2011年3月の福島原発事故から11年。原発事故関係訴訟が最大の山場を迎えている。この17日には、最高裁が国の責任を否定する不当判決を出した。この半月だけで福島原発事故関係の3訴訟に関わった筆者から、原発事故関係訴訟の現状を報告する。
<北海道電力・泊原発運転差し止め判決>
「それでは判決を言い渡します。主文:1.被告〔注:北海道電力〕は、別紙2一部認容当事者目録記載の原告ら(一部認容原告ら)との関係で、別紙3原子炉目録記載の原子炉1号機ないし3号機を運転してはならない」
26の傍聴席を求めて150人が並ぶ中、5倍の確率ながら傍聴券を引き当て、筆者は法廷内に入ることができた。5月31日、午後3時ちょうど。メディアによる代表撮影を終えた後、前置きもなく、いきなり言い渡しが始まった。
札幌市中央区、北海道の行政・経済の中心部に位置する8階建ての裁判所合同庁舎の最上階にある札幌地裁805号法廷に、谷口哲也裁判長の朗々とした声が響き渡る。「やったー!」と傍聴席から女性の声が響く。しかし谷口裁判長は、制止するでもなく「判決要旨及び骨子のみ朗読します」とかまわず続ける。主文と「判決要旨及び骨子」の朗読は15分で終了した。午後3時15分、閉廷。
北電の本社は、裁判所と同じ札幌市中央区大通にある。大人の足なら歩いてもせいぜい10分だろう。その距離同様、北電は司法を「自宅の裏庭」だと思っていたはずだ。だが、その驕りはこの日、「忖度なき司法」に打ち砕かれた。「判決要旨及び骨子」が読み上げられている間、筆者はチラリと、右側の被告席を見る。北電側代理人は明らかにうなだれていた。
北海道内はじめ、国内外の原告1201人が北海道電力を相手取って起こしていた「泊原発廃炉訴訟」で泊原発1~3号機の全基の運転差し止めが命じられた瞬間だ。
●電力会社の「遅延戦術」許さず
福島原発事故後に全国で起こされた差し止め訴訟では、基準地震動や津波、火山噴火が原発にもたらす影響が争われてきた。いくつかの裁判で運転差し止めが認められる一方、原子力規制委員会が審査中の原発に関しては、審査結果を待つとして審理を進めない裁判所も多く、長期化している。
泊原発廃炉訴訟も2011年11月の提訴以来、すでに地裁段階で11年経過。北電は、泊原発直下を走るF―1断層が「活断層ではない」とする規制委の判断が示されたことを受け、規制委に提出した資料を今年2月に追加提出したいと主張していたが、谷口裁判長がそれを待たず、1月に結審を告げていた。
谷口裁判長は判決で、これだけの時間が経過してもなお「被告(北電)が、原子力規制委員会の適合性審査をも踏まえながら行っている主張立証を終える時期の見通しが立たず……審理を継続することは適当でないと思料し、判決をする」と審理を打ち切った理由を述べた。電力会社を勝たせるためにいつまでも裁判を引き延ばすことは、原告に無用な負担を強いるものだとして電力会社の「遅延戦術」を明確に否定した。
●津波対策だけで「失格」
一般に企業犯罪の裁判では、情報を持たない住民側に被害の立証責任が課せられるなど理不尽な点が多いが、札幌地裁は、豊富な資料を持つ電力会社側が安全性を証明する義務を負うとした伊方原発訴訟の最高裁判例に基づき、北電が安全性を立証すべきとした。
津波対策のための防潮堤を北電が現在、建替工事のため取り壊している点に着目。北電が建設予定の新たな防潮堤が、高さを想定津波以上である16・5メートルとすること以外、構造等を含めすべて未定であり、規制委、原告住民が指摘していた沈下の可能性も不明というずさんなものだった。札幌地裁はこうした点を重視。泊原発の運転は認められないと結論づけた。
●「使用済み燃料の原発外撤去」は棄却
一方、原告住民側が求めていた廃炉及び使用済み核燃料の泊原発構外への撤去を札幌地裁は棄却した。
