この夏から秋、日本列島は市街地へのクマ出没という異常事態の中にある。本会報読者の中には、エコな生活を送るためテレビをあえて置いていない人もいるかもしれない。だが業界にとって「数字が取れる」のか、この数ヶ月、テレビは明けても暮れてもクマ一色だ。死傷者は全国各地で300人に迫るというからただ事ではない。
餌となるはずのミズナラの大凶作が原因でお腹を空かせ、凶暴化したクマが駅や大学、ショッピングセンターの構内にまで出没し、無差別に人を襲っている東北こそ本当の「存立危機事態」だ。本来は外交問題ですらない中華圏の内政問題に首を突っ込んでいる暇があるなら、「初の女性首相」はクマとの「内戦状態」にこそきちんと対処してもらいたい――内心、そう思っているのは私だけではないはずだ。
人の生活圏に侵入するようになったクマをめぐっては、遅まきながら研究者による調査も始まっている。人間が育てた果物の木や畑に植えたソバや野菜などが、人が住まなくなった後も放置されているところをクマが餌場とし始めている新たな実態が最近わかってきている。廃屋がクマの拠点になりつつあることも見えてきたという。
かつては人が住んでいた限界集落が住民の移転や死去で消え、人とクマの生活圏を隔てていた緩衝地帯も消滅。そこに進出したクマが人の生活圏を餌場として狙えるところまで来たというのが、最近の事態の根底にある。
テレビの特集番組の取材に応じた東北地方の農家兼猟師は「人間とクマの地位が逆転しつつある」と危機感をあらわにする。もともと個体としての力が強いことに加え、学習能力も繁殖能力も高いクマは、生態系ピラミッドの頂点に立つために進化した生物だという。銃器を持たない丸腰の人間より個体数が増えれば、映画「猿の惑星」ではないが、クマが仕掛けた罠に人間がかかるような事態さえ、今後は起こりかねない。
最近のクマのこうした新たな生態を研究し、解明した研究者には敬意を表するが、彼らができるのはおそらくここまでだろう。今後、「なぜ限界集落は消えたのか」が問題になれば、研究者達は自分に補助金や科研費を交付している政府与党と事を構えなければならなくなる。そこまでの勇気ある研究者が今の学問界隈にいるとはとても思えないからだ。
最近の公共交通、とりわけバス、タクシーの中山間地域からの急速な撤退が、限界集落消滅の大きな原因としてあることは疑いがない。公共交通の廃止といえば、つい最近まで鉄道がメインだったが、輸送密度(1日1km当たり輸送人員)が4000人未満の鉄道は国鉄末期の特定地方交通線整理で消えた。それ以降、地方の人口減少で輸送密度がこれを下回る水準の路線が現れても、多くの交通事業者が内部補助(利用の多い路線で利用の少ない路線を支える意味だが、最近では鉄道以外の関連事業で鉄道事業を支えることにも使われる)によって廃線にせず支えてきた。しかし、新型コロナ禍による利用客の減少は交通事業者の想定を超えて進み、維持が困難になる地方路線が増えてきている。
加えて、最近は鉄道以上のペースでバスの路線縮小、廃止が進む。今年5月に政府が閣議決定した「2023年版交通白書」によると、全国のバス路線の廃止は2023年度だけで2496kmに及ぶ。新函館北斗から鹿児島中央までの北海道・東北・東海道・山陽新幹線の総延長が2326.3kmだから、それよりも長い距離のバス路線がわずか1年で姿を消したのだ。
最近の公共交通は「カネ」より「人」の問題が大きくなっており、一定の利用客がいる路線でも運転手不足が原因で減便、廃止せざるを得なくなっている。バス事業のほとんどは民間事業者の手で行われている。利用客の多い都市部の路線を削ってまでも、限界集落の路線を公共の利益のために優先的に残したいと考える事業者は、なくはないが多数派ではない。こうして、まずは限界集落を都市中心部と結んでいた路線が消える。続いてタクシーの営業所も遠くなり「呼んでも来ない」が常態化する。心身が衰え運転ができなくなった人から順に、住み慣れた家を捨てて都市中心部に移住せざるを得なくなる。
廃屋が増え、クマを追い払う人もいなくなり、緩衝地帯としての役割が果たせなくなった里山にクマが進出する。人間が育てた果物の木や畑に植えたソバや野菜などが残っているうちは、クマはそこにとどまるが、やがてそれらもなくなれば、人間が捨てた生ゴミを求めてついに人の生活圏まで出てくる。地方の限界集落化に対策を講じるどころか放置し、東京一極集中を進めてきた自民党政権の末路を今、私たちはクマを通して見ているのだ。地方軽視政策を続けてきた政府与党に対するクマの「逆襲」と言ってもいい。
去る11月3日、「レイバーネット日本」主催の「抵抗川柳句集発売記念シンポジウム」が都内で開催された。レイバーネット日本の運営委員でもある私は、このときたまたま都内にいてこのシンポに参加したが、入選作の中に「鉄道が消えバスが消え人が消え」(奥徒)という句があった。私が、この句の下に「里山消えてクマのし歩く」と付け加え短歌にしたところ好評だった。この短歌一首さえあれば、この間、起きている事態について長々とした説明を加える必要はないであろう。
地方の人々には、単に自分の生活があるだけでなく、森林や棚田、そしてそれらを含む広大な里山を守るという重要な使命があった。里山の人々の日常生活上の移動を支えているのが鉄道やバスなどの公共交通だった。地方の公共交通を「金食い虫の赤字線」だからと大量廃止した40年前の国鉄分割民営化の時、静かに悲劇は始まっていた。貨幣換算できないものは見えない愚か者の新自由主義者たちが播いた悲劇の種は、40年かけて順調に育ち、里山崩壊という大木に成長してしまった。
40年かけて日本人みずから育ててきた悲劇の連鎖を断ち切る手段はあるのだろうか。気が遠くなるが、里山の公共交通をはじめ医療、福祉、介護、教育といった公共サービスを、採算度外視で再建する長い道のり以外、ないであろう。
より正確な表現を期するなら「採算度外視」ではない。前回の本コラムで紹介したクロスセクター分析(多面的機能を加えた総合的、全面的な収支計算)を、公共交通以外のあらゆる公共サービスに対して実施する。「地域から病院が消えることにより、亡くならずにすんでいたはずの人が亡くなることによる逸失利益」「保育園が消滅したことが原因で、子育て世代が村から出て行き、失われる住民税収入や逸失利益」などを損益計算に加え、里山を守ることが「日本社会の総合的な維持」にとってプラスになることを示す。その計算結果を基に、地域から消えてしまった公共サービスの適切な再配置を行う息の長い政策と取り組みが必要になる。
市街地に現れてまでクマが私たちに知らせているのは、人類の持続可能性の危機である。
(2025年12月8日)