第6話 人は野に咲く花のように


 僕は、突然の出来事にうろたえていた。畑山さんが、あみだくじのこと知ってたなんて。

 「あたしに知らないことでもあると思った? この学園のことなら、あたしたち3人組は、なんでも知ってるんだよ」

 右往左往する僕を見て、畑山さんは自慢げに言った。僕は、改めて「仲良しトリオ」の情報収集力に驚くとともに、背筋が寒くなった。

 学園内の事情に疎い僕は詳しく知らないが、畑山さんには、学園内のあらゆる情報を、定期的に報告してくれる女子のネットワークがあるようだと、男子の間では噂されていた。畑山さんが求めもしないのに、わざわざ学園内のネタを仕入れては報告しているらしく、男子が秘密のつもりでやっていることのほとんどが、いつの間にか畑山さんに筒抜けだった。男子生徒の多くは、畑山さんに学園内の情報を報告している女子生徒(噂では数人)を「秘密警察」と呼んで、その情報収集力を怖れていた。

 「そんなくだらないこと考えつくのは、加藤か山下でしょ。あみだくじの成り行きを聞いて、どうもあたし、変だと思ったのよね。利奈やゆっきーとも話したんだけど、そのあみだくじは仕組まれていて、あんた、ハメられたんじゃない?」

 畑山さんの勘はなかなか鋭い。証拠がないから追及できないだけで、僕もそうに違いないと思っていた。ただひとつわからないのは、名前を書いた後、全員があみだくじに線を1本ずつ書き足すルールだったことだ。それにもかかわらず僕をハメるなんて、できるんだろうか――。僕は、畑山さんに聞いてみた。

 「あんたが一番最後にくじを引かされた、ってところがミソだよ。あたしの想像だけど、どこが当たりになるかは直前まで決まってなかった。最後に、あんたがくじを引き、線を引いた後、そこを当たりにしただけ。他の男子は、自分さえ学級委員に当たらなければいいんだから、知ってるのに見て見ぬふりをしたってわけだ」

 なるほど、そう考えれば、加藤が僕を一番最後にした理由も、つじつまが合う。

 「あのバカ、あたしたち3人組にあみだくじのことを話した奴は殺すって言ったんだって?」

 「殺すとは言ってません。ただ、あいつら3人にだけは絶対に言うな。特に、畑山にバレたら男子全員、中庭に埋められるって……」

 「どっちだって同じでしょ。ホント、失礼な奴らだよね。あいつら、あたしのこと、何だと思ってんのかな」

 畑山さんは苛立ちを隠さなかった。畑山さんは、不真面目で努力しない加藤、山下のことを敵視し、バカ呼ばわりしていた。僕は、男子があみだくじで委員を選んだことを詫びた。バレてしまっている以上、隠し通す理由もなかった。畑山さんは、男子があみだで委員を選んだことを、とやかく言うつもりはないと言った。もっと怒ると思っていたから、僕にはそれが意外に思えた。

 「利奈は結構、怒ってたけど、あたしは別に気にしてない。AKB48だって、新曲が出るとき、センター誰にするかジャンケンで決めるじゃない? AKBがそんな決め方してるくらいだから、男子が学級委員をあみだで決めようが、ジャンケンで決めようが、あたしはどうでもいいんだけどね」

 僕は返事に窮した。AKBをこんなところで引き合いに出されても、リアクションをどう返していいかわからない。

 「あたしは選び方よりも、選んだ後、みんなで選んだ人にちゃんと協力して、フォローしてほしいと思ってるだけ。今の男子見てると、安達に委員押しつけるだけ押しつけて、あとは知らんぷりでしょ? それに、安達だって、一応は自分で立候補して、選挙で選んでもらった形になってるのに、当選した後になって、決心もできずにいるからあたし、キレちゃったの。ま、それは安達がちゃんと謝ってくれたから気が済んだけど、押しつける方も押しつける方なら、押しつけられる方も押しつけられる方だと、普通、思うよね?」

 僕は全く反論できなかった。畑山さんの指摘があまりにも痛いところを突きすぎていて死にそうだった。

 「実はね、この前、ほら、あたしたち3人って、たいてい、お昼を屋上で食べてるでしょ? そのお昼のときにその話題になって。もしそうなら、あたしたち3人だけでも、安達の味方になってあげなきゃいけないよね、って。だから、今日あんたに仕事を教えてあげようと思った理由のひとつに、それもあるの。あたしたち3人でよかったら、いつでも相談に乗るし、安達の味方になるよ」

