな変な笑い方をしてしまう。きっと今のあたしは、安達がいつも言ってる「意地悪い笑顔」になっているに違いない。

 「私、副会長の木村さつき。よろしく。よかった。仕事ちゃんと教えてもらってるんだ。やっぱりそうなのね。志織ちゃん、後輩や他の書記の子の面倒見がもの凄くいいのよ。ちゃんと仕事を教えて面倒も見て。私や会長が見る前に、他の書記さんの仕事のチェックもしてくれるし、時々、解決策も出してくれるから助かってるの。私より仕事ができるのよ」

 「さつき先輩。全然、そんなことないですよ」

 あたしは、謙遜ではなく本当にそう思っていた。

 「僕が浅田だ。よろしく。畑山にしごかれて大変だろうけど、学級委員、がんばれよ」

 浅田先輩が、今度は安達に挨拶を返す。

 「ちょっと先輩、あたし、安達のこと、しごいてないですから! 知らない人が聞いたら本気にしちゃうじゃないですか!」

 あたしが抗議すると、よほどおもしろかったのか、普段は無愛想な浅田先輩が笑う。奥の応接室を30分程度、使っていいか浅田先輩に尋ねると、いいよと言ってくれたので、安達を応接室に招き入れ、ドアに「会議中」の札をかける。先輩方が、密談をするときにいつもこうしているのを、あたしは知らず知らずのうちに覚えてしまっていた。こうしておくと他人が入って来なくてすむ。今日は来客もなく都合がいい。

 「じゃあ安達は、そっちの席にでも座ってて」

 西日の差し込む応接室で、あたしは、安達を太陽を正面に見る側の席に案内した。これは「あの日」と同じように、安達の細かい表情から真意を読み取るためだった。あたしは2人分のお茶を入れると、安達が座るソファの前のテーブルに置いた。

 「ちょっとだけそこで待っててね。お茶でも飲んでて」

 あたしはそう言っていったん応接室を出ると、2人の先輩に簡単に事情を説明した。

 「そうだったの……。志織ちゃん、安達くんを助けてあげて」

 さつき先輩が心配そうにそう言ったので、あたしは答えた。

 「大丈夫ですよ、さつき先輩。森本女子の名にかけて、こんなこと、あたしが絶対許しませんから。できるだけ平和に済ませるつもりですけど、場合によっては、“あれ”の発動も辞さない覚悟です」

 「わかった。志織ちゃんを信じる。がんばって」

 「ありがとうございます」

 先輩にお礼を言うと、あたしは再び応接室に入る。安達と向かい合う形でソファに座る。安達は緊張しているのか、お茶には手が付けられていなかった。

 「なんだ、お茶、飲めば良かったのに。毒なんか入れてないよ」

 安達の緊張を解きほぐすため、あたしは少し冗談を言ってみる。が、安達の表情はそれほど変わらなかった。あたしはお茶を一口飲むと、一呼吸置いてから言った。

 「安達、今から言う話、ショックを受けないで聞いて欲しいんだけど」

―――――――――――――――――――― ◇ ――――――――――――――――――――

 安達の表情がたちまち曇る。顔中を覆ったその不安そうな表情を、あたしは見逃さなかった。変な前置き、するんじゃなかったかな、と少し思う。でも、いきなり本題に入ったりした方が、内容が内容だけにダメージが大きいかも、とも思う。一体どうしたらいいんだろう。でも、こんなことで怯んでたら、何のために安達をこんなとこまで連れてきたか、わからないじゃない? そう思い、あたしは勇気を振り絞る。

 「掃除の時間に、ゆっきーがうちの教室のゴミ箱から、こんな物を見つけてくれたんだよね」

 そう言ってあたしは、丸められていたプリントを広げて、テーブルの上に置いた。

 「見覚えあるでしょ」

 「……!」

 安達の顔色がサッと変わった。あたしはそれも見逃さなかった。

 「な、なんでこ、これが、ゴミ箱に……? 配った後、誰かが捨てたんじゃ……」

 「残念だけど、それはないよ。だって、これがゴミ箱から見つかったのはおととい。あたしたちが小夜にコピーしてもらってプリントを配ったのは、昨日でしょ?」

 「……」

 安達の口から発せられた弱々しい言葉を、あたしはぴしゃりと否定する。こんなにいじめられているのに、いや、いじめられているからこそ、目の前の安達はその事実を認めたくないのだろうか。できることなら間違いであってほしいと思いたいのかもしれなかった。

