「切り捨てられる北海道~JR民営化30年後の末路」をテーマに「あるくラジオ」に出演した。私にとっては、ネットメディアへの出演は2017年の「レイバーネットTV」以来だ。
JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは2016年11月。それから2年半近く経っているのに、先日の参院予算委員会で野党議員が「10路線13線区の営業キロがJR北海道全体の半分に及ぶ」と発言すると議場内にどよめきが起きたという。北海道内では死活問題となっているJR北海道の路線廃止問題に対し、道外の認識が2年半経過してもその程度ということにまず驚かされた。このままの状況で参院選に突入するのはまずい。この問題を政治的争点に押し上げなければならない。そう考えたことが出演の最大の動機だった。
ラジオというメディアを、私は当初「テレビに映像がないだけ」だと割と簡単に考えていた。私にはこれまでこの問題や、3.11を福島で経験したこともあって原発問題でも多くの講演依頼があった。見栄えのするスライド資料などを事前に作成して臨むことも多かったが、ラジオでは見栄えのする資料など作成しても意味がない。今回は、JR北海道が公表している決算資料や、基本的なデータ・資料集だけを手に「出たとこ勝負」感覚で臨んだ。手持ちのデータ・資料集に入れる内容は、膨大なファイルの中から、本番3日前に直感的に選んだ。過去の講演での経験から、問題のポイントがどこにあるかはわかっていた。
子どもの頃に放送部などの経験もない私にとって、映像がないため「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性を本当の意味で理解したのは本番開始直前だった。「非難」と「避難」、「勧告」と「韓国」など誤解を招きやすい同音異義語、一般の人も多く聴く可能性がある中で関係者しかわからない労働組合用語なども避けよう、と覚悟が固まった。だがいざ本番が始まってみると、事前に作られた進行表と松原明さん、しまひでひろさんの的確な仕切りもあり、テレビよりは気負わずに北海道の現状をオープンにできたと思う。テーブルの上に置いたペットボトルのお茶には手を付けることができなかったが、後半が始まる頃には渇きを癒やすために飲んでもいいのかな、と思えるほど余裕が生まれていた。
オープニングでは、「人らしく生きよう~国労冬物語」の予告編音声が流された。1987年、分割民営化に反対しているという理由だけで1047名の鉄道員が解雇された。映画はその闘いの経過と被解雇者のその後を丹念に追っている。実際は黒字なのに赤字と偽って企業を倒産させ、労働者を解雇するやり方は以降、民間企業にも広がった。「ニッポン総ブラック化」の原点がここにある。この春、久しぶりの上映会が都内で開かれ、また新鮮な驚きと感動をもって迎えられたという。被解雇者の家族・藤保美年子さんが壇上で訴える音声を聴くと、私は今もはっきり「あのシーン」が甦る。メディアが伝えなかった「もうひとつの歴史」を刻んだ珠玉のひとコマは、いつまで経っても色褪せることがない。
「人らしく生きよう」は私の人生を変えた作品でもある。この作品に出会わなかったら、これほど多くの人々との出会いも現在の私もなかったことは間違いない。今回の出演でこの作品にまつわる私自身の「秘話」も語らせていただいた。それが何かは番組を聴いてほしい。
「あまり小難しい話や政治的な話をするよりも、映像もないんだし、フランクにやった方がいい」と本番前にアドバイスを受けた。とはいえ私はリスナーとともに「次」への解決策を模索したいとの思いもあってわざわざ札幌から上京している。政治的に特定の層にしか受けないような話より、政治的内容であっても普遍的な話をするほうが無党派層を含め最大級のアピール効果を持つから、そうしてもらいたいという要求だと私は受け止めた。
それなら、これまで各地で講演してきた内容から大きく変える必要もない。「そんなもんバス転換でいいよ」程度の軽い認識を持たれている日高本線が九州に当てはめると博多(福岡市)~長崎に匹敵する路線距離を持っていること、東京の人たちが「北見のタマネギを食べたい」と求めるから貨物列車に乗せているのに、その線路の除雪費用はJRグループの中では日本一高い運賃を通じて道民がほとんどを負担していること……などを訴えた。政府与党の人たちが聴いても「JR北海道の現状がおかしい」とわかるような発言に徹したつもりだ。
現地(新ひだか町~合併前は静内町と呼ばれていた)との電話中継も、「あるくラジオ」としては初の試みだった。中継に応じてくださったのは地元の中心的団体「JR日高線を守る会」の村井直美さん。将来、この路線に乗って通学することになるかもしれない2人のお子さんのためにも今、路線をなくすわけにはいかない。代行バスの不便さ、車いすの障がい者が代行バスに乗れず苦労していている姿--村井さんの目には、普通の人には見えない色々なものが見えている。「列車から馬が見える風光明媚な路線は全国でここだけです」と村井さんは胸を張る。馬、海、山が次々車窓に展開する路線は確かにここくらいしかない。まだ完全乗車は達成していないが、すでに全国JR線の9割以上に乗り、直接この目で確かめた私が言うのだから間違いない。こんな路線をなくしていいわけがない。
