デマ、フェイクニュース、陰謀論・・・
「重い事実より心地よい物語」が力を持つ困惑の時代、私たちはどう生きるべきか

 早いもので2026年新年号である。年末年始という「日常とは異なる時間の流れ」の中で通常の号よりも、落ち着いてゆっくり読まれることも多いであろう新年号を、私はとりわけ重視している。これまでの拙稿でも、新年号は個別の運動課題よりも世界情勢や時代潮流といった大きな話題を取り扱うことが多かった。

 個人的にいえば、ドナルド・トランプ氏の米大統領返り咲きが決まった昨年11月以降、世界はまたひとつ「帰らざる狂気の川」を渡ってしまったように思う。インターネット、とりわけSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)は「事実」「ファクト」を拡散する場として健全な成長を遂げるより先に、デマ、フェイクニュース、陰謀論の下に大衆を動員する「物語消費」の場に成り果ててしまった。

 英語圏のIT業界関係者の間では、AI(人工知能)とSNSによって、そう遠くない将来、人類は滅亡することになるとの予測さえ出されているのだ。この混沌かつ混乱した状況は日本も例外ではなく、私にはその予測が荒唐無稽だとは思わない。むしろ、あり得べき最悪の未来シナリオとして、考えておかねばならないことの最上位になると思う。

 ●「風の時代」とは?

 ここから先は、非科学的、非論理的な思考法を排除して、みずから現実の運動の中で理論と実践の両方を鍛えてきた大部分の本誌読者にとって明らかに「似つかわしくない」テーマだと思う。だが、人類社会は常に科学的、論理的、合理的な意思決定だけで動いてきたわけではない。ましてや、今日のように不確実性、不安定性、そしてそこから発する漠然とした不安感が世界を覆っているときは、哲学、宗教、倫理といった非科学的(必ずしも非論理的、非合理とは限らない)なものの中に、時代を読み解くヒントが隠れていることも多い。

 私が注目しているもののひとつに「風の時代」というキーワードがある。「スピリチュアル」界隈(精神世界的なものを趣味、関心領域とする人々の間)で頻出キーワードとなっている。西洋占星術の世界で、2020年頃から時代の大転換を示すキーワードとして使われるようになった。

 西洋占星術といえば、どことなくオカルトチックに感じるが、毎朝のテレビ番組で今なお定番となっている星占いもそのひとつだ。12星座ごとの運勢とともに、ラッキーカラーや持って行くと運勢が好転する持ち物などが紹介される。廃れることなく長期間、続いているのは根強い需要があるからだろう。西洋占星術自体は、太陽系の惑星の自転や公転、相互の位置関係といったものを根拠としており、理解を超えるほど奇抜なものではない。

 西洋占星術では、星占いにも使われる12星座を「火の星座」(牡羊座 ・獅子座・射手座)、「水の星座」(蟹座・蠍座・魚座)、「土の星座」(牡牛座 ・乙女座・山羊座)、「風の星座」(双子座・天秤座・水瓶座)の4つのエレメントに区分する。約20年に1度、必ず起こる木星と土星の最接近がグレート・コンジャクションと呼ばれ、時代の節目に位置づけられる。このグレート・コンジャクションが同じエレメントの星座内で行われている間は、影響は小幅にとどまるが、それまでと異なるエレメントに移行するときが大きな時代の転換点になるのだという。

 それ自身は移動しない恒星が移動しているように見えるのは地球が自転、公転しているからに他ならないが、太陽系の他の惑星も地球同様に自転、公転している。自転周期、公転周期は常に一定なので、グレート・コンジャクションが起きるのも、それがあるエレメントから別のエレメントに移動するのも、常に同じ周期となる。エレメント転換は220年周期で起きるが、最初と最後の10年ずつは「移行期間」となるため、本当の意味で世界が各エレメントに属する星座の支配を受けるのは200年間になる。そのため、10年程度の移行期間を経て約200年ごとに時代が大転換すると西洋占星術は説く。

 過去200年間、土の星座で起きていたグレート・コンジャクションが、2020年12月22日に水瓶座で発生した。これは「風の星座」に属するので、約220年ぶりに起きたエレメント転換となる。これ以降、200年先の西暦2220年頃まで、世界は「風の時代」になるのだという。

