ついにJR東日本までが赤字線区を公表 JR大動乱へ
 鉄道網維持のため、ローカル線に新たな役割を

 新型コロナウィルスの感染拡大以降、観光業・旅行業・イベント関係業界など、「密」を前提としてきた産業の多くがキャンセルや中止の嵐に見舞われ、かつてない苦境の下に置かれてきた。鉄道業界もまた多くの運賃収入を生んでいた通勤通学客、客単価の高いインバウンドが揃って蒸発するという事態の中で、多くの事業者が赤字に陥るなど苦境が続いている。

 100年前のスペイン風邪の流行は3年程度で収束に向かった。高度成長期の国鉄でも、全体の2割ほどの儲かる路線で残り8割の儲からない路線を支えるという内部補助の仕組みがうまく機能し、赤字線問題が顕在化してくるのは1970~80年代になってからのことだ。

 だが、現在と当時を比べてみると、物の動きももちろんだが、何よりも人の動きが質量ともにまったく異なる。新型コロナ禍でも完全に人の動きを止めてしまうことは不可能である以上、コロナの流行はもうしばらく続きそうな気配が濃厚だ。

 こうした中、今年4月、JR西日本が赤字線17路線30線区を公表したのに続き、7月28日にはJRグループ最大の東日本までが35線区66区間の赤字を公表した。2016年に自社単独では維持困難として10路線13線区を公表した北海道に続くものだ。線区・区間の数だけで規模を計ると、JR西日本が北海道のほぼ2倍、東日本が西日本の2倍程度になっている。

 JR東日本の赤字線公表に先立つ7月25日には、国土交通省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」が提言をとりまとめ公表した。この提言では、従来、黒字基調にあったJR本州3社と九州を含め、JRグループ全社が2020年度決算で赤字となったことや、地方鉄道の98%が赤字というコロナ禍以降の厳しい実態が示された。

 『国、沿線自治体、鉄道事業者等、関係者が、ローカル鉄道を取り巻く現状をまず直視し、危機意識を共有する必要がある。その上で、関係者が一丸となって、単なる現状維持ではなく、真に地域の発展に貢献し、利用者から感謝され、利用してもらえる、人口減少時代に相応しい、コンパクトでしなやかな地域公共交通に再構築していく、という観点から必要な対策を講じていくことが急がれる』。提言はみずからの目的をこのように説明している。

 だが、長年、公共交通問題に取り組んでいる筆者からすれば、これらの課題はコロナ禍によって新たに生じたものではない。鉄道会社が暫時、実施してきた『列車の減便や減車、優等列車の削減・廃止、駅の無人化等の経費削減策や、投資の抑制や先送り等』によって『公共交通としての利便性が大きく低下し、更なる利用者の逸走を招くという負のスパイラル』が起きている。その結果、『民間事業者として許容できないレベルの大幅な赤字に陥り、将来に向けた持続可能性が失われつつある』と提言は指摘するが、これらは表裏一体の現象として高度成長期以降の半世紀ずっと続いてきた東京一極集中、地方衰退がもたらしたものである。こうした長年の歪みが、コロナ禍で加速化、可視化されたに過ぎないというのが筆者の見解である。

 ともあれ、JR東日本による赤字線区公表の翌日、7月29日の大手全国3紙(朝日・毎日・読売)は、揃って1面トップをこのニュースが飾った。北海道内で赤字線の整理が進んでも、北海道の地域課題に押し込められ、どんなに訴えても理解を得られなかった問題が、ようやく全国課題に押し上げられたのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。

 ●従来の方法論では維持不可能~鉄道に新たな役割を

 1980年に制定された国鉄再建法に基づいて、輸送密度4000人未満の路線が特定地方交通線とされ、原則として国鉄からの切り離しが求められた際には、「乗って残そう○○線」運動が各地で繰り広げられた。再建法施行令で基準年度とされた年の輸送密度が4000人を上回ればいいのだから、一時的でいい、みんなで乗ってくれ、と地元主導で行われたこれらの動きは「サクラ乗車運動」と皮肉られた。だが、結局はそうした付け焼き刃の闘いのほとんどは実らず、多くが第三セクター鉄道やバスへの転換を余儀なくされた。

