衰退・凋落加速する日本 反転攻勢の目はあるか?

 ●混迷都知事選は凋落の象徴

 東京都知事選(6月20日告示、7月7日投開票)がかつてない混迷の中にある。本誌が読者諸氏のお手元に届く頃はちょうど選挙運動も終盤に入っていると思う。立候補者は過去最高の56人に上るものの、その9割以上は政策実現のためでも「選良」を目指すためでもない。

 公営掲示板のポスター枠を売買する政治団体や、公序良俗に反する卑わいなポスターを貼り出し、都選管から注意を受け即日はがした陣営さえある。これがG7の一員である日本の首都で起きている出来事だとは思いたくもない。目を覆わんばかりの惨状だ。

 「迷惑系ユーチューバー」として悪名を馳せた「へずまりゅう」氏でさえ、宣言していた立候補を取りやめ、恐れをなして撤退したところを見ると、もはや都知事選は「売名」の場としてすらまったく機能していない。市民には重い負担を課しながら、自分たちだけ裏金をつくって私腹を肥やす政治にはもはや何を言っても無駄、それなら徹底的に選挙を荒らして憂さ晴らしでもしようという「終末思想」が都知事選全体の通奏低音になっていると言っても決して過言ではない。

 泡沫候補の大量立候補に伴い、供託金の没収額も1億円を超え過去最高になりそうだとする報道もある。都知事選の供託金は300万円。法定得票数(有効投票数の1割)を確実に超えられそうなのは、現職・小池百合子知事の他、最有力対抗馬・蓮舫前参院議員(立候補に伴い参院議員を失職)、石丸伸二・前広島県安芸高田市長まで。田母神俊雄・元航空幕僚長にも法定得票数突破の可能性があるが、残る52人にはまずない。仮に52人が供託金没収となる場合、その額は1億5600万円にもなる。

 ●円安ドル高の背景にあるもの――思い出した「杜海樹さんの昔のコラム」

 政治、経済、社会、あらゆる分野で日本の凋落が加速している。特に、外国為替市場の円安ドル高は円の「全面崩壊」と形容できるほどの状況にある。2020年6月1日時点で1ドル=107円92銭だった為替市場は、1年後の2021年6月1日時点でも111円10銭とほとんど下落しなかったが、2021年以降は急速に下落が加速。2022年6月1日には135円73銭と約2割も下落した。さらに、2023年6月1日には144円32銭(対前年同月比6%下落)、2024年6月1日にはついに159円79銭と、対前年度比で1割、2021年6月1日時点との比較では31%も下落した。わずか3年間でこれだけの下落率である。

 円相場は、2024年1月1日時点では146円88銭だったから、今年に入ってからの5ヶ月間で8%も下落したことになる(ここまで、いずれも終値)。下半期もこのペースで円安ドル高が進んだ場合、今年の年末には年始から16%も円が下落することになる。食料・エネルギーの大半を輸入に頼る日本でこれだけ急激な円安ドル高が進めば、経済がおかしくなって当然だ。

 本誌のバックナンバーを保管している読者諸氏に、ぜひ読み返していただきたい記事がある。2021年4月号掲載の杜海樹さんのコラム「通貨の相対的価値という問題」だ。日経平均株価がバブル期を上回る4万円台をつけるなど(この記事掲載の段階では4万円台はまだ記録していなかったが)、記録的に進んでいる株高について、多くのエコノミストが「株が高くなったのではなく日本の通貨が相対的に下落した結果」だと指摘しているというもので、興味深く読んだ。

 経済を専門に学習していない読者にとっては、もう少し詳しい説明が必要かもしれない。そもそも「物価とは何か」と聞かれたら、皆さんはなんと答えるだろうか。経済学の教科書的に言えば物価とは「通貨と財・サービスの交換価値」のことをいう。一般的に、企業の価値は株式会社の場合、株価で示されるが、実体経済の中で企業の価値は変わらないのに通貨の価値が下落しているなら、その企業の価値を表す株価には、通貨が下落した分だけ以前より高い数字を使わなければならなくなる。要するに、起きているのは円安ドル高と同じ「円安株高」現象だというのが「杜海樹説」のポイントである。3年前は「まあ、そういう説もあるよね」的な感覚で、私も正直なところ半信半疑だった。今になって改めて記事を読み返してみると、この説が正しかったことが浮き彫りになる。

 今年5月の大型連休中、東京・高島屋で開催された金製品の展示会会場から金の茶碗が盗まれる事件が世間を騒がせた。その他にも、外国人を中心とする窃盗団による高級時計盗難事件などが報道されている。強盗犯や窃盗犯のほとんどが「物」を盗む一方で、最近は現金が盗まれる犯罪がほとんど報道されていないことにお気づきの読者もいるかもしれない。

