法務・検察の不 愉快な仲間たち

 法務・検察が最近おかしい。こんなことを書くと、長く労働運動・市民運動に携わっている人たちからは「政治 弾圧のための組織である彼らはおかしくて当たり前。そんなことを今さらいうこと自体ナンセンスだ」と笑われるだろう。だから正確には「法務・検察がますま すおかしい」というべきなのかもしれない。

 しかし、ともかく、おかしさが増してきているという認識は多くの人に共有していただけるだろう。西松建設を 巡る政治資金規正法違反事件では、政界ですら「ザル法」と呼ぶこの法律に触れたとして、小沢一郎・前民主党代表の公設第一秘書だけが逮捕された。一方、西 松建設からは、自民党の二階俊博・経産相周辺に対しても政治献金やパーティ券の購入が行われたとされるが、検察の捜査の進展は遅く、ついに業を煮やした市 民団体が二階経産相を刑事告発した。しかし検察は、西松建設による二階経産相のパーティ券購入を巡る疑惑について、早々と不起訴を決めてしまった。

こうした経緯を見ていると、やはり法務・検察は与党 には甘く、野党には厳しい「権力の番犬」なのかと思いたくもなる。もっとも、現職の大臣は在任中、首相の同意がない限り訴追できないという規定があるから (日本国憲法第75条)、これを知らずに告発した市民団体にも落ち度はあるかもしれない。

 ところで、どこの商業メディアも報じないが、今、法務・検察の大幹部ポストにいわく付きの男が座っている。 東京高検検事長の大林宏という人物である。2008年7月に札幌高検検事長から異動し、このポストに就いた。札幌から東京だから「栄転」であることは間違 いない。

 検事長というのは、全国に8カ所ある高等検察庁(高検)のトップである。マスコミにしばしば登場する検事総 長は、最高検察庁のトップであると同時に全国検察のトップでもある。各都道府県にある地方検察庁(地検)のトップは検事正と呼ばれるが、特別捜査部(特捜 部)を持つ東京・名古屋・大阪が他より上位にあることは間違いなく、新任検事たちの憧れは昔も今も東京地検特捜部である。

 さて、その全国8高検のなかでも東京高検は間違いなくトップであり、そのトップである検事長より上は検事総 長しかいないのだから、大林宏という人物は全国検察のナンバー2に上ったことになる。しかしこの人物こそ法務・検察のエースであると同時に、一貫して公安 畑を歩いてきた「公安検察のエキスパート」というべき人物なのだ。

 

● 元共産党員に「転向」迫るため送り込まれた大林

 1980年、中国で27年間にわたって消息不明となっていた伊藤律・元日本共産党政治局員が中国政府から秘 密監禁を解かれ、電撃帰国するという出来事があった。伊藤は、戦前に転向歴がありながらも敗戦直後に再建された日本共産党内で徳田球一書記長に重用され、 政治局員(現在の常任幹部会員)にまで駆け上がったが、その後、ゾルゲ事件〔注〕への関与を疑われて失脚した人物である。時折しも、共産主義者への弾圧を 強めるGHQ当局の「逆コース」政策のなかで、弾圧を受けた指導部が極秘裏に出国し、海外から日本の革命運動を指導するために地下指導部を作った時期に当 たる。実際には、彼らの渡航先は社会主義革命後の中国であり、北京に潜伏した彼らが作った地下指導部は「北京機関」と俗称された。伊藤の失脚は渡航後のこ とだったから、失脚後、伊藤の消息は中国でプッツリと途絶えてしまった。

その後の伊藤の消息については、スターリン時代のソ 連で、同志であったはずの山本懸蔵氏を「密告」し、処刑という運命に陥れていた野坂参三・元日本共産党名誉議長(後に解任・除名)によって死亡説が流され ていた。大部分の日本人は野坂による言説をそのまま受け止めていたから、伊藤の帰国は日本中に大きな衝撃を与えたのである。

ところで、GHQ当局から逮捕命令が出ていた当時の 日本共産党幹部らにとって、正式な手続きを経て出国することはもとより不可能な状況にあったが、そうした事情を考慮しても、正規の手続きを経ない極秘渡航 は出入国管理令(現在の出入国管理及び難民認定法)に違反しており、伊藤がそのまま帰国すれば逮捕されるおそれがあった(伊藤は海外にいたのだから時効は 進行していなかった)。法務・検察側にも、社会主義日本の創建をめざし、皇居前広場を混乱に陥れた「血のメーデー」を実質的に指導するなどした日本共産党 の大幹部、ただで帰すものかという緊迫した空気がみなぎっていた。こうした政治状況のなかで、1980年、帰国する伊藤を出入国管理令違反容疑で取り調べ るため、法務・検察が満を持して送り込んだ公安検事こそ、大林だったのである。

 

