「鉄道ジャーナル」投稿文のページ
このページでは、管理人が愛読誌「鉄道ジャーナル」に投稿した過去の投稿文をご紹介しています。
・国土交通省への期待とその課題
橋本首相が火ダルマになってもやりぬくと宣言した行革の目玉「中央省庁等改革基本法」が成立した。様々な紆余曲折はあったが、運輸省は、建
設・北海道開発・沖縄開発の各省庁と合併して「国土交通省」へ移行するという。膨大な公共事業予算とおびただしい許認可権とをあわせもつこの
マンモス官庁に対して、将来だれもコントロールできない「怪獣」化するのではないかと危惧する向きがすでにある。この点に関する論評は他のメ
ディアに譲るとして、ここでは交通政策の観点から新生−国土交通省への期待、また、そのかかえる課題について論評したい。
国土交通省の成立によって、交通界としてはなによりも行政間のセクショナリズムが取り払われることになるのが大きな前進である。とりわ
け自動車交通に関しては、これまで生産・販売は通産省、車検など保安に関することは運輸省、道路は建設省、信号や標識は警察庁に分かれる
という、日本の縦割り行政の象徴でもあった。運輸省と建設省が一本化されることで、真の意味での「総合交通政策」の実現が期待される。
国土交通省が取り組むべき最大の課題は、まず大蔵省でさえ口出しできず、事実上「聖域」となっている道路特定財源――自動車重量税・ガ
ソリン税の使い道に切り込むことである。この特定財源のため、都市鉄道の混雑緩和や地方ローカル交通の体質改善のための投資がおざなりに
なる一方、年度末が近づくと、毎年同じ道路の同じ場所が「予算消化」のために掘り返されるという珍現象がつづいている。たばこ税など他の
税金は一般財源として使われており、重量税・ガソリン税を鉄道や港湾整備に使ってもなんら問題はないのだし、モータリゼーションが旧国鉄
の財政を悪化させる一因ともなったのだから、旧国鉄の累積債務の償還にも一部を充当すべきであろう。
次に、貨物輸送におけるモーダルシフト(貨物輸送の自動車から鉄道・海運への転換)をいっそう推進したい。排気ガスによる環境悪化、過
酷で劣悪な深夜労働とこれが敬遠された結果としての人手不足がもたらす過積載などの法令違反――これらはすべて、日本の物流が道路交通へ
過度に依存したことによるものと考えられよう。自動車・鉄道・航空・海運がバランスよく物流を担ってこそ、均整のとれた社会資本整備につ
ながる。環境や労働の問題にも一定の解決策となることはまちがいない。
このほか、各交通機関同士が補完輸送を高めるための接続改善、ターミナル整備や、都心の道路の渋滞を解消するための「パーク・アンド・
ライド」施策の推進なども実施する。建設省が進めている「道の駅」を、鉄道が近接するところでは鉄道駅・バス停とリンクさせ、「交通総合
駅」として整備するなどの施策も、公共事業のむだを省くためには一考に値しよう。
省庁再編により誕生するマンモス官庁には弊害もあるが、一方交通界からの期待も並大抵のものではないはずである。国土交通省が私たちの
前にどのような施策を見せるか、国民の、またレールファンの一人として注視したい。
〈1998年6月投稿。この投稿は、月刊「鉄道ジャーナル」1998年9月号「読者論壇」欄に掲載されました〉
・迫り来る山陽新幹線の重大危機
6月の福岡トンネル外壁落下事故から3ケ月余りの10月,また同じ事故が起こった。
山陽新幹線のコンクリート建造物に欠陥があることは,すでに開業の段階から言われており,阪
神大震災の際に発生した兵庫県尼崎市内での高架橋崩落事故によって,その疑いはさらに深まった。『コンクリートが危ない』(岩波新書)の
著書もある小林一輔・千葉工業大学教授によれば,山陽新幹線の調査を始めた16年前の段階で,すでにそのコンクリート構造物の劣化は覆い
がたいほど進行していたという。(『運転士も怯える山陽新幹線重大危機』「週刊朝日」7月16日号28ページ掲載記事から)
なぜ山陽新幹線だけにこうした事象が起こるのかは,概ねマスコミ報道のとおりであろう。いわく,高度成長による建設ラッシュでコンクリートが不足し,劣悪
な品質のものを用いざるを得なかったこと,コンクリートに海砂を混ぜたことによる塩害,突貫工事による手抜きの横行…。そして極度の財政
悪化と事なかれ主義の蔓延によって施工業者を十分監督できなかった国鉄当局の怠慢も背景にあると思う。JR西日本は,山陽新幹線に特有と
思われるこれらの原因について認めたがらないが,山陽より11年も前に開業した東海道新幹線でもこれほど深刻なコンクリートの崩壊は報告
されていないから,やはりこうした時代背景によるものだと推測して概ね間違いはないと思う。
