(管理者注)この作品は、2002年8月11日に東京国際展示場(東京ビッグサイト)にて開催された「コミックマーケッ ト」(コミ ケ)62において当サイト管理者が発表したものです。発表は鉄道系同人サークル、放射性同位体発表の新刊同人誌 「Railway Talker 5」へゲスト参加する形で行いました。「放射性同位体」主宰者から、当サイトへの転載について快く許諾をいただいたのでここ に掲載させていただきます。転 載の許諾をいただいたことにお礼申し上げます。

日本最後のタブレット急行「砂丘」の思い出

 運転士「場内進行、通過進行、タブレット!」
 運転助士「場内進行、通過進行、タブレット!」
 息つく暇もなく、ドスンと音を立てて真鍮製の玉が出入口のドアにぶつかる。
 運転士「河井、サンカク!」運転助士「サンカク、よし!」

 中国山地の深い山々が短い秋を駆け足で彩ってゆくローカル線。
 かつて、そこにはドラマがあった。
  近代化から取り残されたが故に繰り広げられるドラマ。
 鉄路の前方を凝視し、その安全のために命をかける誇り高き男たち。

 その路線の名は、JR因美線。
  冒頭の描写は、鳥取・岡山両県境に位置する「物見峠」を駆け抜ける栄光の急行「砂丘」の運転席のものである。
  この栄光の急行は、97年11月29日改正で、大勢の鉄道ファンに惜しまれながら歴史の中へ消えていった。
 「砂丘」は、日本で最後まで残った「タブレット急行」だった。

・なぜこんなことが行われてきたのか?
  日本鉄道史はじまって以来、常に非自動閉塞区間の主役であり続けたタブレット閉塞方式は、列車の安全運行のすべてを人間の手に負う最も原 始的な運転方式で ある。その多くは、戦後急速に進んだ近代化の中で自動閉塞と自動信号に席を譲った。しかし、ここ因美線では近代化が遅れたため、この最も 原始的な運転方式 がなんと99年まで残存したのである。
 タブレット閉塞それ自体は、21世紀を迎えた今でも探せば残存している線区を見つけることはそれほ ど難しくな い。しかし、因美線が他の線区と違っていたのは、優等列車(急行)が運転されていたことである。優等列車でのタブレット交換は、後述する 理由から2人乗務 体制の下で行われるが、「砂丘」はその作業の一部始終を乗車しながら堪能できる日本最後の列車として、とりわけ最後の数年間は全国の鉄道 ファンから注目さ れる存在となった。
  近代化とともに、いずれ日本の鉄道地図から完全に消えゆく運命にあるタブレット閉塞とはなんであるのか・・・。中国山地を元気いっぱいに 駆け抜け、多くの 鉄道ファンを魅了した「日本最後のタブレット急行・砂丘」。筆者が97年11月2日に乗車した「砂丘5号」(鳥取〜津山間)の思い出の シーンを交えなが ら、今こそ最後のチャンスであるタブレットと腕木式信号機についての詳細な解説をしてみようと思う。

(注)「砂丘5号」運転席ではこのほかにも時刻や中継信号機の称 呼等が行 われているが、タブレットや腕木式信号機と関係がないので省略した。また、以下の文中「停車場」とあるのは、特に断り書きがない限り 閉塞取扱駅を指すもの とする。

・急行「砂丘5号」鳥取駅発車!
 鳥取駅ホームに「砂丘5号」が入線してくる。かつては国鉄色だった栄光の急行「砂丘」は今や白と 青、紫を基調と した独自カラーに塗り替えられている。キハ58・65系3両編成のうち前後の2両と中間車・キロハ28のうち半分が自由席で残る半分はグ リーン車指定席。 半室グリーン車も、いや急行のグリーン車自体とても珍しい存在である。
 13時51分、昼下がりの高架駅・鳥取を「砂丘5号」は発車した。山陰本線の高架線を左に分けなが ら地平に降り た「砂丘5号」は、田や畑が広がる中を一路、南へ駆けていく。これから岡山まで約2時間30分・・・ローカル急行にしては意外に速い旅路 である。
 途中、津ノ井、郡家(こおげ)、用瀬(もちがせ)、智頭(ちず)の各駅はすれ違いのできる駅であ る。4駅ともか つては腕木式信号機があったが、94年の智頭急行開業を機会に鳥取〜智頭間が一足先に自動化されたため、今はもう見ることができない。
 

