第7次エネルギー基本計画 原発ありきの電力需要想定 福島事故の反省すべて投げ捨て

 経産省が昨年12月17日に案を公表した第7次エネルギー基本計画(以下「基本計画」)は、福島原発事故の反省を完全に投げ捨て、3・11前に戻ったかのように原発「最大限活用」をうたう最悪のものとなった。

 福島原発事故を受けて盛り込まれていた「原発依存度を可能な限り低減する」の表現は、安倍・菅政権でさえ福島県民・被害者「配慮」を意識せざるをえず、これまでの基本計画では残してきた。それが今回、事故以降、初めて削除された。

 基本計画は、2040年度の電源構成目標を再生可能エネルギー4~5割程度、原子力2割程度、火力3~4割程度とした。福島原発事故直前の2010年における原発比率は25%。3・11前への完全回帰だ。

 ●"反省"すら再稼働理由に

 許しがたいのは福島原発事故に関する記述である。全文84ページの基本計画に「反省」の文字はたった8か所。しかもその「反省」が「今後も原子力を活用し続ける上では、…反省を一時たりとも忘れてはならない」(総論)「(事故の)反省に立って信頼関係を構築するためにも、(原発に関し)幅広い層を対象として理解醸成に向けた取組を強化していく」(「原子力発電・今後の課題と対応」)など、すべて再稼働に強引に結びつけられている。

 「被害者」の文言はわずか2回、「被災者」に至っては1回しか登場しない。ここまで露骨な被害者切り捨て、原発推進の方針表明は3・11以降では初めてだ。

 「福島の事故がなかったかのようにしている。県民の苦しみを何ら顧みないものだ」。福島原発事故被害者5団体が基本計画撤回を求め内堀雅雄福島県知事に提出した要望書だ。この声に応え、原発即時全面廃止を目指さなければならない。

 ●デタラメな想定

 基本計画は、「データセンター需要、平均気温上昇、EV(電気自動車)需要」などにより、今後、電力需要が飛躍的に増大することを原発最大限活用の理由に挙げる。「将来の電力需要については増加する可能性が高い」とするが、「現時点において、将来の電力需要を精緻に予想することは困難」とみずから認める。

 「十分な脱炭素電源が確保できなかったが故に、国内においてデータセンターや半導体工場などの投資機会が失われ、我が国の経済成長や産業競争力強化の機会が失われることは、決してあってはならない」(11ページ)。大企業本位、「命よりカネ」優先の基本計画であることを隠そうともせず、市民を脅して原発への同意を狙う。

 そもそも経産省が主張する電力需要の増加はどこまで本当なのか。原子力市民委員会の明日香寿川(あすかじゅせん)東北大学大学院環境科学研究科教授は「2010年から18年の間に、クラウドを介したコンピューターの仕事量は550%増加したが、世界全体のデータセンターのエネルギー消費量は6%しか増加していない」「AI(人工知能)関連処理を高効率で実行する半導体の開発が進んでおり、演算能力の向上と消費電力の削減に大きな効果を期待できる」と疑問を投げかける。

 第2次ベビーブームのピークだった1973年には、1年間に200万人もの新生児が産まれた。それがここ数年を見ると、1年間の新生児の数は80万人すら割り込んでいる。人口問題研究所が公表している日本の将来推計人口予測は、上位・中位・下位の3パターンに分けて将来の人口推計をしているが、2030年代の到来を待たずに新生児が年間80万人を割り込むのは、下位推計をも下回るペースとなっている。人口問題研究所は、エネルギー基本計画が目標としている2040年の推計人口を1億1000万人程度と見込むが、今の調子で新生児の減少が続くなら、将来人口も当然、この推計を下回ることになろう。1億人を維持できれば御の字というのが実態ではないだろうか。

 加えて、この間、順調に進んできた省エネの実績も経産省は意図的に無視している。福島第1原発事故からの10年間で、日本全体では2割近く電力需要が減っている。特に減少幅が大きいのは産業部門であり、企業の省エネ化が大幅に進んだことが示されている。

 企業の省エネの取り組みは、環境意識の高まりというよりは、最も分かりやすいコスト削減策として実行されてきたという面が大きいが、ここ数年来の電力料金の高止まりが今後も続くなら、産業部門の省エネの取り組みは加速することはあっても停滞・後退することはない。

 予想を超えるハイペースで進む人口減少や、省エネの実績を無視し、現状では実態も明らかでないAI(人工知能)にすがる経産省の「電力需要激増」論は、「電力需要が増えてほしい、いや増えてくれなければ困るのできっと増えるはずだ」という空想に過ぎない。