これらはいずれも旧国鉄時代に発生した要因であり,JR西日本としては国鉄から引き継いだ施設を使用していく以外にないのだから,その点では同情もできよ
う。しかし,事後措置のあり方に関して言えば同情の余地は全くない。6月の事故の後,会社がもう大丈夫と安全宣言した,その舌の根も乾か
ないうちに再び起こったものであるからだ。
今回の事故をめぐり,運輸省内ではJR西日本に対し,鉄道事業法に基づく「業務改善命令」
を出して強制的に列車の運行を中止させてでも全面検査を行わせるべきだとする厳しい声が日増しに強まっているという。一方,前述の「週刊
朝日」の記事中で小林教授が行った予測は,我々の想像をはるかに越えた衝撃的なものであった。JR西日本が,可能な限りの安全対策をすべ
て講じたとしても,山陽新幹線の寿命はあと15〜20年くらいで尽きるだろうというのだ。
もし,この予測が事実なら,もはや列車の運行どころではない。しかし,どんなに劣悪な設備
であっても,日々の点検と対策をきちんと行い,少しでも異常が見つかれば直ちに列車を止めて点検するという安全の基本を遵守するなら,事
故は必ず未然に防げる。
電化直前の常磐線を舞台に,SL急行「みちのく」の安全運行に命を懸ける若き乗務員の姿を
描いた「ある機関助士」という映画がある。主役の「ある機関助士」はこう語る。「はたで見ている乗務員の仕事が,自分のこととなると違っ
てくる。乗務員にとって一度の誤りも許されないのだという教訓を,息苦しいほど繰り返される。…安全のため確認が行われる。物を確かめ,
目で確かめる」
コンクリートに限らない。9月の保線車の脱線事故にしても,山口県内での長時間停電事故に
してもそうだ。JR西日本は「物を確かめ,目で確かめる」真摯な努力を一体どれだけ払っただろうか。逆に,できる限りウヤムヤのうちに事
態に幕を引き,一刻も早く運転を再開させて日銭を稼ぐことしか考えていないように見える。それが単なる私の杞憂であってくれるとよいのだ
が。
私には今,聞こえてくるのだ。しのび寄る「安全神話」崩壊の日の足音が−−。
〈1999年10月投稿〉
・JR労働問題−−国労は今こそ度量を発揮せよ
旧国鉄の分割・株式会社化に際して1047名がJRに不採用となった国労組合員らの再雇用問題
がいよいよ大詰めを迎えようとしている。5月末に与党3党と社民党は、「国労側がJRに法的責任がないことを認めること」を条件として、
(1)与党がJR側を、社民党が国労側をそれぞれ説得すること、(2)和解金について4党で検討すること−−を骨子とした「4党合意」を
既に発表し、国労側の出方をうかがっているというのが現在の情勢である。
ゲタを預けられた形の国労は、7月初旬、いったん臨時大会を開いて4党合意案の受け入れに
ついて承認を求めようとしたが、JRの責任を訴えて13年間、激しい闘争を続けてきた各地の「闘争団」の意を受けた反対派代議員らが納得
せず、壇上を占拠するなど混乱したため、執行部は大会の休会を宣言し、2ヶ月近くにわたって事態の収拾に努めてきた。報道では、混乱を招
いた責任を取る形で現執行部が総辞職し、新執行部の手によって全組合員による投票を行って4党合意案への態度を最終決定するという。
一時期、全国各地の労働委員会でJRの責任を認める「救済命令」が相次いで出されたことを
考えれば、今回の4党合意案を受け入れることは、国労にとって明らかに後退であり、各地の闘争団員らの納得できない気持ちはもちろん分か
る。しかし、労働組合とは組合員の首を守るための組織であり、再雇用をどう実現するかを第一義的に考えるべきであることは言うまでもな
い。
その意味で、今回国労執行部が早い段階で組合員の再雇用実現のために4党との協議の席に着
いたこと自体は高く評価できよう。執行部にとって誤りだったのは、各組合員の意見をきちんと集約するという、組合民主主義を守るための最
も基本的な手続きを怠り、執行部だけで受け入れに向けて先走ってしまったことにある。しかし、手続きに瑕疵はあったものの、4党合意案受
け入れは方向性として正しいのだから、各組合員の意見を集約した後は自信を持って反対派の説得に努めてもらいたい。
一方、闘争団員らは、なお反対運動を続け、闘っていく意思表示をするものとみられる。確か
にJRの雇用問題はすべからく政治問題であり、旧国鉄から引き続いているこの問題を政治と切り離して処理することはもはや完全に不可能
だ。しかし、私企業となったJRの下で、状況は国鉄時代とは根本的に異なってきている。国鉄時代、職員の労働条件を改善させるための労働
組合の闘いは、公共企業体として全て政治に結びついていた。そのため、自分たちの職場の問題を解決するために政治と向き合うことは必然と