  固定されたレールの上しか走 れない鉄道で もしも無秩序な運転が行われたとしたら、毎日が正面衝突や追突の連続で、誰もこんな怖い交通機関を利用しようなどと 決して思いはしないであろう。鉄道が、 その「融通の利かなさ」にもかかわらず他のどんな交通機関よりも安全であるとの信頼と安心を勝ち得たのは、鉄道に持 ち込まれた「閉塞」という概念に負うと ころが大きい。
  閉塞(法令上の用語としては「閉そく」)とは、「一定の区間に同時に二以上の列車を運転させないために、その区間を 一列車の運転に占用させること」をいう (鉄道運転規則第1条第1項第3号)。この原則を守るため鉄道においては、レールをある一定の距離(600mおき、 あるいは1kmおきといった具合)に区 切り、その区切られたひとつの区間にはひとつの列車しか進入できないようにすることで、各列車の間に適正な「車間距 離」が保たれるようになっている。
 閉塞を確保するための方式(閉塞方式)にはいく つか種類がある。 これらは非常に複雑なため、限られた紙幅ですべてを紹介することはできないが、複線区間のように、あるレールが同一 方向に走る列車だけで使用されている場 合には、数百メートルごとにレールを閉塞区間に分割し、列車の進入を自動で検知できる信号機を閉塞区間の境界に設 置、その先の閉塞区間への進入を信号に よってコントロールする方法で「車間距離」を確保する(自動閉塞方式)。
 1本のレールを両方向の列車が共用する単線区間 の場合はさらに大 きな制約が課せられる。複線区間のように1本のレールを区間に区切ったとしても、向かい合わせに走っている列車同士 がすれ違えなければ意味がない。このた め、単線区間ではすれ違いができる停車場(駅、信号場等)から次のすれ違い可能な停車場までをひとつの区間とし、両 方向を通じてひとつの列車だけを進入さ せ、対向列車はすれ違い場所で待機させることで安全を確保するわけだ。
 タブレット閉塞は、この閉塞の確保をタブレット と呼ばれる真鍮製 の玉によって人為的に行うものである。非自動の閉塞方式としては最も汎用性が高いため、非自動区間の基本的な閉塞方 式として現在でも行われている例を見る ことができる。その運用の詳細は専門的になり過ぎるため割愛するが、すれ違いのできる停車場同士があらかじめ電話で 打ち合わせ、両駅間に進入させる「唯一 の列車」を決めた上で、両停車場がタブレットの納められている赤い閉塞装置に特殊な電流を流すことにより、両停車場 間でひとつだけ玉が取り出せる仕組みに なっている。そして、その両停車場間へ進入を許されるのは、停車場からこの玉・・・タブレットの交付を受けた列車の みである。

・智頭〜東津山間は「夢の1時間」
 「砂丘5号」は14時25分、智頭駅に到着した。これから東津山駅までの約1時間が、タブレットと 腕木式信号機 を追いかけてきた私にとって「夢の1時間」である。
 智頭では、運転士がもうひとり乗車して2人乗務体制になる。「砂丘」はその昔、車掌2人乗務体制 で、車内販売も 乗務していた時代があるそうだ。この短編成の急行列車のために、2人の運転士を合わせ都合5人が乗務していた時代があったわけで、さぞ人 件費のかかる列車 であったことだろう。
 なお、冒頭の運転席描写でもそうだったが、以下この文章の中では2人目の運転士・・・タブレット取 扱を主として 行う運転士のことを、「砂丘5号」の制御に関わっていないという意味で「運転助士」と呼び表すことにする(正式の職制では彼らも運転士で ある)。
 