 ●現実無視の「原発2割」~廃棄物の処分方法は依然決まらず

 基本計画の「原発2割」を達成するには「既存の原発(33基)をすべて再稼働させ、運転期間も60年に延長する必要がある」(原子力資料情報室・松久保肇事務局長)。「2割」自体、非現実的な想定であり、新増設を前提とした数字というのは一致した見方だ。

 新増設もハードルが高い。米国では2023~24年に稼働したジョージア州ボーグル原発3・4号機が1基当たり2兆円の建設費を要した。着工から営業開始までの期間も20年と長い。20年後のために2兆円の巨費を投じるなど大企業でも通常なら考えられない。新増設は、初めから税金や電気料金値上げが前提の計画なのだ。市民生活へのしわ寄せとなり、日本の国家財政も原子力のために破綻することになりかねない。

 高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場建設に向けた文献調査に史上初めて応募した北海道寿都町、神恵内村の2自治体で、2020年からNUMO(原子力発電環境整備機構)によって行われていた調査報告書が昨年11月に公表された。結論から言えば、資源エネルギー庁が2017年に公表した「核ごみ特性マップ」の内容を外れるものではなく、寿都町の大部分が適地、神恵内村については山岳地帯の一部が適地、村中心部の居住地帯を不適地とするものだった。

 私は、資源エネルギー庁とNUMOが共催し、昨年12月14日に札幌市で開催された報告書説明会に参加したが、説明会を「高レベル放射性廃棄物地層処分事業に対する理解醸成の場」と位置付けながら、会場からの挙手による質問も、一問一答型の対話もせず、質問票に記載する形で提出された疑問のうち、主催者側が抽出したものだけに回答するという非民主的運営だった。

 私ほか10名が提出した「北海道の核ごみ持ち込み禁止条例をどう認識しているのか。守る気があるのか」という質問に対するエネ庁・NUMOの回答は「コメントする立場にない」だった。法治国家を標榜するなら、地方自治体が定めた条例とはいえ、核ごみを拒否する規定がある場所で、処分事業の準備段階に当たる文献調査をすること自体がそもそもおかしい。

 この傲慢なエネ庁・NUMOの態度からは、彼らの希薄な法規範意識が垣間見えた。すなわち、彼ら中央省庁の官僚たちは「自分たちが立案して国会で成立したものだけが守るべき“法律”であり、自分たちがあずかり知らないところで誰かが勝手に作った『法』は、たとえそれが正式な手続を踏んで作られたものであっても守らなくてよい」と考えているらしいことが見えたのである。

 実際、この間、原子力ムラの住人たちは、議員立法で制定された「原発事故子ども・被災者支援法」も、国連特別報告者による勧告などもすべて無視して超法規的に振る舞ってきた。司法もそうした法規範破壊に積極的に手を貸してきた。そうした原子力ムラの法規範無視に、過去さんざん痛めつけられてきた私が「コメントする立場にない」というエネ庁・NUMOの回答を聞いて「条例無視の意思表示」と受け止めたことはいうまでもない。

 ●核燃料サイクル推進に転換の兆し?

 気になったのは、エネ庁・NUMOが口を揃えて「核燃料サイクルから撤退した場合に使用済み核燃料がどうなるか」に言及したことである。過去、エネ庁・NUMOは地層処分に対する「理解醸成」のためとして、手法や場所を変え、説明会を連続開催してきた。私はそのうちのいくつかに出席したが、過去の説明会では、参加者が核燃料サイクルの破綻を指摘し、使用済み核燃料の将来を問うても「法律で定められた地層処分への理解醸成に努める」以外の答弁をしてこなかった。それが今回、初めて「仮に国が核燃料サイクルから撤退することになった場合には、使用済み核燃料は全量が高レベル放射性廃棄物として地層処分の対象になる」と明言したのである。

 国会答弁を見ても、基本的に官僚は仮定の質問には答えない。この姿勢は徹底しており、国会議員からの質問主意書で「仮に○○であった場合、政府はどう対応するのか」と言った類の質問があっても、政府は一貫して「仮定の質問にはお答えできない」と答弁してきた。そうした官僚の習性を知っているだけに、私は一歩踏み込んだとも言えるこのエネ庁・NUMOの回答には重大な関心を抱いた。

