2002(平成14)年7月1日、高知県・土佐くろしお鉄道阿佐線(通称「ごめん・なはり線」、後免〜奈半利間42.7km)が開業した。管理人は、この開業初日に出かけてきたので、その模様をここにレポートすることにする。
1.阿佐線の沿革
阿佐線は、鉄道敷設法(大正11年法律第37号)の制定と同時に計画路線となった。官営鉄道として国が建設する予定線の一覧表である鉄道敷設法別表の第107号として「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」がある。これが阿佐線の最も古い計画である。日和佐とは現在のJR牟岐線の駅で、古庄とは徳島県那賀郡羽ノ浦町にある地名。附近には牟岐線羽ノ浦駅がある。その羽ノ浦は、牟岐線で徳島から南へ下って9個目の駅であり、おそらくは高知から安芸〜室戸岬を経て徳島まで路線を延ばすつもりだったと思われる。今から考えれば壮大な「四国南岸環状鉄道」である。
このように計画自体は壮大だった鉄道計画だが、実際には徳島〜海部間が国鉄牟岐線として開業したにとどまり、海部〜後免間は手つかずであった。旧国鉄は、1965(昭和40)年にようやく起工式を行い阿佐線建設に取りかかったが、遅々として進む気配のない工事に地元は苛立ち、1978(昭和53)年6月には「阿佐線建設促進総決起大会」が開かれている。しかし、そうした地元の熱意も虚しく、国鉄財政悪化の中、1980(昭和55)年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が成立。そのあおりを受けて翌1981(昭和56)年、とうとう阿佐線建設工事は中断に追い込まれた。
国鉄改革に当たって、私鉄か第三セクターなど国鉄と別個の責任ある経営体により建設・開業後の運営が引き受けられない限り、凍結となったローカル新線の工事はいっさい認めないとする政府の立場は強硬だった。このため、凍結となった予定線の多くはこの段階で息絶えたが、阿佐線の場合は1986(昭和61)年に設立された土佐くろしお鉄道が引受先となることが決まった。もともと土佐くろしお鉄道は、国鉄の第3次特定地方交通線であった中村線(高知県・窪川〜中村間)を引き受けさせることを最大の目的としていたが、この中で阿佐線も同社が引き受けることになったわけである。
凍結されていた阿佐線計画は奇跡的に息を吹き返した。建設工事は同社の手によって再開され、2001(平成13)年12月にはレール締結にこぎ着けた。今年に入ってからは試運転も始まり、4月には地元出身の漫画家・やなせたかし氏が自らデザインした車輌に試乗するなど開業に向け一気に気運は高まった。
こうして、ついにこの日、国鉄による起工式から37年目にして開業を迎えたのである。
2.2度目の四国入り〜初日は全線フリーで乗り歩き
私にとって四国入りは2度目である。1度目は1989年だったか1990年代の初頭だったか思い出せないが、瀬戸大橋線快速「マリンライナー」で高松入りした記憶がある。学生時代のことだったから、どちらにしても10年か、それ以上経っていてとても懐かしい。
阿佐線開業前日の6月30日、新幹線で名古屋を出る。岡山までは2時間で確実に早くなっている。そう言えば前回の四国入りの時、まだ「のぞみ」はなかったっけ。
岡山到着後、いろいろ考えた末今回もマリンライナーを使うことにした。当時と違い、今は2番目のルートとして淡路島経由の高速バスという手があり、こちらにもかなり心が動かされたけれど・・・
10数年ぶりに乗るマリンライナーからの瀬戸内海の眺めはやはり壮大ですばらしい。本四備讃線(瀬戸大橋線の正式名称)の開業は1987(昭和62)年。ちょうど津軽海峡線を通じて本州と北海道がつながったのもこの年だったため、生まれたばかりのJR各社によって「一本列島」キャンペーンが行われ、ブームになったものである。当時、初めて瀬戸大橋線を列車で渡るときは期待で胸が高鳴り、海を渡っている10数分の時間は瞬く間に終わってしまったことを覚えている。それから10数年後の今日、再び瀬戸大橋を渡った感想は「海の区間、こんなに長かったかなぁ?」である。当時と比べて歳を取った私。感動を忘れてしまったのか? それとも、当時と比べて踏破線区が増え、ちょっとやそっとじゃ驚かない体質になったのか? いずれにしてもちょっぴり悲しい。ほんの小さな出来事にも感動を忘れない「少年の心」でいたいのにぃ(泣)。