 タブレット通過授受を行う列車が、運転士を もうひとり乗 務させなければならないのは、進行中の列車の運転士は運転席を離れてはならないという原則のためである。たとえタブ レット授受のためであろうがこの原則に 例外が許されないのは当然のことである。
 現在、タブレット閉塞を行っている会社・路線は まだ探せば全国で あちこちにあるが、その多くは第三セクター・ローカル私鉄など優等列車を持たない線区である。停車中の列車では、運 転士が運転席を離れることを禁止する規 定はないから、運転に支障のない限り1人乗務の運転士が停車中に一時運転席を離れてタブレット授受を行えばよい。

 智頭駅長が運転助士のところにタブレットを持ってやってくる。駅長は、この段階ではまだタブレッ トキャリ アの中に入っている玉の種類を運転士には見せない。運転士は、運転時刻表(運転席に掲示する乗務員用の時刻表)に記載されている玉の種類 を確認、駅長が 持っている玉の種類と一致して初めてタブレットが交付されるのだ。
 駅長「タブレット、那岐」
 運転士、運転助士「那岐、マル」
  駅長「マル、よし!」
  停車駅での駅長と運転士のやりとりは、だいたいこのような感じで行われる。
 

  タブレットの種類は、第1種(丸)、第2種(四角)、第3種(三角)、第4種(楕円)があり、それぞれマル、ヨンカ ク、サンカクと称呼する。第4種の楕円 は、路線の分岐駅など特殊な区間のみで使われるもので、筆者も称呼されているのを聞いたことがないが、おそらくダエ ンと呼ぶのであろう。
 なお、玉の種類は停車場間ごとに決められてお り、その停車場から 次の停車場までの区間で使用するものが交付される。原則として連続する2つの区間で同一の種類の玉が使われることは なく、また、決められた停車場より先の 区間までの「持ち出し」は厳禁されている。タブレットの確認は、次の停車場名とその停車場までの区間に使われる玉の 種類を称呼することによって行う。

 14時26分、「砂丘5号」が発車する。これから鳥取・岡山県境をなす物見峠との闘いが始まるの だ。
 智頭を発車すると早くも上り勾配にさしかかり、車窓は険しさを増す。11月だったせいか、車窓に見 える山々が早 送りのように急速に色づいてゆく。だが、そこはさすがキハ65・・・500馬力の出力を持つ高性能気動車に、従来型気動車のような苦しさ は感じられない。
 土師駅を通過した「砂丘5号」の前方に、色灯式の遠方信号機が現れた。さすがにこの因美線といえど も腕木式の遠 方信号機は跡形もない。遠方信号機は青を示している。「遠方、進行!」という運転士・運転助士の称呼の声が私の緊張をいやが上にも高め る。遠方信号機に青 が示されているということは次の駅・那岐は通過可という意味である。待ちに待ったタブレット通過授受の瞬間が、目前に迫った。
 

 「機関士と機関助士とが信号を確認したとき は、相互にそ の現示の状態を喚呼応答しなければならない」(「日本国有鉄道運転取扱心得」第343条)・・・機関士(運転士含 む)の信号確認は、国鉄時代にはこのよう に明文化されていた。JRとなった今、どのような決まりがあるか筆者は知らないが、その精神は運転士の間に脈々と受 け継がれている。ところで、遠方信号機 の青でどうしてその列車の前方駅通過が保証されたことになるのか?
 遠方信号機は、後に述べる「通過信号機」と同様 「従属信号機」に 分類される。従属信号機とは、文字通り主信号機に従属してその現示内容を予告したり、その現示を補助したりするもの である。つまり、それ自身が列車に対し て何らかの指示をするものではないため、列車はその現示を「参考」にするだけで、その信号がたとえ赤を現示していて も、その信号機の直前で停止する必要は ないわけである(遠方信号機の場合、赤が現示されることは実際にはないが・・・)。
 遠方信号機は単線区間の停車場間に設置され、前 方に設置されてい る主信号機・・・場内信号機に従属し、一段階手前の現示によりその現示を「予告」する働きを持つ。つまり、場内信号 機が赤の場合は黄を、黄の場合には黄+ 青(減速)を現示する。一段階前の現示を行うことから一見すると閉塞信号機のようだが、それ自身は独立して動かず、 あくまでも場内信号機に従属し、連動し ているだけである。このため、閉塞信号機と誤認することがないよう遠方信号機はランプの設置されている台板(?)が 長方形になっており、素人でもすぐに判 別がつく(主信号機の台板は楕円形)。
 これまでの説明でお分かりいただけたと思うが、 遠方信号機の青は 結局、その前方の場内信号機が青であることを意味している。その場内信号機は、出発信号機が赤の場合には黄が現示さ れ、青が現示されることはないから、場 内信号機の青が保証されることは出発信号機が青か、最低でも黄であることが保証されたことになる(つまりこの例の場 合、「砂丘5号」は那岐を通過でき る)。

