問題は本当にジャニーズだけか?
日本企業に「行動変容」迫る「ビジネスと人権」の大波

 ●「帝国」の落日

 所属タレントの絶大な人気と、それがもたらす巨大な経済効果によって芸能界をほしいままに支配し、「帝国」とまで評されたジャニーズ事務所の「落日」がはっきりしてきた。

 ジャニーズ事務所の綻びの兆候は、2016年、国民的な人気を誇っていた所属グループSMAPが事務所によってテレビ番組での公開謝罪を強いられ、事実上の空中分解に追い込まれたころから現れていた。

 この騒動の過程で、SMAPの育ての親とされるジャニーズ事務所の敏腕マネージャー飯島三智さんが、5人のうち事務所に残留した木村拓哉さんを除く4人のメンバーとともに事務所を去った。ジャニーズ事務所の「女帝」とされるメリー喜多川副社長(2021年死去)から、(自分に意見するなら)SMAPを連れて出ていくよう「勧告」を受けたためとされる。自分亡き後の後継者を娘の藤島ジュリー景子氏とすることで、この時すでにメリー副社長の意思は固まっていたようだ。

 事務所を去ったSMAPメンバー4人のうち3人(稲垣吾郎さん、香取慎吾さん、草彅剛さん)は、飯島さんが設立した新事務所に移籍し「新しい地図」を名乗っている。移籍当初は「新しい地図」のメンバーを使わないよう求めるジャニーズ事務所の有形無形の圧力により、なかなか活躍の機会が与えられなかった。だが、2021年に入り、これらの不当な「圧力」が、公正な競争を妨げる独占禁止法違反の疑いがあるとして公正取引委員会から勧告を受けたあたりから大きく潮目が変わり始めた。

 メリー副社長の弟で、ジャニーズ事務所社長を務めるジャニー喜多川氏が死去したのは、姉に先立つ2019年のことだった。ジャニー氏は、売れるタレントを見抜く「天賦の才能」があるとされ、またプロデューサーとして発掘したタレントの育成にも能力を発揮した。一方で芸術家肌の性格から、事務所の経営等、管理的な業務には無関心といわれており、事務所経営をメリー氏、タレント発掘・育成をジャニー氏がそれぞれ担当するという「適材適所」の役割分担の下で「帝国」を築いたとされる。

 ●没後に噴き出した「黒い過去」

 1980年代に青春時代を過ごした本稿筆者にとって、同世代のジャニーズタレントといえばシブがき隊、光GENJI、また藤島ジュリー景子氏の辞任を受け、今回社長に就任した東山紀之氏もメンバーだった「少年隊」などがある。だが、ジャニー氏の特殊な性的嗜好は、すでにそのころから芸能界はじめ公然の秘密であると同時に、触れてはならないタブーともなっていた。

 筆者が高校生の頃、同じクラスの女子生徒からこんなことを言われたことがある。「ジャニーズの社長のジャニー喜多川って人がいるんだけど、ホモで変態なんだって。デビューしたいって応募してきた男子を抱いてみて、抱き心地が良かったら採用、悪かったら不採用にしてるって聞いたんだけど、変態で最低だよね」。

 彼女がそんな根拠不明の話をどこで聞きつけてきたのかわからないが、おそらく週刊誌などの類だろう。話し相手に私を選んだ理由も不明だが、おそらく当時の私が「反論できなさそうなタイプ」に見えたことも、今思えば一因かもしれない。時は1980年代後半、すでにそのころからジャニー喜多川氏が行っていた所属タレントへの蛮行は、芸能界のみならず、多くの一般人でさえ知るところとなっていた。その内容も、普通の感覚を持つ女性はもちろん、多くの男性でさえ嫌悪感を抱くような悪質な性加害行為だった。

 抑え込まれていた性加害が公然と語られるようになったのは、メリー・ジャニー姉弟の相次ぐ死去でタブーが取り払われたことが大きい。とりわけ元所属タレントのカウアン・オカモト氏による今年4月12日、日本外国特派員協会での記者会見は内外に強い衝撃を与えた。ジャニー氏から受けた性被害の詳細が含まれていたからである。さらに、オカモト氏は記者会見の場に日本外国特派員協会を選んだ理由について「日本のメディアはおそらくこのことは報じないだろう。でも外国のメディアならば取り上げてくれるのではないかと言われた」と述べた。一般人でも知っているジャニー氏の性加害を、芸能関係者が知らなかったなどということはよもやあるまい。もちろんそれを知りながら、冒頭で記したように「所属タレントの絶大な人気と、それがもたらす巨大な経済効果」を前にして、日本の大手メディアは見て見ぬふりをするという共存共栄かつ「共犯」関係に長く浸かってきた。オカモト氏の会見には、日本のメディアに関する深い不信もにじんでいた。

