1.単独機の死亡事故としては世界の航空史上最悪となった1985年8月12日の日本航空123便旅客機墜落事故から30年の節目の日を迎えた。安全問題研究会は、亡くなられた520名の乗客・乗務員に改めて深く哀悼の意を表する。
2.御巣鷹の悲劇から30年の間に、日本と世界の空を取り巻く情勢は大きく変わった。日本航空は、事故当時の半官半民の国策会社、ナショナルフラッグから完全民営化された。JAS(日本エアシステム)との統合に見られる無理な拡大戦略を採り続け、2010年には経営破たんした。この過程で、会社に批判的な労働者を中心に165名の不当解雇が起きた。
3.スカイマークなど「第3極」として誕生した新規航空会社は、日本の空の寡占状態に風穴を開けたが、公共交通での競争政策の激化は多くのトラブルも生み出した。スカイマークは経営破たんし、全日空との経営統合により再建を目指すことになった。日本の空は、一部のLCC(格安航空会社)を除き、かつての2強による寡占時代に還りつつあるかに見える。
4.安全問題に目を転じると、この間、ボンバルディア製航空機や、B787型機による相次ぐ重大トラブル(発煙など)が発生した。これらの機体はいずれも、経費削減など経済優先思想の下に開発されたという特徴を持っており、こうした経済優先の航空政策や技術開発が安全に重大な影響を与える例が近年特に目立っている。
5.一方、この日航機墜落事故を最後に、30年間、日本国内で営業飛行における航空機の墜落事故がなく、また乗客にひとりの死亡者も出さずこの日を迎えられたことは、当研究会にとって大きな喜びである。これは、御巣鷹の教訓からしっかりと学び、各現場で奮闘してきた航空労働者が達成した偉業であり、当研究会は、日本国内におけるすべての航空労働者に最大級の謝意を表明する。
6.当研究会は、30年間、片時もこの事故のことが頭から離れることがなかった。80年代後半から90年代は、主として運輸省航空機事故調査委員会(当時)が発表した報告書の分析や文献調査を中心にこの事故の真相究明に取り組んできた。2000年代に入り、ボイスレコーダーの音声が流出して以降は、乗務員の会話の聴き取りや書き下ろし、また事故現場である「慰霊の園」への訪問などを行ってきた。30年もの長きにわたってこのような活動を続ける原動力となったのは、人生を最も悲劇的な形で断ち切られ、理不尽な最期を迎えなければならなかった犠牲者に少しでも報いたいとの思いであり、また事故調が発表した報告書への疑問と怒りであった。
7.節目の今年も、当研究会は現場となった御巣鷹の尾根への慰霊登山を行った。520人の悲しみをたたえた山は、30年の歳月を経てもなお鎮まることなく、慰霊登山を行うすべての人に安全とは何か、私たち全員がこれからの時代をどのように生きるべきかを問いかけている。この問いかけに答えることこそ、犠牲者と同時代を生き、悲劇を次の世代に継承する使命を背負った私たちの責務である。
8.最近では、鉄道や高速バスなど公共交通事故の遺族や関係者のみならず、エレベータ事故の遺族や東日本大震災の関係者などが、険しい登山道を相次いで上り、御巣鷹の尾根を目指している。当研究会が慰霊登山を行った当日には日本航空の客室乗務員の姿もあった。被害者・加害者の立場を超え、社会の安全のために行動する人々をひとつに結びつける存在として、御巣鷹の尾根は今、不可欠の場所となっている。
9.私たちの果たすべき課題は多く残されている。この事故の風化、幕引きを許さず、引き続きその真相究明と情報公開を政府に求めていくことが必要である。同時に、高齢化した遺族に寄り添い、遺族との共同の中から事故を次の世代に向け継承するための活動を強化することである。市民と航空労働者の奮闘で築いた「日本国内での30年間墜落ゼロ、乗客死者ゼロ」を今後も永遠の目標として続けていくことは、何にも増して重要な課題である。
10.当研究会は、こうした課題を達成するため、今後も全力を尽くす決意である。