 「砂丘5号」は那岐にさしかかった。前方に場内信号機が姿を現す。残念ながらこの駅の信号は色灯 式であ り、腕木式ではない。その信号機に青いランプがついている。
 運転士「場内進行、タブレット!」
 運転助士「場内進行、タブレット!」
 列車は次第に減速する。那岐は対向式ホームであり、タブレットは進行方向左手で ある。通過授受に備え、運転助士が左側に移る。智頭駅で受け取ったタブレットを手に持ち、運転士の直後に回り込む。いよいよホームが見え た。ホーム端のタブレット受器の前に駅長が立っている。運転 席のふたりと駅長が挙手して挨拶を交わす光景は、いつ見てもすがすがしい。
 挨拶を交わすとすぐにホーム端のタブレット受器が迫る。運転助士がそこにタブレットを投げ入れる。 ふと後ろを振 り返ると、カランカランと音を立てて受器に絡まったタブレットを駅長が拾い上げている。
 運転士と助士には息つく暇もない。「砂丘5号」は25km程度まで減速しているが、それでもあっと いう間に出発 信号機の青ランプが迫る。
 運転士「出発進行!」運転助士「出発進行!」
 ホームの出口に今度はタブレット授棒が設置され、タブレットが線路ぎりぎりに張り出すように仕掛け られている。 運転助士が運転席の窓から腕を伸ばし、待ちかまえている。
 運転助士が腕でタブレットを授棒からもぎ取った。「砂丘」に使われているキハ58は、運転席の直後 に乗降用のド アがある。玉を納めたタブレットキャリアが、そのドアに衝突し、「ガーン」と音を立てる。思わず首をすくめてしまう迫力の瞬間だ。
 そうか、これでようやく分かった・・・キハ58の出入口のドアには、ガラスに鉄格子が付いていた。 昔、気動車急 行全盛期には各地で急行気動車の鉄格子付きドアを見たものだが、近年はめっきりお目にかからなくなっていて、この「砂丘」でそれを見たと きは珍しくも懐か しい気持ちになった。筆者は、近年の「鉄格子撤去」を単にデッキに立っている客の車窓への配慮かとばかり思っていたのだが、ようやく謎が 解けた。鉄格子は タブレットの激突でガラスが割れないようにするためで、タブレットとともに消えていったのだ。
 運転助士「タブレット、河井!」
 運転士「河井、サンカク!」
  運転助士「サンカク、よし!」
 

 停車駅でのタブレット授受の時は、タブレッ トの玉の種類 と運転士が「運転時刻表」の記載に基づいて称呼する玉の種類との照合は駅長が行うが、通過授受の場合は駅長に代わっ て運転助士が行っている。もし、玉の種 類が一致しないとき、列車は進行し続けることができない。運転助士がタブレットをつかみ損なった場合も同様で、列車 は直ちにいったん停車してタブレットを 拾い上げた後でなければ発車できないことはもちろんである。
 なお「河井」は正しくは「美作河井」だが、称呼 の際は誤認しない 程度に省略して差し支えない。