 ローカル線問題は、(1)鉄道を中心としたまちづくりが行われず、鉄道を地域社会の中で、あるいは国家経済の中でどのように位置づけるかについてのビジョンが国、地域、住民いずれにもない、(2)人口の地方から東京への流出が止まらない、(3)鉄道の存廃が私企業の経営の視点だけで語られ、数値化できないものを含めた公共財としての価値に対する正当な評価が置き去りにされている――など複合的な要因が絡み合った構造的なものである。これらの諸課題はそれから40年近く経過した現在も解決していないどころか、より深刻さを増している。

 赤字線の廃止を進めたい側は、しばしば「役割を終えた」ローカル線は、縮小した地域にふさわしい別の交通モード(ほとんどの場合、バスを意味している)に切り替えられるべきである、という言い方をする。筆者は一度「あなたが言う終わった役割とはどんな役割か」と尋ねたが明確な回答がなかった。このような言説は「人口数千人レベルの地域に鉄道などぜいたく。赤字を少しでも縮小させることが『公共の利益』につながるのだから、少数派は交通モードの縮小に協力せよ」という「暴力的な本音」を覆い隠すための見え透いたオブラートに過ぎない。しかし、政府トップからその日暮らしを強いられている末端庶民のほぼすべてが、骨の髄まで新自由主義と自己責任論に毒されている日本では、この説が疑いの余地もなく正しいものとして受け入れられているという厳しい現実がある。

 このような状況で「通学の高校生、免許を返納した通院のお年寄りはどうするのか」と問うても、「そんなものはバスでいい」と反論されるだけで、結局はバス転換への流れを押しとどめることはできなかった。筆者はそのことに対する悔しさ、無力さを感じながらこの半世紀の人生を生きてきた。サクラ乗車運動、交通弱者を守れと叫ぶだけの闘いでは鉄道を守れないことは、この半世紀の歴史が証明している。そして、この歴史こそが「一度、鉄道会社から廃線を持ちかけられたら、もう地元は何をやってもダメだ」というあきらめを生み、バス転換交付金を1円でも多く取ろうとする条件闘争ばかりが繰り返されてきた。

 半世紀、ずっと公共交通問題に取り組んできた筆者も、この流れを止める有効な方法があるかはわからないというのが正直なところである。だが、社会情勢の変化を注意深く観察すると、40年前との相違点も見えてくる。

 1975年、ストライキが禁止されている官公労働者がストライキ権の回復を求めて行ったスト権ストでは、国鉄のほぼ全線が8日間にわたってストップしたが、政府・経済界は他の輸送機関を総動員してこの危機を乗り切った。求めていたスト権回復は実現せず、労働側敗北で終わったこのストライキは鉄道貨物の地位低下を象徴する出来事として、その後、国鉄分割民営化に至る過程で「貨物安楽死論」とも呼ばれる鉄道貨物の整理縮小論を勢いづけることにもつながった。当時、ストップした鉄道貨物に代わって役割を果たしたのはトラック輸送だったが、こうした措置が可能だったのは、トラックによる長距離輸送という過酷な労働も担える若年層が日本の労働人口の中心を占めていたという事情が大きい。

 これに対して、現在ではバス、トラックなど大型車の運転に必要な大型2種免許の保有者は50歳以上が大半を占める。北海道内に限ると、大型2種免許保有者のうち50歳以上はすでに8割にも達しているのだ。この上、2024年には、ドライバーの年間時間外労働時間の上限が960時間に制限される。当時と同じことが現在、再び可能とは考えられない。

