生まれ変わった東北路と不老不死温泉

去る2005年8月30〜9月1日、東北地方へ出かけてきました。
直接の目的は、東北新幹線の八戸延長によって生まれ変わった東北地方北部を見ること、五能線の完乗、不老不死温泉の入浴ですが、同時に、開業以来1度も乗ったことがない(!)山形新幹線、秋田新幹線のどちらか1つに最低でも乗ること、そして開業間もないつくばエクスプレス(TX)に初乗りすること、という目標もありました。 

「ええっ!? このWEBの管理人、山形新幹線まだ乗ってないの?」なんて言わないでくださいな。ホントに乗る機会なかったんです。「乗る機会がなければ作るのが鉄だろ」といわれると、返す言葉がありません。特に、山形新幹線は開業が1992(平成4)年。開業14年目にして初乗りという鉄道ファンにあるまじき怠慢です。 

しかしまぁ何はともあれ、この旅行記は当サイトとして初の温泉コンテンツでもあります。「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」を名乗りながら温泉コンテンツが全くないじゃないか、というお叱りを管理人は長年に渡って受けて参りましたが、いよいよその不幸で苦難だらけの歴史にも終止符が打たれます。めでたいことです。

というわけで、これからしばらく「仮想東北旅行」へみなさまをご案内いたします。(温泉の写真の中には、クリックすると大きくなるものがあります。ぜひ大きな写真でお楽しみください。)

◎1日目(8月30日) 

 この日午前、名古屋駅を出発、「ひかり」と東北新幹線「はやて」を乗り継ぎ八戸へ。この瞬間、八戸延長でいったん喪失した東北新幹線全線完乗のタイトルを回復する。そのまま青森へ「白鳥15号」で移動。この白鳥という列車愛称は、もともと大阪〜青森間の特急列車につけられていたもの。かつては在来線最長距離特急の栄誉を担っていた時期もあり、こんな中途半端な区間への「白鳥」の名の安易な転用はけしからんと未だに思いつつ青森へ。夕方になったので青森泊。陸奥湾で採れるホタテは全国一おいしいとのことで、このホタテをふんだんに食べさせてくれる青森駅前の「おさない食堂」。偶然見つけ、地元の人でにぎわっているのを見て「ここなら大丈夫そうだ」と思い入ったところ大正解。夕食に食べたホタテは実に美味かった。地元のガイドブックにも載っているとかで、お勧めの店。  


八戸から青森までは「白鳥」でつなぐ。現在、東北新幹線は青森延長へ向け工事が進められているが、青森開業まではこの形が続く。(青森)

これは2日目に撮った写真。別に東北地方限定というわけではなく、全国の旅客会社が所有する事業用貨車ホキ800。線路へのバラスト撒布用貨車だ。(川部)

◎2日目(8月31日)
 青森発。奥羽本線で川部まで移動した後、早速五能線へ。途中、鰺ヶ沢付近までは内陸を走るため海は全く見えない。鰺ヶ沢を過ぎてからいよいよ日本海とご対面。この日本海が本当に見応えを感じるのはやはり冬だろうと思う。深浦で列車が終点になるのでいったん下車。すぐ東能代行きディーゼルカーに乗り換え、いよいよ不老不死温泉の最寄り駅・艫作(へなし)で下車。  


私を不老不死温泉へいざなってくれた五能線キハ48系。客室とデッキが仕切られ、保温効果が高い。(鰺ヶ沢)

五能線には国鉄色キハ48系も走っている。懐かしい朱色1号塗装(通称タラコ色)。(鰺ヶ沢)

 不老不死温泉にすぐ入ってしまう手もあったが、昼になったのでまずは腹ごしらえ。この地方ではやはり名物は海の幸だろう。「サザエ丼」を注文。満腹になったので少し時間をおいて風呂に入ることにする。何せ次の五能線列車が来るまでなんと4時間もあるのだ。ああ偉大なりローカル線。 

 腹が少しこなれてきたところでいよいよ温泉。まずは内湯。黄土色に濁ったお湯はナトリウム泉とのこと。お湯が跳ねて口の中に入ってしまい、塩辛い味がする。そう言えば食塩は化学的に言うと塩化ナトリウム。食塩の辛い味はナトリウムの味なのだ。井戸水をくみ上げたという普通のお風呂にも入る。こちらはぬるま湯だが火照った体を冷やすのにちょうどいい。  

