第10話 初デートはほろ苦く
僕が学級委員になって、早いもので1か月。女子が苦手だった僕にとって、謎のベールに包まれていた畑山さんの性格も、ずいぶんわかってきた。
僕が畑山さんに対して抱いていた先入観は、良い意味で覆されつつあった。学級委員になるまでは、畑山さんに対し、気が強くて、几帳面で細かく、ガミガミとうるさく自分を管理するヒステリックな女子というイメージを描いていた。しかし実際の畑山さんは細かいことはあまり気にしない性格だった。男子があみだくじで委員を選んだことも、僕は、畑山さんにバレたら怒られると思っていたが、実際には「選ばれた人をみんながちゃんとフォローするなら選び方なんてなんでもいい」と全く気にしていなかった。
初めて仕事を教えてもらったときも、交通安全のプリントと文化祭のアンケートをホチキス留めするか尋ねる正人に対し、「配布して終わりのプリントと、回収が必要なプリントをわざわざ綴じるなんて無駄。そんなことはしなくていい」というのが畑山さんの答えだった。
気が強く、厳しいことも時として言われるけれど、筋道を立てて話をすれば理解してくれて、一生懸命がんばれば認めてくれる。その上、言うことが一貫していてブレない畑山さんを、いつしか僕は頼るようになっていた。
他の男子が畑山さんをただ怖れるだけで何も知ろうとしない中、僕だけが知っている畑山さんの秘密もいくつかあった。マリー・アントワネットのことを人一倍勉強していたり、花言葉を知っているなど女の子らしい一面もあったり。他の男子の前では決して見せないあのとびっきりの笑顔も、僕にだけは惜しげもなく見せてくれる。
畑山さんと一緒に帰るのも、これでもう4回目だった。あんなに人混みと喧噪が嫌いで、『玉井』の前を避けるように森本中央公園の前で右折していた僕が、畑山さんと一緒なら人混みも喧噪も気にならず、『玉井』の前まで行くのも苦痛に感じない。それどころか、もし許されるならもっと一緒に帰りたいとさえ思い始めていた。
だが、僕の心の中のどこかに戸惑いも同居していた。なぜなら畑山さんは、中等部一気が強いと言われ、一部の男子は誰はばかることなくマリー・アントワネットと呼んでいる。学級委員になるまでは、僕の最も苦手とするタイプの女子だったはずだ。そんな女子と、なぜこんなにも一緒に帰りたいのだろう。なぜ、畑山さんが一緒だと、退屈なはずの通学路が輝いて見えるのだろう。
「畑山さん、今日はありがとうございました」
僕は、少ししおらしく礼を言った。あの時、――そう、何をどうしていいかわからず、教室で泣くことしかできなかった自分を助けてくれた、あの日と同じように。
「いいのよ。気にしないで」
さらりと、畑山さんは僕に言う。その凛とした物言いは、とても同級生と思えない。
「でも、畑山さん、今日は面白かったですよね。B組見てて」
「そう? どこが?」
「だって、畑山さんと東原さんがしゃべってる横で、B組男子の委員が黙々と仕事してて。なんか、東原さんが男子の委員を尻に敷いている感じがして楽しかったです」
「小夜もああ見えて、あたしや利奈と似たところがあるからね。あの男子のことはあたし、知らないけど、まあ、小夜ならたいていの男子は尻に敷けるんじゃない?」
「うちのクラスと同じですね」
そう軽口を叩いた直後、僕はしまったと思った。だが遅かった。
「それ、どういう意味? か弱い安達くんを、あたしが尻に敷いてるとでも?」
「いえ、そう言う意味じゃ……」
「そう言う意味にしか取れないじゃない! はいはい、どうせあたしは中等部一気が強くて、生意気で横暴なマリー・アントワネットですよ」
「僕はそこまで言ってません!」