「(使用済み核燃料の撤去が)直ちに原告らの人格権侵害のおそれを除去することができるものではなく、適切な撤去先及び保管の条件が満たされない場合には、撤去により、かえって撤去先の周辺住民に人格権侵害のおそれが生じる可能性すら認められる」。札幌地裁は、使用済み核燃料の泊原発からの撤去を棄却した理由をこう述べている。場所と手法次第では、持ち出し先の住民が被害を受けるおそれがあるということだ。判決は「被告が使用済燃料を安全かつ適切に保管」する以外にないとした。
使用済み核燃料を含む高レベル放射性廃棄物(いわゆる核のごみ)について、国が推進する地層処分を中止し、地上での暫定保管に切り替えるよう求めた日本学術会議の提言(注1)を司法が現状では最も適切と認めたことになる。
●「国策」を二重に否定
「岩内原発問題研究会」を作り、道内で最も長く泊原発反対運動に携わってきた斎藤武一原告団長(泊原発地元・岩内町在住)は判決後の記者会見で「素直に喜びたい。原発のない北海道を実現する重要な第一歩だ」と判決を評価した。
原告の1人、小野有五・北海道大学名誉教授(地質学)は「私たちの主張を裁判所に認めてもらえたと考えている。10年経っても原子力規制委員会から要求された審査資料さえ揃えられない北電の当事者能力の無さに裁判所がしびれを切らした結果だ」と述べた。
さらに、本誌の取材に対し、小野さんは重大な事実を打ち明ける。「使用済み核燃料の撤去が棄却されたのは形式上、原告敗訴です。しかし、使用済み核燃料はどこに持って行っても危険だから移動してはならないと認定されました。この判決が確定すれば、寿都、神恵内への核のごみの持ち込みもできなくなります」
核のごみ最終処分場候補地に応募した北海道寿都町、神恵内村では、NUMO(原子力発電環境整備機構)による文献調査が年内にも終わると見込まれている。札幌地裁判決は、歴代自民党政権が推進する原発再稼働、核ごみ押しつけという2つの国策を同時に破たんさせたのだ。
ウクライナ戦争によるエネルギー危機により原発再稼働論が勢いを増す情勢の中でこの判決が出されたことも重要である。その意義を改めて確認したい。
<東電刑事訴訟控訴審 第3回公判/現場検証も証人尋問もないまま結審>
勝俣恒久元会長ら、東京電力旧経営陣に対する強制起訴刑事訴訟第3回控訴審が6月6日、東京高裁で行われた。
前回、2月9日の第2回控訴審で「次回結審」が告げられていたものの、避難者賠償4裁判の最高裁判決が6月17日に決まるなどの情勢変化を受け、被害者代理人弁護士はこの間、次回結審としないよう求める上申書を東京高裁に提出。福島原発刑事訴訟支援団も5月20日、公正判決を求める署名1万2140筆を提出していた。
法廷では、被害者2人が書面で提出した意見陳述が代読された。Aさんは「細田啓介裁判長はなぜ現場検証をしないのか。自分の住んでいた地域が事故でどう変わったか直接見てもらえず悔しい」と裁判長を名指しで批判。「亡くなった母に今も会いたい気持ちが募るのは、最期を看取れなかったからだと思う」と思いを述べた。
Bさんは、1審判決を見て「裁判所にはわかってもらえなかったと感じた。避難バスに乗せられ、寒さの中で父は亡くなった。なぜ誰も責任を取らないのか。私が結婚するとき、大熊町の実家の父は『大熊には原発があるからな』と、不安を口にした。若かった当時の私は笑い飛ばしたが、その父が原発事故で命を落とすことになるとは思わなかった」と3被告への有罪判決を求めた。
控訴審第2回公判の際、追加で採用された証拠について、検察官役の指定弁護士が説明。2009年に国が作成した地震動予測地図が地震本部の長期評価を新知見として採用していることは、長期評価の有効性に関する補強となるものである。
IAEA(国際原子力機関)が1983年に採択し、1985年、日本語にも翻訳された「海岸敷地における原子力プラントに対する設計ベース洪水安全指針」でも、有効な対策として、防潮堤設置、建物浸水防止措置、部屋への浸水防止措置などが決められている事実が示された。
