今年を象徴する漢字は「核」
朝鮮半島危機と核兵器禁止条約が同時進行した2017年 来年は分水嶺に?

 歳月の流れは速いものだ。新年早々、トランプ大統領が就任したのはついこの間のことだと思っていたのに、この号がお手元に届く頃には2018年の足音が聞こえていると思う。

 毎年この時期の恒例行事に「今年の漢字」がある。日本漢字能力検定協会が市民から募集した投票において、その年を象徴する漢字として1位となったものを京都・清水寺の森清範・貫主が揮毫するというものだ。

 その漢字に2017年は「北」が選ばれた。確かに、「北朝鮮」とその最高指導者・金正恩朝鮮労働党委員長の動向に世界が翻弄された1年ではあったように思う。しかし、そもそも朝鮮民主主義人民共和国の国名に「北」の文字は使われていないし、朝鮮政府もみずからを北朝鮮とは自称していない。南北「赤化統一」の野望も捨てていないし「北朝鮮」の呼称が通用するのも日本だけだ。いかにも内向きの論理で選ばれた「今年の漢字」だと思うが、そもそも日本の民間団体が国内向けのイベント兼パフォーマンスとして実施しているに過ぎないものにいちいち目くじらを立てるのも大人げないと言うべきであろう。

 朝鮮がどのような国であり、その指導者・金正恩が何をめざしているかについては、本誌先々月号(11月号)で詳しく分析しており、今号で改めて繰り返すことはしない。興味を覚えた向きは11月号を参照していただきたいが、朝鮮は、故・金日成主席の時代から一貫して核・ミサイル開発を志向しており、建国以来、天才少年少女を幼少時から選抜して特別待遇を与え、特別教育を施しては核・ミサイル開発に従事させてきた。その長年の「努力」の結実が現在のミサイル「乱射」状況につながっており、金日成主席時代から長年のウォッチャーとしてこの国を見つめ続けてきた筆者にとって驚くには値しない。要するにこの国は、指導者が「偉大な建国の父」から2代目、3代目と替わっても基本路線に変化はまったくないのだ。

 それにもかかわらず、なぜ今年になって急激に朝鮮半島危機が深刻化したのか。その理由はやはりトランプ大統領の就任をおいて考えられない。朝鮮は変わっていないのに、周辺環境が変わったために危機が引き起こされたのである。

 世界の科学者グループが発表している「世界の終末時計」。世界を1日24時間になぞらえ、「終末」の午前0時まであと何分あるかを示すこの時計は、東西冷戦時代にはしばしば話題に上ったものの、最近は忘れられかけていた。その終末時計がここに来てまた注目されるようになった。1953年、米ソ両国が相次いで水爆実験に成功した後、この時計はあと2分まで進められた。1991年のソ連崩壊による冷戦終了で時計は17分前まで巻き戻され、危機は去ったかに見えた。その後、途上国に核が拡散するにつれて再び終末時計は進められ、福島第1原発事故でも1分進んだ。トランプ氏の大統領就任前、3分だったこの時計は就任後30秒進み、終末まで2分30秒となった。1962年、世界を滅亡の淵に立たせたキューバ危機の時でさえ終末まであと7分あったこの時計が、今やその3分の1の時間しか残されていないというのだ。

 ●東京は生き残れるか

 トランプ大統領就任後、東京への核攻撃が、それまでの荒唐無稽なSF映画の中の話ではなく、現実にあり得る可能性のひとつとして取りざたされるようになった。キューバ危機当時と比べ、トランプ・金正恩の両指導者の行動がともに予測不能である点が大きく違っている。もちろん、キューバ危機当時の指導者だったケネディ米大統領、フルシチョフ・ソ連共産党第1書記の2人も理性的とは言いがたかった。ケネディは「もしどこかの社会主義国から西側諸国に核ミサイルが発射された場合、それをソ連から米国への核攻撃とみなす」と再三にわたって警告したし、フルシチョフも「もし愚か者が我が国や社会主義国を攻撃すれば、我々はその国を地上から抹殺できる。戦争は侵略者ばかりでなく資本主義をも滅ぼすだろう」と強気の姿勢を変えなかった。当時、米ソ両国の間で繰り広げられた「口撃合戦」を振り返ってみると、今、トランプ・金正恩両トップの間で行われている罵り合いと少しも変わらない。