 こんな話をすると驚かれるかもしれないが、実は、経済のことを最もよく勉強しているのは強盗、窃盗、詐欺などの犯罪を働く集団である。これらの人々にとっては、逮捕・服役などのハイリスクを取ってまで行動に踏み切る以上、ハイリターンでなければ割に合わないから、何を盗むのが最も費用対効果が高いかを「熱心に勉強」しているのである。そうした犯罪集団にとって、1年で8%、3年で3割も価値が下落する日本円のような現金はハイリスクを取ってまで盗む価値もないというのが実感なのだろう。これに対して、財物の価値は変わらないから、現金の価値が下落トレンドにあるときは、財物を盗む方が「割に合う」のである(投機筋の間では「有事の金」と言われ、戦争などの有事には金の価格が上がることが多い。しかし厳密にいうと、金は、量も財物としての価値も常に不変だから、実際には金が上がっているのではなく、通貨のほうが下がっているのである)。要するに、現金ではなく財物が盗まれるのは、政府が与えた通貨の信認が低下していることを示しており、「途上国型」の犯罪なのだ。

 こうした事実を裏付けるように、今年に入ってからこの問題を特集する経済専門紙誌が増えている。例えば、週刊「エコノミスト」2024年6月4日号「円弱~国際収支の大変貌を追う」と題する特集記事では、途上国化する日本経済に警告を発している。日本経済は現在、年間5兆円近いデジタル赤字を、同じく年間5兆円近いインバウンド(海外からの訪日客)消費の黒字で埋める構造になっているというのだ。

 デジタル赤字とは、日本が海外から受け取るデジタル部門での稼ぎから、海外に対するデジタル部門での支払額を差し引いた収支のマイナスのことをいう。日本人が使っているインターネットサービス(特にSNS=ソーシャル・ネットワーク・サービス)は、X(旧ツイッター)、Amazon、Facebookなどほとんど米国製であり、これらサービスからの課金を日本人がオンラインで支払うたびに、日本から米国へ資金が流出している。日本人が使うその他のデジタルサービスを見ても、LINEは韓国発、若者に人気のショート動画投稿サービス「tiktok」は中国発のサービスであり、中韓両国へも資金が流出している。これに対し、日本製のデジタルサービスで海外から利用されるものはほとんどないから、収支が大幅なマイナスになっているのである。

 一方、インバウンド消費についても説明が必要だろう。海外からの訪日観光客が日本国内で買い物をし、それを自国に持ち帰る場合、貿易統計上は輸出として取り扱われる。こうした行為は、それが観光客個人によって行われる点が違うだけで、日本企業が、例えば車や電気製品などを海外へ輸出し、海外から代金を受け取る行為と変わらないから輸出に当たるのだ。この「観光収支」が日本は大幅な黒字になっており、デジタル赤字の大部分をここから埋めることができているという。

 日本は、デジタル時代への対応が大幅に遅れ「デジタル敗戦」ともいわれる現状を招くに至った。日本経済は、デジタルでの赤字を、インバウンドに対する「おもてなし」というアナログで稼いで埋める経済構造になっている。目下の円安ドル高は、このような日本経済の構造的要因から発生しているため、一時的な現象ではなく長期的な(おそらく数十年スパンの)トレンドとなる可能性が高い。

 「エコノミスト」誌は、「デジタル赤字を前提にどう稼ぐか」を議論しなければならないとする専門家の発言を掲載しており、日本がデジタル敗戦から脱出する道は描けていないようだ。新型コロナが猛威を振るっていた2020年当時、台湾政府が閣僚に任命したオードリー・タン氏がデジタルを活用して迅速な対策を打ち出したのに対し、日本はコロナ感染者数を医療機関から保健所にFAXで送付する態勢を続け大きな批判を浴びた。日本がデジタル敗戦から復活できるようには、私にはとても見えない。

 ●人心荒廃で日本はどこに行く?

 経済の凋落も深刻ではあるが、目下の日本にとってそれ以上に深刻なのは人心荒廃なのではないだろうか。店舗従業員や鉄道の駅員など、反論権のない相手を見つけ出しては長時間、執拗なクレームを続ける「カスタマーハラスメント」はその最たるものだろう。それだけのエネルギーがあるならなぜ政府・自民党・経団連など「上」に向けないのか。

 愚かな行動を取る層は昔から一定数存在していたが、最近、そうした事例が騒ぎになる原因として、インターネット普及で誰もが発信者になれる時代が到来したという側面はあるかもしれない。しかし、そうした発信者たちが集会、デモなどの「発信」に務めている姿は見たことがない。発信の対象になるのはあくまで個人的で、どうでもいい「私怨」のような事例ばかりだ。インターネットは、むしろ政府や権力者に異議を唱える人々に対するバッシング以外には使われなくなりつつある。

 歴史家・半藤一利氏(2021年没)は、欧米列強が江戸幕府に開国を迫った1865年を起点として、日本は40年周期で興亡を繰り返すとする説を唱えた。日露戦争に勝利し日本が列強の仲間入りをした1905年を頂点、敗戦の1945年を底とし、バブル経済を直前に控えた1985年を頂点とした。半藤説が正しければ、来年、2025年は日本にとって1945年に匹敵する「どん底」となる。

 もちろん日本史は世界史と連動しており、ウクライナ・ガザで2つの戦争が同時進行する世界には確かに終末感がある。このような「底」から這い上がるために、日本は社会、経済の両面で何をすべきか。経済に限っていえば、インバウンドへの「おもてなし」以外の新たな有力産業を育成することは急務だろう。問題は、その有力産業の候補が思い当たらないことである。当面は「おもてなし」を続ける以外になさそうだ。

(2024年6月23日 「地域と労働運動」第286号掲載)

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