日本と同じ島国の台湾・金山原発は標高22mの高台に設置されているが、その金山原発と福島第1原発が1994年11月から「姉妹発電所交流」として情報交換を続けていたことを示すスライド資料も法廷内のパネル画面に映し出された。津波対策の重要性について、少なくとも東電はこの時点で知っていたことを示している。
興味深いのは、このスライド資料の作成者が奈良林直・元北海道大学工学部教授(原子力工学)であることだ。奈良林元教授は、事故わずか半年後の「週刊新潮」2011年9月29日号が企画した「御用学者と呼ばれて~大座談会」に参加、早くも再稼働を主張している。このような確信犯的原発推進派に属する人物でさえ、重要施設の高台設置が有効な津波対策であると主張していたことは、東電にとって確かに痛手に違いない。
指定弁護士側は「被告人らの刑事責任を否定することは正義に反する。原判決は破棄されるべきである」と、有罪判決を求め弁論を締めくくった。
続いて、3被告の弁護側が控訴棄却を求め弁論を行ったが、「民事訴訟の事実認定を刑事裁判に適用するのは不適当」「民事訴訟は国家賠償責任(行政庁の権限不行使)を問うのに対し、刑事訴訟は個人の責任を問うもので、責任の質が異なる」などの形式論がほとんど。本質的な議論を避けたい本音が覗いた。
細田裁判長は、指定弁護士側・弁護側双方に対し、ここで結審としてよいか打診した。指定弁護士側には明らかに不満な姿勢が見えた。被害者代理人の海渡雄一弁護士が(6月17日の)最高裁での民事訴訟で原判決と異なる判決(国の責任を認める判決)が出た場合には、弁論を再開してほしいとの希望を表明した上で、結審となった。
閉廷後の法廷では裁判所職員が制止する中「被害者の声を聞け」「現場検証をしろ」との怒号が飛び交った。現場検証も証人尋問も行わないまま、わずか3回の公判での結審は、1万筆を超える署名で示された市民の審理続行の意思を無視する不当なものだ。
2021年6月に控訴審が始まって以来、勝俣元会長は体調不良を理由に出廷していなかったが、この日は武藤栄元副社長も欠席。理由も明らかにされなかった。控訴審に被告人の出席は義務ではないとはいえ、出廷したのが武黒一郎元副社長1人とは驚きだ。「東電は事故から11年経っても何も変わっていない」(Aさんの陳述書)との思いを、傍聴席にいた全員が共有したこの日の法廷だった。
判決後の報告集会では、河合弘之弁護士が「東電は形式論ばかりだった」と、私とほとんど同じ感想。甫守一樹弁護士は、裁判所が候補日とした判決期日が12月~1月だったことについて「それなりに情勢や他判決の動向を見極め、慎重に判決を書きたいという意思の表れだろう」と分析した。大河陽子弁護士は「今後の展開次第だが、弁論再開も見据えられるところまでこの刑事裁判を押し上げられたのはみなさんの闘いの力だ」と述べた。
形式論に終始した弁護側に対し、長期評価の有効性、予見可能性、結果回避可能性のすべての面で新たな証拠を積み上げ、事実をもって論証しきった指定弁護士側。「こちらが押していた」との声が報告集会での多数であったことを報告しておきたい。
<損害賠償・原状回復請求民事4訴訟 最高裁、国の責任を否定>
●最高裁、原発被害者の損害賠償について初の統一的判断
6月17日、福島からの避難者などが国・東電を相手取り、損害賠償を求めた民事訴訟の上告審判決公判が、最高裁第2小法廷で行われた。
原発事故では、避難指示区域外からの避難者(区域外からの「自主的」避難者)を中心に損害賠償を求める民事訴訟が行われてきた。今回、最高裁で判決対象となったのは、千葉、群馬、愛媛の3避難者訴訟の他、今も福島県内に残って生活している被害者らが原状回復を求めた「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」(以下「生業訴訟」)の4つである。
