「国鉄改革1047名問題」政治解決案の決定及び受け入れに関する声明

 1987年の国鉄分割・民営化の際に国鉄清算事業団に移され、1990年、清算事業団からも解雇された国労組合員らの不採用問題を巡って、2010年4 月9日、与党3党(民主党、社民党、国民新党)及び公明党と政府(国土交通大臣、財務大臣、内閣官房長官)の合計7者が署名した政治解決案が正式決定し た。これを受けた4月12日、被解雇者の大半を組織してきた4者・4団体(国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労 争議団鉄道運輸機構訴訟原告団、国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議)は、この解決案の受 諾を決定した。1987年の国鉄解体以来、23年もの長きにわたって続いてきた国鉄闘争は、一部を除いて終結に向かうことになる。

 解決案の内容は、(1)和解金(原告個人に対するもの)一人平均1563万3750円、(2)団体加算金(4者・4団体に対するもの)58億円(572 万円×1029名)となっている。4者・4団体が求めてきた雇用・年金・解決金のうち年金・解決金については、原告団員らの要求にほぼ沿った水準となっ た。

 この成果をもたらしたのが、鉄建公団訴訟とその原告団の力にあることはいうまでもない。2000年、4党合意によって国鉄闘争の解体を狙う政府・自民党 と、闘う国労組合員らに不当な統制を加えようとした労働組合官僚の妨害を突破して、被解雇者が鉄建公団訴訟に立ち上がったことが今回の地歩を切り開いた。 4党合意を受け入れ、闘いの旗を降ろしていたら、国鉄闘争は敵の狙い通りに解体し、被解雇者は80万円の「手切れ金」で路頭に迷っていたに違いない。

  一方、解決案が「政府はJRへの雇用について努力する」としたものの、「JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用される ことを保証できない」との内容が示されたことは、被解雇者に雇用をあきらめさせようとするJRの不当な策動に加担するものであり、強く抗議する。国鉄「改 革」当時、多くの政府機関、地方公共団体、そして民間企業までが国鉄職員の再就職に協力してきた中で、国民の公共交通としての国鉄を引き継いだJRが採用 に非協力を貫くことは決してあってはならない。高い公共性を有する企業として、雇用責任を負っているJRは直ちに被解雇者を職場に戻さなければならない。

 JR各社が、「最高裁で勝訴したのだから自分たちは彼らを雇用する義務がない」と考えているなら、大きな誤りである。「法に違反さえしなければ、いや法 に違反しても、自分たちがやれば合法なのだ」という傲慢な姿勢こそが、JR体制の堕落と腐敗を加速度的に進行させてきた。23年間、被解雇者たちがただ1 つの法さえ犯すことなく闘っているそのときに、JR各社は水泥棒、労働委命令無視、バッジ着用者への不当処分、テナント商店追い出しなど暴虐の限りを尽く してきた。尼崎、信楽、羽越では弁明のしようもない大惨事を引き起こし、多くの乗客の命を奪った。23年間、ひたすら違法脱法行為を繰り返してきたJR に、最高裁での勝訴を喧伝する資格などないのだ。

  指導部、そしてすべての被解雇者は、政治の場で歪められ、大幅に後退させられた雇用を巡ってなお闘いを続ける必要がある。被解雇者の再雇用をあきらめるこ とは、23年間法律を犯し続けてきた脱法企業に屈することと同じである。国民の公共交通としての使命を忘れ、利潤主義の奴隷となったJRの正常化を目指す 闘いは、被解雇者をJRに戻すことから始まらなければならない。


 当研究会は、不採用問題を解決し、JRを正常化する中から鉄道の未来展望を切り開くことを目的に活動する鉄道ファンの任意団体として発足した。そのた め、発足当初は不採用問題解決をもって解散し、鉄道ファンとしての趣味活動に戻ることを予定していた。しかし、発足以来の闘いの中で当研究会は、安全問題 をはじめ、ローカル線問題、並行在来線問題等、国民のために解決すべき多くの重要課題を認識した。これらのすべてが民営化と密接に関連している。

 当研究会は、不採用問題解決後も活動を継続する。今後は、破たんを迎えた民営JR体制を清算し、新たな公共交通としての輸送形態を確立する闘いを展開しながら、引き続き被解雇者のJR復帰を求めていく決意である。
 

  2010年4月20日
  安全問題研究会

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