2023年に向けて~民主主義は生き残れるのか?

 2022年も残りわずかとなった。年の瀬に配達され、年末年始を通じてじっくり読み込まれることが多い新年号では、私はこの先10年の展望や人類の思想的潮流など、割と大きめのテーマを扱うことが多い。特に今年はウクライナ戦争や安倍元首相殺害事件など内外ともに世情騒然とした年だったからなおさらその思いは強い。本誌読者の中にも、これからどうしていいかわからず、立ちすくんでいる人もいるのではないだろうか。

 私たちは、今はまだ激動する歴史の渦中に身を置いており、これらの出来事に現時点で評価を下すことは難しい。このような時代に大切なことは、個別の事件や出来事の評価は後世の歴史家に委ねざるを得ないとしても、そこで肯定的な評価を受けられるように、今、自分に課せられた役割をきちんと果たすことに尽きる。

 ところで、2022年以前から、私の中で徐々に膨らんできた「ある疑問」がある。民主主義はこの先の時代も果たして生き延びられるのかというものだ。中国やロシアなど、従来のいわゆる「西側社会的常識」の範囲外にある国が、民主主義国家よりはるかに迅速な意思決定の下に、効率的に国家・経済建設を進めているように見えるからだ。ウクライナ戦争や安倍元首相殺害事件は、この疑問を後押しするものではあっても、解決の糸口を提供するような性質のものではない。

 ●何が本当の民主主義かわからなくなった

 敗戦でGHQ民政局に陣取ったニューディール派から世界で最も民主主義的憲法を「プレゼント」された日本の市民は、すでに人の一生に匹敵する80年近い年月をこの憲法とともに暮らしてきた。西側陣営の一員に属し、市民的自由や複数政党制に基づく民主主義は疑いを挟む余地のない、自明な、所与の条件であり、独裁国家や専制体制に対する優位性の根拠になってきた。ソ連崩壊で官僚主義的社会主義体制が崩壊し、自由民主主義体制が普遍性を持つ唯一の政治体制と捉えられるようになってから、その傾向にはますます拍車がかかった。

 民主主義が本当に機能しているのかという私の問題意識は、2016年大統領選で米国にトランプ政権が成立してからかなり明確になったが、今年6月にNHKで放送された「マイケル・サンデルの白熱教室~中国って民主主義国?」を見てから決定的になった。米ハーバード大学、中国・復旦大学、そして日本からは東京大学、慶應義塾大学の学生が出演して民主主義について議論するというものだ。最近、物価高など生活に密着した課題はテーマになっても、こうした大きなテーマが論じられることがまったくといっていいほどない日本で、多くの知的刺激を与えられた。

 番組の詳細を紹介する余裕はないが、市民的自由や複数政党制に基づく民主主義に信頼を置いているのが米国の学生であり、対照的に「中国には中国の民主がある」とそれらに否定的なのが中国の学生。日本の学生はその中間だが、真ん中より若干中国寄りというのが、番組を見た私の印象だった。

 司会進行を務めるマイケル・サンデルはハーバード大教授で、2009年に出版した「これからの「正義」の話をしよう」は100万部の売り上げを記録。日本でも注目されるようになった。2021年に出版した「実力も運のうち」では、有名進学校から有名大学に進めたのが自分の努力のように見えても、それには裕福で有名進学校に子どもを通わせられる家にたまたま生まれたという要素が大きく、エリートが自分自身の努力の結果と思っていることのほとんどが「運」によるものであるとして、先進国の社会にまん延するいわゆる能力主義(メリトクラシー)に真っ向から疑問を投げかけ、再び話題を呼んだ。

 「白熱教室」で、サンデル自身は自分の意見を押しつけることはなく学生の意見を尊重する。その意見が極端なものであっても、主張に一貫性があれば問題としない代わり、議論の過程で学生の意見が変わり、または主張が一貫しないときは「君は先ほど○○と言っていたはずだが?」と確認を求める。自分の教え子かもしれないハーバード大学生を特別扱いもせず、公正な司会進行に努める姿が印象的だった。

 米国の学生は、共産党が国家社会の全領域を指導し、包摂する政治体制について「共産党が間違いを犯した場合、誰がチェックするのか」との疑問を投げかけた。サンデルが別の話題に切り替えたため、中国人学生は直接この質問には答えなかった。だが、全体の利益に配慮した善政を「王道政治」、権力者が私利私欲を満たそうとする悪政を「覇道政治」として区別する考え方が中国では歴史的に根強い。仮に聞かれたとしても、中国人学生は共産党をチェックできる外部勢力の有無には触れず「どのような政治が“民主”かは、人民は見ればわかるものです」と答えたに違いない。

