「大人になる」ということが 自分だけ楽になるということなら
「うまく生きる」ということが なかまを裏切るということなら
俺はそれを拒絶する
仲間よ なにをそんなに恐れるんだ
信じようじゃないか
人の良心を 働くものの魂を
人間として 労働者として 恥ずかしくない生きかたをしたい
俺は そんなことにほんの少しこだわっただけ
でも 権力はそれすら許さなかった
手首にくい込む手錠の冷たさ
犬のように巻き付けられた腰紐
留置場の近くを貨物列車が走り去る
「ヒュー」
汽笛一声
あれは友が寄越した激励の一節か
自分をはげますことは難しくても
他人(ひと)を励ますことはできる
友よ 頭(こうべ)を上げようじゃないか
昂然と高張る胸に 風がりんと鳴る
前を見つめて さあ 歩きはじめよう
・はじめに
上でご紹介した詩は、国鉄分割民営化のさなか、「横浜人活事件」で不当逮捕された国労組合員が綴ったものである。
当時、国鉄は本業の鉄道事業で20兆円を超える累積債務を背負い、青息吐息の状態にあった。昭和50年代半ばから本格化した国鉄「再建」論議の中で国鉄民営化論が急浮上。国鉄当局は民営化への気運を高めるため、それに様々な形で反対してきた労働組合に対し容赦のない切り崩しを図った。「横浜人活事件」については後述するが、国鉄当局による完全なデッチ上げ「謀略」だったことが後に明らかとなる。
この「謀略」に見られるように、当時の国鉄当局は「崇高な目的」・・・組織内における血の入れ替え・・・のためには手段を選ばなかった。こうした様々な攻撃が、分割民営化反対の急先鋒だった国労に対して集中的に行われた結果、国労組合員の大半が新会社−JRに行けなかったばかりではない。その後、再就職の斡旋と称して移された日本国有鉄道清算事業団からも解雇され、彼らはそれ以降今日まで15年にわたり、不屈ながらも先の見えない職場復帰の闘いを続けていくことになるのである。そして、折からのバブル経済にも乗って新生JRの好調が伝えられたこともあり、次第に「彼ら」・・・解雇された国労組合員のことはメディアにも上らなくなり、世間から忘れられていく。
それから15年・・・バブルは崩壊し、踊り狂った甘い夢は儚く破れ、日本経済が「失われた10年」と呼ばれる長い長いトンネルを浮遊する中で、彼らが再び脚光を浴びる日がやって来た。2001年秋、東京都内で限定的に劇場公開された1本の映画が、リストラの猛威が吹き荒れる不況日本で、とりわけリストラの被害にあったり、直面している人々を中心に「勇気を与えてくれる映画」として静かな反響を巻き起こし始めたのである。
去る2002年5月11日(土)・・・私は神奈川県民センター(横浜市)で開かれたその映画、「人らしく生きよう・国労冬物語」試写会に参加した。
本ページでは、この映画が訴えかけるもの、この映画を観ることの意味をみなさんとともに考えていきたいと思う。
なお、このページは私自身の労働組合役員としての活動経験をある程度参考にしつつ、その多くの部分を労働運動の活動家としての視点で書いている。そのため、内容に偏りがあることをあらかじめお断りしておく。
・「人らしく生きよう・国労冬物語」とはどんな映画か
この映画は、1987年の国鉄分割・民営化にあたって解雇された国労(国鉄労働組合)組合員を中心とする「闘争団」の15年間にわたる職場復帰の闘いにスポットを当てたもので、東京に事務所を置くビデオ自主制作プロダクション「ビデオプレス」が15年間撮り溜めしてきた映像に国労大会の独自映像を加え、ダイジェスト構成にしたものである。全体で1時間40分にわたるこの映画は、それぞれ立場の異なる3人の国労組合員とその家族の眼を通じて、改めて15年前のあの「改革」の正体が何であったのかの答えを我々に余すところなく教えてくれる。
この映画のタイトルを一見して、いかにも「活動家」や「主義者」な人々へ向けて特定の傾向を持ったメッセージを発するための映画だというイメージを描いた方もいるかもしれないが、それは誤解というものである。難しい専門用語など一切出てこないし、労働組合とその活動について少しばかりの知識があれば十分一般の人にも理解できる作りになるよう配慮がなされている。登場人物もごくふつうの人たちである。そしてこの「ふつう」の人たちの眼を通して問題を描く、という製作陣の一貫した姿勢が、結果的にはこの映画を大成功に導くことになる(なぜそれが成功の要因になるのかについては後ほど詳しく述べる)。
というわけで、前置きはこのくらいにして早速映画の中身に入ろう。
1.国鉄末期の異様な労務政策と「血の入れ替え」
国鉄「改革」は、元々それ自体が「国家による不当労働行為のデパート」の様相を呈するものだった。所属組合が国労であるというだけで、多くの職員がその豊かな能力を顧みられることなく解雇されていった。その陰で、所属組合に関わらず無条件に新会社への採用が行われなかった層がある。55歳以上の高齢職員がそれである。映画は、そんな高齢職員のひとり(国労組合員でもあったが)、佐久間忠夫さん(68)がかつての人材活用センター(人活)跡を紹介するところから始まる。
人活とは、その「活用」の名とは裏腹に、草むしりや車両解体などのおよそ仕事ともつかない単純作業を、不当に選別された「一部」の職員に担当させるため、国鉄末期に設置されていた組織である。国労組合員は、当局との協調を誓った他の組合所属の職員に運転業務を教える役目を負わされたが、彼らが運転の仕事を覚えると運転業務から外された。佐久間さんも、このときに運転業務から外された国労組合員の一人である。当局は、運転業務におけるそうした異動を「血の入れ替え」と呼んだ。