不老不死温泉の食堂で食べたサザエ丼。サザエの歯ごたえが実にデリシャス。

不老不死温泉の食堂から眺めた日本海。食堂からすでに大パノラマだ。


食堂から露天風呂を遠巻きに眺める。左端、わずかに1人、入浴中なのが見える。本当に海の真ん前だ。

温泉の建物と事務所は左手にある。露天風呂はご覧の通り外から直接つながっており、「受付で手続をし、料金を支払ってから入るよう」注意書きがしてあった。

 そしていよいよ露天風呂。「当温泉には海の虫、ブヨがおり、かまれる危険性がありますので注意してください」との注意書きがあり、一瞬怯んだが、ここまで来て露天風呂に入らないで帰るのはフランスに行ってエッフェル塔を見ないで帰るのと同じだ。たとえブヨにかまれようと、ここに入って旅の第一目的を達成することが男子の本懐。怯まず進む。ひょうたん型の小さな小さなお風呂だが、すぐ向こうには日本海というシチュエーションに感激。ああ来て良かったと思う。先客がいなかったので、貸し切り状態で湯に浸かる。しばらくして、なんと! 腕時計を腕にはめたまま湯に浸かっていることに気づく。すぐ引き上げたが時計、大丈夫だろうか。しばらくして他のお客さんが現れる。15分くらい浸かった頃、わらわらと団体客がこちらに来るのが分かったので退散。再び内湯に入り直し、2時半頃温泉から上がる。ちなみに時計は大丈夫でした。というか、ナトリウム泉に浸したことで、こびり付いて落ちなかったしつこい汚れが落ちてるし! 今後も定期的に湯に浸けるのがいいかも(違)。 


露天風呂入口。正面から眺める。向かって右が女湯、左は混浴。男湯がないが、女湯があるのにわざわざ混浴に来る女性客がいるはずもなく、混浴が実質的に男湯の機能を果たしている。

露天風呂内部はこうなっている。管理人が行ったときはたまたま誰もおらず、貸し切り状態だった。内湯と同じナトリウム泉である。写真右下から温泉が湧出しているのがおわかりいただけるだろうか。

 15時50分頃、温泉所有のバスで艫作駅へ。駅から温泉までは交通機関がないから、この送迎バスに乗るかタクシーしかない。そのまま五能線東能代行きに乗り、5時半過ぎ到着。奥羽本線特急「かもしか」で秋田へ。「かもしか」はたったの3両編成でグリーン車は半室しかないが、当地の需要を考えれば妥当な水準だろう。18時過ぎ、秋田到着。そのまま秋田泊。  


3日目に撮影した写真。ホキ800形の工臨を見かけた。(秋田)

前日、東能代〜秋田間の移動でお世話になった特急「かもしか」。(秋田)

◎3日目(9月1日) 

 秋田新幹線、山形新幹線のどちらで帰ろうか考えた。普通の人なら秋田新幹線を使うところだが、鉄道ファンは違う。時刻表を見ると、ちょうど1日1往復の新庄行き快速に乗れそうな時間だ。どう見ても内陸の新庄で打ち切られ、山形に行く用事がない限り利用しそうもない山形新幹線の方が「難易度」が高そうなので、今後の乗り潰し計画を考えた場合、山形新幹線の方を先につぶしておくべきだろう。快速で秋田から新庄目指す。秋田新幹線と線路を共用する秋田〜大曲間では、線路が3本になったり4本になったり、また2本に戻ったりと実にめまぐるしい。

 秋田〜大曲間はもともと在来線の田沢湖線(1067mm軌間)だった。そこに盛岡から新幹線車両を秋田まで直通させる話になった。しかし、新幹線と在来線は線路の幅が異なるので、線路の幅を新幹線に変えなければ通れない。しかし、だからといって2本の線路を両方とも新幹線の幅に合わせてしまうと、今度は田沢湖線から新幹線以外の在来線に列車が出ていけなくなってしまう。そこで「苦肉の策」として、片側の線路だけを新幹線の線路幅に合わせることにしたのだ。

 左の写真は、新幹線と在来線の幅の線路が1本ずつ並ぶ「単線並列」区間。写真ではわかりにくいが、左側が新幹線用で右側が在来線用の線路。左側の方が幅が広い。一方、右の写真は「3線軌条区間」。単線並列では新幹線は左、在来線は右の線路を使って単線運転をしなければならず、対向列車がいるとき、一方はすれ違い駅で待たなければならない。しかし、このように3線軌条にすれば、新幹線は両方の線路を通れるようになり、対向列車がいても駅間のどこででもすれ違えるから、すれ違い駅で待つ必要がなくなる(左の線路は3線になっておらず、在来線の列車は相変わらず右の線路しか使えないから、対向列車がいればどちらかが駅で待たねばならないが…)。
 


