さて、当サイトは開設当初から「社会科学・社会主義研究サイト」であり、「ゾルゲ事件研究サイト」でもあるが、その研究活動の一環とし て、去る2002年9月7日(土)、管理人は講演会「激動の20世紀とゾルゲ事件〜いま明かされるゾルゲ事件の新事実」(於・文京区民センター)に参加してきた。ここでは、早速その内容についてレポートするとともに、これまでの研究の進展状況、過去のシンポジウムの内容なども合わせてご紹介するこ とにしたい。
3.ついにはぎ取られた「偽りの烙印」〜崩壊した伊藤律端緒説
伊藤律端緒説は、終戦直後の混乱期に情報の閉ざされた外国で起こった特異な出来事に関するものであるにもかかわらずこれまで真剣な検討が行われたことがなかった。それには、この説がもと特高警察官・宮下弘の「回想」に端を発していること、尾崎秀樹、松本清張といった文壇に大きな影響を持つ作家によって唱導されてきたこと、また日本共産党も伊藤律に対し除名という厳しい処分で臨んだ手前、この説を意識的に巷間に流布してきたこと等の事情はあろう。また、帰国後に伊藤律から書簡を託された荒川亘氏(元日本共産党多摩地区委員長)がいみじくも語っていたように、東西冷戦時代には裏切り者の復権につながるような事実が隠されているかもしれない事柄であっても、それをあえて隠してまで守らなければならなかった社会主義の祖国(ソ連)が存在していたという現実もあった。ようやくゾルゲ事件の研究が日本でも行われるようになったのは、ソ連崩壊によって旧ソ連時代の文書の公開が進みはじめたこ とが背景にある。
中でも、社会運動資料センター代表・渡部富哉氏によるゾルゲ事件研究は、その質の高さで群を抜いていると思う。彼は、日露両国でさ まざまな文献を調査し、ついに「伊藤律逮捕前から特高警察によって北林トモが既にマークされていた」事実を突き止めるのである。
このことは、「伊藤の供述によって北林が逮捕された」というこれまでの通説を根底から覆すものになった。このあたりの事情は「偽りの烙印」(渡部富哉・著、五月書房)に詳しいが、最初は北林トモについて日系米共党員「某女」としか記載されていなかった特高警察の捜査関係文書が、 伊藤の逮捕と時を同じ くして「アメリカ帰りのおばさん」に表現を変えた事情について、渡部氏は、伊藤律が端緒である「ことに装う」ため、伊藤に「アメリカ 帰りのおばさん」に会った、との供述をさせ、それに合わせる形で「某女」→「アメリカ帰りのおばさん」への記述変更が行われたと結論づけたのである。もちろん、仮にそうでなかったとしても「某女」が北林である事実に変わりはなく、その「某女」のマークや身辺捜査は伊藤の逮捕より1年も前に始まっていたのであるから、伊藤の供述がゾルゲ・尾崎グループ摘発の端緒でないことは明白になったといわなければならないのである。
伊藤律が着せられていた「濡れ衣」は、こうしてついに剥ぎ取られた。伊藤律端緒説は崩壊したのである。では、北林トモ・宮城与徳を警察に「売った」のは果たして誰なのか?