映画では、国鉄当局によるあらゆる管理・監視が極限まで強められた異様な職場の姿が、これでもかとばかりに映し出され強調される。「はい」という返事以外はすべて不規則発言として公然と職員の前で「処分」を宣告する管理者、体操している職員をビデオカメラで撮影し監視する助役、企業人教育と称する研修では「欠点が直ってない」と「問題職員」を他の職員の前で公然と叱責する幹部・・・そこでは、当局の「恐怖支配」がすみずみまで浸透しつつあった。
とりわけ、冒頭で紹介した「横浜人活事件」は身の毛のよだつほどの恐ろしさだ。国労組合員らが管理者に暴行を加えたとして5人の組合員が警察に逮捕されるのである。映画は我々に、恐るべき内容が記録された録音テープの存在を明らかにする。後に見つかったとされるテープには、管理者たちの謀議の模様が生々しく録音されていた−−「じゃあ、今日のところは繰り返し業務指示に従いなさい、という感じで何か事象が起きたらよってたかって皆で現認すると、そういうことですね」「きのうの問題(?)があるんで、むしろうちの方は隠れててね、奴らにやらせるようにしむけますから」。
謀略を絵に描いたような事件である。国鉄末期の異様な労務政策を語るうえで、もはやこれ以上の何が必要だろう? どんな神経をもってすればこのようなことができるのか私には全く理解できない。
国労に対しては、このようなファシズムまがいの攻撃が、来る日も来る日も飽きることなく続けられた。そして、櫛の歯が抜けるように、一人、また一人と国労を抜け、当局に「恭順」を誓う他の組合へと移っていく。国労自身は1986年、伊豆・修善寺の大会で労使協調宣言を拒否、組合員の生活と雇用を維持するための組織−−労働組合としての操を守り抜いたが、組合員数を激減させてJR発足の日を迎える。
結局、「横浜人活事件」は逮捕された5人全員の無罪が確定した。この事件が謀略であったことが、司法の場でも改めて確認されたわけだ。
2.差別は続くよどこまでも〜野を越え山越え職場越え
皮肉なことに、当局のあまりの締め付けと管理・監視は、本来当局が新会社に残ってほしいと願っていた「恭順」な組合に所属する職員たちを希望退職に追いやり、その間隙を縫って定員割れした新会社には国労組合員が大量に採用される。しかし、そこでも彼らを待ち受けていたものは差別だった。映画では、新会社に移った2人目の国労組合員・山田則雄さん(51)が登場する。
山田さんはJR東日本に採用されたが、もちろん国労組合員の山田さんに会社がまともな仕事など与えるはずがない。彼を待っていたのは売店などの「副業」で、本業の鉄道業務ではなかった。売店勤務当時、夫人が病気で倒れたそうだが、驚くべきことに会社は山田さんから出された休暇の申請を認めなかったという。夫人にもしものことがあったらどうするつもりだったのだろう? これはもう差別とかいうレベルの問題ではない。犯罪である。
やがて、数か所の売店勤務を経た山田さんは我孫子保線区PCリニューアルという職場に異動となり現在に至る。PCといってもパソコンのことではない。「PC枕木」というコンクリート製の枕木があるのだが、その維持、再生をはかる職場だ。枕木の再生というと専門職的な職場を思い浮かべる人もいるかもしれないがそうではない。枕木を削ったり、ゆがみを直したり・・・という単純作業の職場である。その上、ここでリニューアルされた枕木は驚くことに、どこでも使われていないのである。売店以上にあからさまな懲罰人事に見える。映画は、「もとよりベテラン職員の来る場所ではない」と紹介している。
そこでも、山田さんたちに対し威圧的な態度で管理する管理者の姿が描き出される。「はい」という返事以外に一言でも言葉を発すると問答無用で「業務指示違反」である。さらに、「○○さん、点呼中不要な発言8時32分現認」という管理者の声が克明に記録されている。JR会社側の異様な労務政策を語るうえで、もはやこれ以上の何が必要だろう? どんな神経をもってすればこのようなことができるのか私には全く理解できない。
国労に対しては、このようなファシズムまがいの攻撃が、来る日も来る日も飽きることなく続けられている。・・・ってアレ? なんかさっきと同じナレーションのような(笑)
仕方ないでしょ? だって同じなんだもの。何もかも。
3.解雇されても人らしく〜大谷英貴さん(43)の場合
大谷さんも、解雇された国労組合員で作る「闘争団」のメンバーだ。大谷さんは、JR発足に当たって新会社「設立委員会」から採用通知が来ず、不採用となった。所属していた留萌客貨車区では、遅刻常習者で国労から動労へ移ったひとりだけが新会社に採用され、残る国労組合員は全員不採用になったという。予想通りといえば予想通りだが、ここまで露骨な例も珍しいだろう。
大谷さんは、今も闘争団員として物販等をしながら生計を立てている。国鉄を解雇された瞬間から、ガソリンスタンドでの掛け買いができなくなったり、夫人が夫の失業問題でいじめに遭うなど辛酸をなめた。精神的に追いつめられた夫人が夜間、発作的に自殺する事態を避けようと、夫婦でお互いの足を縛り付けて寝た夜もあったそうだ。
しかし、そんな苦しい日々を続けながら、大谷さんの表情には苦しみは感じられない。いや、大谷さんだけではない。山田さんも佐久間さんも、みんなが明るいのである(その笑顔が偽りでないことは、私自身が佐久間さんや大谷さんにお会いし、交流することで確認できた)。失業・・・それは「労働力しか売る物がない」労働者にとって生きることの否定にほかならない。「死刑宣告」といってもいいはずなのに、この明るさ、そして困難な時代を生き、闘い抜く力の源はどこにあるのか?