 「土の時代」が始まった約200年前は、ちょうど産業革命を経て資本主義が発展する時代の入口に当たっていた。不動産、お金など価値が物質の形を伴っているものや、組織や肩書きなどの形式が重んじられる時代だった。対して「風の時代」は、情報や知識など物質の形を伴わないものや、コミュニケーションなどの伝達手段が重視されるという。

 ●情報、伝達とはいうものの・・・

 西洋占星術では、世界が本格的な「風の時代」に入ったのは2024年11月だという。なるほど、世界が「闇の政府(ディープ・ステート)に支配されている」とあらぬ陰謀論を流したトランプ氏が返り咲きを果たした米大統領選、「知事自身のパワハラ疑惑はウソであり、自殺した県幹部職員こそ不倫に明け暮れていた」と、支持者・支援者らがとても事実とは思えない主張を振りかざしながら、県議会での不信任決議により失職したはずの斉藤元彦氏が県知事に返り咲きを果たした兵庫県知事選が行われたのはともに2024年11月だった。これを偶然のひとことで片付けるにはあまりに話ができすぎている。西洋占星術が「情報、知識、コミュニケーションが重視される」と「予言」した風の時代入りを実感させるような心象風景が広がっている。

 情報伝達手段が新聞・本しかなかった時代から、情報技術の発展に伴って映画、ラジオ、テレビ、インターネットと多様になった。「情報、知識、コミュニケーションが重視」されるようになるのは当然のことで、それ自体は牽強付会の感なきにしもあらずといえる。問題は、情報、知識、コミュニケーションの質にある。

 インターネットの普及によって、一般市民も情報発信手段を得ることになったが、それは「事実確認も科学的検証もされないままの思い込み・差別・偏見」などの劣情もそのまま公の言論空間に表出することを意味している。年末恒例「今年の新語・流行語大賞」を2025年は「オールドメディア」が受賞したが、記者・ジャーナリスト、校正担当者、デスクなど何重にも及ぶ事実確認や裏付け調査、科学的検証の結果として送り出された良質な記事までが、自分の意見と異なるからといって「偏向」「報道しない権利の濫用」などと一方的に決めつけられてはたまらないだろう。

 こうした一方的「決めつけ」に対しては「オールドメディア」側からの反発も出ている。この言葉が新語・流行語大賞候補にノミネートされた後の11月19日に記者会見した稲葉延雄NHK会長は「私は、ネットメディアか、オールドメディアかのある種の二分法っていうのはあまり好きではない。少なくともNHKに関して言うと、その二分法は当てはまらない」と「ネット界隈の戯言」を一蹴。「今のネットを含む情報空間はアテンションなどで歪められた面が結構あって、そういう情報空間に対して、NHKはあくまでも正しい情報を提供し、豊かな番組を配信することで、ネットを含む情報空間をNHKの考える正しい情報、あるいは豊かな番組で塗り替えしたい」と強調。「我々はオールドメディアなどと言われる筋合いはない」と反撃した。

 NHKに対しては、福島原発事故に関する報道などをめぐって、私からも言いたいことは山ほどある。だが「オールドメディア」とは別の意味で偏向、デマ、フェイクだらけのネット空間から言われっぱなしになることなく、反論を行った稲葉会長の言論・報道人としての気概・矜持は評価されていいと思う。

 稲葉会長の言うアテンションとは「アテンション・エコノミー」の略だ。アテンション(attention)は英語で注意の他、注目、関心などの意味もある。強いて日本語に訳すなら「関心経済」とでも呼べるだろうか。人々の注目、関心を引きそうな情報を投稿することで閲覧数、訪問者数を稼ぐインターネット運営者の経済的行動をこのように言う。インターネットによる収入は閲覧数、訪問者数によって決まることが多いため、俗悪、低劣な情報でも「1回でも、1人でも多く見られた者勝ち」となる。こうして「悪貨が良貨を駆逐する」の格言通り、事実に基づいた正しい情報よりも、センセーショナルな真偽不明情報のほうが広く流通し、稼げるという歪な言論空間ができあがってしまったのである。

 真偽不明情報を垂れ流すSNS住民に、この事態に対して責任を負うつもりなどさらさらない。彼らにあるのは「いかに刺激的な情報を流し、1人でも多く訪問させ、1回でも多く閲覧させるか」のみである。厄介なのは、情報発信者個人にとってはこれが利益を最大化する最も合理的な行動であることだ。「アテンション・エコノミー」は、情報空間における究極の資本主義的形態だといえる。情報資本主義の最も醜悪な最終形態だと評してもあながち間違いとは言えないだろう。

