鉄道ファン、気動車ファン(自動車ファンも?)必見!

ディーゼルエンジン開発の視点から見た
国鉄気動車開発史 概論

・はじめに・・・
 筆者は、鉄道が好きである。その中でも特に好きなのが気動車である。エンジンを唸らせて全力疾走し、あるいは峠を越える姿は多くの鉄道 ファンの魂を捉えてきた。
 気動車はしかし、日本の鉄道史を華麗に彩った電車・蒸気機関車と比べるとまだまだ歴史の浅い新興勢力に過ぎない。なぜなら以下で述べる ように、そもそも蒸気機関車の置き換え(無煙化)のため、戦争による中断を挟みながら戦後ようやく実用化にこぎつけた、技術者たちの苦労 の果ての産物だったからである。
 ここでは、筆者がこよなく愛する国鉄形気動車の開発の歴史について、主にディーゼルエンジン開発の視点から述べることにする。
 このページに限って言えば、鉄道ファンのみならず、自動車ファンにも楽しめる内容かも・・・(^^)
 

2001年12月9日
筆者(タブレット)
・エンジン開発の観点から見た日本気動車史
 ディーゼルエンジンが開発されたのは、1897(明治30)年のこと。ドイツ人技師R・ディーゼル博士が、ドイツのMAN社(*)スタッフ と共同で開発、以降、開発者の名前を取ってディーゼルエンジンと呼ばれるようになる。
 ディーゼルエンジンがガソリンエンジンと異なる点は、まぁ自動車の運転免許を持っている人なら教習所で習う知識の一つで、改めて説明するま でもないであろうが、簡単におさらいしておくと、気化した燃料と空気の混合気をシリンダ内で5分の1に圧縮したものに点火プラグで火をつける ものがガソリンエンジンで、15分の1に圧縮してプラグを使わず自然発火させるのがディーゼルエンジンである。ディーゼルエンジンの燃料には 軽油が用いられる。
 日本の内燃動車開発はガソリン動車が先行し、戦前には機械式(*)ガソリン動車キハ01形などがごく一部で運転されていたが、ガソリンは軽 油と比べて発火点が低く、しばしば燃料に引火して車両火災が起きた。このため鉄道省(当時)は日本の内燃動車はディーゼル動車に切り替える方 針を決め、以降は純国産ディーゼル機関の開発に力を注ぐが、第二次大戦のため開発は中断し、戦後に持ち越される。
 戦後、国鉄は1975(昭和50)年までに蒸気機関車を全廃し、電化かディーゼル化する、という「動力近代化計画」を掲げた。蒸気機関車の 煙害に悩まされていた鉄道沿線住民からの無煙化の要望には切実なものがあり、電化が及ばない地方線区ではディーゼル化が急務となった。
 戦後のディーゼル機関の開発は、基本的には一時中断した戦前の研究を引き継ぐ形が取られた。その中で、もっとも成功を収めたのが、キハ55 系に使われたDMH17型(160PS)で、当初は縦型エンジン(*)として登場、後に横型化とともに180PSに出力強化したキハ58系の DMH17H型に引き継がれた。DMH17H型エンジンを搭載した車両には急行形キハ58系のほか、特急形キハ80・82系、一般型キハ 23・45・53系、キハ52系などがあり、驚くべきことに急行形・一般型に関しては平成も2桁を迎えた現在、なお現役として活躍している (これら老朽車両が現在も活躍し続けている理由については後述)。
 一方、DMH17系列のエンジンは、出力強化されたとはいえ180PSの出力しか持たなかった。特に、特急・急行形車両は居住性を重視した 設計のため大型車体を取り入れており、それら車両に搭載するにはあまりにも非力であった。仮に車両の重量(運転整備重量)を40tとすれば、 重量出力比はたったの4.5PS/tしかない。この性能でまともに走れと言う方が無理な相談である。特急形のキハ80・82系、急行形のキハ 58系などの車両は1両に2エンジンを搭載し、360PSとすることで走行性能を維持してきたが、2エンジン車は保守にコストがかかる上、冷 房用のエンジンを取り付けるスペースがないという新たな問題も明るみに出た。実は、キハ58系には冷房装置が付いているが、冷房用の電源がな いため、冷房電源の供給を他の車両から受けなければ冷房が使えなかったのである(*)。このため、走行用エンジンを1台とし、もう1台のエン ジンを冷房電源の発電用(自分自身を含め3両分まで冷房電源をまかなえる)とした同系列のキハ28を3両に1両の割合で連結していたのだが、 勾配の多い山岳路線ではとりわけ非力な1エンジン車・キハ28が足を引っ張り急行らしい走行ができなくなると言うジレンマを抱えることになっ たのである。この「弱点」は、地方でも幹線の電化が進み、次第に気動車急行が山岳ローカル線区に追い込まれた昭和40年代にはさらに深刻さの 度合いを増した。
 このため、国鉄は山岳路線での気動車急行の走行性能を引き上げようと、1エンジンで従来の2エンジン車並みの出力を確保できる大出力エンジ ンの開発に取り組んだ。幸いなことに、この研究に取り組み始めた頃、国鉄はすでに国産の大型ディーゼルエンジンと国産の液体変速機を組み合わ せた純国産ディーゼル機関車・DD51の開発に成功していた。DD51は各地で優秀な成績を収め、D51・C62などの大型蒸気機関車を各地 で駆逐しつつあった。
 気動車用の大出力エンジン開発には、このDD51のエンジンをマイナーチェンジする手法が取られた。DD51型はDML61Z形 (1000PS)を2台搭載し、それぞれのエンジンの推進力を液体変速機により車輪に伝える方式を採っていたが、世界的に見れば、 2000PSクラスの大型ディーゼル機の動力伝達方式には電気式が採られるのが普通で、これほどの大出力を持つ機関車に液体式が採り入れられ るのはきわめて珍しかった。これには、日本が島国で大陸国と比べ格段に地盤が弱いため、軌道・線路の軸重制限がきわめて厳しいという事情が あった。国鉄では、純国産技術によってディーゼル機関車が開発されるまでの「つなぎ」としてドイツの技術を使ったDF50型を一時運用してい たが、発電用エンジンと駆動用モーターの両方を搭載しなければならない電気式ディーゼル車両はどうしても重くなりがちで、十分な成果を上げる ことができなかった。にもかかわらず、当時は貨物輸送の大部分が鉄道輸送に頼っており、各地から無煙 化に加え、大出力ディーゼル機関車の投入が熱望されていたのである。したがって、国鉄上層部が現場に下ろした開発条件も厳しかった。「軸重 15t以下で、かつ1000tの列車を上り10パーミル(1000分の10)勾配で引き出せること」。DD51型は、この凄まじい難条件をク リアすることで生まれた機関車だったのである。
