さようなら原発北海道集会スピーチ
2014.3.8
福島県最大の都市、いわき市で福島原発告訴団が結成されたのは2012年3月でした。事故から1年間は、事故の大きな衝撃で誰もが茫然自失となり、表だった行動ができないまま過ぎていました。東京で大きな反原発デモが毎週のように起きているのに、福島県民が怒りを表現する場もなく、このままでは忘れ去られるのではないか。福島の怒りを表現するために何ができるのか。熟慮した末にたどり着いたのが、原子力ムラの刑事責任を追及することでした。
福島原発から恩恵を受けてきた人たち、事故で大きな被害を受けながら、それでも地元に仕事がなく、東電で働かざるを得ない人たちも多くいるのが福島です。原発を巡って複雑な利害関係が入り乱れる福島でも、事故を起こした人の責任追及であれば全県民の要求にすることができると私たちは考えたのです。また、最も大きな被害を受けた福島県民が怒りを表現しなければ、いくら東京の人たちが怒りを表明したとしても、本気と受け止められなくなる恐れもありました。
2012年6月の第1次告訴には、福島県民1,324人が加わりました。福島県の人口は約200万人であり、第1次だけで県の人口の6%に当たる人々が刑事告訴に加わったのは前例がなく画期的なことです。その後、2012年11月には日本全国に加え、海外からも含めた13,262人が告訴に加わりました。
第1次告訴をした人の約半数に当たる700人余りの人々が、検察に陳述書を提出しました。陳述書とは、自分がどんな被害を受けたかを申告する書類です。提出が義務ではないにもかかわらず、これだけの人々が提出したことは、福島県民の原発事故への怒りがどれだけ強いかを表すものです。
私たちは、検察当局に対し、何度も強制捜査(家宅捜索)をするよう要求し、声を上げ続けてきました。しかし検察は私たちの要求に答えることなく、関係者から何度か任意で事情を聞くだけで、ついに強制捜査さえ行わないまま不起訴の決定を行いました。しかも事件を福島地検から東京地検に移送し、移送先の東京地検で不起訴の決定を行うという、信じがたい暴挙です。検察審査会法では、不起訴処分を行った地検を管轄区域とする検察審査会にしか審査申し立てができないと決められており、これは、原発事故への怒りが燃えたぎっている地元、福島の検察審査会で審査ができないようにするために仕組まれたものでした。
仮に不起訴という結論であったとしても、強制捜査で資料を押収し、証拠を精査した結果であるならば、私たちは不満はあっても希望を見いだすことができます。しかし、強制捜査という最低限の仕事すらしないまま、地元検察審査会での審査の道を閉ざす形での不起訴処分とあっては、私たちは次への希望すら見いだすことができません。
裁判員制度の開始とともに検察審査会法も改正され、起訴相当の議決が2回続けて出れば、「被告人」は強制起訴されます。刑事責任の追及を何とかして免れようとする国の意思と無関係に、市民が東電関係者を強制起訴できれば、裁判により証拠の提出や関係者の証言が期待できます。被告人が有罪になればもちろん、ならなくても貴重な証言や証拠が法廷に提出されることで、事故原因の究明が進めば、原発の危険性も明らかにでき、脱原発への道筋はより具体的なものになるでしょう。だからこそ私たちは、決してあきらめることなく、起訴相当の議決が出るよう東京で検察審査会に対し、様々な要求や働きかけを行っています。
大飯原発が再稼働されようとしていた2012年6月、20万人が官邸前を埋め尽くし、6万人が集会に集結した東京都民の良識を私たちは信じています。東京の検察審査会で強制起訴の議決を勝ち取ることができれば、原発立地地域の福島と、その電力の消費地であり、東電本社の所在地でもある東京が責任追及で再びひとつになることができます。原発事故の告訴・告発を東京に移送したことを検察に後悔させられるような闘いの形を、今、再びしっかりと固め直すことが、事故から4年目の私たちの課題です。また、汚染水漏れの刑事責任を追及するための第2弾の刑事告発も福島県警に対して行い、強制捜査を求め続けています。
今日、この会場で、数は少ないですが、福島原発告訴団のブックレット「これでも罪を問えないのですか」を販売しています。告訴・告発に加わった人々の中から、50人の陳述書を収録し、本にしたものです。この50人の陳述書も、福島県民が受けたおびただしい原発事故の被害のほんの一部に過ぎません。陳述書を書いた人はこの十数倍に上り、その陰には、被害を訴えたくても声も上げられないでいる人がさらにその数百倍、数千倍いるという現実を知っていただきたいと思います。
これでもなお原発再稼働、輸出などと言っている人たちは本当に狂っています。彼らを同じ人間と認めることさえできないほどの怒りが、事故から3年過ぎようとしている今なお、私の心から離れることはありません。
