「死」を通じて見えたこの国の本当の姿 日本はどこへ行くのか?

 ●「死」がかつてなく身近に

 本誌が読者諸氏のお手元に届いた時点で、2022年はまだ1ヶ月以上残っており、総括するのはまだ早いと思われる方も多いだろう。だが、半世紀を過ぎた筆者の人生の中で「こんな年、早く終わってしまえばいいのに」とこれほどまでに強く思った年はかつてなかった。自分の精神面ではなく、世情という意味でとにかく苦しい年である。

 こんなことを思っているのは自分だけかもしれないと思い、これまで筆者は、こうした感情を露出するのを本誌はじめ、どの媒体でも避けてきた。だが月刊誌「文藝春秋」2022年10月号で、作家・五木寛之さんがこんなことを述べているのを読んで少し考えが変わった。『小説を書くようになってから55年になりますが、この2022年ほど多難だった年はかつて経験がなく、数百年に一度の天下変動に直面しているような実感があります』。

 1932年生まれで、今年90歳を迎えた五木さんですらかつて経験がないというほどの年なのだ。たかが半世紀ごときの人生経験しかない「若輩者」の筆者が多少弱音を吐いたところで、今年に関する限り、大目に見ていただけるだろうと考えが変わった。読者諸氏からたとえ早すぎるとお叱りを受けたとしても、気が遠くなるほど強烈な多くの出来事が走馬燈のように駆け巡った2022年は、もう総括してしまいたいという思いが強くなってきたのである。

 2022年を思い切り乱暴に、ひとことでまとめるならば、「生」よりも「死」が優位に立った年、「死」を通じて人間の本質が見えた年であったと思う。

 2月、ロシアのウクライナ侵略で幕を開けた戦争は、9ヶ月経ってもまったく収束のめどは立たず、遠く離れた日本では「ウクライナ疲れ」などという軽い言葉で片付けられ始めている。だが現地では、私たち日本人にとっては名前も顔も知らないOne of themであっても、身近な人にとってかけがえのない誰かが今この瞬間も銃弾を受け、倒れ、傷つき、死んでいる。多くの人をウィルスの犠牲にしたコロナ禍もまだ去っていない。そして、安倍元首相襲撃事件である。

 本稿筆者は2016年8月に胃がんによる手術を経験した(本誌2018年9月号参照)が、このときですら「末期よりは初期に近いがんで、医師も摘出可能な部位にしかがんはないと言っているのだから、生還できるだろう」と楽観的だった。それが、病気が悪化しているわけでもない今年のほうが「死」を身近に感じる。他人に恨まれるようなことをした覚えはないし、安倍元首相のような巨大な影響力を持っているわけでもないが、ウクライナ戦争の今後の展開次第では「明日、どこか外を歩いているときに、突然、頭上の空にピカッと閃光が走り、そのまま苦しみすら感じることなく、自分の生きてきた歴史そのものが終わるかもしれない」という思いが頭から離れることがないのだ。

 毎年、10月1日になると年賀はがきの発売が始まる。今年もすでに始まっているが、今年は例年以上に年賀状を書く気が起きない。内容以前に、書いたところでそれが宛先に届くまで人類が生き延びているかどうかの確信が持てない。壮絶な1年だったと思う。

 ●「銃声は世界を変えない」と言われるが

 子どもの頃、学校の授業で「テロや銃弾が歴史を変えることはない」と教えられた。児童生徒にとって模範的存在でなければならない教員としては、理不尽な世界を変えるために闘う必要を認めるとしても、「そこに暴力を介在させてよい」などと教壇の上から子どもたちに向けてはとても言えないであろうし、目の前の児童生徒の中からそのような「最終的解決手段」を用いる者が出てくることは断固、阻止しなければならないであろう。

 だが、それとは別次元の問題として、1発の銃声が世界を変えることは、残念ながら起こりうる。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子に向け、セルビア人の青年が発射した銃弾は第一次世界大戦を呼び起こした。誰もが取るに足りないと思うような小さく偶発的な暴力行使が世界を暗転させた例は、歴史書を紐解けばいくらでもある。

