三陸海岸ぐるり周遊記

2002年のGWを利用して、東北は三陸を旅してきました。
今回の旅行の目的は、今年12月1日の東北新幹線八戸延長(注1)を控え、秋から冬にかけて大変動が予想される東北地方の今の姿を記録するこ と、東北各線未乗区間の乗りつぶし、未だタブレット閉塞が行われている八戸線探訪などいろいろあります。
今回はあくまでも旅行記なので、鉄道の乗車レポートだけに偏らないように注意しながら、三陸地方を思う存分堪能したGW模様を綴ってみたいと 思います。

旅程1日目(5月2日)〜「ムーンライトながら」で移動
1日目は移動のみ。夜、名古屋23:41発の「ムーンライトながら」(372M)で出発。翌朝4:42、東京着。GW4連休前日なのにムーン ライトながらが取れるなんて、珍しいこともあるものです。

旅程2日目(5月3日)
・東北新幹線は快適そのもの
東京からは朝1番の東北新幹線「やまびこ271号」で北上。東北へ向かう新幹線の改札口には長蛇の列! これからGWということもあって、列 に並んだ旅人たちの顔には喜びの表情が見えます。東京駅では盛岡、秋田、山形、新潟、長野に向かう客がみんな同じホームから新幹線に乗るので 混雑もものすごいですね。「あさひ」と「あさま」が同じホームから発車するため、外国人乗客などを中心に乗り間違いが後を絶たないとも聞いて います。なぜそんな紛らわしい愛称にしたんでしょうねえ? 上越新幹線開業以来の愛称だった「とき」の名がなくなって結構経ちますが、いっそ 「あさひ」をやめて上越新幹線を「とき」と「たにがわ」の2本立てにしていればそんな乗り間違いも起こらずに済んだだろうに・・・。
などと思っているうちに、8:22、盛岡着。「ながら」で夜明け前から東京入りし、早くから並んだ甲斐あってなんとか自由席に座ることができ た(指定券が取れなかった)おかげで快適そのものでした。
盛岡ではなんと乗り継ぎ時間が2時間近くあるので、喫茶店で暇つぶし。いきなり非効率きわまりない日程です。(^^;;