 そうしたDD51開発の修羅場をくぐってきた技術者たちにとって、そのエンジンをマイナーチェンジして出力を落とす程度は造作もないこと だった。まもなく、気筒数を半減させて出力を落としたDML30HS形エンジン(500PS)が誕生する。このエンジンを搭載した試験車両は キハ91系を名乗り、当時非電化だった中央西線の急行「しなの」に投入されて好成績を収める。その「しなの」での試験を元に満を持して登場し たのがキハ65系であった。キハ65系は、当面はキハ28系を置き換え、キハ58系に冷房電源を供給しながら山岳路線で急行らしい走行性能を 確保することを目的としていたから、キハ58系と連結することを前提に基本設計の多くの部分を共有した。そして、言うまでもなく各地で好成績 を上げていった。もともと1000PS用のエンジンをほとんど設計を変えないまま500PSにマイナーチェンジしたのだから、性能が安定する のは当然だった。その後、このエンジンにさらに改良を加えたDML30HSE形が特急形キハ181系で採用されるなど、DML30HS系列の エンジンの開発はここまでは順調だったのである。
 特急・急行形車両で成功を収めた大出力エンジンの次なる目標は、一般型気動車であった。しかし、時代の寵児として颯爽と登場した DML30HS系列のエンジンに、ここで思わぬ苦難の陰が忍び寄る。山陽新幹線が岡山から博多に延長した1975(昭和50)年・・・それは まさに、国鉄の動力近代化計画が達成の目標とした年であり、計画通り最後の蒸気機関車が北海道・追分機関区でDD51に追われた年であっ た・・・、新幹線周辺地域を新幹線と結ぶためのフィーダー輸送、リレー輸送を担う気動車として、国鉄史上初の「汎用形」気動車(*)キハ 66・67が九州・筑豊に華々しく登場したのである。
  キハ66・67形は、安定性を上げるためDML30HSE形エンジンをさらにマイナーチェンジしたDML30HSH形エンジン(440PS) を搭載していた。しかし、この車両は走行性能こそ汎用形にふさわしいものを見せてくれたが、いかんせん騒音・振動が大きすぎた。筆者も九州・ 福岡県に長く住んでいたためこの気動車には幾度となく世話になったが、エンジンを吹かしているときは車内で会話もできないほど騒音が酷いので ある。振動も酷く、座席に座っていても短周期のエンジン振動がびりびりと伝わってくるほどで、変速レンジの時は扉や窓枠までがびりびりと振動 していた。  〔キハ66・67のサウン ドを聴く(1分30秒)
 キハ66・67は、もともと試作的要素の強い車両だった。結果が良ければ全国に広げていくつもりだったに違いないが、失敗作であることは明 らかだった。結局、キハ66・67は試作15編成が製造されたにとどまり、その後二度と増備されることはなかった。
 この後、騒音・振動を減らすためこのエンジンをさらにマイナーチェンジしたキハ40系が1977(昭和52)年、山陰線京都口に登場する が、このとき、重大な設計変更があった。キハ91系のDML30HS形から一貫して変わらなかった気筒数、シリンダ容量が半減され、気筒数は 12気筒から6気筒、シリンダ容量は30リットルから15リットルに変わったのである。この気動車・・・キハ40系は同系列としてキハ47形 や48形も含むのだが、その走行性能たるや、当時の国鉄の「貧すれば鈍する」状況を象徴するかのように無残だった。気筒数、シリンダ容量が半 減されたDMF15HSA形の出力はDML30HSHからさらに半減し、いまや220PSに過ぎなかった。このエンジンを、特急形、急行形と 同じ20m級の大型車体に乗せたのだ。重量出力比はわずか5.5PS/t(運転整備重量40tとして算出)と、DMH17形エンジンが生まれ た終戦直後の水準へのほぼ逆戻り。動力ロスの大きな液体式ということもあって、走行性能は戦前製の機械式ディーゼル動車キハ07形にすら劣る という、信じられない低性能だった(この車両もエンジンを換装したのち各地で現役)。
 結果的に、キハ66・67形による一般型大出力気動車開発の失敗と、それに続くキハ40系列での技術的後退が、ここで本来なら淘汰されるは ずだったキハ58形などの老朽気動車の延命につながったといえよう。なにしろ山陰線京都口に登場したキハ40・47形には冷房すら付いていな かった。走行性能面でも、同じ非冷房なら2エンジンを持つキハ58形を連ねて走る方がよく、非力なキハ28を連ねて走る場合でも、冷房が入る 分だけキハ40系列よりはましだからである。
 国鉄における気動車開発の歴史は、事実上この形式をもって終わった。ここで触れなかったものとして、久留里線のキハ38や、通勤形気動車キ ハ30など傍流に属する気動車があるにはある。しかし、「ディーゼルエンジン」という視点で述べるなら、これらの車両に関して上記の記述に付 け加えることは何もない。これらの形式も、同じエンジンを搭載した車体のマイナーチェンジ車に過ぎないからである。
 ともあれ、国鉄の気動車エンジンの歴史も、こうしてみると鉄道の盛衰と軌を一にしていることが見て取れよう。栄光の前期、そして衰退の後 期。そこには、時代に翻弄される鉄道車両たちの悲喜こもごもの歴史が詰まっていると思う。ただ一つ言えることは、それでも筆者は気動車たちが 好きだと言うことである。これからも、非電化の鉄路がある限り、気動車は永遠に不滅である。
 気動車、万歳!