 那岐駅のホームを離れた「砂丘5号」は再び加速する・・加速といっても物見峠の上り勾配のまっただ中とあっ てはそれほど速 度は出ない。タブレット通過授受に夢中になっているうちに、車窓の山容はいっそう険しさを増している。那岐〜美作河井間はひと駅なのに 10kmもあり、山 越えのハイライト区間にふさわしい。「砂丘5号」の足取りも鈍りがちで、最後尾に連結されたキハ65のターボエンジンが唸っている。
  列車は物見トンネルに突入した。鳥取・岡山県境に位置し、分水嶺をなす長いトンネルである。ターボエンジンの音がトンネルの壁に反響す る。
 やがて、エンジンの唸りがふっと途切れ、列車が惰行運転に変わった。サミットを越えたらしい。つい に「砂丘5 号」は物見峠を征服したのである。これまでの苦しさがウソのように、列車は足取りも軽やかに峠道を駆け下りてゆく。この人間のような息づ かいが、私の気動 車好きの一因でもある。
 いつの間にか車窓は針葉樹一色に変わっている。私は再びワクワクしてきた。因美線には何回も通った 私にとって、 針葉樹は美作河井へ近づいたシグナルなのだ。
 運転士「遠方進行!」運転助士「遠方進行!」
 この称呼の声が胸の高鳴りをまた加速させる。
 運転士「河井、通過!」運転助士「河井、通過!」
  那岐を通過して美作河井までは約12分。なんと長い駅間なのだろう。
  信号機が見えた。私にとって因美線は通い慣れた道のはずなのに、未だに目の前の光景が信じられない。1本の信号柱に縦に仲良く並んだ2つ の腕木式信号機。 上の信号機は赤い腕の場内信号機。そして下の信号機は我が目を疑う黄色の腕・・・日本ではいよいよ「絶滅寸前」の腕木式通過信号機。2つ 仲良く頭を上げて 進行を示している!
 

 通過信号機とは、先に述べた遠方信号機と同 様「従属信号 機」のひとつである。この信号機が「従属」しているのはすぐ上の場内信号機ではなく、その先、駅の出口にある出発信 号機であり、その現示を予告する働きを 持っている。出発信号機が赤の時、通過信号は黄、また出発が黄や青の時は青を現示してそれを予告するのだ。従属相手 の主信号機より一段階前の現示で予告す るという意味では、遠方信号機と同じである。
 ところで、そもそもなぜこのようなものが必要な のか、という疑問 をお持ちの方も多かろう。そして同時に、先の那岐には通過信号機が設置されていないのになぜここには設置されている のか、という疑問も多くの方が抱かれる ことだろう。その謎を解く鍵は場内信号機の中に隠されている。
  腕木式の場内信号機で示すことができるのは赤(場内進入不可)・青(場内進入可)の2つだけである。場内信号機はあ くまでも前方の停車場内に進入できるか どうかを示すものでしかないから、そこで「砂丘」のような通過列車が接近し、場内信号機が青であることを確認したと しても、それは美作河井駅構内へ入れる ことを確認したに過ぎず、出発(通過)の安全を確認したことにはならない。このような場合運転士はどのような運転取 扱をすべきなのか?
 昭和26年に運輸省(当時)が制定した「運転の 安全の確保に関す る省令」によれば、運転士は「・・・その取扱に疑いのあるときは、最も安全と思われる取扱をしなければならない」と 定められている。出発(通過)の安全が 確認できない場合、運転士は「最も安全と思われる取扱」、つまり前方の出発信号機を赤とみなし、停車する予定で徐行 運転せざるを得ず、優等列車の速達性に 重大な支障が生ずるのである。このような支障を取り除くため、出発信号機の現示だけを予告する機能を持つのが通過信 号機なのだ。この信号が青の場合、列車 は徐行することなく前方の停車場を通過できる。
 これに対し、那岐駅に通過信号機が設置されてい ないのは、場内信 号機が3灯式の色灯だからである。場内信号機の「黄」は場内への進入を認める一方、出発信号機の赤を予告することで 出発(通過)を許可しないことを列車に 伝える機能も併せ持つ。つまり、場内信号機と通過信号機の役割を一手にこなせるため、那岐では通過信号機が「省略」 されてしまったのである。
 このように、通過列車が運転されている非自動線 区で、停車場に通 過信号機が必要かどうかは、場内信号機に出発信号機の現示を予告する機能があるかどうかによって決まるのである。色 灯式信号の線区でも、色灯が赤・青の2 種類しかないところでは、通過列車に対して通過信号機を設けなければ同じような問題が発生するが、色灯式信号は3種 類の現示を行うことが容易であるため か、通過信号機が設けられるのは極めてまれであるといえよう。
 通過信号機や色灯式場内信号機が出発信号機の一 段階前の現示をす るものであることは既に述べた。一般論として、それらの「青」現示は出発信号機が「黄」である可能性も含んでいるか ら、前述の「最も安全な取扱の原則」に より運転士は出発信号機を青でなく黄とみなすことになるわけだが、「黄」では時速45kmまで速度を上げることが許 されており、もともと速度の遅い因美線 のようなローカル線区では運転に支障がないため、出発信号機を青と見なせるような特別の措置は行われてこなかった。

