1985(昭和60)年8月12日、日航123便(B747型機、機体番号JA8119)が乗員乗客524人を乗せたまま群馬県・御巣鷹山中に墜落するという事故がありました。この事故では、歌手の坂本九さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇氏など著名人を含む520人が死亡しましたが、一方で川上慶子さんら女性4人が奇跡の生還をし、日本中の感動を誘いました。
ところで、運輸省(当時)航空事故調査委員会(以下「事故調」)は、この事故について「後部圧力隔壁の損壊が事故原因」であり、その圧力隔壁の崩壊は「7年前(1978年)に大阪空港で起こした尻餅事故の際のボーイング社の修理ミスが原因である」との最終報告を出し、事故原因の調査は終了しました。しかし、専門家を中心に「圧力隔壁崩壊説」にはもともと疑問を抱く人が多く、特に墜落当日から翌日未明にかけて事故現場の特定が2転3転した挙げ句、自衛隊による救助活動が翌朝になるまで開始されなかったことに対しては「不自然だ」と疑問の声が多く上がっていました。
この点について、もちろん真相は分かりませんが、1990年代に入ってから新たな仮説として、123便の事故原因を「無人標的機説」(自衛隊の小型無人標的機が123便の垂直尾翼に衝突した、とする説)はじめ、はては「ミサイル撃墜説」までが唱えられるに至りました。実は、当サイト管理人も、事故調が発表した公式の事故原因に疑問を抱く1人です。
もちろん、証拠がない以上、これら仮説について私が確証を抱くことは無理ですが、それでも事故調の報告は欺瞞に満ちたものであり、この16年間、「公式見解」が私を納得させたことはついに1度もありませんでした。
果たしてこの事故の真の原因は何か? それにも増して不可解な疑問として、真相を究明しようとする者の前に不気味に立ちはだかる「巨大な力」はどこから来ているのか? そして、真実を求める者を頑ななまでに拒もうとする「彼ら」は一体なにものなのか?
事故からはや16年・・・あの忌まわしい惨劇が起きた8月12日が目前に迫りました。私の「ささやかな真相究明」への努力は、まだ緒に着いたばかりです。日航123便事故を扱っている他サイトと比べても、充実した内容にはほど遠いものですが、あの日、御巣鷹の尾根に散った乗員、 乗客達にも彼らなりの「自分史」があったはずです。その自分史を事故によって血塗られ、約束されていた幸せな人生を粉々に打ち砕かれた520名の無念に応えるため、16年目の夏、あえてこのホームページを世に送ります。