紙幅にあまり余裕はないが、4訴訟の経過は簡単にでも示しておく必要がある。千葉訴訟は、1審(千葉地裁)は国の責任を認めず原告側が敗訴。2審(東京高裁)では国の責任を認め原告側が逆転勝訴していた。群馬訴訟はこれとは逆に、1審(前橋地裁)は国の責任を認め原告側勝訴で始まったが、2審(東京高裁)は国の責任を認めず原告側が逆転敗訴となった。愛媛訴訟は、1審(松山地裁)、2審(高松高裁)ともに原告勝訴。「生業訴訟」も1審(福島地裁)、2審(仙台高裁)がともに原告側勝訴となった。この結果、高裁段階では原告側3勝1敗の状況で原告住民や被告の国・東電が最高裁に上告していた。
原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)では、原発事故を起こした電力事業者は、無過失であっても賠償を行わなければならないと定められている。これらの訴訟では、原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)が事故後に定めた「中間指針」を上回る水準の賠償を認めている。
最高裁は、この3月から4月にかけ、東電についてはこれら下級審判決を認めるとする決定を相次いで出した。この結果、東電の約14億円に上る賠償支払が確定したが、国の責任を認めるかどうかについては6月17日に別途、統一的判断を示すとしていた。国の責任が認められた場合、この損害賠償は国と東電の連帯債務となるが、認められなければ東電の単独債務となるというのが、原発賠償訴訟の基本的な枠組みである。
●最高裁「結果回避不可能」として国を免罪
6月17日、最高裁第2小法廷が示した判決は、きわめてお粗末としかいいようのないものであった。下級審段階では、政府の地震調査研究推進本部(推本、地震本部などと略される)が2002年に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」)の信頼性が大きな焦点になっており、勝訴となった判決はいずれも長期評価を「信頼できる」と結論づけている。ところが最高裁は、事故の予見可能性、結果回避可能性を審理する上で欠かせないはずの長期評価の信頼性について言及もしないまま、「長期評価に基づく安全対策を講じたとしても事故回避は不可能だった」として国を免罪した。千年に一度の未曾有の天災なのだから被害に甘んじよといわんばかりでまたも司法の役割を放棄。「最低裁」ぶりをさらけ出す判決に、詰めかけた被害者からは「ふざけるな」「恥を知れ」と激しい怒りの声が次々と上がった。
国を免罪する判決を「多数意見」として支持したのは菅野博之裁判長(裁判官生え抜き)の他、草野耕一裁判官(弁護士・法学者出身)、岡村和美裁判官(検察官任官後、法務官僚などを歴任)の3人。一方、三浦守裁判官(検察官出身)は国の責任を認めるべきだとする反対意見を述べた。
●三浦守裁判官の重要な「反対意見」
三浦裁判官は、「経済産業大臣の電気事業法40条に基づく規制権限は、原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に対する危害を防止すること等をその主要な目的として、できる限り速やかに、最新の科学的、専門技術的な知見に基づき、極めてまれな災害も未然に防止するために必要な措置が講じられるよう、適時にかつ適切に行使されるべきものであった」「経済産業大臣は、実用発電用原子炉施設の基本設計ないし基本的設計方針の安全性に関する事項についても、電気事業法40条に基づく技術基準適合命令を発することにより是正する規制権限を有していた」(判決文28~29ページ)とし、国には原発に関する規制権限があったことを明確な法的根拠を基に導き出している。