「(国労を脱退し、他の組合に移ることについて、山田さんと)2時間くらい話したとおもうけど、その時山田は俺のこと全然責めなかったんですよ。『一応行くなら行っても誰もそれは責めないから』って言ってくれたんで、俺もうんと心の中のものがすっきりした。(中略)・・・苦楽をともにしてきたというか、(中略)自分としては裏切るという気持ちが強いわけですよ。だから、その時に山田の口からそういう言葉が、『別にお前を責めているわけじゃないんだから、行くなら行ってまた、自分の気持ちが変わった時に戻ればいいんだから』と言ってくれたから、それが本当に救いだったと思いますね」(いったん国労を脱退し、その後復帰した矢野公一さん)
「要するに仲間を裏切れない、自分たちは正しいことをやっているんだ、それしかないと思いますよ」(ハンスト中の国労青年部員)
仲間を裏切るなかれ・・・口先で言うことはたやすい。だが、実際にそれを貫くことがどんなに難しいことか! その代償のどんなに大きいことか!
人間の心とはかくも弱いものである。誰だって安定した境遇がいいに決まっている。幸せがいいに決まっている。だからこそ多くの人が裏切りの十字架を背負って国労を去る一方、多くの人たちが正しさの代償として死刑宣告を受けたのだ。
私は、それぞれに良心を持って毎日を懸命に生きる人たちの心の「最も弱い部分」を泥靴で踏みにじった者たちを純粋な心で憎む。残った者、去って行った者・・・その両方を陵辱した者たちを純粋な心で憎む。
ただひとつ、「それでも貫き通す人たちがいた」ことに、一筋の光明を見る思いがする。
4.4党合意に揺れる国労
4党合意というものをご存じない方のために、簡単ではあっても説明しておく必要があるだろう。これは2000年春に突然報じられた自民・公明・保守の3与党と社民党による合意のことだ。その内容は、
(1)不採用問題に関して、国労がJRに法的責任がないことを認める
(2)(1)と引き替えに、与党がJR不採用問題の早期解決を行うようJR各社に要請する
(3)社民党が国労に対し、国鉄改革関連の訴訟を取り下げるように求める
(4)与党と社民党が和解金について検討する
・・・というものだ。「要請」は命令とは違い、拒否されたら終わりである。「検討」とは「検討するだけで実際はなにもしないこと」(「お役所の掟」宮本政於・著)である。「求める」が、結果については問わずただこちらが要求するだけであるのに対し、こちらは相手の要求を「認め」なければならないのである。この4党合意なるものの正体がなんであるのかは、文言を見るだけで初めから明らかだった。それは国労にとって、全面無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」だったのだ!
国労は、しかしこの「ポツダム宣言」を受諾するかどうかで揺れに揺れる。執行部は明らかに長期化する闘いに疲れ始めていたのである。それと同時に、国労内部でも亀裂が次第に露わになっていく。執行部と闘争団との亀裂、そしてJR内部で社員として闘っている組合員と闘争団との亀裂・・・。4党合意受け入れへと走る執行部、それに対し、一般組合員・闘争団ともに賛否が相半ばしながらも4党合意受諾派がやや上回る、というのがこの時点での組織内情勢だった。最初、国労は、闘争団の職場復帰なしに解決はあり得ない・・・と一致団結していたはずである。1人の首切りも許さない・・・そう誓って修善寺大会から15年間、走り続けてきたはずである。その国労中央の、ここに来ての「変節」の陰にいったい何があったのか?
筆者は一時期、ある労働組合の「分会」(注1)役員を2期(青年部役員を含めれば3期)ほど務めたことがあるが、一般組合員から離れて別室で書類の整理や当局交渉、地本・中央(注1)の幹部との協議、また政治家・政党、官僚への要望・陳情といったことばかり行っていると、自分は誰のためにこんな活動をしているのかと切なくなることが度々あった。そんなとき、私はいったん深呼吸して組合の事務室(職場内にあった)を離れ、職場に戻って組合員の顔を見ることで役員活動の「原点」を意識的に思い出すように心がけていた。そうでもしなければ組合員ひとりひとりの顔を忘れてしまいそうになる。それほど現代の労働組合が官僚主義化し、組合員の要求と乖離しているということもできる。私のような「末端」の幹部ですらそのありさまなのだから、現在の国労中央の幹部たちが「官僚化」し、組合員の顔、人間のしての「心」を喪失してしまっているとしても不思議でないと思う。
闘争団の闘いは、そうした国労内部に一石を投じ、人間の心を喪失した現代労働運動に「人らしさ」を呼び戻す闘いなのかもしれない。
5.ドキュメント2000.7.1〜国労史上もっとも熱い1日に組合民主主義の原点を見た!
