日本航空「倒
産」から見えてきた航空行政と空の安全問題
安全問題研究会 黒鉄 好
鳩山政権発足と同時に噴出した日本航空再建問題は、 解決のめどが立たないまま2010年を迎え、ついに会社更生法適用(倒産)にまで至った。だが、現在までの動きを追っていくと、そこには旧自民党政権の航 空行政「失政」のツケを労働者・利用者に転嫁することで危機を乗り切ろうとする政府・グローバル資本の意図が見て取れる。
筆者の見るところ、かつて半官半民のナショナルフラッグとして日本の空に君臨した日本航空が倒産に至る過程 において、歴史的転機が2回あった。ひとつはいうまでもなく1985年の御巣鷹へのジャンボ機墜落事故、もうひとつは2002年の日本エアシステム (JAS)との経営統合である。前者は日本航空の安全への不信を呼び起こし、利用客離れを決定的にした。また後者は採算性の悪い地方路線を多く抱え込むこ とによって経営悪化に拍車をかけることになったのである。
●隠されていた失政
失政の最たるものは、無駄な空港を次々と建設しては破たんさせたことである。戦後間もない1951年現在、 日本には羽田、伊丹、名古屋、福岡、三沢、千歳の6空港しかなかった。それが東京五輪を控えた1964年には43空港に増え、2009年末現在では98。 2010年3月に茨城空港が開港すれば99になる。面積が日本の約22倍のオーストラリアの空港数が616、約46倍の面積を持つロシアの空港数が147 (いずれも07年現在)であるのと比べても、日本の突出ぶりがわかるだろう。
これらの空港の中には、 農民の土地を暴力的に強制収用して建設された成田空港、希少生物であるオオタカの森を破壊してまで建設が強行された静岡空港のように、建設の経緯からして も到底容認できないものが含まれている。
まもなく開港予定の茨城 空港に至っては、開港当初から国内線がゼロ、国際線も韓国便が1日1便のみの就航と決まった。このため、進出を予定していた飲食店と売店業者が、採算の見 込みがないとして出店を拒否。商店もないままの開港という無残な姿になろうとしている(2009年12月1日付「朝日新聞」)。自民党政権下で続けられて きた無駄な空港建設は、ついに商業メディアでさえ覆い隠せなくなるまでに破たんしたのだ。
●押しつけられた
借金
そもそも、鉄道やバスといった他の公共交通機関と異なり、航空機にはいわゆる生活輸送が存在しない。通学の高校生や通院のお 年寄りが飛行機に乗るなどということは、一部の離島便を除けばあり得ない。それなのになぜこれほど多くの空港が必要なのか。
空 港を必要としてきたのは、建設利権に群がった旧自民党政権と建設業界などのグローバル資本である。国土交通省は、彼らの利権を確保するため、無駄な空港建 設に突き進んできた。その結果、日航は採算の見込めない地方空港に強制的に就航させられた。日航の巨大な累積債務の背景にはこうした政府の失政がある。そ して、日航再建問題のこれまでの経過は、政治家が自分の選挙区にさんざん鉄道を建設した挙げ句、「赤字」を理由に国鉄を分割民営化した時とそっくりであ る。
●ツケ回される労働者
国鉄末期の「我田引鉄」 ならぬ「我田引航」こそ日航破たんの真の原因であることを知られたくない政府・グローバル資本は、ここに来て「常識外れの高給・高額の企業年金こそ日航破 たんの原因である」と、日航労働者悪玉キャンペーンを展開し始めた。それは、国鉄分割民営化の時、一方的に労働者が悪者にされたのとまったく同じだ。
前 原国土交通相は、自民党政権時代の失政の検証もせず、企業年金の一方的切り下げでこの危機を乗り切ろうとしている。退職者も含め、労働者がみずから掛金を 支払ってきた企業年金の一方的切り下げは、国鉄分割民営化の時ですら行われなかった暴挙であり、詐欺以外の何ものでもない。
商 業メディアの大キャンペーンによって、年金切り下げの条件となる3分の2以上の同意を現役社員・退職者からようやく取り付けたものの、日航の年金受給者ら で作る「JAL企業年金の改定について考える会」が去る2009年12月21日に開催した集会では、「年金切り下げに同意しなければ法的整理(倒産)にな ると言われ、脅すように同意を求められた」という不満が噴出した(2009年12月21日付「産経新聞」)。