・「ぐるっとさんりくとれいん」で宮古へ〜海の幸を味わう
盛岡10:18発の山田線臨時快速「ぐ るっとさんりくトレイン」号(9636D)(注2)に乗車。車両は盛岡支社所属のジョイフルトレイン「Kenji号」(キハ 28・58系)が充てられています。kenjiの名称は、もちろん当地出身の作家宮沢賢治にちなんだものです。そしてこのkenji号、筆者 が99年1月に花輪線の撮影に出向いた際に、安比高原スキー場に向かうスキーヤー用列車「ウィ ンターリゾートトレイン」(注3)として運転されているのを見てから、一度乗りたいと思っていた車両。3年越しの希望がかなった わけですが、「ぐるっとさんりくトレイン」の愛称はなんとかならないものか。JR東日本もネーミングセンスがないなぁ・・・(汗;;
ハイデッカー構造の車両は展望に優れ、座席の座り心地も旧型車にしてはなかなかで、客層は家族連れが中心。先頭の展望席では、前方を見ながら 歓声を上げる子供たちの姿もあり、ほほえましい光景です。車内に沿線の観光施設の割引券が備え付けられているなどなかなか気が利いているので すが、トイレが3両編成に1両しかないのは不親切ですね。子供やお年寄りなど、トイレが近い人たちも多いのですから、もっと増やすなどの配慮 はあっていいと思います。
山田線は、北東北を横断し、内陸の盛岡から沿岸の宮古へ抜ける路線だけに勾配は急で、途中区間には戦時中に勾配区間で殉職したSL機関士の碑 なども建てられているそうです。また、全国のJR線ではここだけになった連査閉塞式(注4)が使われている珍しい線区でもあります。
途中の茂市では、左から岩泉線の線路が寄り添ってきます。この岩泉線、未乗区間なのでぜひとも今回の旅程に繰り入れたかったんですが、列 車が1日3本、しかも盲腸線で、三陸海岸に抜けるバス路線があるにはあるものの接続もめちゃくちゃという最悪の条件に泣く泣く諦 めました。今、JR東日本管内では1、2を争う不採算線区といわれる岩泉線だけに、このまま乗らなくてもいずれJR全国全線完乗達成を 宣言できるかもしれないという我が心の中の悪魔のささやきに負けてしまいました(爆)。うぅ、すまん。(^^;;
そんな山田線を時折快速や普通列車と行き違いながら12:14、三陸海岸の宮古駅到着。「ぐるっとさんりくトレイン」はこの後、宮古から釜石 線経由で盛岡に戻るまで、文字通り「ぐるっと」一周するのですが、宮古観光の客のためここで14時10分まで2時間の大休止があります。私は 今後の乗りつぶしのことも考えると先に進みたいので、宮古13:13発の普通642Dに乗ることにして、この待ち時間を利用して昼食を取るこ とにしました。
宮古といえば三陸、三陸といえばなんといっても魚! 魚ですよダンナ! ええ、魚ですとも(^^;; ってわけで、食い気の張った筆者の頭の 中はもう魚料理一色です。頭の中を「おさかな天国」がエンドレスで流れてます(笑)
面倒くさがり屋の筆者は、あまり遠くまで食事に行く気がしなかったこともあり、宮古駅前の「魚彩亭すみよし」という魚料理店を 選びました。中に入ると初老の夫婦など、いかにもいい雰囲気のお客さんが真っ昼間なのに一杯加減になりながら旅の四方山話に花を咲かせていま す。私も、その片隅の空いている席に滑り込みながら「ほたて丼」(\1,200円也)を注文。
それにしても、日本有数の漁港を擁する駅前一等地の料理屋ということもあってかなんというブルジョア価格なことよ! 「海鮮丼(並)」 1,500円、「鉄火丼」1,800円などといった値札がついていて、日頃から丼といえば牛丼(並)280円しか知らない筆者にとってはカル チャーショックです(爆)
運ばれてきたほたて丼は、ご飯が見えなくなるほどに一面ほたてが乗っていて絶品! 冷たいほたてを口に含むとコリコリと歯ごたえがあり、これ まで食べたどんなほたて貝とも違っています。う〜んマンダム、じゃなくて満足(をぃ
このお店、値段こそ高いけどその値段に見合ったボリュームと味はあります。機会があればぜひまた行きたいお店です。
お店を出た後は、せっかく宮古へ来たんだから魚料理をここだけで終わるのももったいないと、夕食用の魚を物色(おいおい・・)。駅前の売店で 「この店で一番売れている魚の駅弁下さい」と図々しさ百倍の質問をしたところ、紹介された「かにちらし弁当」(製造販売元:(有)魚元)を 買い、列車の到着を待ちます。

・引き続き山田線・釜石線の旅〜沿岸なのに海が見えないっ!
再び山田線の人となった筆者。三陸海岸沿いに南下し、かつて新日鐵のラグビー部が有名だった釜石を目指します。時刻表の巻頭地図を見ると、い かにも沿岸部を走っていて海が見えそーな雰囲気にワクワクするのですが、意外にも内陸を走っていて海はほとんど見えません(缶ビールを飲んで いた筆者が車内で寝ていた、というオチではないので念のため)。そういうわけで途中の沿線風景はあまり変わり映えしない感じがします。途中の 「吉里吉里」という駅は、おそらく井上ひさし氏の「吉里吉里国」(注5)のモデルになったところなのでしょう。やがて、釜石到着直前になって 海が現れ、家族連れが潮干狩りをしているのが見えました。14:24、釜石着。
釜石からは、釜石線の急行「陸中4号」(604D)に乗ります。「陸中4号」はキハ110系4両編成です。キハ110系自体は、東京・八高線 で以前乗ったような気もしますが・・・。2分の乗り継ぎで慌ただしく発車。再び東北の深い山を越え、16:37、盛岡着。キハ110の走行性 能はさすがですね。旧型車のキハ28・58と乗り比べてみたことで、その高性能がより一層際だっていた気がします。