現代労働運動に「人らしさ」を呼び戻そうとする闘争団の闘いによって、我々の「2000年7月1日」はきわめて忘れられない1日になる。この日・・・4党合意受け入れを組織決定するための国労全国大会が東京・社会文化会館(言わずと知れた旧「社会党会館」!)で開かれることになっていた。代議員(注2)は4党合意受諾派が多数だったため、開会は事実上4党合意受け入れを意味する。反対派・闘争団は激しく反発、体を張って開会を阻止しようとした。
執行部は驚くべきことに、反対派代議員・闘争団を規制するため、会場周辺に機動隊の配置を要請していた! 労働組合の大会が、なぜ機動隊に守られなければならないのか? しかも、守られているのはあの国鉄労働組合である。かつて「むかし陸軍・いま総評」といわれ、「泣く子も黙る」と恐れられた総評労働運動の中核組合がである。結成当時、日本の絶対的支配者だったあのGHQさえ震え上がらせたといわれる日本の社会主義運動の拠点組合がである。高度成長期には思いのままにストを打っては当局を蹂躙していた戦闘的組合の偽らざる現実である。墜ちるところまで墜ちたとつくづく思う。
しかし、この日の反対派、闘争団の輝きは見事なものだった・・・会場周辺のそこここでゲリラ的に執行部の説得に努める妻たちの懸命な姿。「大会を中止してください!」と詰め寄る彼女たち。ある者は北海道で子供を留守番させてまでここに来ている。
闘争団員たちの闘いはあちこちで散発的に広がってゆく。宮坂書記長をタクシーから引きずり出そうとする闘争団員。「お前たちに俺たちの気持ちが分かるか! 機動隊は帰れ!」とシュプレヒコールを浴びせる組合員たち。職場復帰に人生を燃焼させる者たちの魂の叫びは、何物をもってしても抑えがたいほどに爆発し始めていた。
機動隊によっても彼らを排除できなかった役員は結局入場を阻まれる。もはや大会中止かと思われた夕刻、執行部側が譲歩。闘争団・家族全員を入場させることで開会にこぎ着ける(注3)。お膳立ては全て整い、午後6時、いよいよ大会は始まった。
会場には、「4党合意受け入れやむなし」の空気が漂う。「我々の力の限界も認識すべきだ」と受け入れを主張する賛成派代議員に対し、「闘う気のない者は去れ!」という激烈なヤジと怒号が飛び交う。「14年前の修善寺の大会はなんだったのか!」という反対派代議員の発言に拍手がわき起こる。
会場となった社会文化会館側の都合で、議事は午後8時半までで打ち切らなければならないため、執行部は焦り始め、採決を急ごうとしていた。反対派、闘争団も焦っていた。採決されれば可決は必至だからである。
最前列に陣取り、「発言させろ!」と怒鳴る反対派代議員。後部傍聴者席に詰めかけた闘争団・家族(注4)も含めたヤジと怒号が飛び交う中、収拾がつかないと見た執行部・議長団は闘争団の家族に最後の(?)発言の機会を与える。闘争団員の拍手に迎えられてマイクの前に立ったのは、音威子府(おといねっぷ)闘争団家族会(注5)の藤保美年子さんである。さっきまでの喧噪がうそのようにしんと静まりかえった会場で、何を思ったか藤保さんは通路を駆け下り、そして登壇・・・満を持しての真打ち登場だ。かくて藤保さんの「演説」は始まった。少し長くなるが、感動の名場面を再現してみよう。(なお、この演説の音声使用について制作元で著作権者のビデオプレスから許諾を得たので、音声を公開する(2002.9.14)。藤保さんの演説を生で聞きたい方はこちらへ)
『代議員のみなさん、聞いてください。先ほど神宮さんが闘争団の代表としてしゃべっていたようですけれども、私たち家族は困ってません! (そうだ!の声)解雇を撤回するまでは、この13年間(ママ)の思いを無駄にすることはできない。従って、どんなに苦しくたって政府の、JRの責任で解決するまで頑張ります!(拍手)そのことを、前もって言っておきたいと思います。
国労の正しさを信じて闘ってきた私たちの14年間がどうなるかの瀬戸際です。誰が責任とってくれるんですか! JRに責任ないということを認めてしまうと、後に何が残っているんですか? 子供が聞いたって分かるじゃないですか。責任ない者に「なんとかJRに戻せ」、「なんとかお金を出せ」・・・責任ない者になんでそこまでしなくちゃならない? 責任があるから保証するんだろ!(そうだ!の声)だから、JRに責任がないということを認めてはいけない。
私たちは、国労という組織を、不当なことを不当だといえる組織を信じ頑張ってきたんです。闘争団員に何の相談もなく、そして4党合意するにあたって何の保証もあるわけでなし、何の担保もないのを分かってて、無責任に私たちの人生を勝手に決めないでください! ・・・私たちが望んでいるのは、どんなに苦しくたって、どんなに辛いことがあったって、夫の解雇撤回、政府の責任でJRに戻すこと。私たちの悩み苦しんだ14年間に謝罪すること。闘争団そして家族、この要求は一歩も譲れません! 歳がいこうと、・・・(会場に向かって)わかる? わかりますか?(わかる!の声)歳がいこうと、JRに戻る年代がどうのとか・・・。私たちは、解雇されたあのときから止まっているんです。確かに顔を見たらシワも増えてる、確かに14年経ったら顔も老けた・・・・だけど私たちの気持ちはあのときに止まっているんです。それをぜひ分かって闘うための方針を議論してください。家族からのお願いです。よろしくお願いします。(会場、割れんばかりの拍手)』
「子供が聞いたって分かる」理屈を分かろうとしない執行部は、この直後書記長集約に入り、一気に採決をめざそうとする。が、その強引な議事運営が反対派・闘争団のさらなる義憤を呼び起こす。・・・ついに反対派・闘争団が壇上になだれ込み、議場を「実力占拠」。この日、採決は行われないまま一時休会となった。