結論は今後の研究を待つしかないが、渡部氏は今回の講演会で、ある人物の「疑惑」に目を向ける。これについては後述する。
4.1998年「第1回ゾルゲ事件シンポ」に参加して
渡部氏の衝撃的な研究を受け、今から4年前の98年11月7日、第1回「20世紀とゾルゲ事件国際シンポジウム」が開催された (於:飯田橋・東京シニアワーク)。筆者はこのシンポジウムにも出席したが、国際シンポジウムの名にふさわしく、世界的に有名な日本共産党研究者ユーリー・ゲオルギエフ氏、今は鬼籍に入られたトロツキー研究者・石堂清倫(いしどう・きよとも)氏がパネリストとして出席、パネリストではないが「闇の男・野坂参三の百年」著者の小林峻一氏も参加した極めてレベルの高いシンポジウムだった。
渡部氏が「伊藤律端緒説」を覆す研究成果を発表したのは(自著「偽りの烙印」を除けば)この時が最初である。筆者は、この時のシンポジウムの全内容を録音テープに記録しているが、残念ながら限られたスペースで全内容をご紹介することはできない。
〔参考資料1〕このシンポジウムで筆者がパネリストとの間で行った質疑応答の内容についてはこちら
〔参考資料2〕このシンポジウムの録音音声を聴きたい方はこちら
なお、その後、ゾルゲ事件国際シンポジウムは2000年に第2回がロシアで行われ、今年11月には第3回がドイツで開催される予定になっている。これは、ドイツ人とロシア人を親に持つゾルゲが日本で活動したことにちなんでいる。ゾルゲにとって2つの祖国であるドイツとロシア、そしてスパイとして活動 し、愛した日本・・・第3回まででゾルゲにゆかりのある3ヶ国を回り終わった後、第4回目のシンポはゾルゲの生まれた町、バクー(旧ソ連・アゼルバイジャ ン共和国=現在は独立=の首都)で開きたいと主催者は述べている。
5.講演会・報告
さて、いよいよ講演会の内容に入ろう。今回の講演会は、2ヶ月後に迫った第3回シンポ(ドイツ)に先立って、前回ロシアで開かれた第2回までのシンポの報告を行う「報告会」という位置付けになっている。会場を一瞥したところ、入場者は約200人といったところ。4年前の第1回シンポの際にはほとんどいなかったマスコミ関係者やミーハー(?)な客層が目立つことに不思議さを感じたが、その理由は後述する。
講演会は13時開会。まず最初に、来年(2003年)、篠田正浩監督の手になる映画「スパイ・ゾルゲ」が制作され東宝から配給されること、また篠田監督がこの映画を最後に映画制作から引退することが発表された(マスコミ関係者が会場に多かったのは多分このせいだろう)。続いて 「スパイ・ゾルゲ」のごく一部のシーンだけだが先行上映が行われる(主題歌にはジョン・レノンの「イマジン」が使われるらしい)。
上映の後は、「第2回ゾルゲ事件国際シンポジウムの概要報告」と題して日露歴史研究センターの白井久也代表が講演。第1回シンポ以 降のゾルゲ事件研究の進展状況、第2回ロシアシンポの概要、また渡部氏の業績の大きさ、世界で最もゾルゲ事件の資料が豊富で、研究も進んでいるのが日本であるということ、 第3回シンポをドイツで開催予定であること、第4回シンポはバクーで開きたいこと・・・についても述べられた。
白井氏の後は渡部氏が「ロシアで新発掘された『特高褒賞上申書』について」と題して講演。日本の特高警察文書がなぜかロシアに渡っ ていて、その中に伊藤猛虎(既出。伊藤律の取り調べを担当)の表彰に関する文書があったという。表彰の理由について「ゾルゲ事件捜査で多大な功績を上げた」と書かれているこの警察文書、それよりも重大なことはこの文書がゾルゲ事件の捜査開始を「1940年6月27日」としていることである・・・と渡部氏の講演は続く。
「伊藤律端緒説」論者が拠り所にしてきたのは、結局は元特高警察官・宮下弘の「回想」であり、そこでは伊藤律の取り調べが 「1941年6月上旬」に行われ、その供述を元にして同年「6月下旬」に北林トモの逮捕にこぎつけた・・・と述べられていたから、今回ロシアで発見された文書の意味するところは宮下発言の否定であり、したがって伊藤律端緒説の完全崩壊を意味する・・・と渡部氏はさらに続ける。
さて、3の項の最後で述べた「ある人物」の疑惑であるが、これは講演の終盤になって登場した。同じ特高警察の表彰に関する文書の中 に河野啓なる警部補についても記載があり、そこには「宮城与徳の個人的な知人を取り調べて宮城を自供に追い込んだ」 との表彰上申理由が述べられているという。個人的な知人とは誰なのか・・・それは解明されていないが、渡部氏は疑惑の人物として松本三益という名前を挙げている(もちろん、現時点ではこれはあくまで推測にすぎないからご注意いただきたい)。
