・津軽海峡夏景色〜583系乗りある記
  
去る18日から19日にかけて、青森へ行って来ました。
目的は、この19日が今シーズンの最終運転日となる「はくつる82号」です。
はくつる82号は、今や珍しい存在となった国鉄色583系での運転。
東北地区では今、485系に大量の余剰車が出ており、583系での「東北帰省夜行」はいつ運転がなくなってもおかしくない状況で、この夏も正直、 走ってくれるかどうか不安な状態でした。ですので、6月の時刻表の夏臨欄で運転を確認したときは、この夏は死んでも行ってやると心に決めていまし た。
18日夜、青春18きっぷを片手に、「ムーンライトえちご」で出発。(高崎まで普通乗車券を買い、青春は高崎から使用。)指定席券は売り切れだっ たそうです。
ムーンライトえちごから、羽越線821D〜539M〜奥羽線651Mと乗り継ぎ、青森着が15:37。
青森では、私が旅をするときは必携のバイブル「全国駅前銭湯情報」を手に銭湯を物色し、一風呂浴びつつ、マンガ喫茶でのんびりくつろぎながら(な ぜラブひながないのだ!)、市内を散策しました。
お目当てのはくつる82号は20:40、青森駅5番線に入線。
最近のJRステンレス車などにはない、重厚かつ荘厳な雰囲気を漂わせる入線風景です。車両内に入ると、通路を挟んで3段寝台がずらりと並んだ光景 は壮観ですが、乗車定員最優先で設計された583系のこと、寝台内に入ってしまうと身動きもできないほどです。
しかし、電車でありながら、デッキとの仕切り戸を閉めてしまえば客車並みに静かで、高速走行でも揺れが少なく安定している上、寝台特急と聞くと 真っ先に連想する駅発車時のガクンという揺れも、電車なので当然、全くありません。おかげで、客車の寝台特急では駅を発車するたびにガクンと衝撃 が来て、そのたびに目が覚めていたのが、一度も目を覚ますことなく、高崎あたりまで熟睡できました。
  
寝台とは基本的に寝るための設備で、よく寝られるかどうかが重要なポイントです。その点に関して言えば、583系はまだまだ行けるというのが実感 でした。3段式寝台は狭苦しくて、とても乗れたものじゃありませんが。
私の向かい側の寝台に乗っていたご夫婦が、あまりの狭さに愕然としていたので、昭和42年に登場した車両であることを話すと、いくらかは納得した ようでした。
 
客車列車が主流である世界的な鉄道事情からすれば、電車寝台というのは異色の存在ですが、その快適さは客車以上であり、JRが「サンライズ」を 作ったのは大正解でしょう。電車寝台の快適さを改めて実感した1泊2日の旅でした。
交直両用・交流50/60Hz両用で、電化区間ならどこでも走れて使い勝手も良く、旧国鉄時代、カネがないないと言いながらいい車両を作ったもの だとつくづく思いました。
583系にはいつまでも、元気でいて欲しいですね。
 
ううぅ、それにしても青森は暑かった・・。東北だから少しは涼しいかと思ったのに、全く考えが甘かった。
気動車を中心に、鉄道の冷房化率が低いことを考えると、むしろ首都圏よりこちらの方がキツイかも知れませんね。

・ 補足・583系は昼夜兼行の大活躍!( 2000/08/22、同じサイトで発表)
        
さて、今ではほそぼそと臨時列車運用に当たるだけの583系ですが、かつては寝台座席兼用電車の特性を生かして、昼行に夜行に縦横無尽の大活 躍でした。その活躍ぶりを紹介した、「金星〜しらさぎ“変身”の旅路」と題する以下の記事は、「鉄道ジャーナル」昭和53(1978)年2月 号のもので、実際の月数より2ヶ月早く発売される鉄道雑誌の特性から見て、発売されたのが昭和52年12月、取材はそれに先立つ52年の秋頃 と思われます。
        
『夜は寝台車として旅人の眠りを乗せ、昼はクロスシート車に変身して昼行特急列車の仲間入りする“2つの顔の電車”581・583系特急形交 直流電車。昭和42年(1967)秋に寝台特急<月光>と昼行特急<みどり>のペアで西日本にさっそうと登場して 10年・・・。東北・北陸にも足を伸ばし、本州と九州の電化幹線を日夜かけつづけてきた』

『・・・仕事が一段落した車掌長らと雑談していると、電車寝台の評定も出てくる。向日町を基地に、西鹿児島へ、名古屋へ、富山へと走り回る 運用の詳細は別稿(省略)のとおりだが、車掌さんたちは口々に「働かせ過ぎではなかろうか」ともらす。なかなか向日町へもどらず、帰っても時 間が短いためか、たとえば寝台のカーテンのピンが取れるなど、ちょっとした修理が必要な個所を見つけて報告しても、なかなか直らないので困る という』
『さあ僕たちもベッドにもぐろう。車掌さんたちは徹夜だが、名古屋に戻れば勤務は明け。こちらは電車と一緒に富山まで“トンボ帰り”しなく ちゃならない』
『6時10分ちょうど、名古屋駅ホームに到着。(中略)さあ、車掌さんは忙しい。神領(電車区)までの18分間、列車のお守をして、後部運転 台に座っていればよいのかと思ったら大違い! 1号車から順に前へ進みながら暖房のスイッチを切り、クーラーを入れてゆく。400人近い人たちが眠った車内の空気は暖房の影響もあって、淀 んでいる。(中略)窓の開かない車両を、4時間後には座席特急として使おうというのだから、一刻も早く換気せねばならない』
『車掌さんたちの目から見ると、基本的に寝台と座席の両刀使いがムリだし、真冬に北陸から九州まで同じ車両を運用しようというのも納得しかね る・・・ということらしい』
        
記事によると、この583系電車はその後、3M<しらさぎ2号>として北陸線を走り、14時10分富山到着。さらにその1時間5 分後には10M<しらさぎ5号>として名古屋へ折り返すという超ハードで過酷な運用が組まれていたそうです。まさに縦横無尽の大 活躍!ですね。あまりの「過重労働」ぶりに記事は最後、こんなねぎらいの言葉で締めくくられています。
        
『19時16分、名古屋にキッカリ到着。僕たちの追跡取材は終わった。でも、この電車はまだ休まない。もう一度、神領電車区で寝台車としての 装いをととのえ、この夜22時50分発、21M<金星>として博多へ下るのだ。・・・19時21分、人影のなくなった名古屋駅 ホームを電車は離れた。“働きもの”のひとことにつきる車両であった。利用者に、あるいは国鉄内部でも最近は必ずしも評判のよくない電車なの は残念だが、せいぜい身体に気をつけて疲れの出ないようにと祈りたい』
        
最後に、記事によれば当時(昭和53年)の3段寝台の料金は、上・中段が3,500円、下段が4,000円となっています。現在は、それぞれ 5,250円、6,300円ですから、本当に時代を感じますね。

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