 だが、全米の商店から買い占めのためあらゆる物資が消えたキューバ危機では結局、最後はかろうじて理性が勝った。「何の罪もない子どもたちが核のため、米国で、ソ連で、世界で次々と死んでいく幻影はケネディをひどく苦しめた」(側近ロバート・ケネディの回想)し、世界を何十回も滅亡させられるほどの核を持つ米ソ両国の首脳間に、電話のホットラインさえ整備されていない事実を知らされ、愕然としたフルシチョフは「もしあなたがお望みなら、キューバに配備した核をいつでも撤去する用意がある」との長文の電報をケネディに送った。フルシチョフが言葉だけでなく実際にキューバに配備済みの核兵器を撤去したため、ついに危機は去ったのである。

 トランプ・金正恩の2人にこのような理性ある対応が可能だろうか。「トランプはビジネスマンであり、損得に見合わないことはやらない」「さすがの金正恩も、自国が地図から消えることになる米国との全面戦争には踏み切れないだろう」との楽観論が日本社会を支配している。だがトランプは、既存のエスタブリッシュメント(支配層)に不満を抱き、失うもののないラストベルト地帯の労働者によって大統領に押し上げられた。故・金正日総書記が長男の金正男でも次男の金正哲でもなく三男・正恩を後継者に選んだのも「3人のうち一番気が強く、米国相手でも怯まない」からであり、また「朝鮮のない地球はあり得ない。我が国がもし滅びるならば、地球を道連れにすればよい」との金正日総書記の教えを最もよく理解しているからだとされる。創造より破壊を得意とする米国大統領と、兄弟のうちで一番気が強いが故に指導者の地位を射止めた金正恩のせめぎ合いは、今度こそ偶発的な米朝間の戦争に発展するかもしれないのだ。

 改めて確認しておかなければならないのは、国際法上、米韓と中朝は今なお戦争状態にあるということだ。すでに朝鮮戦争の休戦(1953年)から64年経過したが、あくまで休戦に過ぎない。米中両国はいずれも国連安保理の常任理事国であり、いざそのときが来たとしても国連や安保理が機能するとはとても思えない。先ごろ発生した朝鮮人民軍兵士の亡命事件のような偶発的事態をきっかけに南北間で戦端が開かれればどうなるだろうか。
北緯38度の軍事休戦ラインからソウル中心部まではわずか30キロメートル。日本で言えば東京〜横浜間の距離とそれほど変わらない。朝鮮領内から戦車でも1時間で到達してしまう距離だ。反撃の間もなくソウルは瞬く間に占領され、韓国政府も機能しなくなってしまうだろう。こうした危険があるにもかかわらず、韓国の人口の4割がソウル首都圏に集中する状況を放置してきたのも、歴代韓国政府が本当は朝鮮戦争の再開などあるわけがないと高を括っていたからだろう。

 朝鮮対米韓で戦端が開かれた場合、初めからいきなり核ミサイルが使われることはない。朝鮮人民軍はソウルを占領し、最初の数時間は優位に戦いを進めるとみられるからだ。問題は米韓軍が体制を立て直し、反撃に転じたときだ。「朝鮮がもし滅びるときは、地球を道連れにすればいい」との父の教えを、もし金正恩が忠実に実行するならば――?