 中国の政治体制について「自由選挙でも複数政党制でもなく、言論の自由も完全に保証されていないのに、それは民主主義と呼べるのか」との疑問が出されたのに対し、中国人学生がそれを「中国式“民主”」として堂々と肯定する姿に私は違和感を覚えた。もしこれでも“民主”に含まれるなら、そもそも“民主”でない政治体制にはどんなものがあるのかという疑問を持ったからである。おそらく、中国でいう“民主”は王道政治のことではないかというのが私の推測である。

 「中国の政治体制を民主主義と認めるか」というサンデルの問いに対し、米国人学生は6人全員が認めないと回答したのに対し、中国人学生6人全員が認めると回答したのは対照的だが予想通りだった。私が衝撃を受けたのは、日本の学生6人のうち4人までが「認める」と回答したことである。

 ここからは私の推測になるが、日本では自民党は保守合同によって1955年に結党してから、ほとんどの期間与党の地位にあった。自民1党支配はそろそろ人の一生に近い70年になろうとしており、自民党政権成立以前の日本を知る日本人はいなくなりつつある。その上、過去2度起きた非自民政権への交代がたいした成果も上げられなかったとなれば、ほとんどの日本人は1党支配を疑う余地のない所与の前提と思うだろう。中国で、共産党とその公認を受けた8つの「民主党派」以外には立候補の自由がないのに対し、日本は誰がどんな政党・結社を作っても自由に立候補できるなど本質的な違いはある。だが少なくとも「誰がどれだけの期間、政権を担当しているか」という外形的な部分だけを見れば、長期1党支配として日本も中国も大きな違いはなくなっている。日本人学生が、自国の政治体制を民主主義に含めるなら、中国の“民主”も民主主義に含めなければ平仄がとれないと考えたとしても、それを責めるのは酷というものだろう。

 ●選挙は機能しているか

 サンデルが別の話題に移ったため、米国人学生から投げかけられた疑問に答えるチャンスを逃した中国人学生に代わり、私が西側的「民主主義」より中国型“民主”のほうが優れていると思われる点も挙げておくことにしよう。

 近年、日本の選挙では再び投票率低下が激しくなっており、大都市部では20~30%台という極端な例も見られる。先日行われた東京都品川区長選挙は、6人が乱立した末、公職選挙法が定める法定得票(有効票数の4分の1)を得た候補者がなく再選挙となった。再選挙では当選者が決まったが、投票率は10月の1回目投票が35.22%、再選挙も32.44%という惨憺たるものだった。

 仮に、投票率が32.44%で当選者の得票率が4分の1すれすれだった場合、全有権者の8%の支持しか得られなかったことになる。このような状態で当選した人に公職者としての政治的正統性があるかどうかは検証されるべきだろう。

 当選した人が圧倒的な得票率だったとしても問題の本質は同じである。投票率を「現行選挙制度に対する支持率」だと見るならば、支持率が30%代前半で「危険水域」といわれている岸田政権と大して変わらない。日本の現行選挙制度も岸田政権同様の危険水域にある。

 これに対し、中国では政治体制こそ一党独裁だが、各級選挙は、党が選んだ官選候補に対する信任投票として行われる。信任か不信任かの二者択一しかなく、不信任が上回った場合には、候補者を差し替えるなどの方法で選挙がやり直される。いずれにしても、信任された場合、その信任票は必ず投票総数の半数を超えることになる。「誰でも立候補できる選挙制度の下で、全有権者数の8%の支持しかないのに当選した者と、誰でも立候補できるわけではないものの、必ず投票者の過半数からの信任を得なければ当選できない制度の下で信任を得た者とでは、あなたならどちらを正当な政治的交渉相手として認めますか」と聞かれた場合、それでも前者だと答えられるだけの勇気は私にはない。

 本誌読者の皆さんは、この問いを投げかけられた場合、あなたならどう答えるか頭の体操をしてほしい。このように考えれば、東西冷戦崩壊後、私たちが疑いを挟む余地のない、自明な、所与の条件であり、独裁国家や専制体制に対する優位性の根拠だと考えてきた民主主義が実際にはたいしたものではないことが見えてくるだろう。

 中国の習近平国家主席は、一般市民は参加できない中国共産党員のみの選挙で総書記に選ばれているに過ぎないが、それをいうなら日本の首相も自民党員だけの選挙で党総裁になり、国会議員だけの選挙で首相に選ばれているに過ぎない。習近平国家主席や、プーチン・ロシア大統領が民主主義陣営に「果敢に挑戦」し、一定の成果を上げている背景には、隙だらけの民主主義の本質を見通しているからである。民主主義が専制政治より優位に立っていたこれまでの世界が今後も続くかどうかは、私はかなり危うくなっていると思う。単なる代表選出の方法論では回収できない言論の自由や多様性など「こちらにあって、あちらにないもの」を守り、強化させる努力なくして西側世界が今後、今の地位にとどまれないことは、この間の経過を見れば明らかだ。

