日航機墜落事故から30年
安全問題研究会が「御巣鷹の尾根」慰霊登山を敢行

 1985年8月12日、羽田発大阪行き日本航空123便が群馬県上野村に墜落してから今年で30年を迎える。安全問題研究会は、30年の節目の日を前にした2015年8月3日、現場となった「御巣鷹の尾根」への慰霊登山を敢行した(当ページに掲載の地図・写真は、すべてクリックで拡大します。なお、写真がピンぼけ、手ぶれしているのは久しぶりの登山で足腰がふらついていたためです……)。

●現場までの行程

 今回の慰霊登山は、北海道から上京中のタイミングを選んで行った。夏休み中でもあり、渋滞を避けるため、東京から高崎までは新幹線を利用。高崎駅で「駅レンタカー」を借りる。東京から往復営業キロ201km以上で、出発駅からレンタカー利用駅まで片道101km以上であれば「レール&レンタカーきっぷ」に組み込んで、JR運賃2割引、特急料金1割引にできる。東京〜高崎の営業キロは105kmで、まさにこの切符のためにあるような絶妙の営業キロ数だ。運賃2割、料金1割の値引きは大きく、東京〜高崎でもこの割引で昼食代くらいは出る(以下、各地図をクリックで拡大すると、走行したルートが赤で表示される)。

地図1   地図2

 高崎駅からは県道71号線を進み、吉井ICから上信越自動車道に乗る。下仁田ICで降り(ここまで地図1)、国道254号線から道の駅「しもにた」を経由して県道45号線に入る。道の駅「オアシスなんもく」を経由し国道299号線へ出る際、左折して上野村役場、秩父市方面に進む。すぐに「楢原郵便局」が見えてくるので、郵便局のある交差点を右折(ここまで地図2)。

地図3   地図4

 ここからはほぼ1本道。途中、道が分かれる場所には看板があり、迷うことはない。上野ダムを右手に見ながら(地図3)、御巣鷹の尾根登山道入口までは車で行ける。高崎駅からここまで、2時間弱で到着。10台ほどしか停められない小さな駐車場に車を停め、ここから「昇魂之碑 御巣鷹の尾根」までは徒歩で約40分(ここまで地図4。私は急ぎ足で上り、息を切らしながらも約30分でたどり着いた)。

●いよいよ現場に立つ

写真1  写真2  写真3

 登山道入口には案内図があり(写真1)、登山者用の杖が置かれている(写真2)。登山道はこの間、数度にわたって整備が進み、以前よりだいぶ楽になったが、それでも現状は写真3の通り。高齢化した遺族が上るには険しいものがある。

写真4  写真5

 御巣鷹の尾根は、日航機事故が起きるまで登山者も入ったことがなかった険しい山である。事故以前からこの山に入っていたのは、地元の狩猟者、林業者、消防団員くらいのものであろうか(現場は11月から4月下旬まで閉鎖されて狩猟が解禁となる代わり、4月下旬に山開きが行われて11月に閉鎖されるまでの間は登山者が自由に入れる一方、狩猟者は立ち入りができなくなる)。登山道には沢の水が流れていた(写真4)。また、登山道の途中にも杖が置かれている(写真5)。

写真6  写真7

 登山道の途中には、ところどころ座って休めるようベンチが置かれている(写真6)。高齢化した遺族の登山では、こうした場所で休みながら上っているに違いない。また、遺族の声を記した看板も建てられている。「あなた やってきましたよ きこえますか 見えますか あなたと話したい あなた 言いたいことは・・・ 遺族有志」「さよならも言えずに 旅立ったあなたたち やすらかに 永遠の祈りをささげます 遺族有志」と書かれている(写真7)。

写真8  写真9

 登山道の途中には、遺族用の山小屋と思われるプレハブの建物がある(写真8)。関係者によると、遺族の中には前夜からここに泊まり、早朝、「御巣鷹の尾根」に向かって歩き始める人もいるらしい。写真9は、光が反射して見えにくいが御巣鷹の尾根案内図。登山道入口にあったものとは異なり、この案内板には墓標の場所が記号で示されている。

写真10  写真11

 登山道も後半に入り、「御巣鷹の尾根」に近づくにつれ、凄惨だった事故を物語るものが増えていく。尾根に向かう道の途中、砕けたガラス片を見つけた(写真10)。この周辺にガラスを使った建物はなく、事故機の、おそらく窓ガラスが砕けたものだろう(乗客の眼鏡のレンズにしては厚みがありすぎる)。犠牲者の氏名を記した墓標もこのあたりから目立ち始める。複数の犠牲者の墓標がまとめて建てられている場所もある。一般犠牲者の氏名が書かれた墓標の写真は、さすがに掲載は控えたい。