  運転士「場内進行、通過進行、タブレット!」
 運転助士「場内進行、通過進行、タブレット!」
 「砂丘5号」は減速し始める。今度の美作河井駅は島式ホームだ。タブレットは進行方向右側である。 運転助士が、 那岐でつかみ取ったタブレットを持って今度は右側で待ちかまえる。ホーム上にきれいに整えられた植え込みの向こうから、駅長が見守ってい る。その駅長に、 運転席のふたりが挙手で挨拶する。駅長も挙手で返す。
 カシャン、カランカラン・・・・。
 運転助士の投げたタブレットキャリアが受器に絡みつく。この駅は、出発信号機も見事な腕木式だ。腕 の色は場内と 同じく赤。頭を上げて進行を示している。
 運転士「出発進行!」運転助士「出発進行!」
 続いてタブレットのつかみ取りだ。タブレットキャリアがドアにぶつかり、「ドスン」と鈍い音を立て る。
 運転士「加茂、ヨンカク」運転助士「ヨンカク、よし!」
 運転士「遠方、進行!」運転士「遠方、進行!」
 知和駅を通過した「砂丘5号」が遠方信号を越える。智頭発車とともに「ドラマ」が始まってからまだ 一度も停車し ていないこの列車に最初の停車駅が近づいてきた。智頭発車から既に30分が経とうとしている。
 運転士「加茂、停車!」運転助士「加茂、停車!」
 信号機が見えてくる。嬉しいことにここも腕木式で、またまた信号柱に赤い腕の信号機と黄色い腕の信 号機が並んで いる。しかし、今度の駅は停車駅・・・赤い腕の信号機だけが頭を上げて進行を示しており、黄色い腕の信号機は頭を下げたままである。
 運転士「場内進行、通過注意、タブレット!」
 運転助士「場内進行、通過注意、タブレット!」
 ジリリリリ・・・とATSの作動音がする。運転士がボタンを押すとキンコンキンコン・・・という チャイム音に変 わる。
  14時57分、「砂丘5号」は智頭を出てから最初の停車駅、美作加茂に到着した。
 

 一般的に、自動閉塞の単線区間では、遠方信 号機は、ひと つ先の場内信号機の現示をその一段階手前の現示で予告する。場内信号機が黄の場合、遠方信号機には「減速」(黄+ 青)が現示され、「駅への入場はできる が、出発(通過)はできない」という意味を運転士があらかじめ知ることができるようになっている。しかし、非自動閉 塞で腕木式信号機が用いられているとこ ろでは、遠方信号機は場内信号機の「てこ」に連動しており、「てこ」が反位(倒した状態のこと。信号を青にする場合 には反位にする)であるときは通過信号 機の現示内容にかかわらず青が現示されるため、運転士は、遠方信号機の段階ではまだ前方駅通過の可否を知ることはで きない。
 なお、美作加茂には「砂丘」の全列車が停車する ため、通過信号機 は回送や事業用列車など、特別な列車が走るとき以外は頭を上げることがない。