その後、2回の臨時全国大会で、反対派・闘争団は引き続き4党合意案採決を阻止する。しかし、2001年1月の大会で執行部はついに機動隊を1000名に増強、実力で4党合意案を採択したのである。
国労中央が、労働組合の魂を売り渡した恥辱の瞬間だった。
6.〈考察その1〉「改革」のために作られた虚像〜「怠け者」キャンペーンの中にあって勤勉だった国鉄マン
「人らしく生きよう〜国労冬物語」の概略については、以上の通りである(概略と言うには語りすぎてしまった気もするが(^^;;)。とにかく、2000年7月1日の臨時大会の映像はすばらしいの一言につきる。過去、役員として様々な労働組合活動に従事してきた「つもりになっていた」筆者にとっても、この映画はまさに労働者民主主義のよき学校であり、闘争団の英雄的闘いには脱帽である。深く敬意を表する。
ところで、このような感動的な大会を演出してきた国労組合員も、国鉄分割民営化直前には、メディアを使った様々な反国労キャンペーンにさらされてきた。いわく「ブラ勤」「出勤簿事前押印」「勤務時間中の飲酒・入浴」・・・。民営化の気運を盛り上げるため、政府による「怠け者」糾弾キャンペーンが連日、これでもかと続いた。筆者は、当時15歳の中学3年生だったが、当時の純粋な気持ちで「目的のためには手段を選ばない政府・マスコミ」に怒りを覚えた(入浴に関して、国鉄では、特に保線など一部の職種において、著しい身体の汚れを伴う過酷な業務があり、それらの職種の職員については適宜入浴することを当局も含め承認していたが、そうした内情を知らないメディアによって、当時、入浴の事実のみがことさら取り上げられバッシング報道が行われた)。
まだ子供扱いされる年齢だったとはいえ、3歳で鉄道趣味に目覚めた私には「この世界」ですでに12年の実績があった。もとより伊達や酔狂では務まらない濃い世界である。当時、すでに私は鉄道のダイヤが15秒刻みで組まれるものだということを知っていた。「○○駅着、○時○分15秒」「○○駅発、同45秒」といった具合に15秒単位でダイヤは組まれるのである。つまり、乗務を終えた運転士が当直助役に「定時到着」と報告できるためには、列車の時刻が所定時間からプラスマイナス15秒の範囲(別の言い方をすれば所定時刻を挟んで30秒以内の範囲)に収まっていなければならないのである(この点はJRになった現在も基本的に同じ)。そのため「国鉄のダイヤは時計より正確」といわれる時代があったほどである。
分割民営化が既定路線となった末期の国鉄では、1日あたり2万本近い列車が走っていたが、毎日そのほとんどが「定時到着」と言う驚くべき成績を誇っていた。国鉄「改革」を成功させるため、この時期に限っては列車が15秒以上進んでも遅れても「定時」と報告してよい、などといった特別ルールがあったわけではない。優秀な職員、優れた技術、そしてそれらの「財産」をもっとも有効的に生かしうる経営体・・・それらのどのひとつが欠けてもこうした偉業は不可能である。国鉄職員の過半数を占めていた国労組合員の多くが「ブラ勤」「勤務中の飲酒」「サボタージュのための入浴」などしていて「2万本の全列車定時到着」という芸当ができるはずもないことはもちろんである。
この例ひとつ取ってみても明らかなように、「怠け者の国労組合員」は、国労つぶしを狙う政府・財界・マスコミが結託して仕組んだキャンペーンであり、その姿は虚像に過ぎなかった。国民・利用者に対し、ウソをついているのは国労ではなく政府・マスコミである・・・少なくとも私の中で、それは確信へと変わっていった。
正しいと信じていたマスコミに対し、私が「疑う」ことを覚えたのもこのときである。
7.〈考察その2〉この映画が持つ意味〜現代リストラの原点としての国鉄改革
国鉄闘争が始まってから15年間、世間もマスコミも彼らに見向きもしなかった。当時、政府・財界のお膳立てに乗って反国労キャンペーンに躍起になったマスコミが振り向かないのは当然だとしても、一般市民もこの間一顧だにしなかった。それがここにきて俄然注目され始めた背景として、やはり日本中に吹き荒れるリストラの嵐を挙げないわけにはいかない。
今、民間企業の世界では企業の吸収合併・不採算部門の分離子会社化が花盛り(?)である。そうした企業再編時には、社員も新会社に移されるが、新会社での社員の待遇は、それ以前より低くなるような仕組みになっている。それでも解雇されないだけまだマシだといえるかもしれないが、この方式を通じて、妻子を養い、ローンを払うために黙々と働いてきた多くの「日本株式会社」社員が泣いてきたのである。
世間ではあまり知られていないことかもしれないが、歴史上初めてこの方式を採ったのは国鉄だった。「新会社設立委員会」を作り、国鉄とJR各社との関係をいったん「断絶」させ、国鉄職員を全員解雇してから個別に採用し直し、労働条件を決めていく、というこのやり方で多くの職員が国鉄を去り、残った者も労働条件が切り下げられたのだ。
経営者にとって、社員を雇うことは「労働契約」を締結することであり、いったん雇い入れた以上経営者は社員が「世間的に食べていける水準」を保障しなければならないため、容易に労働条件を切り下げることができないが、この労働契約を「いったん解消」してしまえば自由に雇用条件を決め直せる。国鉄が分割・民営化されるまで、日本の法制は労働者をきちんと守り、このようなケースでも旧会社と新会社の関係が連続していれば事実上両者を一体と見なし、労働条件を切り下げることを認めてこなかったが、それが「国鉄方式」登場以降大きく変わる。労働組合に対して暴力を振るってまで敢行された国家的不当労働行為により、労働運動は萎縮・後退させられる一方、経営者は「国鉄方式」を使えば何でもできると勇気づけられたのである。・・・本来は「事業の再構築」という意味しか持たないリストラという単語を、事実上「解雇・労働条件切り下げ」と同義語にしてしまった政府、国鉄当局の責任はきわめて重大だと言わざるを得ない。
