<地方交通に未来を(22)>「令和のコメ騒動」の背後にちらつく物流問題

 「令和のコメ騒動」はますます拡大して収束の気配も見えない。本稿執筆時点では、随意契約で市場に放出された5kgで2000円台の政府備蓄米を買うため、人々が行列を作っているシーンがテレビ画面に映し出されている。それを見て思い出したのが、パンを買うため、市民が朝一番から商店の前に行列を作っていた1980年代、ソ連末期のモスクワだ。40年後の今日、それと同じ光景を日本で目撃することになるとは夢にも思っていなかった。

 随意契約で売り払われた2~3年前の備蓄前が早くも店頭に並んでいるのに、それより先に競争入札が行われた備蓄米はまだ出てきていないとみられる。ここに来て複雑なコメ流通過程や、日本の“お家芸”ともいえる多重下請け(5次問屋まであるらしい)に焦点が当たっているが、このコラムで過去に取り上げた物流2024年問題も、目に見えない形でこの混乱に拍車をかけているように私には思われる。

 2024年といえば去年の話だ。今ごろになってその影響を論じるのは遅すぎると思う読者もいるかもしれない。しかしこの問題は、そもそも年間総残業時間を罰則付きで960時間以内に制限する法律が、物流業界に対しては2024年に発効するという内容だったことを思い出してほしい。トラック運転手の年間総残業時間が制限を超えるかどうかが判明するのは1年後だから、ちょうど今頃がその時期に当たる。年間残業時間が制限を超えそうになった運転手に自宅待機命令がかかったタイミングで、大量の政府備蓄米輸送が発生しているとすれば、放出したはずの政府備蓄米がいつまでも市場に出ないこともうなずける。

 それでも随意契約で放出した備蓄米のほうはすでに市場に出てきている。輸送費まで政府持ちという破格の条件があるからだ。政府が物流を社会的共通資本と位置づけ、きちんと下支えするならば、物流危機からの脱却が可能であることを示す事実といえる。

 「令和のコメ騒動」があってもなくても、コメの減反政策は終わりを迎え、増産に転じざるを得ない運命にあった。農林水産省は、農政の憲法といわれ、現農政の方向を規定してきた食料・農業・農村基本法(以下「基本法」)の改正に向けた議論に数年前から着手しており、2024年には一部改正に踏み切るとともに、将来の食料供給の危機を見据え「食料供給困難事態対策法」も制定した。あまり知られていないが、改正後の基本法第19条に新たにこんな規定が盛り込まれている。『国は、地方公共団体、食品産業の事業者その他の関係者と連携し、地理的な制約、経済的な状況その他の要因にかかわらず食料の円滑な入手が可能となるよう、食料の輸送手段の確保の促進、食料の寄附が円滑に行われるための環境整備その他必要な施策を講ずるものとする。』

 基本法にこの条文が盛り込まれたことで、今後は「食料の安定供給」を名目に、農業予算を物流に投じることができる。今回、政府備蓄米放出に必要な輸送費を政府が肩代わりしたことは、後に改正「基本法」適用第1号事例といわれることになるかもしれない。

 競争入札で放出された備蓄米の輸送が滞っていることに関しては次のような指摘もある。備蓄米の倉庫の所在地が北海道・東北地方に偏っているのに対し、需要は三大都市圏を中心に主として西日本で発生していることである。

 今ではかなり少なくなったが、20年くらい前までは、石油・セメント・石灰石の拠点間直行輸送が全国各地で見られた。「特定方向に、特定の貨物を一気に大量輸送」するという点で、備蓄米輸送は拠点間直行輸送に酷似しており、鉄道の特性が最も活きる分野だ。

 言うまでもないことだが、トラックに限らず運転手の労働時間は拘束時間に比例し、拘束時間は輸送距離に比例する。1両または1隻あたりの輸送単位が大きいため、貨物の量が増えても要員を増やさなくてすむ鉄道や船舶は大量・長距離輸送に向く。トラックはその逆で、1台あたり輸送単位が小さいため、貨物の量が増えるたびに車両台数も運転手も増やす必要があるが、短距離区間に対象を絞ることできめ細かな輸送が可能になる。

 こうしたことは、私ごときの指摘を待つまでもなく、過去にも多くの交通運輸専門家から何十回も提言されてきた。にもかかわらず、鉄道・海運とトラックとの間で役割分担の議論が進まないのは、日本に交通政策の司令塔が不在だからである(要するに国土交通省が仕事をしていないということである)。

 国鉄分割民営化で旅客と貨物を別会社にしたことも影を落としている。両者が同じ会社であれば、旅客列車と貨物列車で限られた線路を奪い合うこともなく、時間帯によっては旅客列車を間引いて備蓄米輸送列車を優先するなどのダイヤ調整もつけられる。そうした調整を不可能にしてしまったのは、線路を保有する旅客会社がまず自分たちの都合のいいようにダイヤを決め、線路を持たない貨物会社は中途半端に余った時間帯の線路を借りることしかできないからである。歴史に仮定は禁物といわれるが、もし国鉄のままだったら、備蓄米貨物列車を都心の駅に乗り入れさせ、旅客列車を運休させた山手線の駅のホーム上で市民に備蓄米を直接、売り渡すような芸当も可能だったかもしれないのだ。

 旅客会社が線路を保有し貨物会社に貸すという「1987年体制」は、北海道で貨物列車のために必要な保線が維持できなくなっていることと合わせ、すでに限界に来ている。電力業界に目を転ずると、電力が余っている会社から不足している会社へ送電させるため、国が2015年に「電力広域的運営推進機関」を設立している。鉄道会社の間でも「鉄道広域的運営推進機関」(仮称)を設立し、国民全体の利益が最大になるよう地域ごと、時間帯ごとに走行させる列車の優先順位を決めてはどうだろうか。

 JR貨物発足初期、専用トラックを直接貨車に乗せて運ぶピギーバック輸送が行われていた。トラックを鉄道貨車に乗せられるサイズに収めた結果、少しでも積載量を増やすため天井が丸みを帯びた形状になり、それが豚の背中(Piggie Back)に似ていたことからこの名がついた。当時は戦後日本で生産年齢人口(15~64歳)がピークに達した時期だった。トラック運転手を募集すればいくらでも確保できたため「それなら長距離含め、全部トラックで運べばいい」ということになり、ピギーバック輸送は消えていった。30年後の今、振り返ってみるとピギーバック輸送は時代の先を行き過ぎていたのだ。運転手不足が深刻化している今こそその価値を再確認する時期に来ている。

 JR貨物が道路輸送を代替することで年間1兆4千億円の外部経済効果が生まれているとの試算もある。これは物流2024年問題が発生する以前の試算であり、当然ながら現在、その価値はもっと大きくなっているはずだ。「令和のコメ騒動も無駄ではなかった」と多くの市民が思えるよう、物流の抜本的改革に取り組まなければならない。

(2025年6月10日)

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