 2020年代に入る頃から、インターネットのこのような負の側面がクローズアップされるようになり、ここ1~2年はアテンション・エコノミーが最終的に行き着く先が人類滅亡なのではないかという議論も英語圏を中心に出てきている。デマ情報、排外主義的情報で世論を沸騰させ、敵意を煽った結果、核保有国のトップが核ミサイル発射ボタンを押さざるを得ない状況まで追い込まれることは十分あり得る。

 1962年のキューバ危機では、米ソ両国間に対話のためのホットラインもない状況で世界は全面核戦争寸前まで追い詰められた。60年後の現在はこの真逆で、情報過多、そして情報の真偽を見定めることの困難さゆえの破局的事態も想定しておかなければならない。

 ●「淀んだ情報の海」をどう泳ぐか

 このような事態に至り、未成年者のネット利用やSNSへのアクセスを禁止・制限する国・地域も出始めている。2024年11月、オーストラリア議会は、世界で最も厳しいと思われる「16歳未満のSNS禁止法」を可決・成立させた。保護者が同意していても、16歳未満であればアカウントを取得すること自体を禁止するもので、1年間の猶予期間を経てこの12月10日に施行された。

 規制対象となるSNSは「TikTok」「Facebook」「Instagram」「X(旧Twitter)」「Snapchat」など。Youtubeは禁止対象にならなかったが、教育コンテンツも配信されていることが理由とされる。SNSの運営企業には、ユーザーが16歳以上であることを確認するための「合理的な措置」を講じることを義務付け、怠った場合には最大5000万オーストラリアドル(約50億円)の罰金が科される。オーストラリア政府は、法制定の理由を「若者の精神疾患増加」であると説明している。

 ブラジルでは、2024年8月30日から2024年10月8日まで、Xのサービスが停止された。大統領選挙期間中、ボルソナロ候補の一部支持者が虚偽情報を流したとして、ブラジル連邦最高裁がこれら支持者のXアカウントを凍結する措置を執った。ブラジル最高裁は、この過程でX社が指示に従わなかったとして、ブラジル全土でXの使用を禁止する判決を出した。

 最終的には、X社がブラジル最高裁の要求に応じたことから、禁止は1ヶ月半で解除されたが、現地で行われた調査によれば、Xへのアクセスを禁じられていた間、ブラジルのXユーザーの3人に1人が「メンタルヘルスが改善した」と答えた。ユーザーの76%は「再開されればXに戻る」と述べている一方で、約6人に1人に当たる15%は、再開されても「戻らない」と回答。7%は「停止に満足・安心した」と答えた。SNSが人間の精神衛生に深刻な打撃を与えていることが、禁止によって明らかになりつつある。

 陰謀論・デマ・フェイク拡散を放置するインターネット事業者に国家権力が介入する流れが国際的に強まりつつある。民主主義にとっての「敵」は、かつては独裁や専制主義だったが、今では意図的な偽情報を流す組織化されない主体がこれに加わっている。

 こうした事態が当たり前のものとして広く市民社会に受け入れられれば、国家による言論統制が浸透し、最終的には民主主義が死ぬことになる。そうなる前に、情報の受け手であるだけでなく、拡散の主体としての立場も兼ねることになった私たちは、情報リテラシーを高めなければならない。

 事実確認も科学的検証もされないまま拡散される思い込み・差別・偏見などの劣情に踊らされ、オールドメディアを一方的に批判するのはもちろん論外だが、一方でネット情報をすべて陰謀論・デマ・フェイクと決めつけるのも危険である。スポンサーや電通などの広告会社に「忖度」してオールドメディアも事実を報道できないことがあるからだ。福島原発事故をめぐるNHKの報道のひどさは前述したとおりだが、電通から巨大な広告費を受け取っている在京民放キー局も似たようなものだ。このような分野では、原子力ムラにとって不都合な事実、ファクトを暴露するネットジャーナリズムへの需要は決して消えることはない。広告会社からのカネに汚されていない独立メディアとして、私は本誌はじめさまざまな媒体で、2026年も引き続き頑張る決意である。