 駅長「・・・タブレット、高野」
 運転士、運転助士「高野、マル」
  駅長「マル、よし! ・・・ご苦労様です」
  14時58分、ターボエンジンが軽やかな唸りをあげる。「砂丘5号」は美作加茂を発車した。ドラマはもう後半にさしかかっている。あと、 タブレット通過授 受は2駅しかない。閉塞扱いの行われない2つの「停留所」・・・三浦、美作滝尾を駆け抜ける。さっきとは逆に、色づいていた山々が急速に 色を失ってゆく。
  運転士「高野、通過!」運転助士「高野、通過!」
 高野駅が近づく。ここでも、赤と黄色の腕の信号機が仲良く頭を上げている。腕木式信号は美作河井、 美作加茂、そ してここと3箇所連続だ。
  運転士「場内進行、通過進行、タブレット!」
  運転助士「場内進行、通過進行、タブレット!」
  カラーン、シュルシュルシュル・・・投げ込まれたタブレットが絡みつく。
  運転士「出発進行!」運転助士「出発進行!」
  対向式ホームのため左側に身を乗り出す運転助士。またしても「ガーン」とタブレットがドアに当たる。
 運転助士「タブレット、東津山」
  運転士「東津山、サンカク!」運転助士「サンカク、よし!」
  高野通過、列車は加速する。ここ高野駅はもう既に津山市の市街地に入っている。並行する国道はクルマがずらりと並んでいる。
  運転士「遠方進行!」運転助士「遠方進行!」
  運転士「東津山、通過!」運転助士「東津山、通過!」
  タブレット通過授受のドラマに終幕が近づく。分かっていても寂しい気分に襲われる。
 運転士「場内進行!」運転助士「場内進行!」
 高野駅でつかみ取った最後のタブレットを東津山駅左側の受器に投げ込む。「カシャーン」という音か 響く。それ は、1時間のドラマの終わりを告げるものだった。
 自動閉塞区間をひと駅走った「砂丘5号」は15時16分、無事津山に到着した。
 

 東津山から津山までのひと駅間は自動閉塞の JR姫新線で ある。非自動区間は東津山までであり、「砂丘5号」がつかみ取るべきタブレットはもうない。東津山から鳥取方面へ向 かう下り列車の場合は逆で、東津山通過 時にタブレットをつかみ取った時から通過授受が始まる。

・因美線の「その後」とタブレット通過授受
 手に汗握るタブレット通過授受のドラマ、いかがだっただろうか。このドラマを見せてくれた「砂丘」 は97年11 月29日改正で廃止。その後も細々と続けられてきた東津山〜智頭間のタブレット閉塞も、99年10月改正でついに消えた。
  因美線からはこうして姿を消していったタブレット通過授受だが、実は日本であと1カ所だけ、タブレット通過授受を行っている線区がまだあ る。タブレット通 過授受が残った日本最後の路線・・・それは秋田県・大館〜小坂間を走る小坂鉄道である。ここには貨物列車が運転されていて、通過授受も黄 色い腕の腕木式通 過信号機もまだ見ることができる。貨物専業の鉄道なので時刻表の地図にさえ路線が載っていないという「秘境」のこの鉄道、あまり縁起の悪 い話はしたくないが、今日本では鉱業がものすごく不振だから路線自体いつまで持つか分からない状況にある。
 それに、貨物列車だから乗車して車内からその様子を眺めることはできない。「砂丘」のようなダイナ ミックな体験をすることは不可能と言っていい。
 それでもいいから行きたいという方は行ってみるといい。大館までなら奥羽本線ですぐに行けるし、首 都圏からは高速バスもある。みなさんの健闘を祈っている。
 

(参考資料)
本稿執筆に当たっては、以下のものを参考資料として使用した。

(文献)
・「最強版! 今なお現役!92〜最後のタブレット急行 砂丘」(月刊「レイ ル・マガジン」(株式会 社ネコ・パブリッシング社)92年7or8月号掲載記事)
・「腕木とタブレットを訪ねて」(岩成政和・著、月刊「鉄道ピクトリアル」(株 式会社電気車研究会・ 鉄道図書刊行会)95年2月号掲載記事)

(映像等)
・映画「ある機関助士」(岩波映像、63年)
・前面展望ビデオシリーズ「砂丘3号」(パシナ倶楽部、93年)
・「トラベルMOOK写音集2〜山陰・山陽 ラストラン国鉄系車両」(弘済出版 社(現・交通新聞 社)、98年)

・文責はすべて筆者にあります。 (2002.8.11)

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