国が定める原発の技術基準は「原子炉設置者による電気供給等の事業活動を制約する面があり、それが電気供給を受ける者の利益にも影響し、ひいては国民生活及び国民経済の維持、発展にも関係し得るものであるが、他方において、原子炉施設の安全性が確保されないときは、数多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼすなど、深刻な事態を生ずることが明らかである。生存を基礎とする人格権は、憲法が保障する最も重要な価値であり、これに対し重大な被害を広く及ぼし得る事業活動を行う者が、極めて高度の安全性を確保する義務を負うとともに、国が、その義務の適切な履行を確保するため必要な規制を行うことは当然である。原子炉施設等が津波により損傷を受けるおそれがある場合において、電気供給事業に係る経済的利益や電気を受給する者の一般的な利益等の事情を理由として、必要な措置を講じないことが正当化されるものではない」(同33~34ページ)として生存権、人格権を電力会社の個別事情より優先すべきであるとするきわめて正当な判断を示している。
下級審段階で大きな争点となった長期評価についても「地震防災対策の強化等を図るために、地震に関する総合的な評価の一環として、三陸沖から房総沖にかけての将来の地震活動の発生に関する評価を行ったものであり、それまでに得られている科学的、専門技術的知見を用いて適切な手法により行われたことについて、基本的な信頼性が担保されたものということができる」(同36ページ)とした。
反対意見はさらに「自然現象の予測が困難であって、不確実性を伴うことは、むしろ当然のことといってよい」「その趣旨に照らせば、その判断は、確立した見解に基づいて確実に予測される津波に限られるものではなく、最新の知見における様々な要因の不確かさを前提に、これを保守的に(安全側に)考慮して、深刻な災害の防止という観点から合理的に判断すべき」(同37ページ)、「地震及び津波が諸条件によって複雑に変化し、予測が困難な自然現象であって、これらに関する研究や予測の技術も発展過程にあることを考え併せれば、本件長期評価に基づく津波の想定においては、本件試算の各数値を絶対のものとみるべきではなく、これを基本として、相応の数値の幅を持つものと考えるのが相当」(同42ページ)とした。明言してはいないが、事前予測と寸分違わぬまったく同じ態様、規模の自然災害が襲った場合でなければ予見ではないといわんばかりの教条主義的多数意見に真っ向から反論している。
「経済産業大臣としては、本件長期評価の合理性の検討及びこれに基づく津波の想定等に一定の期間を要することを考慮しても、遅くとも本件長期評価の公表から1年を経過した平成15年7月頃までの間に、本件各原子炉施設について、原子炉施設等が津波により損傷を受けるおそれがあると認識することができ、東京電力に対し、電気事業法40条に基づく技術基準適合命令を発する必要があることを認識することができた」(同40~41ページ)として予見可能性を認めている。
先に取り上げた東電刑事訴訟を筆者は何度も傍聴しているが、刑事訴訟のこれまでの公判で、津波対策の措置を執るよう求めた原子力安全・保安院(当時)に対して、東電が「40分間にわたる頑強な抵抗」を続けた結果、保安院が対策見送りを受け入れたことが明らかになっている。三浦裁判官の反対意見は「経済産業大臣が技術基準適合命令を発した場合、東京電力としては、……その実施を妨げる事情もうかがわれず、それが実施された蓋然性が高い」(同42ページ)として規制当局の弱腰の姿勢を指弾。法律に基づき、技術基準適合命令を発してでも東電に安全対策をとらせることができたのに、それをしなかったことは「誤った安全性評価がそのまま維持され、周辺住民等の生存や生活に関わる上記法令がないがしろにされていた」(同48ページ)とその重大な結果を指摘した。
その上で、技術基準適合命令を規制当局が適切に発していれば「本件津波に対しても、本件非常用電源設備を防護する効果を十分にあげることができた」「防潮堤等の設置が完了していれば、本件津波の一部が防潮堤等を超えて本件敷地に浸入したとしても、その浸水量は、防潮堤等が設置されていなかった本件事故の場合と比較して、相当程度減少していた」(同50ページ)として、結果回避可能性をも明確に認めている。
