ソビエト社会主義共和国連邦国歌「祖国は我らのために」

作詞:セルゲイ・ウラディミロビッチ・ミハルコフ
    ガブリール・エリ・レギスタン

作曲:アレクサンドル・バシリエビッチ・アレクサンドロフ

 

(ロシア語の原歌詞)

1.
Союз нерушиммый республик свободных
Сплотила навеки Великая Русь.
Да здравстувет созданный волей народов
Единый, могучий Советский Союз!
Славься, Отечество наше свободное,
Дружбы народов надежный оплот!
Партия Ленина --- сила народная
Нас к торжеству коммунизма ведет!

2.
Сквозь грозы сияло нам солнце свободы,
И Ленин великий нам путь озарил:
На правое дело он поднял народы,
На труд и на подвиги нас вдохновил!
Славься, Отечество наше свободное,
Дружбы народов надежный оплот!
Партия Ленина --- сила народная
Нас к торжеству коммунизма ведет!

3.
В победе бессмертных идей коммунизма
Мы видим грядущее нашей страны,
И красному знамени славной Отчизны
Мы будем всегда беззаветно верны!
Славься, Отечество наше свободное,
Дружбы народов надежный оплот!
Партия Ленина --- сила народная
Нас к торжеству коммунизма ведет!
 

(歌詞の日本語訳)

1.自由な人民の国、不倒の連合、大いなるロシアは永遠にある。
 人民の苦闘が生んだ強力な結合、我らがソビエト連邦。
 祖国の自由と諸民族団結の砦よ、讃えられてあれ!
 レーニンの党、人民の力は我らを共産主義の勝利へ導く!

2.暴風の中から自由の太陽は、偉大なるレーニンの新しい道筋に沿って我らを照らす。
 彼は民族を正義に目覚めさせ、労働や偉業へと励ます。(*)
 祖国の自由と諸民族団結の砦よ、讃えられてあれ!
 レーニンの党、人民の力は我らを共産主義の勝利へ導く!

3.不滅の共産主義思想の勝利に、我らは親愛なる国土の未来を見る。
 祖国の栄光の赤旗に、我らは無私の忠誠を誓う。
 祖国の自由と諸民族団結の砦よ、讃えられてあれ!
 レーニンの党、人民の力は我らを共産主義の勝利へ導く!  

《ソ連国歌の沿革》

 ソ連国歌は、大祖国戦争(独ソ戦)中の1943年に、それまでの国歌だったインターナショナルに代わって制定されたものである。元々はボルシェヴィキ党(全ソ連邦共産党)の党歌として歌われていた曲の歌詞を国歌に合うよう手直ししたもので、初演は1944年1月1日午前0時の全国向けラジオ放送である。

 その後、全ソ連邦共産党第20回大会(1956年)におけるフルシチョフのスターリン批判以降は、スターリンを賛美する歌詞の一部が個人崇拝につながり、不適当との理由でメロディーだけが演奏される状態が続いたが、1977年5月最高会議幹部会で、一部歌詞を作詞者の一人ミハルコフにより手直ししたものが承認され、9月1日より再び歌詞付きで演奏されるようになった。


 
1977年に手直しされた部分は2番の(*)印のところで、上には変更後の歌詞を掲げてある。変更前の歌詞は「スターリンは我らを人民に忠実なれと育て、労働や偉業へと励ます。」となっていた。

 なお、1991年のソ連崩壊により「祖国は我らのために」も社会主義国・ソ連と運命を共にしたが、その後、ロシア国内の社会不安から「超大国・ソ連」への郷愁が高まると、プーチン政権はロシア共和国の国歌を再び「祖国は我らのために」のメロディーで復活させることを決めた。一部歌詞をロシア共和国の実情に合うよう手直しした「祖国の歌」は、21世紀が始 まった2001年1月1日、ラジオ放送でいっせいに流された。「祖国は我らのために」のメロディーは、ソ連崩壊からちょうど10年のときを経て復活したのである。

(2018.5.19 追記)
 この曲の作詞、1977年の一部歌詞の手直しに携わったミハルコフは、2000年、ロシアによる「祖国の歌」の復活時に三たび、作詞を担当した。一生のうちに3回もソ連〜ロシア国歌の作詞に関わったミハルコフは、2008年に死去している。

《視聴(youtubeより》

ソビエト社会主義共和国連邦 国歌(1977年、歌詞手直し後のもの。1984年、ソ連国営テレビの映像とされる)



ボルシェヴィキ党歌(「インターナショナル」がソ連国歌だった時代のボルシェヴィキ党歌。メロディーはまったく同じ)


ロシア連邦国歌(2000年復活版。こちらもメロディーはまったく同じ)

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