諫早湾干拓事業訴訟で原告勝訴〜今こそ美しいムツゴロウの海の再生を!

 国営諫早湾干拓事業によって諫早湾の潮受け堤防排水門が締め切られ、有明海の生態系が大きく変化し、漁業に大被害を受けたとして、諫早湾沿岸の漁民らが 国に排水門の開門などを求めた諫早湾干拓事業訴訟で、2010年12月6日、2審の福岡高裁は原告勝訴とした1審・佐賀地裁判決を支持し、国に5年間排水 門を開門するよう命ずる判決を言い渡した。1審に続く原告勝訴の判決だ。

  この判決について、政府は上告断念を表明。期限までに上告しなかったことによって、福岡高裁判決が確定することになった。これにより、諫早湾干拓事業は完 全に息の根を止められるだろう。唯一、干拓地に多くの農民が入植している長崎県だけが排水門の開門に強く反対しているが、判決が国の勝訴ならばともかく、 敗訴とあっては高裁判決と国の両方に一地方自治体が抵抗し続けることは困難だ。

  ムツゴロウの住む豊かな有明海への「ギロチン刑執行」と言われたあの衝撃的な潮受け堤防の閉め切りから10年以上の歳月が流れ、干拓地では野菜作りなどの 農業もようやく始まった。それだけに、この諫早湾干拓事業は「進むも地獄、退くも地獄」の状況になりつつある。上告断念によって国が事業を中止した場合、 今度は干拓地で営農している農家から訴訟を起こされることになりかねない。
だが、いろいろな事情を総合的に判断した結果、それでもやはり筆者は諫早湾干拓事業を失敗と認め、ここで退くべきだと考える。

 諫早湾に限らず、日本で過去に執行され、あるいは執行が計画された干拓事業は、すべて旧農業基本法による農業の「選択的拡大」路線に基づいた大規模化を 主な動機としていた。日本で最初の干拓事業だった秋田県大潟村(八郎潟)では大規模化が成功し、大潟村だけで年間約85万トンのコメを生産している。現在 の日本の年間コメ生産量が800万トン程度だから、大潟村だけで全国のコメの1割を生産していることになる。

 農水省と日本の経済界が作りたかったのは、大潟村のようなモデル農村なのだろう。日本のコメ農業がみんな大潟村のような「最小限のコストで最大限の生 産」ができるようになれば、安心して貿易自由化を推し進めることができるからである。国土の7割を山林が占め、山が海にへばりつくようにせり出している地 形のため平野部が極端に少ない日本でアメリカのような大規模効率化経営を実現するには干拓しかないことを、関係者はよく知っていた。

 だが結局、大潟村に続く「モデル農村」の試みはどこでも成功しなかった。島根県の宍道湖・中海干拓事業は、生態系破壊を恐れる県民の反対で事業に入るこ とさえできないまま中止された。諫早湾でも、有明海を殺す干拓への反対は予想以上に大きく、地方自治体レベルでも、有明海沿岸各県のうち推進は長崎だけ。 福岡、佐賀は明確に反対、熊本も中立もしくは反対という状況だった。

 諫早湾干拓事業を暗転させたのは、環境保護を求める世論のかつてない高まりである。干拓は海の生態系を変化させずにはおかないからだ。八郎潟にしても、 環境保護という考え自体が存在しなかった時代だからこそ成功できたといえよう。歴史に「もしも」は禁物だが、八郎潟もあと20年遅かったら、環境保護の世 論に押されて事業は成功しなかったに違いない。

 2010年12月15日付け日本農業新聞論説は、干拓農民の声を重視する立場から開門反対を訴えている。いつもは日本農業新聞の論説を筆者は肯定的に捉 えることが多いが、今回の論説には同意できない。「太陽光発電を使った環境重視の農業」は確かに結構なことなのだが、有明海を殺し、ムツゴロウの死骸の上 に成り立つ「環境重視の農業」にどれほどの意味があるのだろうか。

 農業では森を見る前に1本1本の木を見ることが大切なことももちろんあるが、一部でなく全体を見て判断しなければならないことも多い。今回の問題はまさ に全体を見て判断すべきものである。農業は同じような条件の農地が他の場所にあれば、移転して耕作を続けることができるが、漁業は海を移転させることはで きないのだから、代替地に移って続けるという選択肢はあり得ないのである。

 有明海で海の幸に感謝して生きる漁民たちと、干拓地で自然に感謝しながら環境重視型農業を営む農民たち。どちらがより尊いとか、尊くないなどという比較 はできないし、すべきでもない。だが、前述したようなそれぞれの特性(漁業は移転できないが、農業はできる)を考えれば、ここは干拓農民たちが譲らなけれ ばならないと筆者は考える。

 当たり前のことだが、干拓農民たちにも生活がある。今回の高裁判決が確定すれば、干拓農民たちは緒に就いたばかりの新しい農業が安定軌道に乗るいとまも ないまま移転を強いられることになる。ここには国がしっかりと代替農地を手当てするとともに損害を補償すべきであることは言うまでもない。

 日本では、1985年まで耕作放棄地の面積はほぼ一定だったが、その後急速に増え始め、2005年には、ほぼ埼玉県の面積に匹敵する38.6万ヘクター ルもの耕作放棄地が生まれている。耕作放棄地になると農地は荒れ、農業が本来持っていた多面的機能(災害防止、地域社会の維持といった機能)をも失う。こ れだけたくさんの耕作放棄地を生み出しながら、有明海の自然を破壊してまで新たな農地を人工的に作る政策が正しいのかという疑問は当然、提起されるべきだ ろう。点在する耕作放棄地を集積できるような法制度の整備を進め、耕作放棄地を解消してゆく政策の中に新規就農対策をリンクさせていくことが、いま求めら れている農政のあるべき姿といえる。今回の敗訴を機に、日本の農業と農政は改めてこの基本に戻るときである。

(2011年1月25日 「地域と労働運動」124号掲載)

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