反対意見は「結論」として「以上のとおり、本件における経済産業大臣の規制権限の不行使は、平成15年7月頃以降、国家賠償法1条1項の適用上違法であり、しかも、この時点において、経済産業大臣の過失も認められ、上記不行使と本件事故との因果関係も認められるから、上告人〔国〕は、同項に基づく損害賠償責任を免れない」(同53ページ)と国の責任を明示している。
54ページに及ぶ判決文のうち、25ページ後半以降はすべて三浦裁判官の反対意見だ。判決文全体の半分以上に及ぶ精緻な事実審理で国の責任を導き出している。納得できる意見であり、多数にならなかったことは残念である。これに対し、都合の悪い事実はすべて無視し、国を免罪するとの結論を初めから決めていたとしか思えない多数意見3裁判官は、被害者の弁論まで開いておきながらいったい何を見、何を聞いていたのだろうか。
原発事故の捜査の過程では、東京地検が起訴を前提に真剣な証拠集めと関係者からの任意の事情聴取を行っている。事情聴取を受けた参考人の中には斑目春樹・内閣府原子力委員会委員長(当時)などの大物も含まれており、聴取を受けた参考人からは「取り調べにも等しかった」というほど厳しい聴取が行われたといわれる。それが、検察上層部の政治判断で不可解な不起訴処分に追い込まれたとの情報も筆者は得ている。
三浦裁判官は検察官出身だ。国家体制の最大の守護者である検察官出身裁判官は、最高裁では多数意見側に立つことがほとんどであり、実際、同じような経歴を持つ岡村裁判官はそのようにしている。そうした中で、検察出身の三浦裁判官がこのような反対意見を書いた理由は筆者の推測の域を出ないが、もしかすると起訴断念に追い込まれた現場検事たちの「無念」を思い、最高裁の場でそれを少しでも晴らしたかったのかもしれない。
●最高裁判決の今後への影響は?
この最高裁判決を、他の裁判に波及させたくて仕方ない人たちが支配しているメディアは、原告敗訴のときだけ大々的に報道し「他の判決への影響は必至」などと書き立てている。しかし、本稿筆者の見解は異なる。今後の裁判への影響はまったくないとはいわないものの、最小限にとどまるだろう。
なぜなら、最高裁判決が最大の争点であった長期評価の信頼性についてまったく判断を示さず無視を決め込んだからである。実際には、反対意見が述べるように、当時の地震学者たちの大多数が合議を重ねながら、意見の不一致がある論点は棚上げにして、一致を見た最大公約数の考え方を示したのが長期評価だからである。
しかも、地震本部は文部科学省管轄の国家機関であり、長期評価は各地の地震防災対策など多くの政策に取り入れられてきた。もしこれが最高裁で否定されたら、影響は単なる原発の安全対策にとどまらず、自治体レベルの地震防災対策に至るまですべてが崩壊しかねない。国を免罪すると初めから決めていたであろう3裁判官にとって言及すること自体、できない相談だったというのが実情であろう。長期評価は黙殺されたが否定されたわけではない。まさにこの点に多数意見の決定的弱点があり、同じように長期評価の信頼性が争われている他の原発訴訟に与える影響について、筆者が限定的と考える根拠である。
東電刑事裁判への影響も、論点が同じである以上やはり限定的であろう。判決がプラスに作用することはもちろんないが、マイナスの作用も検察官役の指定弁護士側の弁論活動次第で防御可能な範囲にとどまる。これまでの刑事裁判を傍聴する中から得た筆者の実感である。
●それでも原発は衰退に向かう~電力会社にとっても悪夢の判決
「国に責任なし」「敗訴」判決が伝わった瞬間、最高裁前に詰めかけた原告・支援者の間から激しい怒りの声が上がったのは前述のとおりである。群馬訴訟原告の丹治杉江さんは「絶望」を表明した(同時に「絶望ばかりしていられないので、また立ち上がらなければ」との決意表明もあった)。多くの人が落胆する判決だったことは確かだが、「それでも長期的には原発は滅亡に向かう」との筆者の予測を変える必要はないと考えている。原告にとって不当判決なのはもちろんだが、電力会社にとっても今回の最高裁判決は由々しき事態だからである。
