「動乱の2024年」象徴する幕開け~能登半島地震で改めて示された原発の危険性

 2024年は動乱の幕開けになった。元日早々、能登半島でマグニチュード7の巨大地震が起きたと思えば、翌2日には、帰省Uターンラッシュのピークでごった返す羽田空港で、能登半島地震の救援に向かおうとした海上保安庁の小型機と日本航空516便が衝突。海保機の乗組員6人中5人が死亡し、516便の機体から乗客・乗員が緊急脱出する事態となった。

 収束の兆しさえ見えないウクライナ戦争に加え、昨年10月にはイスラエルによるガザでのジェノサイドが始まった。週刊誌(特に経済誌)の表紙には、例年ならそのほとんどに「今年はこうなる」式の新年予測が踊るのがこの時期の恒例だが、こうした暗い世相を反映してか、2024年の新年予測を表紙にしたのはわずかに「週刊東洋経済」1誌のみ。どんな楽観主義者であろうと暗い未来しか浮かんでこない2024年の予測など新年早々載せる気にもならなかったのだろう。

 結果的に、この動乱の幕開けを見ると、新年予測を表紙にしなかった各社が正しかったように思える。新年号だからといって奇をてらった企画が必要とも思わないし、月1回しか発行機会がない誌面を、読者から必要とされているようにも思えず、たいして当たった試しもない予測記事で埋めるより、日常のきちんとした業界取材の成果を反映した誌面作りをしたほうがいいからだ。「新年号も通常通りの誌面」とすることは、週刊誌の向こう10年くらいのトレンドになりそうな気がする。

 ●3.11以来最大の危機 志賀原発を地震が直撃

 1月1日、北陸地方を襲った大地震は、232人(1月19日時点)もの死者を出す惨事になった。今も倒壊した家屋の下に埋まっている人が大勢いる。能登半島の先端にある輪島塗の産地、輪島市に至っては最近ようやく交通路が回復、孤立状態が解消したばかりであり、被害の全容解明が緒に就いたばかりだ。今後、被害がどこまで拡大するかは見通しもつかない。

 原発銀座といわれる北陸各地の原発も大きな揺れに見舞われた。東京電力・柏崎刈羽原発のある柏崎市、刈羽村では震度5強、また震源に近い志賀(しか)町では震度7を記録。北陸電力志賀原発でも強い揺れを観測した。

 岸田政権は、能登半島北部への交通路が絶たれ、現地調査もできない段階で早々と「異常なし」とウソの発表をした。実際には1、2号機の変圧器で配管が破損。遅れて、3500㍑の油が建屋内に流出したと発表したが、これも5倍の2万㍑に「訂正」された。

 変圧器が壊れた影響で3系統ある外部電源のうち2系統が断絶した。1、2号機ともに残り1系統の外部電源でしのいでいる。

 大手メディアは「“一部”外部電源が途絶」と、北陸電力の矮小化された発表をオウム返しに報道しているが実態は異なる。壊れた変圧器は冷却を維持するための外部電源841kv(キロボルト)のうち6割に当たる500kvを占めており「主電源」と呼ぶべきものだ。しかも復旧には最短でも半年かかるという。

 北陸地方では、震度5弱以上に限っても15回の余震が起きている(1月7日11時現在)。今後の強い揺れで3号機の外部電源が絶たれれば、非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得ないが、先日、1号機の非常用電源のうち1台が、試運転をしようとしたところ突然停止した。起動できたとしても非常用ディーゼル発電機の燃料は7日分しかない。今後の推移次第では福島原発事故と同じ全電源喪失に陥りかねない。

 1、2号機では使用済み核燃料プールの冷却水計421㍑が床にあふれ、1号機のプールの冷却ポンプが一時停止した。今後の強い揺れでプールが破損すれば大規模な放射能漏れが起きる危険性もある。プールが破損しなくても、「主電源」が復旧できない半年のうちに、再度の余震で外部電源が途絶すれば、使用済み燃料プールの冷却は不可能になる。ジルコニウム火災と呼ばれる使用済み核燃料の燃焼が始まれば、福島を上回る大規模な放射能漏れにつながる危険性がある。

 使用済み燃料プールの破損やジルコニウム火災による大規模な放射能漏れは福島第1原発事故の時ですら起きなかった事態であり、発生すれば福島を上回る惨事になる。志賀原発が今も綱渡り状態であり、「爆弾」を抱えたままであることは多くの読者に知っていただきたい事実だ。

 2010年1月から、福島原発事故を挟んで2014年3月まで内閣府原子力委員会委員を務めた鈴木達治郞・長崎大教授はこのようにコメントしている。「原子力規制庁や北陸電力による情報開示が乏しい中、大変な懸念をもって事態の推移を見ています。2011年の福島第1原発事故以降、原発にこれほどの危機が差し迫ったのは、間違いなく初めてのことでしょう」(2024年1月18日付け「週刊文春」)。原発推進側に身を置いていた学者ですらこのようなコメントをせざるを得ないほど、志賀原発の危機は深刻で、今後もしばらく続くことは確実だ。

 今回の地震では、揺れの強さの目安となる「最大加速度」2828ガルを志賀町で観測した。東日本大震災(11年)の2933ガルに匹敵するものだ。

 これに対し、北陸電力が志賀原発に適用している基準地震動はわずか600ガル。07年の新潟県中越沖地震後、柏崎刈羽原発の基準地震動は2280ガルに引き上げられたがこれをも大きく上回った。これだけの地震に耐えられる設計の原発は日本にはない。

 原子力規制委員会は、志賀原発1号機の直下を通る断層が活断層に当たるとした評価書案を2016年4月に決定している。福島原発後の新規制基準では、重要施設は活断層の上に建ててはならず、志賀原発はこのまま廃炉になる可能性が高いと報じられた。

 だが、岸田政権が原発回帰へ向け圧力を強める中、志賀原発がこんな状態にもかかわらず、規制委は昨年3月、「活断層ではない」とする北陸電力の主張を丸のみし、2016年評価書の内容を180度覆す不当決定を行った。

 今回の地震が志賀原発直下で起きたことは、2016年評価書が科学的であり、正しかったことを証明した。規制委はでたらめだらけの決定を取り消し、同評価書に立ち戻る必要がある。

 ●再び変わった世論~原発推進派には「福島」以上の打撃に?

