最後の「密着」取材パート2! 特急「北アルプス」最終報告
(2001/10/02発表)

この週末、特急「北アルプス」号に乗車してきましたので、そのラストランの模様をレポートします。

9月29日土曜日午前11時半過ぎ、名鉄新名古屋駅は人でごった返していました。そのほとんどが「北アルプス」目当て。
元々2面4線しかなく狭い新名古屋駅では、列車は発車直前に慌ただしく入線し、すぐに発車してしまいます。
やがて11時45分過ぎ、お目当ての北アルプスが入線。大量の「さよなら乗車組」がなだれ込み、列車は早くも超満員の状態で発車。通路まで人がひしめき合うほどの大混雑で、車掌による整理が行われていました。客層は・・・ほとんど鉄ちゃん!(爆)カメラや三脚を持っていたり、普通の格好をしている乗客も廃 止記念グッズを買い求めたり、駅弁の包み紙を持って帰ったりと行動は鉄そのものです。(笑)
  
新名古屋を発車した列車は地上に出ると、複線が平面交差する枇杷島分岐点から右に折れ、犬山線へ進路を取ります。元々線路条件の良い犬山線内は軽快そのも ので、車内が落ち着かないせいかあっという間に感じられました。
犬山遊園を過ぎると、つい数年前まで道路との併用橋だった犬山橋を徐行運転で渡り、いよいよ「北アルプス」のハイライト・・「鵜沼連絡線」(正式には何と言うのかわかりませんが)を通ります(名鉄時刻表では、新鵜沼「通過」扱いになっていますが、実際には新鵜沼駅手前に連絡線入口があるので、新鵜沼は通りません)。「北アルプス」車内では連絡線区間に入ると乗客ほぼ総立ち・・・って、をいをいここはライブ会場じゃないって(爆)
自転車ほどの低速でそろりそろりと列車が通過する連絡線の沿線には鉄ちゃんがびっしりで、途中の踏切では名鉄社員が警戒に当たるほど。車内から乗客が沿線の鉄ちゃんに手を振る和やかな交歓風景も・・。連絡線を1分ほど走るとJR高山線が寄り添ってきますが、ここでも反対側の空き地には人がびっしり! 空き 地には枕木を積んだ大型トラックが停まっていて、車体側面には「日本枕木輸送株式会社」の文字があります(^^;;;
JR線に合流した「北アルプス」はまもなく美濃太田に到着。ここで何と、全乗客の3分の2程度は降りてしまいます(私は、JR型の車内放送オルゴールが鳴り響く車内で、JR発行の指定券を持っていたせいかついうっかり忘れていたが、名鉄線内だけの乗車なら特急券すらいらないのだから、この混雑具合も当然だったなと後になって気づく)。
  
美濃太田でJRからやってきた「ひだ7号」を併結して「2階建て」となった「北アルプス・ひだ7号」の車内は、大量のさよなら乗車組が下車したこともあって落ち着き、ようやく観光列車らしくなります。
高山線の車窓は風光明媚で、その美しさは全国の鉄道でも一、二を争うでしょう(私の主観含む)。
途中、上麻生では「ひだ8号」と交換のため運転停車。続く飛水峡(信)でも4718Cとの交換のため一時停車し、車窓右手に広がる美しい飛水峡の眺めを楽しませてくれます。白川口付近は高山線でも最も山深い場所で、私が2年前、廃止される急行「たかやま」に乗りに行ったときには大雨で「たかやま」が徐行運転を強いられた付近。しかし天候に恵まれた今日、「北アルプス・ひだ7号」は軽快に走り抜けます。
やがて14時12分、「北アルプス・ひだ7号」は無事定刻に高山にたどり着きました。
  
帰りも「北アルプス・ひだ18号」に乗ることにした私はダメ元で指定券を求めて窓口へ。意外にも指定席はすんなり取れてまたまたびっくり。
往路とは逆に美濃太田で「ひだ18号」と分かれて連絡線から名鉄線に入った「北アルプス」が新名古屋に近づくと、北アルプス号の運転中止と乗客への感謝を表す粋な車内放送が・・・。
下車準備を始めた乗客で車内がざわつく中、列車は新名古屋に到着しました。
  
新名古屋行き「北アルプス号」さよなら放送を聴く

歴史と伝統に彩られた異色の私鉄〜JR連絡特急は、こうして大勢のファン・乗客に名残を惜しまれながらその使命を終えました。
さて、そうなると気がかりなのが「北アルプス」用キハ8500系の今後。
キハ8500のデッキに取り付けられていた車両銘板には「平成3年 日本車輌」の文字がありました。
鉄道車両にとって10年はまだ「青年」。脂が乗って働き盛りの時期を迎えるのはむしろこれからなのに、このまま引取先も見つからないのではあまりにも哀れです。
なんとか、彼らに新天地が見つかることを期待して、レポートを終えたいと思います。

注)その後、キハ8500系はJR線直通仕様なのが幸いし、会津鉄道へ譲渡された。

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