畑山さんは、最近、僕と2人きりになると、こんな物の言い方をすることがある。学級委員になった最初の頃には決してあり得なかった態度だ。僕に対して、少しは心を許してくれたのかなぁと思ったが、怖くて本人に直接、確かめることはできないでいた。
「でもね、安達。夫婦だって、奥さんが旦那さんを尻に敷いている家のほうがうまくいくって、何かの本に書いてあったよ」
「そうなんですか?」
「うん。だから、あんたは黙ってあたしの尻に敷かれておきなさい! その方が絶対いいから」
「え、それは僕に、言うことを聞けってことですか?」
「あはは。なに真に受けてんの。冗談だよ冗談」
そう言って、畑山さんは快活に笑う。が、次の瞬間まじめな表情に変わり、諭すように僕に言った。
「あたしは安達の親でも上司でもない。先生でもないし先輩でもない。単なる同級生でクラスメートなんだよ。上下関係じゃなくて、あたしと安達の間にあるのは知識と経験の、ほんの少しの差だけ。本当ならあたしは安達に命令できる立場じゃないよ」
畑山さんにそう言われ、僕は初めてそのことに気づかされる。なにしろ、僕はこれまでの人生、ずっといじめっ子たちに命令され、従うのが当たり前の毎日を過ごしてきた。加藤には何度、使い走りさせられたかわからないし、小学生の頃は女子にまで毎日命令されていた。だから、畑山さんの命令にも従うのが当たり前だと思い、疑問さえ抱かなかった。
「でも、安達は委員が初めてでしょ? 知識と経験のあるあたしが命令しないと仕事が進まないから仕方なくやってるだけ」
「そうなんですね。僕は畑山さんの言うことはできるだけ聞くようにしてるんです」
「ふーん。なんで?」
「だって僕、気づいたんです。畑山さんの言うとおりにしていれば、仕事はスムーズに進む。逆に、言うとおりにしないと、スムーズに行かなかったり、かえってあとで大変になったりするんです。委員の経験者の畑山さんが言うことは、僕にとって命令と同じなんです」
「そうなんだ。もちろん、安達があたしの言うことをよく聞いてくれるのは嬉しいけど、だからと言って、あたしに言われたことそのまんまやるだけのロボット学級委員にはなってほしくない。もう1か月経ったんだし、そろそろ、あたしに言われた仕事をしながらでも少しずつ自分の頭で考えて、自分で問題を見つけて、解決策も考えられるようになってほしいの」
そんなこと、できるわけない――と言いかけたが、僕はその言葉を飲み込んでしまった。言われたことをこなすだけで精いっぱいなのに、自分の頭で考えて、解決策まで出すなんて。でも、それを口にしたところで、「なぜやりもしないうちからできないって決めつけるの? もっと自分を信じなよ」と言われるのがオチだからだ。
「でも、安達はもうできてきてるけどね。この前、縦書きのプリントは左上じゃなく、右上をホチキス留めした方がいいですよねって、あたしに聞いたでしょ? ああいうふうに、少しずつ自分らしさを出していけばいい。解決策を見つけて、こうしたいっていうのがあれば一番いいかな」
「そうなんですね。難しそうだけど、少しずつでもやってみます」
「うん。ただ、それをやるときは、安達ひとりで判断しないで、必ずあたしに聞いてね。後になって間違った判断だったとわかったときに面倒だから」
そんな話をしているうちに、僕たち2人は『玉井』の前に着いた。僕が、いつものようにここでお別れと思った瞬間、畑山さんの口から、思いがけない言葉が飛び出した。
「なんか、このまままっすぐ帰っちゃうのももったいないよね。――ちょっと、寄り道して行かない? 安達に、紹介したいお店があるの」
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それは、突然の出来事だった。これって、ひょっとして、デ、デ、デートなんじゃ……?