 『鉄道固有の特性は発揮できていないものの、鉄道を運行する公共政策的な意義が認められる場合』には『関係者が一丸となって、地域戦略と利用者の視点に立った鉄道の徹底的な活用と競争力の回復』に取り組むべきだとして、「提言」は鉄道を残す道について言及している。公共政策的な意義が認められる場合の具体例として、「提言」は『バスへの転換が、(1)車両や運転士の安定的な確保の点で極めて困難、(2)定時性・速達性が著しく低下、(3)渋滞を悪化させる等の道路交通への悪影響が見込まれる等の理由で困難、あるいは、鉄道の果たす役割が、当該地域のまちづくりや観光戦略上、必要不可欠な要素の一つに位置付けられていること』等を列挙している。コロナ禍以前から、日本全体の貨物輸送量は右肩上がりであり、「荷物があっても運ぶ人がいない」という問題があちこちで顕在化し始めている。

 運ばれる貨物も、かつては産業用製品など「重厚長大、少品種、同一方向」への輸送が中心で、物流業界にとって利幅が大きかったが、最近は宅配便など「軽薄短小、多品種、多方向」への輸送がメインを占めるようになった結果、手間ばかりかかる割にはまったく儲からないという状況が生まれている。トラック運転手の低賃金是正が叫ばれながら実現しない背景には、こうした物流業界の変化がある。

 こんな時に「大量性、定時性、安定性」を持つ鉄道を有効利用しなくてどうするのだろうか。公共交通機関を、採算を度外視できる新しい事業形態に変える必要がある。鉄道を上下分離し「下」(線路保有・管理)を国や自治体の管理とする。あるいはJRを再国有化するなどの再建・改革案は、この意味からも今日、正しい方向性といえるのである。

 運転手を長期間拘束する長距離輸送の分野をトラック任せにしていては、減る一方のトラックドライバーの適正配置は不可能だ。中長距離輸送は鉄道や海運を中心とする。トラック輸送は最寄りの港や貨物駅から配達先までの「ラスト・ワンマイル」だけを担う。そのような方向に物流政策を転換させる必要がある。このとき、貨物輸送のためローカル線が生きてくる。極端に言えば、これからのローカル線は貨物輸送をメインとし、旅客に関しては、貨物のついでに乗せてやる程度でいいと筆者は考えている。

 単線で行き違い設備も少ないなど輸送力に余裕のないローカル線では、客車と貨車を同一編成に連結する混合列車の復活を検討してみてもいいだろう。混合列車を運転するためには、現在のような旅客・貨物が別の会社という体制では不都合が多く、この意味からもJRグループの再編は急務であるといえるのである。

 ●災害時の迂回輸送ルートとしてローカル線の活用を

 過去30年に限定しても、日本では阪神・淡路大震災、東日本大震災という2度の大災害を経験した。阪神・淡路大震災では、大動脈の山陽本線が長期間寸断されたが、この際、福知山線や播但線を使った貨物列車の迂回輸送が行われた。東日本大震災でも、東北本線・常磐線など首都圏と東北地方を結ぶ基幹路線は全面的に寸断されたが、数日で磐越西線(新潟~福島県郡山市)が復旧。根岸製油所(横浜市)からいったん上越線で新潟に出て、磐越西線で再び東北本線に戻るルートで、燃料用石油の迂回輸送が実施された。東北地方の3月はまだ真冬であり、このまま長期間石油の輸送ルートが途絶すれば凍死者が出かねない危機だった。

 石油輸送の行われた磐越西線は、東日本大震災の起きる10年ほど前まで実際に貨物輸送が行われていたことが役立った。だが、旅客輸送に関していえば、地元の新潟・福島両県でも「誰も乗っていない」「高校生の頃は毎日通学で使ったが、高校を卒業してからは1回も乗ったことがない」「廃線になっても誰も困らない」などといわれており、現在、北海道内で廃線に向けた協議が行われている路線と変わらない状況だった。有事の際に人々の生命や生活を救うのが、普段「なくなっても誰も困らない」などと陰口を言われているようなローカル線であることは、いくら強調してもしすぎることはない。