阿佐線の開業は明日なので、四国入りを果たした後はまず乗り歩きをする。今日は日曜日、JR四国全線が土日、祝日、振替休日、正月3が日に限って乗り放題になる「四国全線週末乗り放題きっぷ」なるモノを発見。10,000円とちょっと高いが何とか元は取れそうだ。読んで字の如くJR四国全線に乗車できるほか、土佐くろしお鉄道にも窪川〜若井間に限り乗車できる(このような特例が設けられている理由については後述)。
でも結局、四国入りしたのが昼前と遅かったこともあって、乗りつぶしできたのは土讃線と、土佐くろしお鉄道の窪川〜土佐佐賀間のみ。やっぱり乗りつぶしを真剣にやるならもっと早く来ないとなぁ(汗;;;
3.夕方、四国最果ての地で味わった珍体験
当初は窪川までの土讃線だけで引き返す予定だった私が、土佐佐賀駅までの土佐くろしお鉄道中村線に乗ったのには理由がある。自分が乗った「あしずり5号」と、折り返し乗車予定だった「南風24号」が土佐佐賀駅ですれ違うダイヤになっていて、しかも乗り換えに失敗すれば高知駅に着くのは夜8時前になってしまうというきわどい状況で、それでも土佐佐賀まで行ったのは窪川〜荷稲間に、鉄道ファンにとってきわめて面白い場所があるからである。
時刻表をお持ちの方は、四国の路線図をご覧いただこう。土讃線の終点は窪川、予土線は宇和島が起点で、窪川の隣の駅、若井が終点になっている。JRとしては、たった1駅、4.4kmの距離ながら窪川〜若井間で路線が「断絶」した形になっているのだ。この両駅間は国鉄時代に中村線だった区間で、そのまま土佐くろしお鉄道に転換し、土佐くろしお鉄道だけで結ばれている。JRでは他にお目にかかれない珍しい区間であり、土佐くろしお鉄道にとっては寝ていてもJRから通過収入が転がり込んでくる「オイシイ」区間でもある(^^;; このような事情で、全線乗り放題切符はこの区間だけ土佐くろしお鉄道の乗車を認めているのだ。
時刻表の路線図では土佐くろしお鉄道中村線とJR予土線が若井駅で分岐するかのように描かれているが、実際の分岐点は若井〜荷稲間にある川奥信号場である。高知方面からやってきた場合、この信号場で土佐くろしお鉄道が右に折れながら、まっすぐ正面に向かって伸びる予土線の線路を左に遠ざける形になる。しかも、川奥信号場から先はループ線(注1)である。「あしずり5号」に乗車しているとき、私は車内から自分の乗った列車が左手に予土線の線路を見ながら時計回りにループしていく様子がはっきり体感できた。この後、土佐くろしお鉄道の列車はトンネルに入り、トンネルのままグルリと時計回りにループしつつ予土線と交差し、結果的に予土線の南側に出ることになるわけで、書いている自分もなんだか混乱してくる(注2)。
※さらにおまけ・・・高知から窪川方面へ向かう場合、高知から窪川までは土讃線としてJRが線路を所有する区間であるが、窪川から若井までの1駅間、4.4kmは土佐くろしお鉄道の区間である。若井から川奥信号場まではJRと土佐くろしお鉄道の二重線籍区間となり、川奥信号場から先の区間は宇和島方面がJR、中村・宿毛方面が土佐くろしお鉄道の線路となるわけだ。・・・ああ、いかん、頭痛がしてきた(爆)
土佐佐賀駅で、列車から降りた私がすぐ反対方向の列車に乗り換える姿を見て、「南風24号」の若い女性車掌が怪訝そうな顔をしていたが、なりふり構っていられない。結果的に、無謀な「上下列車乗り換え」はうまくいき、私は18時半過ぎ、高知駅に着いた。今夜は高知泊まりである。高知駅前の「ビジネスホテル 吉萬」を確保。露天風呂付きで1泊6,000円は安い! ホテルに入った私はすぐさま缶ビールを飲みながらワールドカップ決勝戦を観戦。
それにしても、この日の高知の蒸し暑かったこと!