こうして、1時間の放送は思ったよりもあっという間に終わった。テレビのような勢いも、新聞のようなお堅さも必要とはされないラジオの特性を生かし、問題の本質はきちんと押し出し、主張すべきことはきちんと主張しながら若干「緩め」のトークに徹したこともあり、リアルタイムやアーカイブで聴いた人の評判もいいという。ひとまずほっとした。松原さんからは「黒鉄さんはラジオ向きのキャラ」とのありがたいお言葉もいただいた。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張することができる」ことが理由だという。
ラジオはテレビとはまったくの別物だと、はっきり理解した。ラジオという媒体にはどんな人が向いているのか。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張する」こと以外にいくつか必要条件があるように思う。まず「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性から考えて、語彙が豊富であること、同音異義語を避けるなど聴取者への配慮ができることは最低限、必要だろう。このあたりは、レイバーネットを初めとするいくつかの媒体で、ライターとして現役で活動していることが大いに役に立ったと思う。「言葉でしか勝負できない」という意味では、ラジオと活字媒体はよく似ているからだ。
ラジオを含むメディアは今、時代の転換点にある。日本民間放送連盟(民放連)が最近になってラジオのAM(中波)帯での放送をやめ、設備にカネのかからないFM(超短波)帯に移行したいと言い出しているのも変化の表れだ。メディアの主役は新聞→ラジオ→テレビの順に交代してきた。ラジオが新聞を圧倒したのは新聞にない速報性があるからだ。テレビがラジオを圧倒したのはラジオにはない映像があるからだ。このように、メディア界では既存のものに「まったく新しいもの」を付加できた勢力が主役を奪ってきた。
インターネットがテレビから主役を奪うという予想に異議を唱える人はほとんどいないだろうが、私はあえてそれを唱えたい。なぜならテレビとネットでは「見えるもの」(画像と音声)に違いはないからだ。最も違うのは、プロでなくても発信側になれることだが、それをいいことにヘイト動画などが跋扈している現状を見ると、ネットで人々が幸せになったようにはどうしても思えない。テレビやネットの時代になって映像重視の傾向と反比例するように「言葉」は軽視され雑に扱われるようになった。テレビ時代、ネット時代になってから政治家や官僚の暴言、失言が増えたのは、言葉で勝負しようという気概が彼らから失われたことにも原因があるのではないかと思えてならない。私のように、ほとんど「言葉だけで勝負」しているライターにとって、言葉が雑に扱われ、共通言語を持っているはずなのに政治的立場の違う人とは対話も成立し得ない日本社会の現状は耐えがたく、今こそ雑な扱いを受けている「言葉」の復権が必要だとずっと思っていた。その意味で、ラジオ出演のオファーを受け、それが成功したことは私にとって大きい。
何度でも繰り返すが、言語化できないものは表現も伝達もできないラジオが「言葉」を失ったら終わりだ。異なる立場の人たちを対話で相互理解し合う社会を再建するための足がかりとして、ラジオは意外に有効なのではないか。そんな感触を抱いた。
この日の放送は、松原さん、しまさん、私と男性3人での放送となった。顔の見えないラジオでは、声が聞き分けられないと誰が話しているのかわからなくなる。誰が何を話しているのかリスナーがきちんと聞き分けられるようにする意味でも、男性と女性がともにスタジオにいることが望ましい。その意味では、事前に人選が決まっていたとはいえ、村井さんの電話でのゲスト出演が結果として大変効果的だったことも忘れずに報告しておきたい。なお、この放送は https://aruku-radio.jimdofree.com/ で聴くことができる。
放送終了後は、スタジオ内の3人で食事に繰り出した。「人らしく」の上映運動が始まったのは2000年7月の国労大会以降だから、松原さんとはもう20年近いお付き合いになる。年月の流れを実感するとともに、日ごろ地方に住んでいる私にとって、松原さんとこんなに長時間、話をしたのも久しぶりだ。最も興味深かったのは、最近、市民上映会などで大ヒットする映画がどれも希望のない作品ばかりだということだった。それを聞いて日本の市民も強くなったな、と思った。こんな市民がふがいない野党だらけの状況の中で、史上最強の安倍政権と闘い、いまだ改憲を阻止しているのだ。
13~14世紀イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌に「地獄の門」が登場する。オーギュスト・ロダンの、この叙事詩を模した作品「地獄の門」には『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』という有名な言葉が刻まれている。この「地獄の門」の一角には有名な銅像「考える人」がある。自分の頭で考える人は、時として地獄の門をくぐってしまう。ロダンはこれらの作品を通じて、そう警告したかったのかもしれない。
だが私はそれでもいいと思っている。地獄の業火で焼かれる覚悟をした者にしか見えない事実もあるのだということを、福島での3.11の経験を通じて知ったからだ。フェイクニュースを垂れ流す側に与するつもりはない。私は人生を賭けて真実を見通し、告発する存在でありたい。たとえその結果が一切の希望を捨て、地獄の門をくぐることであるとしても。