 この事故で亡くなった中埜肇・元阪神タイガース球団社長の墓標(写真11)を見つけた。阪神タイガースは中埜社長の死に報いようと選手が奮起したためか、この年、日本一になっている。著名人ということでお許しいただきたい。

 写真12  写真13  写真14

 登山道を上り始めて30分あまり。ついに「昇魂之碑」のある御巣鷹の尾根に着いた。空の安全を願って登山者が鳴らす鐘(写真12)、昇魂之碑へ上る階段(写真13)、そして昇魂之碑(写真14)。心臓はバクバクと鳴り、膝がガクガクと震える。ここまでの所要時間は40分、遺族や日航関係者は1時間近くかけて上る。この日、急ぎとはいえ30分あまりで上ってきた私は少し無謀だったかもしれない。

 写真15  写真16

 御巣鷹の尾根には、慰霊登山者がメッセージを書いた短冊を結びつけられる場所がある(写真15)。様々なメッセージの書かれた短冊が結びつけられていた(固有名詞が書かれているところには加工を施している)。

写真17  写真18

 2015年になってからのメッセージも多い。いろいろな人が慰霊に訪れていることがわかる(写真17、固有名詞が書かれているところには加工を施している)。昇魂之碑がある一帯は、登山者が休めるベンチが置かれ、公園のように整備されている(写真18)。

写真19

 御巣鷹の尾根への慰霊を終えて下山途中、上る際も利用した仮設階段を降りながら写真を撮影する。昨年2月、首都圏を襲い、山梨県を数日間にわたって孤立させた大雪の影響で、御巣鷹の尾根で登山道の一部が崩壊、日航社員が総出で修復に当たったとのニュースが流れた。おそらくここが修復された場所だろう。

写真20  写真21

 下山では、登山時より心身ともに余裕がある。事故で焼けただれた木が往時のままの姿をさらしていることに驚く。だが、その焼けただれた木々も、30年の歳月とともに自然に還ろうとしていた。登りは30分あまりかかった道を、帰りはわずか10分で登山道入口までたどり着いた。

●JAL客室乗務員、大阪から来た「遺族」との対話

 私が御巣鷹の尾根にたどり着くと先客がいた。ベンチに座って休んでいた女性2人組は、登山道を1時間ほどかけてゆっくりと上ってきた。JALの客室乗務員で、この日は仕事が休みのため、初めてここに来たという。あまりに衝撃だったのだろうか、言葉少なだったが、何かを感じ取っていたようだった。日本航空では、御巣鷹の尾根への登山を社員研修として行っていると聞くが、研修とは別に、貴重な休日をつぶしてまで自社の「負の歴史」とみずから意識的に向き合う社員がいることを、心強く思う。

 2人のうち1人はどう見ても20代の若い社員で、事故をリアルタイムで知らない。改めて、30年の月日の流れを思った。私からは、事故の概要、中埜肇さんの墓標やガラス片を見つけたこと、事故調が主張している圧力隔壁崩壊説は事故原因としてあり得ないこと等を話した。

 下山後の駐車場で、汗だくになった衣服を着替えていると、私のレンタカーの隣になにわナンバーの車がいることに気づいた。降りてきた60〜70歳代と思われる男性は、会社の取引先の男性がこの事故で亡くなったという。普段は東京で仕事をしている取引先の人が、久しぶりに大阪に出張してくるので、1985年8月12日の午後8時に梅田で落ち合う予定だった。待ち合わせ場所の梅田に向かう途中、ニュースで「123便不明」を知り、もしやと思って確かめると、乗客名簿の中にその男性がいた。出張は元々、飛行機に空席があった8月2日か12日のどちらかの予定だったが、12日を選んだ結果、帰らぬ人となった。この男性は「8月2日にしていれば……」と今も悔やんでいると話してくれた。それ以来、いつか実現したいと思っていた御巣鷹への慰霊を、30年の今年、ようやく実現。大阪から7時間かけて車を運転してここまで来たという。