今年2月、福島県民健康管理調査検討委員会の最新の発表によれば、福島の子どもたちの甲状腺がん「確定」は33人、甲状腺がん「疑い」は41人で、合計74人になりました。子どもの甲状腺がんは、通常では100万人に1人といわれており、極めて異常な数字ですが、国も県も、健康管理調査を行っている県立医大も、「後で発見されるはずだったがんが、検査機器の性能向上でたまたま早めに見つかっただけだ」と言い張り、決して原発事故との関係を認めようとはしません。もし仮に彼らの主張通りだとしたら、甲状腺がんは放射能と関係がないのだから、北海道でも沖縄でもこの異常な比率で発生するはずであり、全国での調査が必要なはずです。それにもかかわらず、彼ら自身が県民健康管理調査を福島だけでしか行っていません。このこと自体、放射能とがんの間に「関係がある」と彼らみずから告白しているようなものです。
県民健康管理調査を主導してきた県立医大の山下俊一副学長は、これまで「安定ヨウ素剤は飲まなくてよい」「飯舘村で私の孫を外で泥んこ遊びさせろというならお安いご用だ」などと、県民に安全、安心を振りまいてきました。しかし最近になって、当の県立医大の職員らが、自分たちだけ安定ヨウ素剤を飲んでいたことが、市民の情報公開請求によって明らかになりました。県民には「不安を煽るな」としてヨウ素剤を飲ませないでおきながら、彼らは自分たちだけちゃっかりと、安定ヨウ素剤を飲んでいたのです。
溺れている一般市民を蹴落として、自分たちだけ最も頑丈な救命ボートに真っ先に乗り込む・・・残念ながら、こういう人たちが日本を支配し、原子力ムラを支配しています。政府や原子力ムラが、どんなに厳しい安全審査をして、1万回「安全」と繰り返そうと、原子力という技術をこのような人々が握り続けている限り、次の事故は避けられないでしょう。日本では、ヒューマンエラー(人為的ミス)こそが最も問われなければならないのに、再稼働に向けた安全審査の項目にヒューマンエラーが含まれていないのです。技術以前の問題であり、このご都合主義的で適当で無責任な「人間」「技術に携わる人たちの倫理」を見つめ直し、問い直すことのできない人たちに原子力を扱う資格はありません。それでも原子力を扱いたいと固執し続ける原子力ムラ住人に対しては「原子力そのものを廃絶する」以外に、福島からの答えはありません。
国、地方自治体、電力会社、原発メーカー、学者や研究機関、マスコミ、裁判所・・・日本の隅々まで、あらゆる組織が原子力帝国に組み込まれ、がんじがらめにされてきました。その中でも最も醜悪なのは、先ほど述べた医師や学者に加え、裁判所とマスコミだと思います。この3つには実は大きな共通点があります。どれも「戦争責任を全く取っていない」ということです。裁判官は誰1人責任を取らず、マスコミも(当時は民放はなく、新聞とNHKだけでしたが)誰1人責任を取りませんでした。学者、特に医師に至っては、戦後、日本学術会議が発足するとき、戦争に協力した学者の姿勢をまず反省してから組織を発足させるべきではないかという良心的な学者たちの声を先頭に立って潰し、責任など取らなくてよいと主張し続けたことが『科学と技術』という本に書かれています(武谷三男著、勁草書房、1969年)。戦争責任を取るべきだという声を先頭に立って潰した医師たちが、今また先頭に立って「放射能とがんは関係ない」「全ての病気はストレスのせいだ」と主張し、被害をもみ消しているのです。
万死に値する重罪を、一度ならず二度までも犯した彼ら医師たちの責任を、私は福島で被曝を経験した元県民、被害者の1人として、今後一生をかけて追及し続ける決意です。これこそが、日本の戦争のために傷付き、倒れていった全てのアジア諸国の人々と、今また傷ついている福島の人々のための私の義務であり責任だと考えます。
福島で起きていることは、まともな法治国家なら考えられないことばかりです。政府も検察も東電の代理人と化しています。加害者、犯罪者であるはずの東電が平然と賠償を査定し、「お前にはこれだけくれてやる」と居直っているのが福島の実態です。
この会場で販売している福島原発告訴団のブックレットには、「普通なら罰を受けるはずなのに、何で東電だけ罰せられないのですか。えこひいきじゃないですか」という11歳の小学生の訴えも収められています。11歳の子どもにまでこのように言われてしまう無責任大国ニッポン。被害者だけが泣いて終わる「無責任の日本史」に新たな1ページが書き加えられるだけ・・・そんな歴史を、今度こそ私たちは断固として拒否しようではありませんか!
北海道の皆さんにお願いがあります。泊原発の再稼働をなんとしても止めてほしいのです。地震が少ないから安全、経済が回らないから仕方ない、ではありません。繰り返しになりますが、福島県民にヨウ素剤を飲まなくていいと言いながら、自分たちだけはさっさとヨウ素剤を飲むような連中が推進する「原子力」などあなたは信じられますか? 厳しいけれど世界中に誇れる豊かな自然を持ち、原発事故の被害をほとんど受けなかった北海道には、福島から避難してきた人たちにとって楽園であり続けてほしいのです。そんな北海道を守り抜くために、これからも皆さんとともに闘っていきたいと思います。