 「考えたくなかったけど、あんたの机からこれを盗んで、ゴミ箱に捨てた奴がいるってことだ」

 「……そんな、酷い。酷いよ……」

 下を向いた安達の目から、涙がこぼれた。やっぱり安達をこの部屋に連れてきて正解だった。教室でもしこんな事態になったら、安達に大恥をかかせた上、あたしが安達をいじめて泣かしたように思われかねない。

 「泣かなくていいよ。あんたはなにも悪くないんだし、これで安達がこのプリントをなくしたわけじゃないってことも、わかったじゃない?」

 「そうですけど……」

 「それに、ゆっきーも一緒に怒ってくれてるよ。安達みたいなまじめで一生懸命な子をいじめる人は絶対許さないって、怒ってくれてる。あたしももちろん、同じ気持ちだよ」

 「それ、本当ですか?」

 安達は、ようやく泣きやむと顔を上げ、あたしに尋ねる。もちろん、とあたしは答えた。

 「ま、たぶん、やったのはまた、あいつらだろうね。今のところ証拠はないけど。どうする? 安達。犯人を捜す?」

 「……僕はいいです。僕が耐えれば済むことなので……」

 「安達!」

 「……はい」

 「あたしは、犯人を見つけ出すべきだと思う。安達が耐えればいいなんて、そんな話じゃないでしょ。こんな理不尽な仕打ちを受けて、なんで黙って耐えるの?」

 「今までもずっと、そうしてきたから……」

 「そうしてきたから、今もずっといじめられ続けてるんでしょ? 学級委員のあみだくじだって、いじめじゃない? この状況を変えたいと思わないの?」

 「それは、できれば変えたいです。でも、どうしたらいいかわからなくて……」

 そう言って下を向いた安達の目から、また涙がこぼれた。

 「あんたはひとりじゃないんだよ。あたしは安達を守る気でいるし、利奈やゆっきーもその覚悟はできてる。それなのに、なんで自分の殻に閉じこもってるの? もっと信じてよ」

 「信じて、いいんですか?」

 「当たり前でしょ。あたしにとって、あんたはこのクラスでたったひとりの学級委員仲間なんだよ。その仲間にこんな仕打ちをするなんて、誰だか知らないけど、いい度胸じゃない? まったく、バレないとでも思ってるのかねー」

 そう言ってあたしはゆっくりとお茶を飲む。ひと呼吸置いて、続ける。

 「安達。あんたは自分が耐えればそれでいいと思ってるかもしれないけど、そんな話じゃないよ。あたしには学級委員として、生徒会書記として、この学園からいじめを追放する義務と責任を負っているの。このクラスでなくても同じだし、別の学年であっても同じ。いじめなんてこの学園には必要ないし、第一、カッコ悪い、最低の人間がすることだよ。あたしは、森本女子の端くれとして、愛と正義に反することは絶対に認めない。その気になれば、あんたへのいじめなんて“秘密兵器”を発動してでも止めてやる。覚悟はあるから、それ以上泣かないで」

 安達があたしの背中を見つめながら、じっと黙って話を聞いているのがわかる。

 「それに、あたし、前にも言ったでしょ。これから流す涙はすべて悔し涙だと思いなさいって。こんな仕打ちを受けて、悔しくないの?」

 安達は、あたしが入れたお茶をようやく口にした。茶碗を置くと、意を決したように答えた。

 「悔しいです。このままやられっぱなしで終わるなんて嫌です。……強くなりたいです」

 「わかった。安達にその気持ちがあるなら、あたしは最後までがんばるから、安達もがんばって」

 あたしは、安達を励ますつもりで言った。

 「畑山さん、力を貸してくれますか?」

 「もちろん! あたしだけじゃなくて、利奈やゆっきーも力を貸すよ」

 「このままやられっぱなしで終わるなんて嫌だから、強くなりたい。僕にはその気持ちだけしかありません。畑山さん、そんな僕でも、勝てますか?」

 「もちろんだよ。絶対勝てる。前にも言ったでしょ。物事が10個あれば、気持ちで5〜6個はなんとかなるって」

 「はい。よろしくお願いします」

 「じゃあ、安達、この犯人は突き止めるってことでいいかな? いくつかあたしにアイデアがあるから、任せてくれる?」

 安達は、こくりと頷くと、突然、あたしに言った。

 「こんなところでなんですけど、せっかくなので、僕が小学生の頃の話、聞いてもらっていいですか?」

 あたしが、いいよ、と答えると、安達は、絞り出すような声で話し始めた。

前へ  目次へ  次へ