4.いよいよごめん・なはり線へ(1)・・・高知〜奈半利間の1番列車に乗る
7月1日。いよいよ阿佐線開業の日がやってきた。私が待ち望んだ日であることはもちろんだが、それより地元の人たちがどれだけ待ち望んだだろうか。なんせ工事開始から37年目の開業である。
欲張りな私は、どうせ来るなら後免駅発の始発列車に・・・ともくろんでいた。だが、前夜、後免駅に降り立ち旅館らしきものを探した時、全く見つからず、やむなく高知駅付近に宿泊を変更したのである。結局、高知から奈半利へ直通する最初の列車、832Dを選ぶことにした。
高知駅では、開業記念式の準備がほぼ完了していたが、832Dでは出発式は行われる気配がない。乗り合わせた人に聞くと、午前10時頃だろうとのこと。時刻表を見ると、10:10に高知を出る4862Dがオープンデッキ付き車両で運転されることになっており、開業式はその列車だろう・・・とにらんだ。「鉄道ジャーナル」の4月号誌上で、レイルウェイ・ライター種村直樹氏が「ごめん・なはり線開業初日には僕も現地に立ちたいと考えている」と述べていたことも思い出した(注3)。オープンデッキ付き車両は鉄道ファンを惹きつけるに十分の魅力があり、種村大先生もひょっとしてこの列車でお出ましになるかもしれない(^^;;
定刻通り8:30に発車した832Dは、後免までの区間はJR土讃線を走る。しかし、開業初日と言うこともあり沿線から体験乗車組がどっと押し寄せ車内は大混雑。どの駅でも乗降に時間がかかり、1分、また1分と遅れていく。中には、すれ違い駅で反対側の列車から832Dに乗ろうと跨線橋を上り下りしてくるお年寄りもいる。自分たちが列車を遅らせているのになんのその、かなりの強者である。でもよかったぁ! すれ違い駅で折り返し乗車なんてするの、鉄道ファンだけじゃなかったんだと少し安心(違)
832Dは8:54、定刻の8分遅れで後免に到着。いよいよ新規開業区間に入る。後免を発車した列車は勇躍、高架線上に上がる。列車の遅れはすでに15分に拡大しているが、車内にも沿線にも笑顔、笑顔、また笑顔である。これまで自分が乗り歩きしてきたのが廃止予定線ばかりだったせいもあるが、これほどまでに笑顔ばかりの鉄道沿線風景も最近珍しいのではないだろうか? 無理もない。鉄道を一番待ち望んでいたのは地元の人たちだからだ。乗り合わせた乗客によれば、高知から安芸・奈半利方面は、これまで片側1車線の国道が1本あっただけ。まさに「陸の孤島」だったのだ。
832Dは快速列車のため、いくつか駅を通過しながら主要駅に停車していく。相変わらず遅れが回復する気配はないが、慶事なのだし、そこは目をつぶることにしよう。阿佐線は、東部に入ると次第に海に寄り添うように走る。高架線の下に田や畑を見ながら、進行方向右手に雄大な太平洋が見える。海に近づくと、乗客から歓声が上がった。
途中の「球場前」駅は安芸市総合運動公園のすぐ前にある。安芸市野球場もその敷地内だ。阪神タイガースが毎年2月になるとキャンプを張っているのはこの球場なのだろう。安芸は阿佐線沿線では唯一の市で、もちろん最も大きな自治体である。ここで乗客がかなり入れ替わった。
安芸を出ると、列車はさらに海に近づく。伊尾木〜下山間の海の眺めはすばらしく、心を洗われるようだ。
やがて列車は9:52、定刻の14分遅れで終点・奈半利に到着。結局、遅れは回復できないままだった。
4.いよいよごめん・なはり線へ(2)・・・奈半利駅での開業記念式典のあと、駅を見る
奈半利駅に着くと、待ちかねたように開業式が始まった。832Dが折り返し10:05に4833Dとして発車するのに合わせた式典だ。準備はすでに整っていて、単線1本の奈半利駅の狭いホームの上は身動きできないほど人でごった返している。ただでさえ朝から蒸し暑い天気なのに、それが人いきれでさらに暑くなる。
