のと鉄道最終日レポート  2001/03/31

3月も今日で終わりですねぇ(^^;;
3月が終わると、のと鉄道穴水〜輪島間も廃止になります。 というわけで、私、今輪島におります。
本当は日帰りする予定だったんですが、せっかく来た以上は能登線のほうも乗ってやろうという気持ちが湧いてきまして、乗っているうちに帰れな くなってしまい、今夜は輪島駅前の某民宿に一泊、明日帰宅します。
それにしても、廃止線の最終日に乗りに来るのなんてほんと、久しぶりです。
それでは、自称のと鉄道レポーター・タブレットがのと鉄道最終日の模様をレポートします。
  
今朝、私の地元の名古屋を「しらさぎ1号」で出発。金沢で「サンダーバード7号」に乗り継ぎ、和倉温泉12:11着。そのまま、のと鉄道の 「のと恋路号」に乗り、珠洲へ行きました。本当は蛸島まで行きたかったのですが、時間がないので珠洲からレールバスで穴水に戻り、16:34 発の輪島行きレールバスでいよいよ廃止区間の旧七尾線(穴水〜輪島)へ。
2両編成のレールバスは鉄ちゃんで埋め尽くされ・・・と思いきや、鉄ちゃんは意外に少なく、「最後の乗り納め」をしようという地元の人たちで 大盛況。発車時刻を過ぎているのに悠然と杖をついてくるバアサマ、蛸島行きと間違えて輪島行きに乗ってしまい、発車直前になって「降ろしてく れぇ〜」と悲鳴をあげる家族連れなどで若干混乱気味の中、レールバスは8分遅れて穴水発車。33キロレールという劣悪な環境のもと、30キロ 制限でのそりのそりと進みます。途中の沿線では、鉄ちゃんたちのフラッシュの洗礼。
やがて列車が輪島に到着すると、駅舎全体がこれでもかとばかりに飾り付けられ、列車到着をいまや遅しと待ち受けた地元の人たちによりお別れセ レモニーが始まりました。
セレモニーの冒頭、まず「輪島市のと鉄道利用促進協議会」の清水敦会長が「昭和10年7月30日に開業以来65年・・・鉄道はなくなるが、も う一度駅前広場に活気を取り戻そう」と挨拶。続いて挨拶に立った梶文秋・輪島市長は、のと鉄道が廃止に追い込まれた原因として「昭和57年に 能登半島道路が開通し、輪島〜金沢間に高速バスができたのが痛かった」と指摘。さらに、西田和行・のと鉄道社長が穴水〜輪島間の沿革について 述べるとともに、鉄道を支えてくれた地元の人々にお礼を述べたあと、花束贈呈、地元・輪島高校吹奏楽部によるミニコンサートと続きました。そ して、蛍の光が吹奏されるなか、18時32分、8分遅れで発車した輪島発七尾行きレールバスを関係者、市民、鉄ちゃんが一体となって見送り、 セレモニーは終了。
マスコミ関係では中日・北陸・北國各紙のほか、地元テレビ局が取材にきており、輪島駅の狭いホームはごった返していました。
  
まもなく、21:00過ぎに最終列車が出ると、輪島駅は歴史の中へと消えてゆきます。
65年間、本当にお疲れさまでした。
時ならぬ寒波が訪れたここ輪島では、穴水〜輪島間の廃止を悲しむかのように、季節外れの冷たい雪が降っています。
私は、明日、運転開始初日の「転換バス」に乗り、ここ輪島を後にします。
  
ただいま、最終列車が出ました。(^^;;
お疲れさまでした。

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