秋田発車直後の写真。左が新幹線用標準軌(1485mm軌間)、右が在来線用狭軌(1067mm軌間)

峰吉川〜刈和野間に始まり、神宮寺〜大曲間で終わる3線軌条区間。標準軌の中に狭軌の線路が1本入っている。

 新庄到着。山形新幹線に乗り換える。すでに昼前だ。特急料金をケチって自由席にしたのはいいが、喫煙車しか座れなかった。ああ臭。 

 米沢に着く。ここはもともと奥羽本線の中心のようなところで、鉄道ファンには未だに山形県の県庁所在地は米沢だと思っている人もいる。ここはまた米沢牛が有名なところ。駅弁を食べながら車窓を見やるが、さしもの山形新幹線車両「つばさ」もガクンとスピードが落ちる。名にし負う板谷峠の難所である。福島〜米沢間に横たわるこの峠は、長らく奥羽本線一の難所だった。連続するスイッチバック、ポイントレールを凍結から守るスノーシェルターの中に駅があり、峠駅では「ちからーもちー」の掛け声とともに当地の名物「峠の力餅」の売り子さんがホームで立ち売りをする光景が風物詩だった。

 ミニ新幹線開通後は立ち売りはなくなってしまったが、ミニ新幹線とは単に旧在来線に標準軌(1485mm軌間)の列車を走らせる運転形態を洒落た呼び名でそう呼んでいるだけで実質的には在来線の奥羽本線だ。名にし負う難所は全く変わっていない(ちなみにこのサイトの管理人は、山形、秋田のような在来線改軌による「ミニ新幹線」を新幹線と認めない立場を取っている。これには、山形新幹線開通当初言われたような「新在直通運転」という呼び名こそふさわしいだろう)。古くは国鉄時代、日本の鉄道史上初めて ディーゼルカー用500馬力エンジンを開発(それまでは最もパワーのあるエンジンでも180馬力だった)し、このエンジンを装備した試作車キハ91系を中央西線の急行「しなの」に投入して成功を収めた国鉄技術陣は、この500馬力エンジンを装着した特急車キハ181系を開発し、奥羽本線の特急「つばさ」に満を持して送り込んだ。ところが…

 最大で38パーミル(1000分の38、1000m進む間に38m登る)の勾配で、キハ181系は次々とオーバーヒート事故を起こし始めた。もともとキハ181系は、大出力、ターボ付き(これも日本初)の強力エンジンの熱を効果的に放出するため、放熱用のラジエーターを天井に設置していたが、それでも放熱が追いつかず、オーバーヒートを起こしたのだ。そのたびに立ち往生した列車を機関車が救援することが続き、ついにはディーゼル特急を機関車が引っ張って走るという以前の運転形態に戻ってしまった。国鉄技術陣がこの悲劇から解放されるには、板谷峠全面電化を待たなければならなかった。

 一般的に、日本の鉄道が登れる勾配の限界値は、蒸気機関車で1000分の25、ディーゼルカー・ディーゼル機関車で1000分の33、電車・電気機関車で1000分の45くらいと言われている。板谷峠の最大38パーミルはこの限界値を超えており、事故はある程度予想できる状態だったのである。国鉄技術陣はキハ181系を過信し無理をさせすぎたのだ。この地方が名だたる豪雪地帯であることも考えれば、電車ですら限界ぎりぎりの急勾配といえるだろう。

 こうした逸話のある板谷峠は戦後、国鉄技術陣が初めて全面的に敗北した「屈辱の峠」だったのである。現在の新幹線用「つばさ」ですら、米沢〜福島間たった40.1kmの距離を走るのに41分を要している。つまり1km約1分という計算だから、時速に換算すると60km。一般道を走る自動車並みのスピードしか出ていないことになるが、これでもおそらく昨日乗った「かもしか」とは大して変わらないだろう。健脚であることは確かだ。

 福島からは新幹線に入り、列車は快調に飛ばす。上野で新幹線を降り、秋葉原移動。8月24日に開業したばかりのつくばエクスプレスに乗る体験記はこちらのコラムで)。秋葉原で若干の買い物をした後、「ひかり」で名古屋に戻る。こうして2泊3日の旅は終わった。 

 結局、今回の旅行では、八戸延長によっていったん失った東北新幹線全線完乗のタイトルを奪回したほか、五能線、奥羽本線の全線完乗を達成した。

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