いずれにしても、伊藤律端緒説の根拠となってきたのが一特高警察官の個人的「回想」であるのに対し、警察内部から公文書の形を取っ てそれと異なる事実が出てきたわけである。渡部氏の主張はさらに補強される一方、伊藤律端緒説の根拠が崩壊したことは確実であろう。
休憩を挟んで後半からは、篠田監督が「2・26事件とゾルゲ」と題して講演。「スパイ・ゾルゲ」制作にいたった動機について次のように述べる。「・・・昭和20年8月15日を境に日本人の価値観は大きく変わった。それ以前は、三島由紀夫の最期に見られるように、『いかに天皇に殉じるか』『いかによく死ぬか』がテーマだったが、戦後は『自由と民主主義のためにいかによく生きるか』がテーマとなった。(中略)(共産主義という思想を信じ、そのためにソ連のスパイとして生きる道を選び、最後は日本の警察当局によって摘発され処刑された)ゾルゲの生涯は『夢があるから生きられる、理想があるから死ねる』・・・そういう生涯であったと思う。『よく死ぬ』、そして『よく生きる』・・・昭和時代、日本人を貫いた2つの死生観を体現したゾルゲの興味深い生涯を描くことこそ、映画人としての自分が果たすべき最後の仕事だと思っている」。
篠田監督の講演も終了し、いよいよ最後は私にとってはオマケでしかないのだが、大部分のミーハーな観客層にとっては今日のメイン(?)であるトークショーである。実は、「スパイ・ゾルゲ」には篠田監督の夫人である女優の岩下志麻さんが出演することが決まっており(近衛文麿・元首相の夫人役)、そのトークショーなのだ。篠田・岩下ご夫妻を出演させ、最初の講演を行った白井氏が司会として茶々を入れつつトークショーは進んでいく。
司会者(白井氏)「製作現場での篠田監督ってどんな風ですか?」
岩下「時間の制約がないときは穏やかですが、時間や撮影条件の制約があるときは怒鳴りまくってます」
司会「岩下さん、出演者の目で見てゾルゲという男はどうです? 本物のゾルゲは日本で愛人作ったり、ものすごくスケベだったんですが」(会場、笑い)
岩下「愛人って言っても、ひとりひとりに対するゾルゲの愛し方ってものすごく真剣なんです。女としては自分が真剣に愛されていると感じられるならむしろ好感が持てます。後は、(自分の夫の)篠田(監督)がまじめな人間でよかったかなぁと」(会場、笑い)
司会「篠田監督、女優という職業を離れた家庭内の"篠田志麻"はどんな女性ですか?」
篠田「私、実は自分の嫁さんのすることには興味ないんですよ」(会場爆笑)
司会「でも、一緒に住んでる以上普段の姿っていうのは当然あるわけじゃないですか?」
篠田「今度、スパイ・ゾルゲには岩下志麻が出演することになるんですが、こうなるともう彼女を自分の嫁さんとして見ないことに決心しないとうまくいかないワケでして」
まだまだ色々なことが語られたトークショー。岩下さんが出演した代表作「極道の妻たち」制作現場のエピソードなんかもあって面白かったんだけど、ゾルゲと関係ないので割愛させていただく。
こういう経過をたどって、16時45分、4時間弱にわたった講演会は終了。
・2つの祖国のはざまで
20世紀を駆け抜けた類まれなるスパイ・・・リヒアルト・ゾルゲは、ドイツ人の父とロシア人の母の間に生まれ、2つの祖国に抱かれて育った。やがて共産主義を深く信じ、理想の実現のためソ連共産党員となったゾルゲ。母の祖国で理想を実現した「偉大な党」に命じられ赴いた日本で、情報提供者の日本人を安心させるため、日本の同盟国の国民としてナチス党に偽装入党。2つの祖国に続いて2つの党を持つにいたったゾルゲの生涯は、ますます深く謎のベールに包まれていく。そして、2つの祖国が敵味方に分かれ、徹底的に戦った第二次世界大戦の荒波の中でも変わることなく生きたゾルゲ。信じる理想のため、与えられた神聖な任務のため、母の祖国に自ら通報した情報によって父の祖国が打ち負かされていく・・・。
まさに「事実はドラマよりも奇なり」である。数奇な運命という言葉は、ゾルゲのような人間にこそ良く当てはまると思う。ドラマ性に満ちたゾルゲの人生を、篠田監督ならずとも映画にしたいと思うのは当然のことだろう。
「スパイ・ゾルゲ」は篠田監督が10年間暖めてきた構想だという。映画人としての最後の情熱を振り絞り、篠田監督はきっとスパイ・ゾルゲの生涯を忘れられない作品に仕上げてくれるだろう。そして有終の美を飾ってくれると思う。来年6月の公開が今から待ち遠しくて仕方がない。私は、もちろん見に行くつもりでいる。