国鉄分割民営化後、しばらく日本はバブル経済で活況を呈していたため、労働者の解雇・労働条件切り下げは問題にならなかったが、バブル崩壊後不況が深刻化すると、日本の企業経営者は「リストラ」の名で国鉄方式を敢行するようになる。日本中の企業が国鉄方式を取り入れ、問答無用のリストラを敢行、政府も裁判所も自分たちを守らない・・・「労働力しか売るものがない」労働者にとって、それは政府・資本から「階級的死刑判決」を受けるに等しい。こうなったとき、リストラ問題にずっと昔から取り組んできた「先駆者」たちに世間が注目するのはある意味自然の成り行きであり、そうしたリストラ攻勢と闘う術を持たない市井のリストラ被害者が「先駆者たち」をよき手本にしようと考えるのも当然のことである。生きるためなら人間は何だってする。闘争団の思いを共有することはもちろん、時には生きるために闘うことも・・・。
ただし、「我々」にとってもこの状況に安穏としているわけにはいかない。この映画では労働組合もまた「裏切る」側に立ち、その価値が根本から問われているからである。闘争団の勇敢な戦いに対する共感を呼び起こすこの映画は労働組合にとっても両刃の剣である。自分たちに対する共感が広がるかもしれない期待の一方で、労働組合というものが労働者に対して長年「ごまかし続けてきた」多くのものを白日の下にさらしたからである。
残念ながら、私のように組合活動に従事してきた一部の者は例外として、そうした活動に従事した経験を持たない多くの人にとっては、この映画を見て「労働組合に頼ろう」とはおそらく思わないのではないだろうか。今までの労働組合は、あまりにも「日頃の行いが悪すぎた」からである。しかし、労働者ひとりひとりが孤立を維持して闘っていくには、政府・企業はあまりにも強大すぎる。引き続きそこに労働組合の役割も価値もある。この映画は日本の労働組合にとって必ずしも歓迎されざる映画かもしれないが、労働者にとって過酷なリストラのご時世にあって労働組合が現状を正しく認識し、問題を克服し、「原点」に立ち帰るための自己改革を実行できるなら、多くの労働者を一気に引きつける原動力になり得るだろう。
なお、筆者は労働組合を復権させるためにどのような運動を目指せばよいかについての私見も持っているが、長くなるので別の機会に譲る。
8.現在も繰り返される差別〜国労以外にも広げられた会社側の攻撃
さて、旧国鉄当局がどのような仕打ちを国労に対して行ってきたかは既に見てきた。そして同時に、当局に「恭順」を誓った他の組合に対し当局がいかに厚遇してきたかについても・・・「怠け者の国労」「仕事もせずに反対ばかりする者たち」の排除に成功して、新生JRの職場はさぞ雰囲気のよい職場になったはずである(笑)
しかし、「反対ばかりする怠け者たちの排除に成功して雰囲気がよくなった」はずのJRの驚くべき職場実態が、最近になってインターネット経由で伝わってきた。まずはこのページをご覧いただこう。念のため申し上げるが、JR総連のサイトである。
この音源は、当時当局に最も恭順を誓い、「改革」成功のためなら当局へのどんな「献身」も厭わなかった動労(国鉄動力車労働組合)の後身・・・JR総連系列の労働組合、JR東海労の役員に対する管理職の発言を録音したものである。どうやら隠し録りされたものらしい。
それはともかくこのファイル、社員に対して「バカモノ」「やかましい」「笑わせるな!」などと勝手気ままに暴言を吐く管理職の姿を赤裸々にしている。私は最初これを聴いたとき、一瞬自分の耳を疑った。これが、当時改革への恭順を誓った組合に対する姿なのか? 仲間を裏切ってまで「献身」してくれた者に対する態度なのか?
15年前、国労に対して繰り広げられたのと同じ攻撃が、「かつての同志」に対して繰り広げられている。かつてと同じような勝手気ままで粗野な攻撃が。
どうやら「血の入れ替え」が必要なのは組合側ではなく、会社側のようである。
9.4回にわたった上映会参加〜それぞれの上映会報告と映画の総合感想
私は結局、5月11日の横浜上映会(神奈川県民センター)に続き、6月23日、29日の名古屋上映会、さらに7月28日の「平和と民主主義をめざす全国交歓会」(「全交」、於:長野県)での上映と、公式上映だけで4回も見ることになってしまった(^^;; 最初は上映会の一参加者にとどめるつもりだったが、佐久間さん、大谷さんはじめ多くの方とも交流を深めた結果、今後は地元・愛知県での上映会の活動にある程度関わっていくことになりそうである。
横浜上映会は、佐久間さんをゲストにお迎えして300人(主催者発表)が集まったという。上映が終わったとき、期せずして会場から大きな拍手がわいた。誰に強制されたわけでもなく、社会主義国で書記長挨拶が終わるたびに繰り返されたような形式的でおざなりな拍手でもない。こんなに心のこもった拍手をこれまで聞いたことがないほどの「魂からの拍手」だった。名古屋上映会では、アンケート用紙が文字で埋め尽くされていた。「全交」での上映会の際は、ハンカチで目をぬぐう上映会参加者を見た。今、この国の底辺でなにかが変わりつつある・・・上映会参加者の反応を見ているとそんな思いを強くする。
6月29日の上映会で、「人らしく生きよう」はついに100カ所上映を達成した。制作サイドの当初目標が「100カ所上映の達成」だったから、わずか半年で目標をクリアしたことになる。今後も上映会は各地で計画されており、どの会場でも用意された椅子が全て埋まったことを考えると、この映画は成功に向けて確実に進みつつあるようだ。