「なに固まってんの。ちょっと、紅茶でも飲みたいと思っただけ。都合でも悪いの?」
畑山さんが事も無げにそう言う。別に都合が悪いわけでもなく、ウソをつくわけにもいかず、だからと言って、機転を利かせて当意即妙の受け答えをできるほど器用でもなく、僕は、流されるように承諾してしまう。畑山さんにその店の場所を聞くと、『玉井』のすぐ裏手にあるらしい。「案内するほどの距離じゃないけど、一応案内するから」と言われた僕は、畑山さんの後をついて歩く。案内されたのは、小さな看板の掛かった喫茶店。『喫茶 カルチェ・ラタン』と書かれている。畑山さんが、洒落たドアを押して先に中に入ったので、僕も入る。
「あら、いらっしゃい。志織ちゃん。久しぶりね。元気だった?」
「はい。元気だけが取り柄ですから!」
妙齢の女性店主が話しかけると、畑山さんが元気に答える。店主が客を「ちゃん」付けで呼ぶなんて、よほど常連なのだろうか。
「あら、志織ちゃん。お友達、連れてきたの? しかも、きゃー、男の子じゃない? 良かったぁ。浮いた話と無縁と思っていた志織ちゃんにも、とうとう春が来たのねっ!」
「違います、乃亜さん! しかもあたしに対して、今の発言、何重にも失礼じゃないですか!」
一方的にまくしたてる女性店主に対し、畑山さんが抗議している。何がどういうふうに失礼なのかわからないが、多分、浮いた話と無縁と言われたのが気に入らないのだろう。
「はいはい、わかったわかった。志織ちゃん、こんなの初めてだろうだから照れるのはわかるけど、ちゃんと乃亜にも言ってくれないとだめじゃない?」
相変わらず、店主の女性は僕たちが恋人同士だと決めつけたまま、まくしたてる。客商売なのに他人の話を全く聞いていない上、自分のことを名前で呼ぶなんて、この人、大丈夫なんだろうか。
「だから、あたしたち、まだそんな関係じゃありませんから!」
「それならなんで連れて来たの?」
「クラスメートで、あたしと一緒に学級委員をしてるんですけど、今日も一緒に仕事をして、その後、時間が中途半端で誰も一緒に帰る人がいないから仕方なくこいつと一緒に帰ってあげてる途中に、喉が渇いただけです」
ちょ、ちょっと畑山さん……。「仕方なく一緒に帰ってあげてる」って、誘ってきたのは畑山さんなのに……。僕は、そのあんまりな言い草にツッコミを入れたかったが、またも急展開ぶりに振り回され、口に出せなかった。僕たちは適当な席に座った。
「『玉井』の裏に、こんなお店があったんですね」
「あたし時々、ここに来てるの」
「西野さんや、杉田さんと?」
「ううん。利奈やゆっきーと一緒の時は、中央駅の近くの商店街に行くことが多いの。ここは、ひとりでゆっくりしたいときの隠れ家的な使い方なんだけどね」
「そうなんですね。そんな場所に、僕が入っていっていいんですか?」
「いいよ。別に。あたしから誘ったんだし」
畑山さんが「乃亜さん」と呼んだ店主が、水とメニューを持ってきた。
「初めまして。キミ、志織ちゃんの彼氏?」
「え、あ、その、違……」
この女性店主の言うことは予想がつかず、僕は答えようとしたが、言葉が出ない。
「だから、さっきから言ってるじゃないですか! この安達正人くんは、単なるクラスメイトで単なる学級委員仲間。それ以上でもそれ以下でもありません!」
畑山さんが代わりに答える。さすがの畑山さんも、年上の人の前では「ですます」調で話し、「くん」付けで呼ぶ程度の常識はあるらしい。
「でも志織ちゃん、彼氏でもないのにこんなところに連れてくるほうが不思議じゃない? この子のどこが気に入ってるの?」
この人、相変わらずまったく人の話を聞いていない。
「それは――って、乃亜さん! なに言わせようとしてるんですか!」
「あらあら。青春真っ盛りでうらやましいわね。じゃあ注文が決まったら呼んでね」
そう言うと「乃亜さん」はいったん店の奥に戻った。
畑山さんは、この店主の誘導尋問に引っかからなかった。このあたりは畑山さんもさすがだと思う。小学生の頃から児童会委員を務め、みんなをまとめる仕事をしてきた経歴はダテではないと思う。ただ、心のどこかで期待している自分がいたことも事実だった。もう少しで、畑山さんの僕に対する気持ちがわかるかと思ったのに……。