 朝鮮が開発中のミサイルは、まだ核弾頭を積んで大気圏内に再突入し、米本土を攻撃できるまでにはなっていないが、朝鮮がその能力を手に入れるのはもはや時間の問題だろう。だが、日韓を攻撃できるノドンミサイルを朝鮮はすでに手に入れている。SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が実用化レベルにあるとの一部報道もある。その場合、大気圏内再突入の技術さえ必要ない。潜水艦で朝鮮のどこかの港を出港、潜航した潜水艦から日韓のどこかの都市に向けて核ミサイルが発射されれば、Jアラートなどの警報発動さえかなわず、多くの市民がいきなり閃光を見てそのまま終わりということさえあり得るのだ。

 いざというとき東京は果たして生き残れるのだろうか? 2020年東京五輪はこのまま無事に開催できるのだろうか? 政府や御用学者たちは「Jアラートが鳴って5分以内に地下街に逃げ込めば助かる」などと根拠のない楽観論を振りまいているが、もちろん信じてはならない。70年前の広島、長崎より核技術は格段に進歩している。朝鮮が開発しているとみられる10キロトン程度の核でも、爆心地では200メートルの巨大な火球ができるとの試算もある。あらゆるものを飲み込む火球の中心温度は最悪の場合、太陽の表面より少し低い摂氏4000〜5000度にも達すると見込まれる。地下街でも数百度には達するだろう。これで生き残れるなどと考える方がどうかしている。仮にそれほどの強い威力の核でなくても同じことだ。「御用学者」たちが福島第1原発の事故当時なんと言っていたか思い出してみるといい。「プルトニウムは飲んでも安全」「100ミリシーベルト以下の被曝量で健康被害など出るはずがない」。だが6年半後の今日、194人もの子どもたちがすでに甲状腺がんを発症しているのだ。

 事態が今のまま推移すれば、筆者は、東京が朝鮮の核で滅亡する可能性が3割くらいはあると考えており、来年以降、東京へ出かける機会をできる限り減らしたいと思っている。ひょっとするとこの年末年始が、対話か戦争かの分水嶺になるかもしれないが、そんなときに朝鮮との対話を否定し「圧力強化」一辺倒の安倍首相しか持てない日本の不幸さを思わずにいられない。

 ●突破されたNPT体制

 いずれにせよ、朝鮮に核開発を思いとどまらせることはもはや不可能だ。望むと望まざるとに関わらず、朝鮮を核保有国リストに加えなければならないときが目前に迫っている。朝鮮による公然たる核武装は、もはやNPT(核不拡散防止条約)体制がまったくの虚構に過ぎないことを見せつけている。現在の核保有国以外に新たな保有国が出現しないようにするといえば聞こえはいいが、NPTは実際には「俺は核を持ってもいいがお前はダメだ」という究極の不平等条約である。それでも非核保有国は、核保有国がいつかはその愚かさに気づき、みずから核保有数を減らす努力をするものと信じて耐えてきた。だが、いつまでも核を減らさず、手放そうともしない核保有国を前に、非核保有国の中からNPTへ挑戦するものが現れた。初めはイスラエル、次いでインドやパキスタン。イランと朝鮮がそれに続こうとしている。NPT体制を崩壊させたのは核保有国の裏切りであり、挑戦者の出現はその結果に過ぎないことを、私たちは今後のためにしっかり認識しておく必要がある。

 ●核兵器禁止条約採択で巨大な前進

 一方で今年、核をめぐってきわめて大きな前進があった。核兵器禁止条約の採択だ。今年7月に国連総会で採択された条約は「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」が正式名称で、2007年、コスタリカ、マレーシア両国が共同提案していたもの。2017年7月7日、122か国・地域の賛成で正式に採択された。最初の段階の開発から最終段階である使用に至るまで、すべての局面で締約国に核兵器との関わりを禁じていることが大きな特徴だ。中心となって交渉を推し進めたオーストリアのハイノッチ大使は採択後の演説で「被爆者の証言が私たち(推進側)を鼓舞してきた。この惑星を核兵器のない、より安全な場所にしていきましょう」と呼びかけた。