 青森県六ヶ所村で、当初計画では20世紀のうちに操業開始しているはずだった使用済み核燃料再処理施設は、もう21世紀も4分の1が終わろうとしているのに操業開始できる気配すらない。明らかな核燃料サイクルの破綻を頑なに認めようとしない国の姿勢に疑問を持ち、核燃料サイクルからの撤退を求める勢力が、無視できない形で政府内部に存在し、影響力を増している――根拠はないが、それが私の推測である。

 国が核燃料サイクルからの撤退を決めるに当たって最大の「難題」は、各電力会社が使用済み核燃料を負債ではなく資産に計上していることである。再処理された使用済み核燃料は燃料として再利用する建前になっているのでそうした会計処理を認めているが、これは電力会社にとって「不良資産」となっており、再処理からの撤退でこれを負債計上しなければならなくなると、電力会社の利益など一夜にして吹き飛んでしまう。一部電力会社は存続が難しくなる事態もあり得よう。

 解決策としては、(1)使用済み核燃料の「減損処理」で吹き出る損金を国が補てんする、(2)電力会社の財務が一気に傷まないよう、減損処理ではなく長期間の減価償却を認めるなどの特例制度を創設する、(3)使用済み核燃料の処理を電力会社から切り離して実施するなどの方法があり得る。(3)の場合、実施主体としては福島第1原発事故に伴う賠償や廃炉などを支援する原子力損害賠償・廃炉等支援機構や、所有する全原発が再稼働できず、将来の見通しもない日本原子力発電などが考えられる。

 (1)~(3)いずれの手法を採る場合でも、費用は結局、電気料金か税金のいずれかを通じて国民に転嫁されるが、そもそも再処理事業自体、空想に過ぎなかったのだ。遅かれ早かれ核燃料サイクルの「損切り」は行わなければならず、そうした方向への模索が政府内部で始まっているかもしれないことを、「仮定の質問に、あえて答える」経産省・NUMOの姿勢の変化の中から感じ取ったのである。

 ●将来は途上国並みに「停電が当たり前」に?

 最後に、今回のエネルギー基本計画が原案通り政府方針となった場合、目標とする2040年前後、日本のエネルギー事情がどのようになっているかを予想して本稿を締めくくることにしたい。

 結論を先に言えば、日本も発展途上国並みに停電が当たり前の社会になっていると予想する。現在でも、途上国では1日に何度も予告なく停電が起き、市民も「あ、またか」と思う程度で驚きもしないというところは珍しくないが、今回のエネルギー基本計画通りに進むなら、日本も将来はこのような国々の仲間入りをすることになろう。

 それは何よりも、将来最も有望なエネルギー源である再生可能エネルギーを普及させないよう妨害を続け、一方で地球環境の維持の面からもコスト面からも有望でない原発、石油火力といった電源に巨大投資を続けるという、政府自身の「将来への見通しの無さ」が招く電力不足であり、偶然ではなく必然である。私は将来の子どもたち、孫たちの世代に大変申し訳ないと思っている。

 原子力2割が、特にコスト面や廃棄物問題から実現不可能な目標だということは前述したとおりだが、これだけ地球環境保護への国際圧力が強まる中で、火力3~4割などという寝言が通じると政府は本気で思っているのか。国土の狭い日本が再生可能エネルギーに不適だと主張するなら、せめて「2040年までに、現在の電力消費を半減させる」くらいの省エネへの覚悟を示すべきだろう。

 ただ、私はこの点に関しては悲観していない。福島原発事故後の10年間だけで日本が2割もの電力消費削減に成功したことはすでに述べたが、これは年率2%に当たる。この削減ペースを今後も続けるだけで、目標年度である2040年(15年後)までに3割の削減が可能になる。「福島」後の30年間のトータルで見ると、実に6割もの電力需要削減が可能になるのである。

 しかも、この数字は将来の人口減少を見込んでいない(福島第1原発事故後、電力消費の2割削減に成功した10年間に日本の人口がほぼ横ばいだったため、その影響を盛り込めなかったという事情による)。将来の人口減少を加味すると、実際の電力需要はさらに減る可能性すらある。「停電が当たり前のエネルギー途上国」を避ける上で、再生エネルギーよりも省エネに活路があるという私の従来からの主張を変更する必要はないと考えている。

 この数字は、過去の削減幅をベースに計算したものであり、空想に基づいた経産省の「電力需要激増」論よりは説得力を持っていると自負している。むしろ、企業や市民が省エネで電力使用量を減らすたびに、経営努力もせず、値上げで企業や市民の努力を水泡に帰させてきた電力会社の放漫経営と、それを許してきた経産省の責任を追及すべきであろう。

 (2025年1月25日 「地域と労働運動」第293号掲載)

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