「注文、決まった?」
「あ、はいっ」
畑山さんが僕の注文を確認し、「乃亜さん」を呼ぶ。僕はモンブランとコーヒー、畑山さんは、チーズケーキとミルクティーを注文した。
メニューを見ると、「学生価格」なる表示がある。気になったので畑山さんに聞いてみると、ここのお店では生徒手帳や学生証を見せると学生価格になる。通常の半額の値段で、かなりお得だ。畑山さんは店主に生徒手帳を見せなかったが、もう顔なじみで今さら見せる必要もないらしかった。「安達は、もし乃亜さんに言われたら、見せてね」と言われたので、はいと答える。
「ところで、今のお店の人、乃亜さんっていうんですか?」
「うん。木村乃亜(きむら のあ)さんって言うの。変わってるけど、本名なんだよ」
「それって、いま流行りのキラキラネーム?」
「文字通りに読めるから違うんじゃない? キラキラネームって、漢字通りに読めないような名前のことを言うんだよ。宇宙と書いて“そら”と読む、みたいな?」
そんな話をしていると、乃亜さんが2人分のケーキと飲み物を持ってきた。「ごゆっくり」と言いながら、乃亜さんはなんだか楽しそうだ。
「乃亜さん、畑山さんのこと、志織“ちゃん”なんて呼んでますよね。常連なんですか?」
「うん。この店ね、小学生の頃から知ってるの。もともとは、母に連れてきてもらってたんだけどね。乃亜さんとうちの母が知り合いなの」
畑山さんは、ゆっくりとミルクティーを口に運ぶ。そんな畑山さんの姿は大人びていて、僕は同級生と思えなかった。僕は恐る恐る、気になっていることを口にした。
「あのー、畑山さん?」
「なに?」
「さっき、乃亜さんに僕のどこが気に入っているのって聞かれたとき、なにか答えようとしてましたけど、……なんて言おうとしたんですか?」
わっ、僕はなんて大胆なことを聞いているんだろう。自分で聞いておきながら、僕は急に恥ずかしさに襲われた。畑山さんはと言えば、わざとらしくミルクティーを一度、口に運ぶ。畑山さんは、僕が性急に答えを求めているときほど、質問にすぐに答えず、こうしてじらすことがある。やがて、ミルクティーの入ったカップを置くと、畑山さんは、いたずらっぽく笑いながら言った。
「ふーん。安達は、あたしの気持ちが気になるんだ?」
僕は、全身が熱くなっていくのを感じた。相変わらず、畑山さんはいたずらっぽく笑いながら僕を見ている。いったい僕のことをどう思っているんだろう。それ以前に、まともに答える気はあるんだろうか?
「安達って、優しいよね。一緒にいると、――なんて言ったらいいのかな。そうね、不本意だけどマリー・アントワネットと言われるくらいに強気で過ごしている普段のあたしの仮面を、安達とふたりきりのときだけは、脱げるような気がするの」
僕は複雑な心境だった。これって褒め言葉なんだろうか。僕とふたりきりでいるときに、畑山さんがそんな気持ちになれるとしたら単純に嬉しい反面、僕は目の前のこの女子から、男として見られていないのではないか、とも思えた。それに、仮面とはいったいどういう意味なんだろう。聞いてみたいと思ったが、言葉にならなかった。
「それに、安達はあたしをリスペクトしてくれる。あたしのこと、外見がカワイイとか、スタイルがいいとかじゃなくて、自分の考えをちゃんと持っていて、しっかりしているところがカッコいいって、こないだ、言ってくれたよね」
「はい。確かに、そう言いました」
「あのとき、あたし、もの凄く嬉しかったの。男子に外見じゃなくて、中身を褒めてもらえたのって、初めてだったから。それに、カワイイじゃなくてカッコいいだったことも嬉しくて。それまでは、あたしと安達は、ただ一緒に学級委員をやるだけの関係だって割り切ってたけど、それ以来、安達って、女子のこと意外にしっかり見てるんだなって」
「僕も、そう言ってもらえると、嬉しいです。畑山さんのことをリスペクトしているのも、本当です」
畑山さんは、ケーキをゆっくり口に運んだ。