式典はすぐに始まった。沿線の関係者が交々に祝辞を述べた後、テープカットが行われ、くす玉が割られる。定刻よりやや遅れて4833Dが発車すると、出席していた関係者から万歳三唱の声が上がり、式典はすぐに終わった。きれいに片づけられたあとの奈半利駅ホームは閑散として、急に静けさを取り戻した。これが、この駅の本当の姿に違いない。
静かになったので、奈半利駅を改めて見回してみる。ホームは高架線上でプツリと途切れる格好になっている。最後まで延長が模索された結果であろうか。駅前広場に降りてみると、1〜2階部分には物産会館のような施設があり、地元産の野菜などを売っている。ホームは3階部分にあり、隣接する駅舎には阿佐線に合わせて今日開店したばかりの「イタリア食堂 トンノ」という店があった。メニューはピザやパスタ、ハンバーグなどの肉料理の他、ビールにつまみもある。折り返し列車まで時間がある上、蒸し暑くて外にいるのが耐えられなかったので、午前11:00の開店を待って店に入り、ビールとつまみを注文した。3階部分に設けられているせいか、席によっては駅前広場を一望できる。阿佐線が軌道に乗れば、利用客も増えるに違いない。駅から徒歩0分という立地条件は最大の武器だと思う。
このお店に興味のある方、これから阿佐線で奈半利に行く方は問い合わせてみるといい。問い合わせ先は、0887(38)5569 「イタリア食堂 トンノ」まで。
5.いよいよごめん・なはり線へ(3)・・・オープンデッキ列車ではハプニング続発!
折り返し列車の発車時間が近づいてきた。白羽の矢を立てたのは11:58に発車する4865D、オープンデッキ車両だ。10:10に高知駅を、おそらくは開業記念式典で見送られて発車したと思われる列車の折り返しである。開業初日の阿佐線ダイヤは乱れに乱れているようで、この列車も定刻通りにはやってこない。
12:10を過ぎてようやく12:12頃に列車が見えた。オープンデッキに鈴なりの乗客を乗せた列車が到着。例によって客の乗降は遅々として進まず、時間ばかりが過ぎてゆく。
私は列車に乗ると、一目散にオープンデッキを目指す。オープンデッキは一度客室内に入ってからでないと出られない構造になっているが、何とか場所を確保できた。折り返し時間はとっくに過ぎており、客の乗降が終わるとすぐ発車である。
列車が動き出すと、自然の風が吹き付け、クーラーなんかよりよほど気持ちがいい。ことにトンネルに入ったときの風の気持ちよさといったら! 全身を冷たい風が駆け抜ける。
奈半利から2つ目の安田駅に着くと、マイクと放送機器を携帯電話につないでレポートしている女性を発見(後から調べて、生中継中の高知放送のラジオと判明)。列車が停車すると、オープンデッキがホーム側にあるのをいいことに、オープンデッキに立っている乗客へ、即興で「突撃インタビュー」が始まった。最初に2人ほどが彼女のインタビューを受けた後、なんと私にもいきなりマイクが回ってくる。「列車はどうだったですか?」というレポーターの問いに、一瞬頭が真っ白になったが、「風が気持ちよかったです」と無難に受け答える。その後、私の2人横に立っていたオッチャンにもマイクが・・・。そのオッチャンが「(列車が)遅れてごめん・なはり」と、お約束の寒〜いギャグをぶちかましてインタビュー終了。それにしても、まさかホントに言うなんて思わなかった。なんてお約束なんだ・・・ブルブル。あの〜、これ今高知県下全域に生放送されてるの、気づいてます? まぁいいか。昔から旅の恥はかき捨てって言うし。