・本文中使用されている気動車のエンジン形式について
 本文中で使用されているDMH17H、DML30HSなどのエンジン記号は、国鉄制式のエンジン形式称号に基づいている。この称号は、 もともと国鉄が部内用に定めたものであるが、気動車のエンジン性能を簡潔かつ網羅的に表現できる便利な称号であることから、鉄道趣味誌や ファンサイト、在野の研究論文等でも広く用いられてきた。当然、本論文においてもこの型式称号を用いることとしたが、本論文にアクセスさ れた皆様のために、それがどのような意味を持った記号であるのかについても述べておく必要がある。ここでは、急行形気動車キハ58形の走 行用エンジンDMH17H形、及び特急形気動車キハ181形の走行用エンジンDML30HSE形、発電用エンジンDMF15HS-G形を 例に解説する。

・DMH17H形
 ・「DM」はディーゼルエンジンを表す「Diesel Moter」の略である。(ガソリンエンジンの場合はGMとなるが、現存しない)
 ・DMの次に来るアルファベットはAから順に1、2、3・・・の順でシリンダ数を表す。Hはアルファベットの8番目なので、8気筒であ る。
 ・数字はシリンダ容量を表す。単位はリットル。
 ・数字の直後のHは、横型エンジンであることを示す。縦型エンジンにはHの表示はしない。
   