 ジャニー氏が行った性加害の詳細については、あまりに品性下劣で、労働運動・社会運動をテーマとする本誌の趣旨にふさわしくない上、本稿の主題でもないため商業メディアに譲ることにし、ここでは問題の要点のみ列挙するにとどめたいと考える。(1)「帝国」と呼ばれるほどの絶大な影響力を誇る芸能事務所の経営幹部によって、所属タレントという圧倒的弱者に対し、日常的・継続的に行われた人権侵害であること、(2)日本政府、メディアを含む経済界が利益のために「黙認」という形で性加害に事実上加担してきたこと、(3)ファンも自分が「推し」活動(近年、芸能界隈で急速に使われるようになった用語で、好きな芸能人を応援する活動一般を指す)をしているジャニーズ所属タレントの「偶像」を維持するため性加害黙認の形で加担してきたこと――を指摘しておけば十分だろう。

 ●「ビジネスと人権」の「黒船」襲来

 ジャニーズ事務所所属タレントに対する喜多川氏による性加害問題は連日商業メディアを賑わせているが、ここ最近のこうした目まぐるしい動きの背景に大きな国際的潮流があることを指摘しておく必要がある。キーワードは「ビジネスと人権」だ。人権の視点から企業活動が適切かどうかを点検し、人権侵害につながるような不適切な経済活動を行う企業に対して「行動変容」を促そうという国際的な動きである。

 日本が東日本大震災・福島第1原発事故による混乱のさなかにあった2011年、国連人権理事会が「ビジネスと人権に対する指導原則」を採択した。これに呼応し、OECD(経済協力開発機構)も「多国籍企業行動指針」に人権の章を追加する改正を行う。児童労働、男女の差別的取り扱い、環境破壊など企業活動が与える負の影響を監視する国際的合意ができたのである。

 人権問題に敏感な欧米諸国の反応は早かった。英国政府は2013年、ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)を策定。2014年には、非財務情報(経営状態にとどまらず、広範な企業活動全般に関する情報)の開示を義務付けるEU(欧州委員会)指令が発出された。英国、オーストラリアは奴隷労働禁止法を制定。ドイツは「サプライチェーン法」制定に動いた。サプライチェーンは、直訳すれば「供給網」のことで、生産から流通まで、企業が財・サービスを消費者に届けるまでにおける経済活動のあらゆる段階を意味する。日本でも流通業界などの現場では注釈なく使われる一般的な用語である。ドイツの法律に関して筆者は現段階では内容を確認していないが、サプライチェーンの語感から、経済活動のあらゆる段階における人権侵害に対し、網羅的に規制をかける内容であることは想像がつく。

 日本ではやや遅れて、2016年にNAP策定を行うことを決定。2022年、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定された。このガイドラインが「日本版NAP」と呼べるものかどうかははっきりしないが、少なくとも日本政府がそのように考えていることは、策定までの過程を示した一連の公文書を見るとうかがえる。あくまでもガイドライン(指針)であり、強制力を伴わないことから、企業がこのガイドライン通りに行動を変容させるかどうかは、企業・経済界の意識次第の部分が大きいといえよう。

 前述したように、欧米諸国では「ビジネスと人権」の精神を、強制力を持つ法律の形で実現しようという動きも活発になってきている。国際的には「人権デューディリジェンス(DD)法」と呼ばれ、EUは2022年2月、特定の企業に対して企業活動における人権や環境への悪影響を予防・是正する義務を課す「企業持続可能性デューディリジェンス指令案」を発表している(EUには、EU議会で制定され、加盟国を強制的に拘束する「法律」と、加盟国を拘束しないがこれに準じて国内事情に見合った立法措置を促す「指令」があり、これは後者に相当する)。近い将来、正式決定され指令となることは避けられない情勢だ。

 日本でも、人権DD法制定に向けた動きが出始めている。今年4月25日には、休眠状態だった「人権外交を超党派で考える議員連盟」が会合を開き、一定規模以上の企業に人権DDに基づいた行動を義務付ける法整備を目指すことを確認した。今年4月30日付け毎日新聞の報道によれば、この議員連盟は2021年秋までの人権DD法制定を目指していたが、前述のガイドラインが公表されたためにいったん休眠状態となったという。

 ガイドライン公表は「ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議」によって行われたが、省内に大臣官房ビジネス・人権政策調整室という担当部署が置かれている経産省が策定を主導したことは間違いない。そして、旧通産省時代から「経団連霞が関支店」と揶揄されてきた経産省にとっては、企業・経済界への強制力を伴う法律制定の動きが本格化する前に、強制力を伴わず企業の自主的行動にゆだねる形でのガイドライン策定で「機先を制する」狙いもあったことは間違いないと思われる。実際、この推測を裏付けるように日本政府の人権DD法制定への動きは今なお鈍い。

 だが、ある「官邸幹部」から議連に対し、議員立法での法制化に向けた働きかけがあったことが、議連再起動のきっかけとなった。「人権問題をめぐって国際社会の日本への視線が厳しさを増しており、どのような分野からでもいいので、取り組みを目に見える成果として示さないと持たない」との官邸幹部の危機感があると報道されている。