前述したように、原賠法は「無過失責任賠償原則」を定めている。電力会社の過失がなくても、原発事故がもたらす結果の重大さにかんがみ、電力事業者は被害が生じれば賠償しなければならないというのが原賠法の基本的考え方である。「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」(原賠法第3条)としており、この第3条に「(無過失責任、責任の集中等)」という見出しが付いていることからも、電力会社に「賠償責任を集中」させるための立法者意思が込められたものと解釈されてきた。この責任集中原則の是非を問うため、福島第1原発の原子炉メーカー・東芝の責任を問う「原発メーカー訴訟」が起こされたが、この条文を根拠に請求が棄却されたことから、司法もこの立法者意思を認めたものと考えられている。
原発事故はひとたび起きれば、損害賠償は天文学的な数字に上ることが当初から予想されていた。実際、日本が半世紀前に原発建設を決めるに当たり、日本政府が英国の保険会社に原発事故の際の賠償を引き受けられるか密かに打診したが、断られたとする証言もある。原賠法はそうした経緯をも踏まえ「原発事故による巨額の賠償を引き受けられる主体は政府以外にない」との判断で制定されたと考えられる。政府が電力会社の後ろ盾になり、国策民営で原子力を推進する。電力会社は、事故の際の賠償はいざとなれば政府が払ってくれると信じ、半世紀にわたって原発を推進してきた。
今回の最高裁判決が国の責任を免罪したことで、損害賠償は東電の単独債務となることが最終的に決まった。最高裁によるこの春の相次ぐ決定で、14億円の賠償がすでに確定しているが、この額はあくまでも今回、最高裁判決の対象となった4訴訟分に過ぎない。賠償を求める裁判はこれからも続くほか、裁判によらない数々の賠償を支払うための原資として、東電株の過半数を保有する原子力損害賠償・廃炉等支援機構からはすでに22兆円が東電に拠出されている。これらの資金は「交付」とされているが実態は貸付であり、東電はいずれ利益の中から遅かれ早かれこの額を同機構に返済しなければならない。
福島原発事故の処理に伴う費用は、廃炉や汚染水処理まで含めると、最終的に80兆円に達するとする報告(注2)もある。東電は、原賠法の責任集中原則のため賠償をメーカー等に転嫁することもできず、頼りにしていた国にも見捨てられ、これだけの天文学的債務を単独で背負わなければならなくなったのである。電力会社にとってこれ以上の悪夢があるだろうか。
費用対効果を厳しく見定め、上場企業として株主への説明責任も果たさなければならない民間企業にとって、費用がどれだけかかるかわからない事業を、自社責任で進めよというのは到底無理である。今回の判決の結果、原子力から手を引きたいと考える電力会社が出てくることは、短期的にはともかく、中長期的には当然のことである。そしてここにこそ脱原発の展望がある。
「この事故は国の責任で起きたと、ちゃんと教科書に書いてほしい」――福島県南相馬市から愛媛県に避難した愛媛訴訟原告・渡部寛志さんの、中学2年生の次女の願いは国に届かなかった。次代を担う子どもたちに、こんな腐った恥ずかしい姿の日本しか手渡せない筆者自身の悔しさを、せめて忘れたくない。責任を取りたくないなら取らなくて結構だが、責任を取らない者は必ずや滅び行くということだけは、せめて子どもたちに見せたいと思う。「生きて日本の原子力最後の日を見届ける」という事故11年目の筆者の決意が揺らぐことは、今後もないであろう。
注1)「高レベル放射性廃棄物の処分について」(日本学術会議、2012年9月)
注2)「事故処理費用、40年間に35兆~80兆円に」(日本経済研究センター、2019年3月)
(2022年6月25日 「地域と労働運動」第263号掲載)