● 「転向しなければ帰国させない」

『午後三時過ぎに迎賓館に着いた。…(中略)日本大 使館の当局者はすでに来ていた。大使代理(?)の一等書記官大林宏、一等書記官渡辺、二等書記官某の三人。質問は大林が行い、渡辺が筆記して私に示し、答 えさせる。…(中略)大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟 両方の手を使う。少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだが、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時「外務省出仕」となって いたのである。つまり本物の公安検察官だったのだ』

『私はいっさい黙秘した。大林は隔離査問の場所が不 明では帰国許可に必要な経歴書が成立しないと恫喝し、さらに「あなたは党から除名されたのだから、今さら党に義理を尽くさなくてもいいでしょう。もう話し てくださいよ」と言った』

『この日はなぜか大林ら三人は定刻より少し遅れて やって来た。では経歴書に取りかかろうと切り出した時、大林は目玉を剥いて私を睨みつけた。まるで昔の思想検事そっくりで、これで大林は外交官ではないと はっきりわかった。…(中略)とにかく中国に来てからの経歴書を書け、と大林は命じた。その態度は昔特高が手記を書かせたのと同じやり方である。私の胸に 憤怒が湧き、目が悪いので書けないと拒否した』

『私はなるべく早く帰国手続きをして旅券を出してほ しいと要求したが、大林は、大使館としてできるだけ努力するが、何分本国政府の決定を待たねば、と言外に威嚇を含めた言い方をした。そして、そのあと言葉 を改めて、現在は共産党をどう思っているかと訊ねてきた。いよいよ切り出してきたなと感じた。帰国許可を餌に「転向」を表明させようとする謀略にちがいな い』

 これらは、伊藤が日本帰国後、記憶を頼りに執筆した『伊藤律 回想録〜北京幽閉二七年』(文藝春秋社、 1993年)からの引用である。大林が狡猾なやり方で伊藤に踏み絵を踏ませ、政治的転向を図らせようとした様子が生々しいやりとりとともに克明に記されて いる。伊藤にはいくつかの記憶違いもあるが、概して記述は正確であり、その記憶力は驚異的である。転向のハンディを乗り越え、政治局員まで一気に昇進した 伊藤の高い能力の一端がうかがえる。

 

● 「共謀罪」推進のため暗躍した大林

 検察からいったん法務省に移り、法務官僚となってからも大林は「共謀罪」法案提出に向けて暗躍した。犯罪の 予備を行っただけで「予防拘禁」が可能になる共謀罪法案は治安維持法の再来と言われ、労働運動や市民運動への弾圧につながる可能性の高い危険な法案だっ た。その共謀罪法案の国会審議の過程で、政府参考人として法案の説明を行ったのが、当時、法務省刑事局長の大林だった。彼は「労働組合、市民団体には共謀 罪は適用しない」と答弁してなんとか野党の追及をかわそうとしたが、「官公庁の裏金作りを官僚が共謀して行った場合、官僚に共謀罪は適用されるのか」との 野党議員からの質問に「適用されない」と答弁してしまったのである。お上には適用されず、市民には適用される…共謀罪法案が「治安弾圧立法」であること が、図らずも露呈した瞬間だった。

共謀罪は、2007年夏の参議院選挙で自公与党が大 敗し、法案成立のメドが立たなくなったため導入は一時お預けになっているが、大林ら法務・検察幹部による導入への模索は今も続いている。

 

● 今こそ「暴走する権力」の監視を

 地検が起訴・不起訴の判断に迷ったときや、刑事裁判で敗訴し、控訴・上告するかどうかの判断に迷ったときは 「上級庁」と相談して決める。東京地検の場合、「上級庁」とは東京高検を指す。その東京高検のトップにして全国検察のナンバー2がこんな男なのである。法 務・検察がおかしくなるのも当然だろう。

 私たちは、治安機関である法務・検察への監視を強めることを真剣に考えなければならないのではないか。鈴木 宗男・新党大地代表のように、保守層のなかにも「国策捜査」に異議を唱える人はたくさんいる。彼らとも連携しながら、暴走する権力をストップさせること が、いま求められている。

〔注〕ゾルゲ事件  戦前から戦時中に かけて日本を舞台とした国際スパイ事件。ナチス党員とソ連共産党員という二重の顔を持つ国際スパイ、リヒアルト・ゾルゲがドイツの新聞記者を装いながら、 日本の軍事機密をソ連に通報していたとされる。ゾルゲは1944年11月、治安維持法違反容疑で逮捕・処刑されるが、伊藤律が特高に逮捕された際の自白か ら北林トモが逮捕され、北林の自白により沖縄出身の画家・宮城与徳が逮捕。さらに宮城の自白からゾルゲらの摘発に至った、という「伊藤律スパイ説」が信じ られてきた。戦後になり、野坂参三らがこれを利用して伊藤を失脚させることに成功、伊藤は秘密監禁に追い込まれたが、ゾルゲらの摘発準備は伊藤の自白とは 関係なく、特高によって伊藤逮捕前から始まっていたことが現在までの研究で明らかにされている。


(2009年6月29日 「地域と労働運動」105号掲載、文中敬称略)

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