 被爆者からも喜びの声が上がった。広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の坪井直理事長(92)は「『核兵器のない世界』の実現という私たち被爆者の長い間の念願がやっと具体的な形に表れた」と評価。「条約が実際に効力を持つまでには困難が横たわっている」とも指摘し「被爆者はもちろんのこと、核兵器を拒絶する世界中の市民の力によって、条約の実効を目指していかなければ」と訴えた。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長、川野浩一さん(77)は「122の国々が賛成したことは意義がある。条約で明確に禁止することは重みがある」と歓迎した上で「核保有国も加えて、実効性のあるものにしていくかが重要」と指摘した。

 それにしても情けないのは、条約に賛成しなかった日本政府だ。これでは「被爆者の苦しみが最もよくわかっている国は日本のはずなのに、参加しなかったのは腹立たしい」(川野さん)と言われても仕方ない。

 坪井理事長が「発効までに困難が横たわっている」と述べているのには理由がある。すべての核保有国含め、日本やドイツ、韓国など米国の「核の傘」の下にある諸国、NATO(北大西洋条約機構)加盟国が参加していないからだ。条約は世界50か国・地域が批准して90日後に発効することになっているが、現在、批准はガイアナ、タイ、バチカンの3か国にとどまっている。だが、賛成国の半数程度の批准でよいのだから、そう遠くない将来発効にこぎ着けるだろう。人類を絶滅させられる最終兵器でだれも使用などできないとわかっているのだから、核兵器だけは全面禁止にしなくてもよいなどという愚かな理屈が成り立ちうるだろうか。様々な紆余曲折を経ながらも、人類は生物化学兵器もクラスター爆弾も最後は国際条約で禁止に追い込んできた。核兵器だけが例外ではあり得ない。

 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞もこうした流れを後押しする画期的出来事だ。これまで長年核廃絶運動に取り組んできた日本の被爆者団体が受賞できず、外国の新しい団体による新しい活動が受賞したことに対し違和感を訴える声があるが、そうしたことが起こるのも、国際社会からの日本の評価の低下が背景にあるのかもしれない。

 しかし、被爆者団体やそのリーダーは、ICANの受賞に好意的だ。坪井理事長は「同じように核兵器廃絶を訴え行動してきたICANの受賞をうれしく思う。私たち被爆者はICANはじめ幅広い皆さんと共に命ある限り核兵器のない平和な世界の実現を訴え続けていきたい」とのコメントを発表した。

 世界の終末時計を30秒も進めてしまうような危険な核開発の動きと核兵器禁止を求める市民の闘い。NPT体制に挑戦しみずからも核保有国になろうと策動する国々と、その前に立ちはだかり核兵器禁止条約を生み出した被爆者・市民たち。悪いこともあったが未来へ向けた画期的出来事もあった2017年「今年の漢字」を筆者が選ぶなら、やはり「核」以外にあり得ないように思う。世界を正反対の方向へ導こうとする2つの潮流は来年も激しく衝突するに違いないが、核廃絶を確実なものにするためには、これまで交わることのなかったこの2つの潮流に誰かが橋を架けなければならない。その役割を果たすのは、核兵器と核の「平和利用」による被害の両方を経験した日本以外にないように思われるが、核廃絶への意思も能力もなく、いたずらに朝鮮との緊張激化だけを煽り立て、福島第1原発による被害を認めるどころか、避難区域を解除、自主避難者を裁判まで起こして避難先の住宅から追い出し、カネまみれの「復興」を演出することにしか興味のない安倍政権ではダメなことだけははっきりしている。来年こそ核兵器と原発の廃絶を実現するため、市民の敵・安倍首相を政権から追い出し、平和を志向する政権に変えていく。2018年に向けた筆者の決意だ。

(2017年12月25日 「地域と労働運動」第207号掲載)

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