・新幹線開業で消える運命(?)の「はつかり」に乗り八戸目指す
盛岡でも5分の乗り継ぎと相変わらず慌ただしさ百倍のスケジュール。今度は東北本線の特急「はつかり17号」(1017M)で一気に八戸目指 します。自由席はすでに満員で、やむなく景色を見るには最も好都合なデッキのドアのそばに立ちん坊(汗;;;
接続列車の到着を待ち、3分遅れで発車。列車は一気にスピードを上げます。途中、一戸、二戸、金田一温泉、三戸と停車(注6)。新幹線停車駅 となる予定の二戸では、建設中の新幹線がその偉容を表します。いよいよあと7ヶ月後には、ここを新幹線「はやて」が走るのです。山形・秋田の ような新幹線「もどき」ではなく、正真正銘のフル規格新幹線です。
「はやて」が走りはじめると、並行区間の東北本線は第三セクター鉄道に移管されます。とりあえず、なんとかレールは残せましたが、第三セク ター会社がJR貨物に対し、線路使用料の大幅引き上げを通告したらしく、在来線は前途多難な気がします。ホント、そんな調子で貨物列車や寝台 特急はどうなるんでしょうか?
やがて17:54、まだ西日がまぶしい八戸駅に到着。ふと時刻表の地図を見ると、今朝、新幹線で盛岡入りしてからこの「はつかり17号」で三 戸を通過するまで、途中一度も岩手県を出ていなかったことに気づき、改めて岩手県の広さを実感(岩手県の面積は北海道に次ぎ2位)。

・タブレット閉塞の残る八戸線へ
筆者の当初計画では、ここで今日の旅は終わり、八戸に一泊の予定だったのですが、その計画を変更して今日のうちに八戸線種市まで入ることにし たのは、筆者の鉄の友人(奈良県在住。無類のタブレット・腕木信号機好き)が偶然にも八戸線に来ていることを連絡で知ったから。友人の計らい で種市に宿も確保できたので、まだ明るい八戸線を種市に向かいます。
ここ八戸線は、いまだにタ ブレット閉塞(注7)が残るローカル線。現在、栄光ある日本一の低性能車(?)、キハ48形気動車がトコトコとやってきました。 祝日ということもあり、車内はのんびりムード。ボックス席で相席になった一杯加減のオヤジさんは話し好きな人で、私が名古屋から来たというと 驚いた様子で「こんな何もないところへ来てくれて大歓迎です」なんて地元観光協会の関係者みたい・・・(笑)。私が、種市駅前の宿に泊まると いうと「種市駅前? ああ、ステラマリンじゃないかなぁ?」などとおっしゃいます。お孫さんでしょうか、小学校3年生の女の子 を連れています。彼女は、引っ越していった元クラスメートが名古屋にいるらしく「名古屋のどの辺?」と聞きましたが「分かんなーい」。まぁ、 3年生だし仕方がないか。
列車の方は、八戸発車後、へろへろと左にそれていく謎の線路(注8)を見ながら陸奥湊で454Dと交換、早くもタブレットの受け渡しです。列 車は相変わらず黄昏時の海を見ながら進みます。階上(はしかみ)でも458Dと交換。タブレット閉塞にしては、行き違いの多い路線です。
やがて、夜の帳が下りる頃、種 市(注9)に到着(19:12)。今日の旅はここまでです。偶然来ていた友人の出迎えを受け、2人でタブレット交換風景の撮影を した後、早速今晩の宿に向かいます。
着いたところは、果たしてオヤジさんの言っていたとおりの施設、ステラマリンでした。さすがです。この施 設、元はダイバー向けの施設らしく、色々とその方面の設備が充実していました。私は、ダイビング=南国のイメージがあったので、ここ種市でダ イビングが盛んに行われているのには少々びっくりしましたね。
宿に入った後は、飲んべの友人と例によって宴会。

旅程3日目(5月4日)
・三陸鉄道はトンネルばかり・・・
友人に見送られ、宿を出た筆者はここで友人と別れます。またとない乗りつぶしのチャンスとあって、これ以上のスケジュール変更は無理です。
種市8:16発の425Dで出発。相変わらず進行方向左手は海がきれいです。久慈に9:03着。「くじにくじ」なんてギャグではありません (爆)
久慈は、JRと三陸鉄道の乗り継ぎ駅です。三陸鉄道は、旧国鉄久慈・宮古・盛の3線を引き継ぎ、84(昭和59)年に開業した日本最初の第三 セクター鉄道(この三陸鉄道の営業成績が意外に良かったので、鉄道を諦めかけていた特定地方交通線沿線が相次いで第三セクター化に踏み切った ことはご承知のとおり)で、今年で開業18年目になります。
三陸鉄道の駅舎はJRの隣にありました。硬券入場券があったので即ゲット。9:40発の北リアス線5110D〜5214Dに乗り込み 9:40、発車。車内放送にはなんと国鉄気動車チャイム(mp3、 115KB)が使われています。最近はJRの列車でもなかなか聞けなくなったチャイム、懐かしいで す。
三陸鉄道は、「第三セクター鉄道の優等生」と言われるだけあって車内は混雑しています。それも観光客頼みではなく、地元の人たちとおぼしき軽 装の客ばかりなのです。第三セクター鉄道といえば、盛り上げに一生懸命なのは行政だけで、地元の人たちは知らんぷり、車内は観光客と鉄道ファ ンばかり・・・という光景に慣れすぎてしまったせいか、優等生と言われるわけが分かった気がします。それはいいとして、なに? このトンネル の多さは? なんか、駅間はほとんどトンネルで、駅、トンネル、駅、トンネル、駅・・・の繰り返し。例えるなら山陽新幹線新神戸駅のよ うな感じです。そういえば、「時刻表ひとり旅」(注10)という本に、こんなことが書いていたっけ。
 