しばらくすると、来たときと同様海が見え隠れし始める。列車が海に寄り添って走り始めた頃、ヘリコプターが列車に併走(併飛?)しているのに気づく(これまた、後で調べた結果高知放送と判明)。いやはや、とんだ大フィーバーである。乗客は相変わらずほとんど動かない。
やがて、途中駅の和食(「わじき」と読む。食いしん坊の筆者は「わしょく」と読んだがもちろん間違い(笑))では、ホームに降り立った乗客の中にどこかで見覚えのある顔が・・・。なんとレイルウェイ・ライター・種村直樹大先生である。やっぱり来てたのか。この車両で来ていると確信して奈半利駅のホームでは一生懸命探したが、乗降客の中に御大の姿は見あたらなかった。とすると、高知から乗車し、奈半利では乗車したまま折り返してきたに違いない。それはともかく種村先生、ホームから列車を見ながらニコニコ笑い、コンパクトカメラを向けて写真を撮っている。この笑顔・・・やはり、生まれながらの鉄道好きなのだ。レイルウェイ・ライターは先生にとって天職だと改めて思う。ふと、種村先生の後ろにやはりカメラを持った中年男性が1人、同行しているのを発見。「日本列島外周気まぐれ列車」(注4)のメンバーとは明らかに顔の違う人だったから、鉄道ジャーナル社のカメラマンだろう。やはり予想したとおりだった。種村さんは鉄道ジャーナルから開業初日の阿佐線取材を依頼され、正式に仕事としてここに来たのだ。この取材結果は今月20日発売の9月号か、その翌月の10月号に掲載されるだろう。今から記事が待ち遠しい。
種村先生を残して列車は発車。相変わらず安芸駅を除けば乗客はほとんど動かない。やがて、列車は遅れて後免に到着。
欲張りな私は、この後さらに未乗車区間の乗りつぶしを画策したが、ここは列車速度の遅い四国。さすがに後免到着が昼過ぎでは厳しいものがあり、断念。このリベンジはいずれ再訪してきっちりと果たしたいと思う。
その後私は、後免から「南風16号」で土讃線から瀬戸大橋を渡り、岡山へ。岡山からは新幹線で帰宅。結局、今回の旅行での「全線完乗」達成はわずかに土讃線と阿佐線のみだが、開業初日にいきなり完乗を達成したのは私の10年以上に及ぶ「全線完乗」史上でもこの日の阿佐線が初めてである。
ハードスケジュールで疲れた2日間だったが、私はごめん・なはり線が好きになった。
お知らせ)7月22日発売された「鉄道ジャーナル」9月号の種村直樹氏の連載記事「Railway Review」により、当日の種村氏の行動が明らかになった。同記事によれば、種村氏は鉄道ジャーナル編集部からの依頼ではない独自行動としてごめん・なはり線を訪れたとのこと。また、氏に同行していた男性は「鉄道ジャーナルの長年の読者」、乗車区間は安芸〜和食間とのことだったので、ここに訂正させていただく。
6.おわりに〜手放しで喜べないミニ鉄道の将来
阿佐線は、日本鉄道建設公団のAB線(無償貸付ローカル線)としては事実上最後の開業路線である。実はこの「AB線最後」というのが今回の私の阿佐線来訪の強い動機付けになっていた。国鉄の工事凍結線としてもおそらくこれが最後の開業であろう。
ところで、冒頭の「阿佐線の沿革」でも少し触れたが、高知県ではJR発足以降に限っても94年に阿佐海岸鉄道(海部〜甲浦間)、97年には土佐くろしお鉄道宿毛線(中村〜宿毛間)が開業しており、阿佐線でなんと3線目のローカル新線開業となる。日本全国で鉄道の縮小・廃止の嵐が吹き荒れる中、1つの県で10年足らずの間に3つものローカル新線が開業するのはきわめて異例だが、裏を返せばそれだけこの地方の公共交通が他の地域に比べ著しく立ち遅れていたことの証左でもある。「陸の孤島」解消に寄せる沿線住民の期待には大きなものがあり、開業初日に沿線各地で見た住民の笑顔が何よりもそのことを物語っている。