 死者に鞭打たないことがこの国の「美徳」のように言われているが、凶弾に倒れた人物が、憲政史上最も長く首相の座にあった政治家とあっては嫌でもその評価に触れないわけにいかない。安倍元首相が日本に残したのは「言葉の通じない政治」だった。言葉を無力化することに徹底してこだわった。安倍支持者には成功体験が、反安倍派には諦念がもたらされた。その政治のあり方がひとつの争点として問われる選挙戦の最中に、白昼公然と「凶行」は起きたが、それは安倍元首相自身がもたらした「言葉の通じない政治」の必然的な帰結だった。

 『今回の事件は、山上容疑者の意図とは全く別として、日本政治の行方を大きく変える出来事になる可能性もあります』――五木さんの発言を伝えたのと同じ「文藝春秋」10月号誌上で、宗教学者の島田裕巳さんがそんな不気味な「警告」をしている。可能性としては高くないが、起こりうる展開のひとつではあろう。

 本誌読者に40歳代以下の若い世代がどれほどいるかはわからないが、筆者と同じかそれ以上の年代の方には、30年前も統一協会問題が世間を騒がせた記憶がおそらく残っているだろう。タレント桜田淳子さんや、元新体操日本代表の山崎浩子さんら著名人が次々、統一協会に絡め取られ広告塔となっていった。この山崎浩子さんと華々しく「合同結婚式」で結ばれた人物こそ、宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧統一協会)の勅使河原秀行・改革推進本部長である。30年前もメディアに頻繁に登場しては「テッシー」と呼ばれ、言動が物議を醸した(山崎さんとはその後離婚、山崎さんは統一協会を脱会している)。

 合同結婚式が世間を騒がせたのは1992年だったが、その翌年の1993年に行われた総選挙で、自民党は過半数割れを起こし、結党以来初めて下野する。非自民8党が連立し細川護煕政権が成立したのだ。このときの総選挙は、直前に宮沢喜一内閣不信任決議案が衆院で可決されたことによるもので、自民党から「造反」して賛成票を投じた小沢一郎らが離党、新生党や新党さきがけを作った。解散前の衆院で140議席以上を持っていた日本社会党は70議席あまりに半減し惨敗した一方、自民党は20議席程度しか減らさず踏みとどまった。にもかかわらず、このわずかな自民党の議席の減少が過半数ラインをめぐっての攻防だったために、選挙に負けなかった自民党が下野する一方、議席半減の大敗をしたはずの社会党が政権入りする。今振り返れば憲政の常道に反する政権交代劇だった。

 選挙制度は今と違って中選挙区制だったが、当時の宮沢政権が岸田政権と同じ宏池会であること、統一協会問題で世情騒然としていたこと、バブル崩壊直後で極度の経済不振だったこと、ソ連崩壊直後でロシア発の混乱が世界を覆っていたことなど、不思議と今に通じる共通点が多い。

 1993年は、内閣不信任案可決によって不意に訪れた総選挙だったが、今、歴史を振り返れば、自民党の選挙運動を陰で支えていた統一協会が、現在と同様、強い批判にさらされ、表だって選挙運動ができなかった結果の「政権交代」だったのではないかという気がする。社会党が大敗するなど、当時も野党への期待は全くといっていいほどなかったからだ。

 ここから何かの教訓的なものが読み取れるとすれば、野党への期待が高まらなくても、与党への怒りがそれを超えれば政権交代は起きうることだが、一方で当時と今で180度異なる点もある。ソ連崩壊で核戦争の危機が去り、自由と民主主義が世界の大半を占めるようになるとの期待があった当時と比べ、今は核戦争の危険が目前に迫り、世界的に民主主義よりも専制的政治体制が優位になりつつあることだ。明らかに状況は当時より今のほうが悪く、局面打開は容易ではない。

 ●日本衰退局面の中で

 当時より今のほうがはるかに日本の「基礎体力」が落ちてしまっていることも局面打開を困難にさせている要因のひとつだ。それは政治、経済、社会あらゆる領域に及ぶが、特に深刻なのは経済だろう。今や日本の賃金は韓国を下回り、タイやフィリピン、インドネシアなど、かつて日本がNIES(新興工業国)と呼んでワンランク下に見ていた国とほとんど変わらなくなった。「安いニッポン」で買い物をしようと、欧米人はもとより、これら東南アジア諸国の人まで大挙して来日するようになった。