宮古線  三陸海岸の宮古です。ぼく、昭和47年生まれなもんで、まだわからないことばっかりだけど、 いったい、おじさんたち、ローカル線って言われたいの、言われたくないの、どっちなの?
越後線  子どもは黙ってなさい。キミたちはミルク育ちのトンネルだらけ。新幹線そっくりで、海どころか外も 見えやせん。(以下略)
松浦線(注11)  長崎県の松浦です。きびしい海の眺めなら私におまかせくださいと申し上げようと思ってい ましたところ、思いがけぬ越後さんのご発言にはびっくりしました。越後さんの窓から海の見えるところ、1個所でもありました かな。
越後線  海は見えんが、トンネルなど1つもありませんぞ。
松浦線  トンネルがあってはいかんというご意見ですか。
議長  ちょっと待ってください。なにがなんだかわからなくなってきた。(以下略)

というわけで、トンネルだらけで外が見えない三陸鉄道に対し、筆者は「もぐリアス線」の称号を進呈します(爆)
列車は宮古、釜石を経て13:25、盛に到着。宮古では待ち時間がなく、昨日ほたて貝に舌鼓を打った「魚彩亭すみよし」再訪の夢はかないませ んでした(泣)。

・後はひたすら乗りつぶし
盛からは大船渡線の快速「スーパードラゴン」(3336D)に乗ります。相変わらずセンスのないネーミングでなんだか高速バスの愛称みたいで すが、それでも日本語と外来語のごちゃ混ぜでないだけ「ぐるっとさんりくトレイン」よりはマシでしょう(おそらく愛称の由来であろう大船渡線 の別名「ドラゴンレール」にしても、なぜドラゴンなのか謎です)。13:28、発車。この大船渡線も、沿岸から内陸の一ノ関へ抜ける横断路線 で山越えの雰囲気が濃い路線ですね。途中、猊鼻渓の付近だけは景色がいいなぁと思いました。なんか、時刻表見ると船も出ているみたいですが (山岳・渓谷地域によくある川下り船でしょうか)。15:41、一ノ関着。5分の乗り継ぎで東北本線小牛田行き540Mへ。「はつかり17 号」以来、久しぶりの電車は701系2両編成。16:33、小牛田着。7分乗り継ぎで仙台行き1574Mへ。仙台より2つ前の岩切で 1574Mを捨て、東北本線の岩切〜利府間、通称「利府線」へ。東北本線に残る「枝線」区間(注12)です。筆者はここに乗っていないために 東北本線の全線完乗を達成できないままになっていたのです。岩切17:19発の利府行き4449Mで軽やかに(?)制覇(17:26着)。在 来線としては日本一長い東北本線の全線完乗達成記念に写真でも・・・と思いましたが、あいにく雨が降っています。
帰りも同じ編成の列車4444Mで折り返し(17:50利府発)、18:08、仙台着。しかし、なぜ利府線の列車が455系で、本線が701 系なんでしょうか。鉄道ファン的常識で言えば逆なんですが、どーも一般人の常識と鉄の常識は異なるようです。
旅程3日目、5月4日の行程はこれで終わり。今夜は仙台泊まりです。

旅程4日目(5月5日)〜鉄を忘れ、ひたすら即売会三昧!?
東北旅行も早4日目となる5日はこどもの日。だからというわけではないんでしょうが、仙台で「大きなお友達」向けのイベント、「仙台コミケ 105 GW2002」(もちろんオールジャンル)が開催されました。筆者は仙台在住の大きなお友達(笑)とともに参加。目立った収穫はありませんで したが、それでも2点ほどゲット。しかし、なんでよりによってシスプリ千影便せんなんか買ってるんだろう・・・(謎)
即売会参加後はアニメイト、メロンブックスとお決まり(?)のコースを歩みながら仙台の町を物色です。午後、案内役のお友達が所用で帰らなけ ればならないので仙台駅へ見送ります。では、また来世(核爆)
その後は仙台駅前のラ○ックスで暇つぶし。