とはいえ、初年度の赤字が5000万円、その後も毎年1億円の赤字が見込まれるなど、阿佐線の前途は決して明るいとはいえない。土佐くろしお鉄道も、旧国鉄線を引き継いだ中村線に加え、宿毛線、そしてこの阿佐線と、経営状況の決して良いとはいえない3つのローカル線を抱え込んだ結果、県の財政補助がなければ立ちゆかない状況がある。
しかし、明るい材料もある。沿線の安芸市は、毎年2月になるとプロ野球・阪神がキャンプを張ることで知られている。沿線には1車線の国道が1本だけしかないため、セ・リーグで巨人と並ぶ人気球団のキャンプの時期、関西方面からキャンプを見に来るプロ野球ファンの車やバスで地元住民の生活に影響が出るほどの渋滞が続いていたという。阪神は、来年からキャンプを倉敷と安芸に分散して開催すると発表したが、引き続き安芸に来ることには変わりがない。関西方面のファンにとって、列車利用では安芸まで4〜5時間要することから、鉄道がキャンプを見に来るファンの主要交通機関になるのは正直、難しいと思われる。しかし、現在、小泉内閣の下で道路公団など道路関係4公団の民営化論議が行われている中、この地域に高速道路が伸びてくるのは「いつになるのか分からない」状況にある。高速道路よりも先にこの地にやってきた阿佐線には、このような意味で潜在需要も抱えており、今後の努力次第で乗客を増やすことはもちろん可能であろう。
開業初日に大量に発生した「体験乗車組」に見られるように、沿線のマイレール意識もきわめて高く、不利な立地条件の割には健闘が期待される阿佐線である。私もできる限り乗りに訪れてこの小さな鉄道を支えていきたいと思っている。
(注1)ループ線・・・山越え区間で勾配を緩めるためレールをらせん状に敷設している区間。その上を列車はスパイラルするように走る。若井〜荷稲間のループ線の場合、高知方面からの「あしずり5号」は時計回り、高知へ向かう「南風24号」は反時計回りでグルリと回る。ループ線は、他には上越線(湯檜曽〜土合間、土樽〜中里間)、北陸本線(新疋田〜敦賀間)、肥薩線大畑駅などの例がある。
(注2)JRと第三セクターの列車が相互乗り入れしている区間で、他に同様の例(駅間に路線の分岐のためだけに信号場が設けられている例)を挙げるとすれば、山口県の川西〜柱野間の森ヶ原信号場(JR岩徳線と錦川鉄道)くらいであろうか。ここでは、森ヶ原信号場に独自の営業キロが設定されていないため、両線を乗り継ぐ場合は川西で打ち切って運賃計算をすることになる。
(注3)「鉄道ジャーナル」4月号、「種村直樹のRAILWAY REVIEW」から。
(注4)日本列島外周気まぐれ列車・・・種村氏が行っている日本列島外周の旅。1980年6月5日に東京・日本橋を出発し、年4回のスケジュールで断続的に日本列島の外周を走る列車・バスなどを乗り継いで旅をする。反時計回りに東北〜北海道〜日本海沿岸〜九州・沖縄まで旅を終え、2002年夏現在、旅は四国に入っている。季刊「旅と鉄道」誌上で「日本列島外周気まぐれ列車」としてレポート連載中。
<参考文献>
このレポート執筆に当たっては、以下のものを参考文献として利用した。
・「ごめん・なはり線きょう開業」(2002年7月1日付け「高知新聞」記事)
・「新線開業への期待と不安」(種村直樹・著、月刊「鉄道ジャーナル」2002年4月号掲載「RAILWAY
REVIEW」から)
・「バスと歩きと離島航路」(外周200日記念誌刊行会、1996年)
・「車窓はテレビより面白い」(宮脇俊三・著、徳間文庫、1992年)
・「廃線跡のできるまで」(こときあやみ・著、同人誌、2002年)