御巣鷹事故25 年〜継承の夏・転機の夏

 

 

 2010年の夏は暑かった。暑いというより熱いと表現すべきかもしれない。何しろ日本の気象台が観測を始め て以降の110年間で最も暑い夏だったというのだから。

 そう言えば、忌まわしい日本航空123便事故が起きた25年前の夏も熱かった。あれからもう四半世紀。事故 以来ずっと御巣鷹の動きを見守り続けてきた筆者にとって、今年の夏はひとつの転機を感じさせるものとなった。

 

● 国土交通大臣の初慰霊登山

 

事故から25年目を迎えた2010年8月12日、前 原誠司・国土交通大臣が初めて御巣鷹に登った。政権交代による意識の変化、閣僚の若返りが現職国土交通行政トップの慰霊登山を可能にしたといえるかもしれ ない。

追悼慰霊式であいさつした前原国交相は、被害者の家 族で作る「8・12連絡会」が要望していた公共交通機関などの事故被害者への支援について「仕組みやあり方を今年度中にまとめ、12年の通常国会での成立 を目標に、法制度の整備に取り組む」と述べた。また、支援の具体的内容については「被害者への事故直後の混乱時の情報提供や長期のメンタルケア、加害者と の間に入った補償や生活支援のあり方」などを挙げた。

「責任を明らかにする捜査より、事故原因調査の優先 を」という要望については「我が国に事故調査と犯罪捜査の優先関係を定めた規定はない」と述べたうえで「事故の原因をすべての段階で明らかにしていく事故 調査の実現に向け、仕組みを検討し、結論を早急に得たい」と前向きな姿勢を示した。

123便事故が起きた当時と現在とを比べてみると、 大きく前進した点がある。国民の安全に対する要求が当時では考えられないほど高度化、多様化したことだ。安全は国民の最大の関心事になった。食の安全への 要求も高まり、食品事故を起こした企業は市場から退出させられるのがむしろ当然という時代になった。公共交通を担う企業も、独占を許されていて市場からの 退出こそさせられないが、国民・利用者の視線はかつてないほど厳しいものになってきている。その転換点になったのがこの事故であり、そして2005年の JR尼崎事故だ。

「被害者への事故直後の混乱時の情報提供や長期のメ ンタルケア、加害者との間に入った補償や生活支援」が今ほど切実に求められているときはない。日航は123便事故の後しばらくの間、被害者に真摯な対応を とらず、むしろ事故を一刻も早く忘れ去りたいかのような姿勢で多くの批判にさらされた。JR西日本は今なお被害者への真剣な補償を行おうという意思にまっ たく欠けている。事故を起こした企業に対して、被害者への真剣な対応を強制させるようなシステムが検討されてもいいのではないか。もっとも、何が「真摯な 対応」なのかが理解できていないJR西日本のような企業には、効果はないかもしれないが。

警察と事故調査委員会の関係については、1972 年、旧航空事故調査委員会設置の際に警察庁と運輸省の間で締結された覚書が未だに有効なものとして運用されている。表向きは捜査機関と事故調査機関の対等 性を強調した内容になっているが、実際には警察が先に証拠物件を押さえてしまい、事故調査委員会の調査に支障を来すことが少なくなかった。

大規模な公共交通の事故に当たって大切なことは処罰 よりも原因究明と再発防止にある。関係者の処罰はあくまで原因究明に付随するものでなければならない。そのためには、この覚書にとらわれるのではなく、む しろ事故調査機関の調査を優先できるような新しい制度設計を進める必要がある。

 

● 事故被害の継承へ

 

 御巣鷹の風景に大きな変化が起きつつある。今年の特徴をひとことで表現するなら「追悼から継承へ」となるだ ろう。25年の歳月が経過し、高齢化によって慰霊登山を断念する遺族が現れる一方、子ども・孫などが遺族に代わって慰霊登山を行うことによって、遺族の思 いと事故を継承していく新たな動きが顕著になったからである。

 さいたま市中央区の小林準也さん(20)は、亡くなったおじ、加藤博幸さん=当時(21)=の慰霊登山に一 家で訪れた。小林さんは就職先に、同じ公共交通であるJR東海を選んだという。入社1年目、社会人として初めての慰霊登山で、亡きおじの墓標に「安全を守 る仕事に就きました。安全を受け継いでいきます」と報告した。

 昨年の8月12日にはJR尼崎事故遺族が御巣鷹に登ったが、今年は東京都港区のエレベーター事故(2006 年6月)で息子を亡くした市川正子さん(58)も1カ月半かけて自ら折った千羽鶴を持って慰霊登山に訪れた。市川さんは、事故遺族という共通の立場から御 巣鷹事故の遺族と連絡を取り合うようになった。「御巣鷹は、いろいろな事故の遺族にとってのシンボル。こういう形でみんなが安全を願う場所はほかにない」 と、ある事故遺族は語った。

様々な事故の遺族がバラバラに闘うのではなく、結集 して企業犯罪に立ち向かおうとしている。こうしたしなやかでしたたかな闘いが、国土交通大臣の御巣鷹登山や、JR西日本歴代4社長の起訴などを引き出す力 となっている。

筆者は、改めて520名、そして名前も付けられるこ とがないまま墜落の衝撃で母親から引き剥がされて亡くなった胎児ひとりに哀悼の意を表する。そして、ありもしない急減圧があったとうそぶき、ウソでウソを 塗り固めた恥知らずの事故報告書を公表した旧運輸省、事故調の責任をこれからも問い続けてゆく。

 

(2010年9月18日 「地域と労働運動」第120号掲載)

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