 「すみません。でも、あみだのことを考えると、逃げられないとわかっていても、気持ちの整理がつかないんです。こんなひどい、メチャクチャな選ばれ方……」

 僕がそう言いかけたところ、畑山さんは、強い口調で、

 「安達、ちょっと、こっちに来て」

と言った。

 「え? なんでですか?」

 「いいから早く来なさいったら!」

 畑山さんは、僕がまだ心の整理をつけられていないとわかると、やや乱暴に僕を呼びつけた。畑山さんは確かに気が強いけど、こんなふうに、人の言うことを最後まで聞かず、一方的に呼びつけるのは初めてだった。僕が、何かしたのだろうか……? とにかく、畑山さんの機嫌を損ねると大変だと思った僕は、慌てて、窓際、畑山さんのいる場所に駆け寄った。

 「あのお花たち、きれいよね。あの花壇に植えられているお花たちも、きれい」

 教室の窓を開けると、窓の向こうの花壇を指さし、畑山さんは突然言った。一体、何なのだろう。

 「あの一番手前のは……グラジオラス、ですね。まだ葉っぱですけど」

 「安達、わかるんだ?」

 僕がとっさに発した言葉を畑山さんは聞き逃さなかった。畑山さんは、僕がグラジオラスを知っていたのがよほど意外そうだった。たいていの男子はアサガオとヒマワリ以外の花、わからないと思っているらしかった。それはそれで男子に対する偏見な気もするが。グラジオラスは、お母さんが好きでよく家で育てている花だからよく知っている。確か、この花が咲くのは夏だ。

 「……たゆまぬ努力、かぁ」

 珍しく、畑山さんの声が小さかったので、僕は聞き取れなかった。僕が確かめると、畑山さんは言った。

 「たゆまぬ努力って、言ったの。グラジオラスの、花言葉」

 花言葉……畑山さんからそんな言葉が出てくるなんて、意外だと僕が言うと、畑山さんは明らかに不機嫌な顔をしながら言った。

 「それ、どういう意味? 失礼ね。あたしだって、これでも一応、女子なんだからね」

 僕は、すみませんと非礼を詫びた。これでも一応、と言うあたり、畑山さんは、自分の気の強い性格、そしてそれゆえに男子から陰でマリー・アントワネットと呼ばれていることを自覚しているらしいが、そこを突っ込むのはやめておいた。後でどんな目に遭わせられるか怖かったからだ。

 「あのきれいなお花たちって、あそこに咲きたくて、咲いたのかな?」

 僕は戸惑った。質問の意味がよくわからないと、正直に畑山さんに言った。

 「ごめん。あたしの言い方が悪かったかな? あの花壇のお花たちは、自分の意思であそこに咲きたくて、あそこを選んで咲いたのかな、ってこと」

 僕は、そんな質問を投げかける畑山さんの真意を測りかねていた。少し間を置いたあと、僕は答えた。

 「そうじゃないと思います。お花には足がないから、自分で歩いて行けないし……」

 「じゃあ、あのお花たちは、なぜ、あそこに咲いてるの?」

 また少し考えてから、僕は答えた。

 「それは、……あそこにそのお花を植えた人がいるから、としか言えないです」

 「そう。あのお花たちはね、別に自分であそこに咲きたいと思って、自分の足で歩いて行ったわけじゃないの。人がそこに植えたからそこに咲いてるだけなんだよ。あのお花たちって偉いよね。どんなに花壇が狭くても、日当たりが悪くても、土が痩せていても、精いっぱい栄養分を吸い上げて、季節が来たら、きれいな花をつけるの。文句ひとつ言わずにね」

 畑山さんは、グランドを見ながらそう言った。2階にある僕たちの教室からは、花壇も、グランドで活動する生徒たちの姿も、窓際に寄らなければ見ることができない。グランドには、野球部や陸上部などの生徒が練習している姿がある。畑山さんが窓を開け放ってからは、掛け声や歓声がひっきりなしに聞こえている。

 2人の間をしばらく沈黙が支配した。やがて、グランドに身体を向け、自分が開け放った窓から外を見ていた畑山さんが、くるりと、僕に向き直りながら言った。

 「安達。あたしの言いたいこと、わかるかな?」

 「……僕にもそうしろということですか?」

 恐る恐る、僕は答える。

 「ま、そーゆーことだ」

 畑山さんは、そう答えると、僕を諭すように続けた。

 「学級委員になってしまったことは、もう今さら変えられないんだよ。だったら安達には、あのお花たちのようになってほしい。どんなに花壇が狭くても、日当たりが悪くても、土が痩せていても、精いっぱい栄養分を吸い上げて、半年後、学級委員を終えるまでに、きれいな花を咲かせてほしいの。『たゆまぬ努力』でね。――できるよね?」

 念を押すように、畑山さんは僕に尋ねた。僕は観念した。もう何を言っても逃げられないとわかっていた。少し間を置いてから、勇気を出して答えた。

 「できるかどうかわからないけど……とりあえず、精いっぱい努力してみます」

 「よしっ! じゃあ、約束だよ。もう二度と逃げないと、誓って」

 畑山さんは、元気にそう言うと、僕を励ますように、手を差し出した。少し間を置いて、僕は畑山さんと握手した。家族以外で初めて握る女の子の手は、意外に小さく、少し冷たかった。恥ずかしさを押し殺しながらの握手だった。