 取引先の人は親族ではないため、もちろん、どんなに親密な関係でも遺族としては扱ってもらえない。慰霊登山をする人の中には、こんな「遺族」もいるのだ。

●30年間墜落死者ゼロ、その先へ

 御巣鷹の尾根を長年、見続けてきたウォッチャーの間では、最近の新たな傾向として、遺族よりもそうでない人の慰霊登山が増えたといわれる。実際、私自身も遺族ではないし、大阪から来た男性も「遺族」には入らない人だった。当研究会のように、純粋に空の安全、公共交通の安全を願ってこの山に入る人もいる。過去には尼崎JR脱線事故遺族、関越道高速バス事故遺族、明石歩道橋事故遺族などがこの地を慰霊で訪れた。今、御巣鷹の尾根は、安全な社会を目指す人々が誰でも訪れることのできる「聖地」としての機能を持つようになってきている。

 この間、死者を出す鉄道事故は5件、高速バス事故も数件起きた。海外でも毎年のように航空機墜落や韓国「セウォル号」沈没事故などの悲劇が起きている。日本でも、激しい乱気流で客室乗務員が死亡する事故は起きた。しかし、いくつかの「ヒヤリ」はあったものの、墜落事故による日本国内での死亡事故は、御巣鷹を最後にゼロのまま30年を迎えようとしている。現場労働者の懸命な努力でこの日が迎えられるであろうことを、日本の航空関係者は誇っていいと思う。当研究会も、これから節目の年ごとに慰霊登山を続けたいと考えている。

●付録〜これから「御巣鷹の尾根」に行かれる方へ

 御巣鷹の尾根からは、今も登山者を拒絶する「山の意思」のようなものを感じることがある。30年経っても犠牲者の御霊は静まっていないと、一度でもここを訪れた人は異口同音に言う。当然だろう。愛する人のもとを「さよならも言えずに旅立った」犠牲者は、今も山をさまよっているのかもしれない。

 ここを訪れたいと思っている人の中に、面白半分、興味本位の人などいるわけがないと信じたいが、もしそんな動機での来訪を考える人がいたらやめてほしいと願う。ここはそのような動機で来る場所ではない。それに、息が切れるほどこの山は険しい(駐車場から「昇魂之碑」までは約800mあり、この区間だけでもちょっとした山を登るのと同程度の体力が要る)。当サイト管理人は、一応、少ないが登山の経験はある。だが、初心者の方が最初にここに来るときは、熟練者と一緒の方がいい。

 どうしても来たい方は、この時期、熱中症に注意する必要がある。とはいえ、うっそうとした木々に日差しを遮られた登山道は、真夏の日中でも日陰で気温もそれほどでなく、必要以上に恐れることもない。水分を十分取りながら、準備運動をした上でゆっくりと上ってほしい。

 なお、無事に慰霊登山を成功させたいのであれば、午前中早い時間から登山を始めることをお勧めする。事故当日、遺族は「慰霊の園」での慰霊式に出席することもあり、午前7〜8時頃には登り始める。山の天気が、特に午後から変わりやすいことは、登山者なら常識である。

 ここへのルートは冒頭に示してあるが、下仁田ICを降りた後、食事を摂れる場所は「しもにた」「オアシスなんもく」「うえの」の3つの道の駅程度しかない。下仁田の市街地を抜けるとコンビニもほとんどない地域なので、食事を摂り損ねることのないよう注意してほしい。

 (2017.8.17 追記)

 2017年8月12日、当サイト管理人は再び御巣鷹慰霊登山に取り組みました。・・・が、現地で訪問者の整理に当たっていた上野村職員から「8月12日は、遺族以外の登山は遠慮してほしい」と言われ、断念しました。事故発生日である8月12日の登山は、遺族以外は禁止となっているようですので、一般の方は8月12日を避けて訪問いただくようお願いします

 自分は遺族だとウソを言って8月12日に登る方もいるようですが、当サイトはこうしたやり方はお勧めできません。航空安全への思いは理解しますが、現地の登山道は、登山者と下山者がすれ違うことも難しいほど狭くなっている場所があります。登山道を必要以上に混雑させた場合、危険であるのみならず、今も事故の悲しみが癒えないまま慰霊を続けているご遺族の方に迷惑がかかります。ご遺族以外の方は8月12日を避けて入山いただくよう、重ねてお願い致します。

 御巣鷹山の麓にある「慰霊の園」への訪問は、8月12日でも可能ですが、上野村主催の慰霊式の会場となるため、こちらも混雑した場合はご遺族の方が優先です。ご配慮をお願い致します。

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