「僕、今まで言いたいことも言えなくて、流されて生きてきました。人が決めたことに、ただ何となく従うだけで、我慢してばっかりで。……時々、夢を見るんです。夢の中でだけは、僕はいつもカッコよくて、言いたいことを言って、自分の考えを貫いて、自由に生きてるんです」
僕がそう言うと、畑山さんは突然笑い出し、
「それって、ホントはそうしたいっていう安達の願望なんじゃないの?」
と言った。
「多分そうだと思います。それが、学校に来てみると、夢の中の僕と同じように、自分をちゃんと持って、それを自己主張しながら生きている畑山さんを見て、最初は怖かったけど、同時にカッコいいと思う気持ちもあって……」
僕がそう言うと、畑山さんは一生懸命ケーキを食べていた手を休め、僕の目を見据えて言った。
「安達、人生って一度きりなんだよ。その一度しかない人生を、オドオドして我慢しながら弱気に生きるか、堂々として強気に生きるか。そんなこと、考えるまでもないでしょ? 安達も、今からでもいいから強気に生きなよ。自分に正直に生きなきゃ、もったいないよ」
「そうですね……」
僕はそう答えるのが精いっぱいだった。僕たち2人が注文したケーキと飲み物は、すでになくなっていた。この店に来て、早くも30分以上経過している。畑山さんがちらりと時計に目をやった。
「さて、5時半近いし、そろそろ帰りますか、安達くん?」
「あ、はい。仕方ないですね。もう少しこうしていたかったけど……」
「乃亜さ〜ん、会計、お願いします」
畑山さんが元気に乃亜さんを呼ぶ。乃亜さんは「はいは〜い」と元気に答えながらレジに入る。僕たち2人もテーブルを立ってレジに向かう。
「志織ちゃん、いつも元気ね。あ、2人とも学生価格でいいわよ。キミはこの店、初めてだけど、制服だし、志織ちゃんの彼氏だから、顔パスにしてあげる」
「だから、彼氏じゃなくて友達です!」
畑山さんが抗議するが、乃亜さんはそれを華麗に無視して、
「お会計は、別々でいい?」
と聞いた。
「はい、いいですよ」
そう答えて、畑山さんが慣れた様子で会計を済ませる。僕も会計を済ませようとして……青ざめた。財布の中を見て愕然とする。お金が足りない……。注文する前に確認すべきだったのに、今さらどうしよう?
「ちょっと、待ってくださいね」
僕は、乃亜さんにそう告げると、すでに店の外に出かかっていた畑山さんを呼び止める。
「どうしたの?」
と畑山さんが怪訝そうな顔で聞くので、僕は、正直に、所持金が足りない旨を告げた。
「あはははっ」
畑山さんは、楽しそうに笑いながら言った。
「いくら足りないの?」
「200円……」
「まったくドジだな、安達は。仕方ない、貸しといてあげるよ」
「いいんですか?」
「いいんですかって……他に方法ある?」
畑山さんが言う。確かに、もう飲み食いは済んでしまった。今さら払わないわけに行かない。
「ない……ですね」
僕がそう答えると、畑山さんは、やれやれといった表情で自分の財布から200円を取り出し、僕に貸してくれた。僕はようやく会計を済ませ、店を出る。
「ありがとうございました。畑山さん、すみません……」
「ま、今日は、急に強引に誘ったあたしにも責任あるから。じゃあ、今日はここで帰りましょうか」
「はい。お金は早めに返しますから」
「うん。じゃあ利子は10日で1割にでもしておくか」
畑山さんが、またいたずらっぽく笑いながら言う。「えっ?」と僕が慌てている様子を見て、また畑山さんが言う。
「あはははっ。ウソだよウソ。か弱い安達くんに、そんな残酷なこと、あたしがホントにするとでも思ったの?」
「いえ、そんなこと……」
「あはははっ。ほ〜んと、安達をからかうと楽しいねー」
畑山さんは、意地悪な表情を浮かべながら笑った。完全に遊ばれてる……。僕は頭がぐちゃぐちゃになった。僕を喫茶店に誘い、お金が足りないと言えば貸してくれる。その一方で、冗談を真に受け、慌てる僕を見て意地悪く笑う。畑山さんは、僕をどうしたいのだろう?
こうして、2人は家路についた。僕にとって生まれて初めてのデートはほろ苦いデビューだった。