 「じゃあ、遅くなっちゃったし、そろそろ帰ろうか」

 畑山さんは、帰り支度を始めた。

 「あの、畑山さん。……忘れ物、取りに来たんじゃなかったんですか?」

 「あ、いけないっ! あんたに仕事教えるのに気を取られて、また忘れるとこだった! ……安達、ありがと」

 畑山さんは、自分の席に駆け寄ると、机の中から書類を取り出した。

 「そう! これこれ。生徒会の大事な書類。明日提出なんだけど、すっかり忘れてて。今から持って帰ってやらなきゃ!」

 畑山さんは書類を鞄に入れた。

 「最初から鞄に入れておけば、こんな時間に取りに来ることもなかったのにね」

 畑山さんは、笑いながらそう言った。でも、僕にとっては、そのおかげでこうして仕事を教えてもらうことができた。1つのミスが、人の運命を変えることもあるのだと知った。

 「あんた、もしあたしが忘れ物せず、ここに取りに来なかったら、どうするつもりだったの?」

 畑山さんは、やれやれといった感じの、少し呆れた表情で聞いた。頭が混乱して何も考えられなかったというのが正直なところだった。僕が正直にそう答えると、畑山さんは、こみ上げる笑いを抑えるように言った。

 「班長の経験もなく、あみだくじで委員に当たった初心者マークの人が、いきなりこれじゃあ仕方ないね。さっきも言ったけど、置かれた環境の中で、まずは自分の力を信じて精いっぱいやってみて。安達は初めてなんだから、できなくて当たり前。ひとりで悩まないで、困ったらいつでもあたしに相談してね」

 僕は、黙ってうなずいた。

 畑山さんの制服の襟には、2つのバッジが光っていた。ひとつは、僕も持っている学級委員のもの。もうひとつは生徒会書記のバッジだ。森本学園中等部の約450人の生徒の中で、生徒会役員のバッジを付けられるのはたったの15人だけだ。会長、副会長、書記、監査委員、選挙管理委員にそれぞれのバッジがあり、男子は青地に銀色、女子は赤地に金色で、花をあしらった模様の上に役職名が会長、副会長、書記、監査、選管というふうに書かれている。森本学園の生徒会規約では、会長、副会長、書記は制服着用時は常にバッジを付けなければならないと決められていた(監査委員と選挙管理委員は、生徒総会時のみ付けていればよいため、普段は面倒がって付けない人も多かった)。畑山さんが、このバッジをとても誇りに思い、大事にしていることを密かに僕は知っていた。

 学級委員だけでも大変なのに、生徒会書記まで務め、泣き言ひとつ言わない畑山さんは、それだけで尊敬に値した。そのことを口にすると、畑山さんは言った。

 「ま、あたしは忙しい方が性に合ってるし、自分で選んでおいて逃げたり泣き言を言うなんて、あり得ないでしょ。誰かさんじゃあるまいし」

 意地悪い笑みを浮かべながら、畑山さんの放った言葉が、僕の心にぐさっと突き刺さる。事実なだけに僕は反論できず、下を向いた。

 「さてと、帰りましょうか。ところで安達、家はどこなの?」

 畑山さんは、突然、思いがけないことを聞いてきた。もちろん、小学校時代も含めて、同じクラスになるのはこれが初めてだから、お互い、相手の家の場所を知らないのも無理はないが、それは今、この状況で聞くことなのか……?

 「僕は、森本4丁目です」

 それでも僕は、正直に答えた。

 「あたしは森本1丁目だよ。うーん、1丁目と4丁目か……。至近距離ってほど近くもないけど、電車やバスに乗るほど遠くもない、微妙な距離だね。……あ、そうだ安達。4丁目なら、『玉井』知ってる? あのスーパーの」

 玉井とは、格安で知られるスーパーだった。悪趣味で、キンキラキンのネオンを輝かせていて、知らない人が見るとスーパーとは思えなかった。どう見てもゲーセンか、ふた昔くらい前の場末のパチンコ屋にしか見えないが、それでも食料品店なのだ。僕は知っていると答えた。

 「『玉井』の前、通るでしょ」

 念を押すように、畑山さんが僕に聞く。今日の畑山さんは、何を狙っているんだろう。真意を測りかねた僕は、正直に答えた。普段は通っていないけど、通って帰ることもできる、そこを通っても通らなくても、家までの所要時間に違いはない、と。

 その次の瞬間だった。目の前の畑山さんが、思いがけない言葉を口にした。

 「安達。途中、『玉井』まででいいから、一緒に帰らない?」

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