ところで、冒頭でも少し触れたが、結局この映画が成功しつつある理由として、やはり「ふつうの人たちに訴えかけるふつうの人たちを題材にした映画づくり」に徹したという点が大きいのではないだろうか。従来、この手の映画はやたらイデオロギー臭く、お説教調で、特定の人々に特定のメッセージを送ることを目的とした退屈なものが多かった。それに対し、少なくともこの映画には難しいイデオロギーも左翼用語も全く出てこない。何よりも労働組合用語ですらほとんど出てこず、登場人物も闘争団員だったりその家族だったりと、およそ指導部とは無縁の人たちばかりである。訴えかける内容も「復職させろ!」の一点張りで実に単純明快だ。国労闘争の内容についても丁寧に解説してくれている。だからこそ一般の人たちが割と単純に感情移入できるのだろう。その意味で、この映画は政治団体や労働組合が制作するいわゆる「教宣映画」とは明確に一線を画したものである。にもかかわらず、この映画が教宣映画以上に一般市民に対する「教宣」の役割を果たしつつあるのが世の中の面白いところだ。
国労闘争を全く知らない若い層がこの映画に感銘していることも心強いと思う。今、日本では失業率が5%近い数値を示しているが、20代の若い層だけを取ればその数値は10%にも跳ね上がるという。彼ら若い層に最もしわ寄せが行っていることは疑いがない。
そうした「若い層」も含め、もうひとつこの映画が問いかけているもの・・・それは「働くということ」である。バブル真っ盛りの頃、「就職戦線異状なし」という映画があった(91年劇場公開、織田裕二主演)。この映画で、ある登場人物がこんなことを語る場面がある。「なりたいものじゃなくて、なれるものを捜し始めたらもうオトナなんだよ・・・」。
悲しいことに、これが今の日本社会の「就職」を巡る現実である。当時、その現実を知らなかった学生の私は、なんて夢のないヤツだ、と思ったものだ。結局、その後私も「現実」を見て「なれるもの」になったクチだから偉そうに他人のことを言えないのだが、いわば彼のセリフは「やりたい仕事に就く」ということに関し、あまりにも無頓着すぎた戦後の日本人の象徴ではないだろうか。「鉄道の仕事がしたい」「何年かかってもいいからJRに戻りたい」・・・彼らの姿を見て、頑なだと感じた人もいるかも知れない。でも、「やりたい仕事をやりたいと主張する」者が変わり者呼ばわりされるような社会が、やはり筆者の目から見て健全な社会であるとはとても思えないのである。「現実を見る」といえば聞こえはいいが、そうしていとも簡単に「やりたい仕事」への夢を投げ捨ててきた日本人の虚妄を、この映画が激しく突いているような気がするのである。この映画が、誰よりも就職に苦しんでいる若者たちに受けている裏に、あるいはこの映画のそういった「純粋さ」があるのかも知れない。
興味のある方は、とりあえず近くで上映会があったら参加してみることをオススメする。スケジュールはここに記されている。上映会が近くでない方・上映会に行けない方にはビデオも販売されている。冒頭ご紹介したビデオプレスのサイトからも申し込めるので購入するのもよいだろう。もっともっと多くの人にこの映画に接して欲しいと思っている。
10.この映画の「オススメ度」
この映画の「オススメ度」を5段階評価のミシュラン形式で示したいと思う。この評価はあくまでも私の独断と偏見に基づくが、原則として苦情は受け付けない(笑)。
(1)鉄道ファンへ・・・オススメ度☆
鉄道ファンとは、この映画を鉄道趣味的な観点(車両とか運転とか、ダイヤはどうか、等々)で見る人のことである。実をいうと私も当初はそうした視点で見ていた人間の一人だったが、そうした面での興味をそそられる場面はほとんどない。従って鉄道ファンがこの映画を楽しもうとするなら、「鉄道と社会との関わり」「鉄道を通して社会を見る」という硬派な視点が是非欲しい。それさえあれば、鉄道ファンは純粋な人が多いから、きっとなにかを感じ取ってくれると思う。
(2)JRへ就職を目指す人へ・・・オススメ度☆☆☆
是非見てもらいたいと思う。就職活動では絶対にわからない「もうひとつのJR」が凝縮されているからである。ただし、この映画を見てJRへ就職する気が失せても私は一切関知しないのでご了承のほどを(^^;;。逆に、この映画を見てそれでもなおJRへの就職希望が揺るがないなら、あなたのJRへの「愛」は本物である。JRで信ずる道を堂々と進んで欲しい。
(3)労働運動家・組合活動家へ・・・オススメ度☆☆
この低い評価は意外だ、と思う方もいるかもしれない。理由は簡単で、未来へ向け、「どうしたら労働運動の展望が開けるか」の処方箋をこの映画が示し切れていないことにつきる。なるほど、国労組合員たちの作品中での闘いは感動的だが、残念ながら労働運動は政治・資本との間で労働側がどれだけ多くのものを取れるかの政治闘争・社会的闘争である。活動家の真の力量は1本の映画によってではなく、日常の実践的活動を通じて磨かれていくものであると筆者は考えている。
(4)リストラに遭い、あるいは直面している人へのオススメ度・・・☆☆☆☆
かなりオススメ度は高い。なによりも「諦めずに闘っている同じ境遇の人たちがいる」事実を知るだけでも、こうした人たちにとって大きな励みになるに違いない。この映画はきっとこうした人たちに諦めない勇気を与えてくれる。
(5)一般の方へのオススメ度・・・☆☆☆☆☆
この映画が満足できる内容であるかはひとまず置こう。私がこの映画をもっとも見て欲しいと思っているのがこの層の人たちであるという意味で満点とする。なぜなら、労働運動が政治・資本との間で労働側がどれだけ多くのものを取れるかの政治闘争・社会的闘争である以上、国労の運動、闘争団の闘いが最終的に成功するかどうかは、結局国労や闘争団の外部にいる人たちがどれだけ彼らに同情なり支持なりを与えてくれるかによって決まると考えられるからである。この映画は、国労・闘争団・労働組合関係者など「内部」にいる人間には放映されたところで大きな利益はもたらさない。むしろ映画の真の目的は、広範な人々を結集するための力として作用することにある。一般の人がどれだけこの映画に接し、どれだけ闘争団の立場を共有してくれるか、そしてなによりも「政府であろうが企業であろうが不条理なことは許さない」という社会的雰囲気をどの程度作り出すことができるか・・・それが闘いの帰趨を決定することになると私は考えている。だからこそ、私はこの映画を一般の人たちに見て欲しいと思う。