 本誌をはじめとした各媒体で記事を執筆する際の情報収集や取材を行うに当たり、私が心がけていることがある。できるだけ政治的立場が異なる複数の媒体に同内容の記事が掲載されているか、信頼できる学術雑誌か、各媒体に最近(概ね2~3年以内)において記事をめぐる名誉毀損訴訟で敗訴した記録があるかどうか等である。記事をめぐる訴訟で敗訴が続いている媒体が唯一の情報源である場合には、その情報は採用しないという判断もしばしば行ってきた。ライター業を長く続けるためには、自分自身が、自分の記事に対する最も厳しい校正・点検者として臨む必要がある。

 ●物語には物語で対抗せよ

 トランプ現象や斉藤元彦現象が起きた昨年秋頃から、市民運動に長く携わってきた人々を中心に頻繁に聞かれるようになった話がある。「政治的に正しい話がとにかく嫌われ、まったく伝わらない」「正しい話をしようとしても、反発以前に聞いてももらえない」という嘆きである。

 政治的に正しい話には重いものや、肩の凝るものも多い。内外情勢は年を追うごとに厳しさを増しているのだから当然ではある。一方で、映画や演劇、歌や川柳といった分野はそれなりに盛り上がっている。「風の時代」には情報とその伝達手段を制する者が社会を制するという西洋占星術の教えに従うのであれば「伝え方」には少し工夫が必要だろう。

 右派にあって私たち左派に欠けているものをあえて指摘するなら「物語」だろうか。ソ連崩壊からすでに30年、私たち左派は生活保護受給希望者と一緒に自治体窓口に同行することや炊き出し、こども食堂への支援、軍拡や原発、差別排外主義への反対など個別具体的政策への対応は続けてきたが、「私たちがどんな社会を目指すべきか」という「物語」「ビジョン」の提示が欠けていたのではないだろうか。その間隙を突いて「闇の政府がワクチン接種や緊縮財政を強制している」に代表される右派のでたらめな陰謀論が台頭、インターネットを利用して生活苦にあえぐ市民を動員し始めた。

 こうした流れを食い止めるには、私たち左派の側も人々の心を捉え、動員できる「物語」を持たなければならない。かつての「○○主義」のような小難しい話をする必要はない。11月5日(日本時間)に投票が行われたニューヨーク市長選で、アメリカ民主主義的社会主義者(DSA)所属のゾーラン・マムダニ候補は「労働者のために機能する都市」というビジョンを掲げ、それを保育や路線バスの無料化、商品を原価で販売し利潤獲得を目指さない公営スーパーマーケットの実現といった個別具体的政策を掲げた。人々の心を捉える「物語」「ビジョン」と、個別具体的政策の両方を提示し、両者の「接続手段」にインターネットを位置づけることで、マムダニはニューヨーク市長に当選。世界最大の金融街・ウォール街を擁する「資本主義の首都」に社会主義の楔を打ち込んだのである。

 『私たちが目指す新しい社会は、34年前、資本主義の前に敗北した古いシステムの焼き直しではない。労働は義務ではなく欲求に基づいてなされ、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、けっして猟師、漁師、牧人、あるいは批判家という職業に縛りつけられることなく生きることができる。高度に発達した生産力の下で、老いも若きも、女性も男性も性的マイノリティも、健常者も障がい者も、各人がその能力に応じて労働し、その必要に応じて分配を受ける。これが私たちの目指す社会である』を新たな「物語」「ビジョン」として提示する。『その実現のため、私たちは、生産手段を平和的手段で資本家から自分たちの手に取り戻すことを目指すが、さしあたり、教育、医療、福祉、交通、食料・農業などの分野については、できるだけ速やかに国営または公営化を実現する』を個別具体的な政策として掲げた上で、インターネットを両者の「接続」の場として打ち出してはどうだろうか。

 ●「今」との格闘の中から未来へ

 「人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)。自分がどうすべきか迷ったとき、私はいつもこの一節を思い出す。自分自身の「今」がどんなに苦しくても、それは先人たちの行動の結果を受け継いでいるだけであり、自分の責任ではないと思えば少しは心が軽くなる。ひとときの休息を経てまた歩き出す。

 未来はいつも現在の延長線上にあり、「今」の私たちの行動によって変えることができる。せめて未来の世代から「自分たちがこんな時代を背負わなければならなくなったのは誰のせいなのか」とそしりを受けることがないように。2026年も、これまでと同じように「連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる」をモットーとして、私は生きる。

 (2025年12月25日 「地域と労働運動」第304号掲載)

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