 未曾有の少子高齢化により、日本社会全体も老化しつつある。かつてならあり得なかったクレーン倒壊、工場爆発などの事故を聞くことが増えた。福島第1原発事故は技術管理能力が落ちていくニッポンの象徴だった。子どもたちが昨日までできなかったことが今日はできるようになることで成長を感じ、高齢者は逆に昨日までできていたことが今日はできなくなることを通じて老いを感じる。日本社会全体で、昨日までできていたことが今日はできなくなっている例が増えたと感じる。それは日本社会全体の老いを示すものであり、日本社会全体に死期が迫っている感覚がある。

 こうしたことを、一部の勇気ある人々だけは認めても、過去の栄光を知っている大半の日本の市民は最近まで認めようとはしなかった。だがコロナ禍と東京五輪の無残な姿は、嫌でもその現実を日本の市民に見せつけることになった。五輪前までは、外国人を利用して「ニッポン、スゴイデスネ」と言わせる番組があふれていたのがうそのように、今は日本を「○○後進国」と呼ぶ論調ばかりになった。もともと人権、ジェンダーなどの分野は世界最低レベルの後進国だったが、IT後進国、環境対策後進国など何にでも「後進国」とつけておけば最低レベルの評論は成り立つという言論状況になってきている。差別やヘイトスピーチなどの問題を生まないだけ、空虚で無根拠な「ニッポン凄い」運動よりはマシだと思うが。

 東京五輪以降、市民の中にも「後進国願望」が芽生えているようにすら感じられる。基礎体力も落ちた日本が、誇りある先進国としての矜持など持てないし、そのような言動を私たちに期待しないでほしい。途上国の未開市民と同じように、自分の利益だけを考え楽にやりたい――特にインターネット言論空間にそうしたムードを強く感じる。筆者は、福島原発事故を契機に日本が先進国ではなくなった認識を持っていたが、多くの市民は否定的だった。そのことを多くの市民に自覚させることができたという意味で、皮肉を込めて言えば東京五輪は「大成功」だったのである。

 ●精神世界の変化と時代

 当時の私たちは歴史の進行過程に身を置いていたからわからなかったが、前回、合同結婚式や「テッシー」の名前とともに統一協会が日本を騒がせた1992~1993年頃が日本にとって「失われた30年」の入口に当たっていたことを疑う人は、今日ではいないであろう。あれ以降、日本は世界観やビジョン、中長期的な視野などの「大きな物語」も、人々の紐帯としての共同体も崩壊した。あらゆる物事の「自己責任」化と、それを背景とした短期的で小さな利益の追求だけに汲々とするようになった。

 国家神道とそれに基づく皇国史観が形成され、大戦を通じて崩壊したことで戦後が始まった。1992~93年頃、統一協会による霊感商法やオウム真理教による地下鉄サリン事件が騒がれ、日本社会は失われた30年に入っていった。もし精神世界とでも呼ぶべきものがあるならば、日本では、市民の精神世界の大きな転機に、カルト的な宗教や歴史観が登場し、その崩壊とともに時代が移り変わってきたことが見て取れる。

 そして時代はめぐり、今、再び統一協会が世間を騒がせている。筆者には、これが何かの警告であり、時代は再び「精神世界の転換期」に入りつつあるように思える。今はまだ、それがどちらに向かうかは見えない。だが『歴代最長政権を率いた安倍元首相は、保守を象徴する存在であり、安倍元首相が亡くなったことは、今後、日本の政治から大きな勢力が消え、流動化が進むことを暗示している気がします』と島田さんは述べている。「いま思えばあれは失われた30年ではなく、次の新しい時代に向けた長い助走期間だった」。後世の歴史家にそのような評価を受けられるような芽を、小さくてもよいから生み、育てていくことが、2023年に向けた課題ではないだろうか。

 (2022年11月25日 「地域と労働運動」第267号掲載)

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