・おわりに
私が「人らしく生きよう〜国労冬物語」に感銘を受け、「人らしく」のサイトを作ろうと思い立ったのは横浜上映会が終わった直後のことである。実際に作り始めたのは6月8日のことだ。それから公開できるまでに2ヶ月近くもかかってしまったのは、各地の上映会に参加しまくっていたということもあるし、本業の方が忙しかったという事情もあるのだが、もとをたどれば全ては遅筆を初めとした筆者の能力不足にある。当コンテンツの公開を上映会で「公約」して以来、多くの方々から一刻も早い公開が切望されていた。期待されていた方々に気長に待っていただいたことに感謝するとともに、遅筆を改めてお詫びする。とにもかくにもこうして公開にこぎ着けられたのは、「この現実を何とかしたい」「この不条理、不正義を何とか正したい」と思ったが故であろう。闘争団員らの魂が私に乗り移って筆を進めさせたのだ・・・今はそう思う。
当コンテンツの副題をつけるにあたって、候補は2つあった。「あなたはもっとやさしくて あなたはもっと強い」と「たたかう者ほど人らしく生きれることを知っていますか」である。どちらも、この映画のエンディングで流れる田中哲朗さん(注6)の「人らしく」の歌詞からである。どちらにしようかさんざん迷ったが、結局は「人らしく生きよう〜国労冬物語」公式パンフレットの中で使われていた前者を採用することにした。
最後に、このコンテンツを作るにあたって、この映画の登場人物はじめ、多くの方々に参考になる話を伺うことができた。佐久間忠夫さんにはいろいろな話を伺ったし、鉄道ファンという私の趣味にも多大なるご理解をいただいた。藤保美年子さんには、子供さんを育てながら闘争を続けた苦しい体験談、また家族会の組織について貴重な話を伺った。また、当コンテンツの公開後、ビデオプレスの松原明さんに本稿の校正をしていただける幸運に恵まれた。そこでいただいた貴重なご指導、ご指摘は、記述の誤りの修正も含めその後に生かすことができた。それら多くの方々に対し、感謝を申し上げて当コーナーの結びに代えたい。
注1)中央・地本・分会・・・労働組合の組織は通常、中央本部・・・地方本部(地本)・・・分会・班という構造を持っている。中央本部は地本を、地本は分会・班を束ねる。分会は、各職場単位、あるいは職種単位といった具合に末端で労働者ひとりひとりを束ねる最も基本的な組織であり、労働組合が労働者の間に根付くかどうかはひとえに分会の力量(労働条件のためにどんな小さなことでも動いてくれるか、等々)にかかっていると言っても過言ではない。地本は、概ね都道府県や地方ブロックを単位に置かれることが多い。
注2)代議員・・・労働組合の大会に参加する「分会代表」。分会は、(注1)に示したとおり職場単位だから、分会代表は職場代表を意味する。代議員は、発言し、採決に加わる権利を持つ。役員選挙の投票権も持つので、事実上労働組合大会の議事全てに参加できる。組合員数十人〜数百人にひとりの割合で選ばれ、活動のしっかりした組合では参加前にあらかじめ下部機関内で討議、職場要求のとりまとめや意見集約をした上で大会に臨むことがほとんどである。
注3)労働組合の大会では、会場の収容能力等の問題で、下部機関(全国大会の場合は地本、地本大会の場合には分会・班)からの代表者の出席人数を制限し、その数は下部機関ごとに事前に割り当てられているのが普通であり、このように開催直前になって突然入場者数が増やされるのは異例である。さらに、組合員の身分を持たない闘争団の家族にまで傍聴させるのは、労働組合の「常識」に照らして異例中の異例だ。労働組合がどのような種類の人間にまで大会の傍聴を認めるかは、最終的には規約や議事運営に関する規則(筆者の所属する組合では「大会議事規則」という名称になっている)の定めによるので、おそらく国労の議事運営に関する規則の中に「執行部・議長団が必要と認めた場合は組合員以外の者にも傍聴させることができる」旨の規定があり、それを闘争団・家族に適用したのだろうと筆者は推測している。
注4)傍聴者・・・単に傍聴ということもある。代議員と同じく、大会に出席する下部機関の代表で、下部機関ごとに事前に人数が割り当てられるところまでは代議員と同じだが、文字通り「傍聴」なので発言し、採決に加わる権利を持たない。役員選挙の投票権もない「オブザーバー」で、大会参加後は自分の所属する下部機関に戻り、大会の報告のみ行う・・・という形が一般的である。それだけに、この国労大会で執行部・議長団が「傍聴者」に過ぎない闘争団の家族に発言をさせたのはきわめて異例の措置であり、大会の議事が混乱して収拾がつかないと判断した執行部が反対派の「ガス抜き」を狙ったのではないか・・・と筆者は見ている。
注5)家族会・・・藤保美年子さんによれば、国労組合員の家族は、職員が国労に入ると同時に家族会のメンバーとなる。家族会にも会合など様々な催しがあり、組合員の家族まで含めた横のつながりを形成してきたという。国労が政府・JRと闘争をするようになってからは、家族同士が連携して組合員を支える大きな中核となっている。筆者の聞き及ぶ範囲内では、このような形で家族まで組織している例は他に聞いたことがなく、国労独自のシステムと思われる。
注6)田中哲朗さん・・・元沖電気社員。会社側の締め付けと闘って解雇され、以来20年以上もかつて自分が通っていた沖電気八王子工場の前に立ち、ギター片手に歌い続けている。