<地方交通に未来を(6)>
騒がしくなってきたローカル線~鉄道40年周期説から考える

 前号のこの欄で、JR西日本の赤字線区公表についての見解を明らかにする予定だったが、海難事故としてはここ数十年来で最悪レベルの知床遊覧船事故が起きたため先送りせざるを得なかった。そうしているうち、7月28日にはついにJR東日本までが赤字線区を公表。翌29日、朝日・毎日・読売の全国主要3紙の1面トップをローカル線問題が飾った。

 これに先立つ7月25日には、国交省「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」によるローカル線問題に関する提言も公表され、ローカル線周辺が一気に騒がしくなってきた。

 全国に先駆けて、2016年11月に北海道で「自社単独では維持困難」10路線13線区が公表されてから早くも5年半。北海道の「地域問題」に押し込められ、道外ではどんなに訴えても理解してもらえなかったローカル線問題がようやく全国課題になるのだと思うと、身が引き締まる思いがする。北海道ではローカル線維持を求める闘いはすでに終局ムードだが、全国レベルで言えば、ようやくスタートラインに立つのだ。

 この問題に関する考えを早々にまとめる必要があるが、今はまだうまくまとまらない。だが私は、このような事態が訪れることは割と早い段階で予想していた。というのも、日本の鉄道の歴史を紐解いていくと、「ある法則」が見えてくるからだ。

 今年は1872年に日本初の鉄道が開業してからちょうど150年に当たる。新橋(現・汐留)~横浜で開業したのは官設鉄道だったが、その後は民間による鉄道建設を政府が認めたことによって、現在の全国鉄道網を形作る主要幹線の多くが民間の手によって建設された。

 日露戦争で日本はなんとか勝つには勝ったが、鉄道会社の境界駅で貨物が何日も運ばれないまま放置されるという事態が頻繁に起きた。この事態を重く見た軍部が「今後もこのようなことが続くなら次の戦争は危うい」としてバラバラに別れていた鉄道会社の統合に乗り出す。1906年3月27日、第22回帝国議会衆院本会議は、西園寺公望内閣提出の鉄道国有法案を強行採決で成立させた。「鉄道時報」は裁決時の衆院本会議場の様子を「怒号叫喚」と報じている。

 次の変化は敗戦後に訪れる。侵略戦争遂行に官営鉄道が果たした役割を問題視したGHQ(連合国軍総司令部)が、鉄道の意思決定を政府から切り離すよう要求した。当時、官営でなければ民間企業の形態しか知らなかった日本政府は民営化を計画するが、敗戦後の経済混乱で全国民がその日暮らしの状況の中、金のかかる鉄道の経営に乗り出す民間企業など現れるはずもない。結局、米国で採用されていた公共企業体方式の導入をGHQに提案された日本政府は、他に妙案があるわけでもなくこれを受け入れる。1949年6月1日、日本国有鉄道発足式では、当時の運輸大臣が職員に対し、諸君はこれから運輸省の役人ではなく「パブリック・コーポレーション」の社員として職務に当たるよう訓示している。

 そして、本誌の大方の読者が記憶している次の大変革は1987年4月1日の国鉄分割民営化である。1872年の鉄道開業から1906年の全面国有化まで34年、ここから1949年の公共企業体発足まで43年。公共企業体が再度分割民営化される1987年までが38年。日本の鉄道は、おおむね40年周期で経営形態を大きく変えてきたことがわかる。私はこれを「鉄道40年周期説」と名付けたいと思う。

 日本全体で見ても、明治維新のどん底(1868年)から日露戦争勝利(1905年)まで37年。太平洋戦争敗戦(1945年)でどん底に落ちた日本は1985年に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる頂点に立つ。山から次の山まで、谷から次の谷までが80年であることから、歴史家の半藤一利さんは生前これを「日本80年周期説」と呼んだ。しかし、山と谷を40年周期で繰り返している点では鉄道と同じ40年周期であるとの評価もできる。要するに鉄道の経営形態の変革は、日本社会全体の山と谷による40年周期を数年遅れで追っているのである。

 1985年を頂点とする半藤説に従うと、日本社会が迎える次のどん底は2025年となる。原発事故、コロナ、ウクライナ戦争と苦難が続く中、日本人の人心荒廃と劣化を目の当たりにすることが増え、確かにここ数年は閉塞感、終末感がかつてなく強まっている。なぜ80年周期なのかについて、半藤さんは多くを語らないまま旅立ったが「人間は、……与えられた、過去から受け継いだ事情のもとで(歴史を)つくる」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)という歴史書の記述を意識するなら、人生80年といわれる今日、ちょうどその長さに匹敵する時間を単位として歴史が次の局面に移行するのだと考えてもそれほど大きくは外れていないだろう。

 鉄道に話を戻すと、もうひとつ重要な点がある。民営鉄道から国有化へは、会社境界駅での滞貨に業を煮やした軍部主導で変化した。官設鉄道から公共企業体への変化は、国家意思と軍事輸送を分離するよう求めるGHQの意向が大きかった。国鉄分割民営化は、モータリゼーションの進行によって鉄道貨物の地位が急低下する中、財界主導で起きた。過去、40年周期で3回起きた鉄道の経営形態の変化からは、いずれも(1)旅客ではなく貨物輸送の行きづまりを直接の契機としている、(2)軍部、GHQ、財界など、その時代において鉄道当局が抗うことのできない絶対権力者からの「天の声」によって行われる一方、鉄道当局みずからは受け身で一度も主導的役割を果たしていない――という2点が見える。

 もし歴史が繰り返すなら、鉄道40年周期説における「次」の節目、すなわち2027年頃を目標として、JRグループの「次」をめざす動きがよりはっきりしてくるだろう。冒頭で取り上げた一連の出来事も「次」への予兆と見て間違いない。今回も事態は旅客輸送よりも貨物輸送、鉄道当局自身よりも外的要因によって動くだろう。

 このように分析すると「次」がどのような形を取って私たちの前に現れるかが見えてくる。旅客輸送は上下一体、貨物だけが上下分離という変則的な分割形態の是正が「次」の主要テーマになる。上下一体を維持するか「下」のみにとどまるかは別として、地域6社分割の弊害を是正する方向での変化となるであろう。主導権を誰が握るかはまだ見えないが、少なくとも国交省やJRグループ自身でないことだけは確かだ。これ以上の廃線を避けたい地方、災害で鉄道が運休するたびに荷物が停滞して被害を受けている物流業界、脱炭素を求める「外圧」、ウクライナ戦争を受け鉄道による軍事輸送のオプションを残したい防衛省などの意向が複雑に絡み合い、事態は進行していくと予想する。

 (2022年8月16日 大鹿の十年先を変える会会報「越路」掲載)

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