 JR貨物は自分の線路を持たない鉄道事業者である。線路はJR旅客6社の所有であり、JR貨物は線路を借り、借料を払って「通していただく」立場だ。しかし、元は旅客も貨物も同じ国鉄だったという事情、また国民経済に果たす鉄道貨物の重要性を考慮して、国が「アボイダブル(回避可能)コストルール」を設けている。JR旅客会社は、線路維持費のうち貨物列車が走らなければ回避が可能であったはずの部分しかJR貨物に対し請求してはならないという制度が国の指針で設けられているのだ。

 もし、災害時に備えて、迂回輸送が可能なルートを、常に貨物列車が通れるように保線しておく義務を国がJR旅客会社に課した場合、旅客会社は、旅客列車だけであれば必要なかったはずの費用だとして、JR貨物にこれら保線費用を請求することになろう。一方、JR貨物にとっては、何年に一度走るのかわからない線路を維持してもらうだけのためにそんなお金は払えない。

 結果として、災害がいざ起きてから、貨物列車が通れる迂回路線があるか、保線状況はどうかなどをバタバタと検討しては、旅客会社との難しい交渉を経て、ようやく準備を始めるという場当たり的対応が続いている。このようにして実現した迂回輸送でも、結局は通常時と比べ、3割程度の貨物しか運べていないとするデータもある。全国レベルの鉄道ネットワークがありながら有効活用できないのは、実にもったいないといえよう。

 なお、安全問題研究会では、貨物列車を運転すべき線区や、迂回輸送に必要と考えられる線区の保線費用を補助するため、新たな補助金制度を設ける法案をすでに決定、公表している。

 ●大胆な発想の転換も必要~沼田町「鉄道ルネッサンス構想」

 北海道で廃線協議が続いている留萌本線の地元・沼田町が2021年秋に公表した「鉄道ルネッサンス構想」が一部で注目されている。長引くコロナ禍で、乗車のつど利用者から運賃・料金を収受する方式ではもはや費用をまかなえず、鉄道は維持できないとして、大胆な発想の転換を試みている。持続可能な鉄道にするためには新たな収入源が必要であるとして、JR北海道の鉄道を会員制に変更するよう提案している。JR北海道の年間赤字額420億円を道人口530万人で割り、1人当たり年間8千円を負担すれば1年中、道内全線が乗り放題となる「フリーダムパスポート」の導入を訴える。パスポートは、会員と非会員との間で貸し借りを防ぐため顔写真入りにするという具体的なものだ。シルバープラン(高齢者割引)やファミリープラン(家族割引)なども提案。2人以上での利用だと結局は自家用車のほうが安いという問題の解消が期待される。

 沼田町は提案理由について「会員制度を魅力的にするには、スケールメリットと広いネットワークが必要」としている。利用者にとっては、年会費制のため乗れば乗るほど得になるというメリットがあり、またJR北海道にとっては景気に左右されにくい安定収入が確保できるとしている。

 この再建策自体は決して奇をてらったものではなく、むしろ筆者が提案している「日本鉄道公団法案」によるJR再国有化よりはるかに実現が容易である。既存の法制度に一切手を付けることなく、営業施策の枠内で取り組みが可能だからである。この構想に懸念があるとすれば、全道民の加入を想定している点だと思う。鉄道沿線でなく利用機会もなさそうな道民が、自分が乗らない鉄道を支えるためだけに毎年8千円を払い続けるかどうかには疑問がある。むしろ、北海道の魅力を理解しているファンは道外にこそ多くいることを踏まえると、大半は道外会員でもいいと割り切るべきだと思う。

 考えてみれば、電気・ガス・水道などの社会的インフラ事業では、電線・ガス管・水道管の維持管理費に充てるため、使用量の多寡にかかわらず、契約者全員から一律の基本料金を徴収している。鉄道も社会的インフラ事業である点では同じであるにもかかわらず、基本料金も徴収できないのでは、維持困難になって当然だろう。沼田町の提案は、鉄道への「基本料金」導入案と評価することもできる。今こそ、ローカル線を維持するためにはこのような発想の転換をしていくときだろう。

 (2022年8月25日 「地域と労働運動」第265号掲載)

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