日航123便事故20周年に寄せて〜犠牲者たちは泣いている


 「御巣鷹の悲劇」といわれた1985年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日でちょうど20年が過ぎた。そのこともあって、祈念日だった 12日夜は様々な特別番組が放映されたようだ。

 20年前のむごたらしい夏の光景を私は今でも忘れられない。墜落から一夜明けた翌日、バラバラになって飛び散ったはずの残骸も、なぎ倒さ れた山の木々も完全に燃え尽きどこにも存在していなかった。これでは誰も助かってはいまいと思われたその時、生存者4人発見のニュースに耳を 疑ったが、まもなく始まった4人の救出作業によって事実とわかった。4人の生存者を発見したのは地元の上野村消防団。生存者を吊り上げるヘリ コプターが、マスコミを追い散らそうと「報道、どけー!」と叫んだあの瞬間は今でも脳裏に浮かんでくる。上野村消防団のメンバーは、墜落現場 となった「スゲノ沢」に日常的に出入りしてその事情に精通しており、「スゲノ沢は目をつぶっても歩ける」と豪語する者もいたほどだから、事故 現場に行くくらいどうということもなかったのだろう。

 一方、自衛隊などの捜索活動は遅れに遅れた。自衛隊は墜落した12日夜の段階で、すでに航空無線やレーダーなどの情報を通じて墜落現場を 割り出していたにもかかわらず現場に入ろうとしなかった。米軍は横田基地が墜落の事実をつかみ、救出のため現場に入ろうとしたが、どういうわ けか日本政府から協力を拒まれ、墜落現場の真上まで来た米軍機には最後まで現場への降下命令が出ることなく基地に引き返すという不可解な出来 事があったといわれている。当初、自衛隊が現場に入ろうとしなかった原因として、事故機である日航123便が放射性物質を積んでいることが指 摘されていた。最近になって、事故機の尾翼の根元にバランサー(機体のバランスを取るための重り)と して劣化ウランが使用されていた事実が明らかとなり、自衛隊が現場入りを拒んだ原因が劣化ウランではないかと指摘する識者もいたようだが、劣 化ウランの粉じんを乗せた風が毎日のように吹き荒れるイラクに平然と行っている自衛隊が日航機の墜落現場には入れないなどということがあると は思えず、いずれも根拠薄弱である。日航123便事故に関しては私を最も引きつけた著書…「疑惑」の著者でフリージャーナリストの角田四郎さ んは、墜落現場を早い段階から特定していながら、夜が明けて機体が完全に燃え尽きるまで現場に入ろうとしなかった自衛隊の対応を「まるで乗客 に生きていられては困る事情でもあったかのようだ」と厳しく批判している。

 この事故に関しては、これ以外にも不可解な点がいくつかあり、それらは未だに解明されていない。この事故の原因究明を卒業論文のテーマに 取り上げようとした学生が教授に相談したところ、「気持ちはわかるが、やめておく方があなたの身のためだ」と言われたという話もある。「圧力 隔壁が崩壊して事故に至った」とする運輸省航空事故調査委員会(当時。現在の国土交通省航空・鉄道事故調査 委員会の前身)の結論に納得していない関係者もたくさんおり、日航の乗員組合は事故直後からボイスレコーダーの公開を求め てきたが、それはついに叶えられなかった。日航乗員組合によれば、これ以外の航空機事故ではむしろ会社側が乗員組合に対し「ボイスレコーダー の解析に協力してほしい」と内容をオープンにすることも多かったそうだ。考えてみれば、パイロットというのは高度な専門家集団だから、航空機 については素人である経営幹部が専門家集団の意見を求めるのは当然のことだろう。それが、123便事故についてだけ頑なにボイスレコーダーの 公開を拒み続ける会社側の姿勢が乗員組合側には異様なものに映ったことは想像に難くない。

 結局、ボイスレコーダーは何者かの手によって日航から持ち出され、事故から10年以上経ってからテレビ放映されることになる。誰がボイス レコーダーを持ち出したかも今もってわからないままである。「王様の耳はロバの耳」ではないが、隠そうとするから逆に暴かれてしまう典型例か もしれない。いずれにせよ、この事故の真の原因は未だに隠されていると見た方が良さそうだが、事故から20年も経っており、これから真の事故 原因に迫る新たな証拠が発見される可能性は限りなく低い。

 それでも日航がこの事故を教訓として安全な航空会社づくりに努力し、その成果が現れているなら520名の犠牲者にとっての供養にもなるだ ろう。しかし、今の日航はお世辞にも安全とは言えない。今年に入ってから相次いでいる日航のトラブルはその後も減る気配がなく、春にはとうと う羽田空港で日航社長が社員にありがたい訓辞を行おうとしているその目の前で日航機の車輪が脱落するという事故もあった。日航社長にしてみれ ばメンツは丸つぶれだが、自業自得というものだろう。

 安全の根幹に関わるトラブルが相次いでいるこの日航の企業体質に関しては、本来は企業経営者向けの雑誌である「日経ビジネス」誌が今年6 月、詳細な特集記事を組んでいる。記事は、トラブルが続く企業体質の背景として、「労務畑出身の者ばかりが重用されて昇進し、それらの経営幹 部が労組切り崩しに明け暮れる。そのような、現場を知らない経営幹部と実際の運航現場との絶望的な意思疎通のなさが背景にある」と概略で指摘 しており、現在の日航の一番痛いところを見事に突いたものといえるだろう。

 あれから20年…。日航は今年、社長が交代したが、新しい社長が気持ちを引き締めるためと称して8年ぶりに御巣鷹に登ったことは評価して もいい。だが、安全対策は結果が全てであり、どんなに努力しても結果が出なければ何もやっていないのと同じである。その意味では、残念ながら 日航という会社は全く進歩していないと言わざるを得ない。昔から1つの大事故の背後には60の小さな事故と300の隠れたミスがあるとよく言 われる。トラブルが続く日航は、今また「1つの大事故」に向かって進んでいるのではないだろうか。日航にとって、一連のトラブルでまだ人命が 失われていないことが不幸中の幸いである。今ならまだ間に合う。経営幹部が襟を正し、運航現場との意思疎通に努め、労組潰しをやめて彼らと情 報や意識、危機感を共有することである。それができなければ、恐ろしい事故がまた起こるだろう。

 事故から20年が経った12日。報道によれば祈念日の御巣鷹には雨が降ったそうだ。角田さんは今でも時々御巣鷹に登るそうだが、「何度 登ってもこの山の鎮まりを感じたことはない」という。12日の雨はきっと、効果的な安全対策を取らず、トラブルが続く日航に対する嘆きと悲し みの涙に違いない。

(2005/8/13・記)

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