 この称号から、DMH17H形は「8気筒、シリンダ容量17リットルの横型ディーゼルエンジン」であることが分かる。

・DML30HSE形
 ・基本的に表現方法は上のDMH17H形の場合と同じで、Lは12気筒、30はシリンダ容量(30リットル)、Hは横型エンジンを表 す。
 ・横型を表すHの直後のSはSupercharger(過給機)の略で、過給機付きエンジンすなわちターボエンジンを表す。
 ・基本形式から同系列内で改良されたエンジンについては、Aからアルファベット順に最初の改良形はA、2番目の改良形はB・・・の順で 文字を付ける。この形式の場合はEなので、5番目の改良形、基本形を含めるとDML30HS系列の6番目のエンジンということになる。
 注)この文字は、走行用エンジンの場合原則として最後に付けられ、発電用エンジン(次項を参照)の場 合には発電用を示す「-G」の直前に付けられる。

 この称号から、DML30HSE形は「12気筒、シリンダ容量30リットル、横型で過給機付きディーゼルエンジン」であり、 DML30HS系列の5番目の改良形式エンジンであることが分かる。

・DMF15HS-G形
 ・基本的に表現方法は上の2形式の場合と同じで、Fは6気筒、15はシリンダ容量(15リットル)、Hは横型エンジン、Sは過給機付き を表す。
 ・国鉄では、発電専用として使われるエンジンの型式には「-G」を付けて走行用エンジンと区別していた。これもそのような例の1つで、 発電専用として使われるエンジンであることを示す。
 注)用途が発電用であるだけで、構造・性能面で違いがあるわけではない。また、走行用エンジンが発電 の用途を兼ねている場合は、原則として「-G」の文字は使用しない。

 この称号から、DMF15HS-G形は「6気筒、シリンダ容量15リットル、横型で過給機付きディーゼルエンジン」であることが分か る。ただし、用途は発電用である。
 

(注)
*MAN社・・・ドイツの有名なエンジンメーカー。日本では気動車用のディーゼルエンジン実用化に一応のめどが付いた後も、ディーゼル機 関車のエンジンにはなかなか実用化のめどが立たず、純国産の大型ディーゼル機関車DD51型が開発されるまでは外国の技術に頼った。我が 国初の電気式ディーゼル機関車DF50型もその一つで、ドイツのズルツァ社製エンジンのほか、MAN社製のものも用いられた。

*機械式・・・現在、日本の内燃車両でエンジンの推進力を動輪に伝える方式は、一部に電気式が使われているほかは全て液体式である。液 体式とは、液体変速機(要するにAT式自動車のトルクコンバーターの鉄道版)を介して推進力を伝えるものである。電気式とは、ディーゼル エンジンを発電用として使い、車輪は電気モーターで動かすもので、一見自動車のハイブリッド車(トヨタ「プリウス」)と機構が似ているよ うにも見えるが、そもそも走行は電気モーターのみで行われる点でハイブリッド車とは異なっている。そして、機械式とは自動車のMT車同 様、機械式の変速機を運転士がマニュアル操作(ギヤチェンジ)するもので、液体変速機の技術が確立しない初期には実例があったが、重連総 括制御(2両以上に連結した車両を先頭車の運転台から総括制御すること)ができないと言う致命的欠点のため姿を消した。

*縦型エンジン・・・ここで言う縦型、横型とは、ピストンが運動する方向のこと。横型エンジンはピストンが横向きに運動するエンジンの ことで、縦型と比べ騒音が少ないという利点があり、エンジンがむき出しの状態で元々騒音の大きい鉄道車両では横型のみが生き残った。

*2エンジン車の冷房電源問題・・・急行形キハ58のほか、特急型のキハ80・82でも同じ問題が起こったが、特急はそもそも固定編成 で走り、急行のようにフレキシブルに編成を変えて運転することがないため、大きな問題にはならなかった。

*汎用形・・・国鉄の気動車には特急形・急行形・一般型(電車の「近郊形」に近い)・通勤形の4種類があったが、汎用形はこの枠を越 え、急行から快速・普通列車に至るまで幅広い運用を目指しており、実際にそのような設計をしていた。2扉で、転換式クロスシートを持ち、 扉部分にだけロング席を併設したアコモデーションは、当時の電車で言えば117系がこれに当たる。現在、各地のJR線で運転されている 「新快速」などにこの座席配置を持つものが多い事実から考えると、時代を20年近く先取りした画期的なものだった。それだけに、エンジン 開発面での失敗でキハ66・67がその後増備されなかったことが惜しまれる。

・本稿中にリンクしている気動車のサウンドは、当サイト管理人自ら筑豊本線・篠栗線で録音したものである。
 ・本稿執筆に当たっては「JR全車両ハンドブック1999年版」(株式会社ネコ・パブリッシング社刊)を参考とした。

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