言えた。しかし、現在のJRは株式会社であり、社員の勤務条件も、和解金も、政治の介入を待つことなく自分たちで決められる組織になって
いる。そうした時代に、旧態依然とした政治闘争優先のスタイルを固守したのでは、いずれ必ず国労自身の存在意義が問われるだろう。
私自身、現在鉄道とは全く無関係の職場で働いているが、就職してからほとんどの期間を組合役員
として労働運動に関わってきた経験から言えば、国労組合員は労働者としての大切な仲間であり、とても他人事とは思えない。その仲間たち
に、雇用のためとはいえ妥協せよと主張することは断腸の思いである。しかし、解雇から既に13年が経過し、多くの組合員が高齢化する中で
死亡する仲間、脱落していく仲間が出ているのも事実である。組合員の生活を第一に考えるなら、執行部、闘争団そして一人一人の組合員が真
剣に現実と向き合い、かつて日本の労働運動をリードしてきた中核組合としての度量を今こそ発揮すべき時である。残された時間はわずかであ
り、今回を逃せば解決の機会は二度とない。
〈2000年11月投稿〉
・自動閉塞の地方
私鉄こそATS完備を
6月24日に京福電鉄で2度目の正面衝突事故が起きてから4ヶ月近く経過したが、同電鉄では相変わらず運転再開の目途すら立たない。地
元では交通渋滞の悪化、慢性化で運転再開へ期待の声が上がる一方、運転中止が既成事実化しつつもある。
国土交通省による史上初の事業改善命令という、鉄道会社にとって「屈辱」ともいえる行政指
導を同社が甘受せざるを得なかった原因には、言うまでもないことだがATS未整備、すれ違い列車の確認の不徹底など安全対策の根本的不備
が挙げられる。運転再開のためには行政当局を納得させ得る安全対策の徹底がどうしても必要で、報道によると運転再開のためには9億から
10億もの新たな費用が必要だという。
ところで、こうした問題をひとり京福電鉄だけの特殊事例と片づけて良いものだろうか。むし
ろ私の見る限りでは、京福以外でも相当数の地方私鉄が同様の構造的問題を抱えているように見える。
6月の事故では、同社の路線が旧態依然とした非自動の閉塞方式ではなく、自動閉塞という最
も近代的な閉塞方式を採り、駅の無人化などの合理化もそれなりに進んでいた点にまず驚かされた。マスコミや我々ファンまでが、この種の事
故が最も起こりにくいと信じていた路線での事故だったからである。私自身もまた、さまざまな報道を基にこの事故の原因を自分なりに探る作
業を続けてきたが、どうやら我々が疑わねばならないのは「自動閉塞の路線が最も安全」というこの常識のようである。
多くの人員を必要とする非自動閉塞は全国的に相次いで自動化された。発券業務・集改札業務
も機械化された駅からはまず駅員が消え、次いで列車のワンマン化で車掌も消えた。合理化が極限に達した多くの鉄道では、孤独となった運転
士の業務負担が以前とは比べ物にならないほど増えた。もちろん運転士もできる限りの努力はしているようだが、彼らも所詮は人の子である。
疲れもすれば過ちも犯すだろう。
人は過ちを犯すものだという前提に立てば、むしろ重要なことは、ひとりが過ちを犯したとき
にそれを是正するシステムが構築されているかどうかである。合理化以前の鉄道の現場では運転士が過ちを犯しても、車掌、駅員…何重もの
チェックの眼が光っていた。しかし要員が合理化された路線では、チェックしてくれる車掌や駅員はいない。加えてATSもない路線では、赤
信号に気付かず列車を発車させてしまったら、誰もそのことを知らせてはくれないのである。私の知る限り、京福と同様自動閉塞でATS未整
備の鉄道会社が数社ある。それらの鉄道と京福との間にもし違いがあるとしたら、それは習熟した運転士が「たまたま」過ちを犯さなかっただ
けのことだろう。最も近代化されたはずの自動閉塞の路線こそ、今最も危険な場所になっているのだ。
多くの地方私鉄は現在、列車を日々走らせるだけでも青息吐息の苦境に置かれている。未曾有
の財政危機の中行政当局にカネがないことも承知している。だが乗客の安全には代え難い。せめて自動閉塞化で要員が合理化された鉄道会社だ
けでもATSを完備するべきである。あるいは今後、合理化で人員を削減する鉄道会社にはATS整備を含めた安全への投資を義務づけてはど
うだろうか。既にATS未整備のまま無人化、ワンマン化を終えた鉄道会社での整備も含め、政府が財政支援を拡充するのも1つの有効な手だ
ろう。
京福の2度にわたる事故は、日本の地方私鉄の思わぬ落とし穴をあぶり出した。この落とし穴
を早急に埋めることが、事故で負傷された方への何よりの薬効になると信ずる。
〈2000年9月投稿〉