 ●「ジャニーズ問題の消費」で終わらせないために

 現在、国連人権理事会の下部組織として「ビジネスと人権に関する作業部会」が設置されている。この作業部会メンバーが7月24日から8月4日の日程で初めて来日し、日本政府や企業による人権DDへの取り組み状況を調査した。ジャニーズ問題に関しても聞き取りが行われた他、大阪、愛知、北海道、福島を訪問。東京電力に関しては、原発作業員の労働環境や多重下請け問題など、日本企業による人権侵害状況を直接現地で調査した。

 作業部会は日本に関して「三つの根本的問題」を指摘した。第1は、先進的なグローバル企業と家族経営を含む中小企業との間で、指導原則の理解と履行に大きなギャップがあること。第2は「人権を保護する国家の義務」を政府が十分に果たしていないこと。第3として、各企業に合わせた要求への対応能力の構築が必要だということだ。作業部会は、日本では「裁判所も人権意識が低い」として裁判官に対する人権研修の実施を促す声明を発表している。

 作業部会が調査対象とした企業のほとんどが、公正な競争の観点から、政府に対して人権DDの義務づけを望んでいると公表されたことは少し意外だった。作業部会がどのような企業を調査対象に選んだのかわからないが、調査本来の趣旨から見て、いわゆる「意識の高い」企業が選択的に対象とされたとは考えられない。そのような抽出の仕方をするのであれば、わざわざ訪日までして調査する意味に乏しいからだ。それだけに、義務化を望む声は経済界の主流とまでは言えないとしても、その少なくない意思だと見ておく必要はあろう。なにしろ、経団連ですら広報誌「月刊経団連」(2022年5月号)でビジネスと人権を巡る世界の動きを紹介し、加盟企業に取り組みを促しているくらいなのだ。背景には、望むと望まざるとにかかわらず、世界の潮流に合わせたビジネス展開をしなければ、日本企業が国際市場から締め出されるという経団連なりの強い危機感があるといえよう。

 むしろ、先行する企業・経済界に比べて、遅れているのが政府、消費者の意識改革である。政府は遅々として法制化に動かず、消費者は「安いニッポン」問題が深刻化する中で「供給される財・サービスの背景に多少の問題があっても、安ければ目をつぶる」長年の意識から抜け出せていない。ジェンダー問題に関しても、このところ法制度や仕組みより「アンコンシャス・バイアス」(男は/女はこうあるべきという無意識の偏見)に焦点が当たっているように、意識改革が求められる局面になっている。エシカル消費などというおおげさな言葉を使うまでもなく、「自分が今、買おうとしている財やサービスの背景に何があるのか」「自分が目をつぶってお金を払うことで誰かが苦しんでいないか」を意識することがますます重要になってきている。

 作業部会の調査メンバーが離日するにあたって行われた会見では、メディアの質問はジャニーズ問題1色になった。司会者がジャニーズ以外のことも質問するようメディアに促したにもかかわらず、参加した記者たちは無視してジャニーズ問題の質問を延々と続けるという醜態をさらした。そのこと自体が「数字が取れる=メディア企業として儲かる」のであればいいという、人権DDに真っ向から反する行為であることはいうまでもない。

 それでも、性加害に加担した過去がなく「真っ白」なメディアがそのように振る舞っているにすぎないのであればまだ救いもあろう。だが、すでに述べたようにメディアもジャニーズタレントを起用して莫大な利益をあげることと引き換えに性加害を黙認し「共犯」関係だったのである。そのメディアが、「落日」を迎えたとたんにジャニーズ叩きで正義や知る権利など振りかざしたところで、しょせんは茶番劇に過ぎないことを視聴者は見透かしているに違いない。

 ジャニーズをめぐる一連の騒動を、メディアによる数字稼ぎのためのエンタメ的消費で終わらせてはならない。私たちは「その先」を見据えなければならない。メディアも同罪ではないのか。メディア自身の人権DDはどうなっているのか。厳しく追及していく必要がある。作業部会も指摘した「被曝作業員」に対する多重下請け構造に伴う賃金ピンハネ問題もほったらかしにして、原発は再稼働に向かっている。汚染水の海洋投棄という人類史上最悪の環境破壊が政府公認の下に白昼堂々と行われているが、メディアは見向きもしないどころか、「汚染水」の単語を使う者、海洋放出に反対する者は中国の手先だとでもいうべき差別排外主義的宣伝に手を貸している。そのことも徹底して問わなければならない。

 ともあれ、賽は投げられた。ビジネスと人権をめぐる潮流は、幾多の抵抗に直面しても、後退することはないと思う。無益な抵抗を続ける企業はいずれ国際市場から淘汰されることになる。本質的なことに目を向けられたくない資本主義とグローバル企業によって作り出される空騒ぎから距離を置き、企業に行動変容を促していくこと、「地球の裏側に住んでいる女性や子どもたち」のために何ができるか考え、微力でも世界市民として良識ある行動をとること――私たちに課せられた課題はこれに尽きる。

 (2023年9月25日 「地域と労働運動」第277号掲載)

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