政府の失政が生み出した日航の債務は政府の責任で償還すべきである。労働者・国民にこれ以上ツケを回すことがあってはならな い。
●無能な経営陣の退陣は当然
経営者がのうのうと居座り、労働者だけをリストラすることが可能な「民事再生法」という制度ができて以降、 日本の企業「倒産」は経営者にとって都合のいい民事再生法適用のものが多くなったが、今回の日航には会社更生法という昔ながらの法律が適用された。この制 度は、会社の清算でなく再建を前提としている点において民事再生法と同じだが、その手法は全く異なっており、会社更生法では裁判所が管財人を選任、その管 財人が経営陣に代わって再建のほとんどを取り仕切る。経営陣は退陣となるのが一般的だ。
2005年、日航ではエンジン部品や車輪の脱落、滑走路誤進入といった運行トラブルが相次いで発生したが、 このような安全の危機が進行していたさなかにも、日航本社では反社長派の役員らが社長退陣を要求するなどの見苦しい内紛が続いた。こうした経営陣の危機 感・当事者意識の欠如が今回の日航破たんの背景にあったことは明らかである。
安全対策もそっちのけで、権力闘争と自己保身に明け暮れた無能な経営陣の退陣は当然だ。
●法的整理で安全は置き去りに
御巣鷹事故の遺族らでつくる「8・12連絡会」が1月12日、前原誠司・国土交通相に対し、安全の確保につ いて考えを示すよう、要望書を提出した。
要望書では、再建による合理化とリストラで安全問題が置き去りにされ、航空機事故の再発につながることを連 絡会として最も心配しているとしたうえで「安全確保に必要な人員と財源について、経営再建にあたる裁判所にも伝わる形で示していただきたい」としている。
会見した8・12連絡会事務局長の美谷島邦子さんは、御巣鷹事故で健君(当時9歳)を失った。健君は大の野 球ファンで、この年、夏の甲子園で活躍したPL学園を応援しようと、邦子さんに見送られ、ひとりで123便に搭乗した。大阪空港到着後は、尼崎市在住の親 戚宅に滞在し、そこから応援に通う予定になっていた(余談だが、この年のPL学園は、後に揃ってプロ野球入りする清原和博・桑田真澄両選手による「K・K コンビ」が活躍した年だった)。
123便が離陸した後、自宅に帰るバスの中で邦子さ んはなぜか胸騒ぎがしたという。事故の速報を聞いた後は「狂ったように時間が過ぎていった」そうだ。事故から3日後の85年8月15日、関係者の制止を振 り切り、夫とともに御巣鷹山に入った邦子さんは、それでも健君生存に一縷の望みをかけ、6時間かけてようやく尾根にたどり着いたが、現場のあまりの惨状に そのわずかな願いは打ち砕かれた。現場で泣き崩れる邦子さんの写真は、同日の読売新聞の紙面で大きく報じられた。邦子さんに引き渡された健君の遺体は、右 手の親指と小さな肉片だけだったという。
あの忌まわしい御巣鷹から25年、日航はあまたのトラブルに見舞われながらも辛うじて死亡事故だけは起こさ ず今日まで来た。そのことに対してはもっと積極的評価が与えられてよいと思うが、そうした安全を支えてきたのは「今度乗客を死なせたら会社がなくなる」と いう社員たちの強い危機感だったという。その危機感、責任感が、今度の法的整理でプツリと切れてしまわないか、筆者は強い危惧を持っている。ここ数年来の 日航が、御巣鷹事故の遺品や遺族の手紙を展示した「安全啓発センター」を作って公開するなど、ようやく安全文化を築こうと本気になってきたところだけに、 そうした資産が法的整理で無に帰するのではないかという恐れもある。日航がこの先、どのような企業形態になろうとも、こうした資産はしっかり受け継いでい かなければならない。
安全運行のため、整備部門や運行部門の人員をこれ以上減らすことも御法度である。公共交通機関は労働集約型
産業であり、社員こそ宝物だと思うからだ。日航再建に当たっては、こうした安全への配慮をぜひ行ってほしい。美谷島さんたちのような人たちを、2度と生ま
ないですむように。
(2010年1月24日 「地域と労働運動」第112号掲載)