こうして東北での全ての日程を終えた筆者は、仙台から「スーパーひたち62号」(62M)で上野目指します。東北新幹線だってあるのに、な ぜ筆者が常磐線にこだわったのかというと、やっぱり岩沼〜いわき間が未乗区間だったから。
スーパーひたちに揺られること4時間あまり、ついに上野到着(22:34)。そのまま「ムーンライトながら」(375M)に乗り換え、翌6日 早朝名古屋へ。

東北を駆けめぐったこの旅行では山田線、釜石線、八戸線、三陸鉄道北リアス線、同鉄道南リアス線、大船渡線、東北本線、常磐線の全線完乗を 達成しました。
1回の旅行で8線区とは、最近では例を見ない荒稼ぎです。でも、東北・北海道の全線完乗地図はまだ真っ白の状態で、全線完乗達成は果たしてい つになるのやら・・・。

最後にあたって〜お礼
今回の旅行では、偶然にも八戸線で一緒になったJ.S氏(奈良県在住、筆者の友人)には種市の「ステラマリン」の手配、また現地まで案内いた だくなどお世話になりました。また、仙台在住のヴァーストフさんには、仙台即売会の案内等で大変お世話になりました。末筆にあたり、お二方に 感謝の言葉を述べさせていただき、旅行記の締めくくりとします。

(終わり)
(注1)東北新幹線八戸延伸・・・「全国新幹線鉄道整備法」に基づくフル規格新線として2002年12月1日開業予定。新幹線列車の愛称は「はや て」となることがすでに決まっている。開業後、並行在来線(東北本線)は第三セクター鉄道に移管される。
(注2)写真は2002.5.3、山田線宮古駅にて撮影。
(注3)写真は1999.1.15、花輪線荒屋新町駅にて撮影。
(注4)連査閉塞式・・・タブレット閉塞などと同様の非自動の閉塞方式のひとつ。タブレット閉塞同様、閉塞機、電鈴、電話機により隣接駅同士が相 互連絡して閉塞を行う。一方の駅の出口に設けられた地上子の上を列車が通過後、もう一方の駅の入口の地上子を列車が通過するまでの間は両駅間に列 車がいるものと見なし、他の列車を進入させないことによって安全を確保する。駅の信号は地上子に連動しており、列車通過後自動的に赤になるが、駅 間に軌道回路を持たないという方式ゆえに閉塞それ自体は両駅間の人間同士の連絡により行わなければならないという特徴がある。
(注5)「吉里吉里国」・・・昭和39年に井上ひさし氏の脚本で放送されたNHKのラジオドラマ。東北地方の寒村が「吉里吉里国」として日本から 分離独立する、というフルった設定。このドラマのおかげで井上氏は「以後、NHK芸能局からいっさいお声がかからなくなった」と述懐している (笑)。
(注6)岩手・青森両県には、一戸から順に九戸までの地名が全部存在する。正確には、それぞれ二戸郡一戸町、二戸市、三戸郡三戸町、三戸郡五戸 町、上北郡六戸町、同郡七戸町、八戸市、九戸郡九戸村で、一・二・九が岩手県、それ以外が青森県。四戸については、自治体の名称としては存在しな いが、集落の名称としては存在する。なお、釜石線が走る岩手県遠野市付近は昔、十戸(とおのへ)と呼ばれたという。
(注7)写真は2002.5.3、八戸線陸奥湊駅で撮影。
(注8)後で調べて分かったが、八戸臨海鉄道の貨物線。
(注9)写真は2002.5.3、八戸線種市駅にて。写っている列車は筆者の乗車したものではなく、八戸行き上り462D。
(注10)宮脇俊三著、講談社現代新書、1981年。引用部分は「国鉄全線大集会」から。
(注11)松浦線・・・現・第三セクター松浦鉄道。
(注12)枝線・・・本線から分岐しながら独立した路線名を持たず、本線の一部とされている区間をいう。不採算のため多くが廃止になったが、現在 でも東海道本線大垣〜美濃赤坂間、山陽本線兵庫〜和田岬間などがある。

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