 ●哲学を持たない日本人

 「失われた30年」については本誌前号で述べたので、今号では繰り返さない。長く続く日本の漂流の原因について、日本と日本人の「哲学不在」を指摘する声は多い。日本は何を目標とするどんな国であるべきか。国際社会での立ち位置をどこに定めるか。そんな本質的なことを日本人が議論している姿は、もう何十年の単位で見ていない気がする。

 そもそも、子どもたちの教科書に、太字で名前が書かれている日本人はほとんどが政治家や文化人だ。これに経済人が加わる程度で、哲学者、思想家はほとんどいない。枚挙にいとまがないほど多くの哲学者、思想家を輩出してきたギリシャ、ドイツ、フランス、中国などの国々とは違う。

 ドイツでは、メルケル前政権の下で2022年末までの脱原発を決めた。福島原発事故後のエネルギー政策について諮問するため、メルケル首相みずから設置した「脱原発倫理委員会」による答申を受けてのものだ。この倫理委員会で筆頭委員を務めたのが、ミュンヘン大学社会学部教授(リスク社会学)のウルリヒ・ベックであった。ベックはチェルノブイリ原発事故直後の1988年に「危険社会~新しい近代への道」を著している。同書は10年後の1998年になってようやく日本語版が出された。私は福島原発事故後に同書を手にしたが、科学と社会との関係、原発のような巨大な科学技術が社会にもたらす正負の影響、科学者という専門家集団を通じた「サブ政治(政治の中の政治)」がもたらす民主主義無力化など多くの点が論じられている。

 日本では他の学問分野に属さない種々雑多な領域を扱うものとして捉えられ、社会学と社会学者の地位は高くない。何を対象とする学問なのかわからないと言われるのはまだいいほうで、オタク、サブカルチャーや文化芸能などについて論じるのが本業だと思っている人さえいる。実際、私が学生時代には自嘲気味に「社会学者ってのは失業対策のためにいるようなもんですよ」などと発言する教授もいた。

 これに対し、ドイツでは社会学者の地位は高く「職業としての政治」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などの著作で知られるマックス・ウェーバーも社会学者であった。哲学者、思想家の域に達していなくとも、ウェーバーやベックのような、人間と社会、人間と科学、あるいは人間相互の関係について的確に論じられる社会学が日本に確立し、それを担う社会学者がいれば、30年もの長期にわたって日本が漂流する事態は避けられただろう。

 日本では、哲学不在は有史以来の一大課題だったが、近代に入るまでは宗教者がその穴を埋めてきた。この基本構造は現在も変わらない。原発差し止め訴訟に多くの宗教者が関わるなど、教科書に名前が載るような存在でなくても、多くの無名の宗教者が政治運動に立ち上がっているところに、ひとつの希望を感じる。

 ドイツで本来なら今ごろ実現していたはずの脱原発の期限は、ウクライナ戦争によるエネルギー危機のため先送りされたが、脱原発の方針自体は現在も覆されたわけではない。

 ●「大きな物語」とコミュニティの再建を

 安倍元首相殺害事件とともに、30年ぶりに統一教会が社会を騒がせていることについても、前号で触れたので多くは繰り返さないが、このようなカルト宗教団体をめぐる問題が日本で周期的に起きる背景に、私は日本と日本人の哲学不在が大きいと考えている。失われた30年の間、一貫して続いた新自由主義による共同体、コミュニティの解体によって、多くの日本人が孤独、孤立に追いやられたことも、「心の隙間」にカルトがつけ込みやすくなる土壌を作り出している。

 この問題に特効薬はない。日本人を孤立、孤独から救い出すためには、面倒で長い道のりであっても、共同体やコミュニティを再建する以外に解決策はない。国家、政府と市民ひとりひとりの中間に位置する労働組合、市民団体、文化団体などの再建が急務である。

 同時に、冷戦崩壊後ほとんど語られることのなくなった「○○主義」などの物語も多くの人々を共同体に束ねるためには再建が必要であろう。人間が損得を度外視してでも行動するのは、正義や自由、民主主義など信じる価値観があるときである。

 輝きを失ったソ連型社会主義が人々の希望になるとは思わない。民主主義も昔に比べれば色褪せて見える。これらに代わって私たちの心を捉える価値体系があるのだろうか。自由と多様性、環境保護と持続可能な社会、そして硬直したソ連型の欠点を克服した新しい形での社会主義あたりが、その候補となりうるだろう。いずれにしても、この事態を第2の敗戦と捉え、まったく新しい社会への構想力を持たない限り、日本の復活はあり得ない。2023年をそのためのスタートにしたいと私は今考えている。

 (2022年12月20日 「地域と労働運動」第268号掲載)

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