 ウクライナ戦争の開始と、急激な円安進行によって、エネルギーのほとんどを輸入に頼る日本ではエネルギー価格が高騰した。「原発が再稼働すれば電気代が下がる」という政府・電力会社の説明はまったく根拠のないでたらめなものだ(実際、原発再稼働率が最も高い関西電力・九州電力の2社は値上げをしたが、原発を動かしていないにもかかわらず中部電力は値上げをしていない)。

 だが、それでもこの宣伝を真に受ける人々は多く、特にインターネットでは「さっさと原発再稼働して電気代を下げろ!」と乱暴にわめき散らす輩も多かった。再稼働反対などの街頭活動をしている仲間の中には「電気代はどうするのか」と絡まれることが最近増えたとこぼす人たちもいる。「福島」以降の反原発運動には長く追い風が吹いていたが、ウクライナ戦争以降の2年間は明らかに逆風に変わっていた。

 だが、そうした「世論」が能登半島地震以降、再び一変した。地震国日本で原発は無理だという当たり前の声が再び主流となりつつある。再び追い風に変わったとは思わないが、少なくともこの2年間吹き荒れてきた逆風が止まったことは確かだ。

 能登半島地震による志賀原発の危機と、再び脱原発に振れつつある世論を目の当たりにし、必死に原発擁護を繰り返す御用学者たちが「装いも新たに」登場している。だが、中心になっているのは三流以下の人物ばかりだ。

 たとえば、岡本幸司・東京大学教授(御用学者のキーワードでもある)の原発擁護論は、壊れたスピーカーのように「安全」と繰り返すだけで根拠をまったく示せないが、それもそのはずである。勝俣恒久・東京電力元会長ら旧経営陣3人が強制起訴された東電刑事裁判の第17回公判(2018年6月15日、東京地裁)に証人として出廷した岡本氏は、3被告の弁護側である宮村啓太弁護士の「(事故前に)多重的な津波対策をとっている原子力発電所はありましたか」との質問に対し「残念ながらありませんでした」と答えたが、これはウソである。実際には中部電力浜岡原発では対策が取られていたことを、科学ジャーナリスト添田孝史さんが明らかにしている(注)。自分の「専門分野」のはずの原子力に関してさえこの程度の知識しか持たない人物が発する「安全」論に何の意味があるだろうか。こんな人物を「エキスパート」専門家として迎え、間違った安全論の垂れ流しをさせているニュースサイト「Yahoo!ジャパン」は恥を知るべきである。

 ニッポン放送(原発推進のフジサンケイグループが運営)の番組に出演し、能登地震後なお原発推進論を繰り返す石川和男氏も、元経産省・資源エネルギー庁の官僚出身だ。「経産省の中心で原発愛をさけぶ」ことを仕事にしていた人物が唱える原発安全論に意味がないことなど今さら指摘するまでもなかろう。

 今回の能登半島地震による志賀原発の大規模な被災では、「福島」後の諸勢力の力関係の中で再稼働していなかった幸運もあり、福島のような重大局面を今のところ免れている。だが、原発推進勢力に今後、与える打撃という意味では福島を上回ることになるかもしれない。

 というのも、前述した東電刑事裁判をはじめ、これまでの福島原発事故をめぐる裁判では、津波対策の有効性だけが争点になってきたからだ。福島原発が地震の揺れで放射能漏れを起こしたと主張する識者もいるものの、裁判に提出できるほどの有力な証拠が今も見つかっていない以上、津波による全電源喪失が直接的な事故原因とする前提で対策の是非を問うしかなかったという事情がある。「1000年に一度の津波に耐えた日本の原発はすばらしい」と手放しで礼賛し、津波対策を強化した上で堂々と再稼働すべしと放言した米倉弘昌経団連会長(当時)のような人物も現れた。「福島」後の反原発運動がウクライナ戦争以降の2年間、逆風にさらされなければならなかった背景に「福島は津波が原因。これ以上の地震対策は不要」というストーリーを打破できない弱みもあったと私は考えている。

 だが、今回の能登半島地震で、原発推進派がすがってきた最後のストーリーも打ち砕かれようとしている。津波に襲われてもいないのに、地震の揺れ自体が原因で原発が壊れた明らかな事例となったからだ。

 「津波対策さえ強化すればいい」というストーリーを振りまいてきた原発推進派は、また新たな「言い訳」をしてくるだろう。だが、半年以内に福島を上回る危機がありうることを考えると、もう一刻の猶予も許されない。日本のエネルギー政策に即時脱原発以外の答えがないことを、今回の地震ははっきり示したのだ。

注)・「間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言」刑事裁判傍聴記:第十七回公判(福島原発刑事訴訟支援団)
・添田孝史氏の寄稿「間違いだらけの岡本孝司・東大教授意見書」(福島原発刑事訴訟支援団)


 (2024年1月21日 「地域と労働運動」第281号掲載)

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