4月23日、乗客ら26人を載せた知床遊覧船「KAZU I」(カズワン)が沈没して1か月になる。今なお12人が行方不明のままだ。
事故直後から、知床遊覧船の違法かつ全くずさんな運行管理の実態が明らかになった。(1)経験豊富な船長を解雇し操船未経験者を後任にしたこと(2)船体の亀裂をきちんと修理しないまま今シーズンの運行に入っていたこと(3)波高を測定せず毎日同じ数値を記載していたこと(4)故障した船舶無線を修理せずアマチュア無線を連絡手段としていたこと―等々である。(1)は、船長の要件を操船経験3年以上とした海上運送法に違反する。(2)は船舶安全法違反の疑いがある。(4)についても、アマチュア無線の用途を趣味用に限定、人命救助の場合を除いて業務上の使用を禁じた電波法に違反する。こうした何重もの違法行為の末に事故を起こした知床遊覧船に釈明の余地はない。
一方でこの事故は、日本の公共交通事業者が置かれた現在の苦境を象徴している。もともとコロナ前から青息吐息だったのに、長引くコロナ禍で密集が敬遠された結果、観光目的のものを含め公共交通機関はどこも経営が厳しさを増している。最大手のJRですら公然とローカル線切り捨てを表明している(この件は大変重要なので、次回当たり詳しく述べたいと思っている)。当座の資金確保のため、悪天候でも運航を優先しようとの衝動にかられる零細観光事業者の苦しい経済事情がそうさせている面も見逃せないと思う。
鉄道に目を転じても、地方のローカル線は似たような状態に置かれている。たとえば、和歌山県に紀州鉄道という事業者がある。名前を聞くと鉄道会社のイメージより不動産屋を連想する人のほうが多いかもしれないが、れっきとした鉄道路線を持っている。ただし営業キロはわずか2.7km(御坊~西御坊)しかなく、千葉県・芝山鉄道(東成田~芝山千代田、2.2km)に次いで2番目に短い。ただ、芝山鉄道は京成電鉄の末端区間を延長する形で開業、全列車が京成電鉄から乗り入れている。自社単独の列車が運行されている鉄道としては日本一短いのが紀州鉄道ということになる。
その紀州鉄道で2017年1月、脱線事故が発生した。レール幅が通常よりも広がる「軌間変位」が原因とされた(レールの異常にはこの他、2本のレールが揃って同じ方向にずれるものの、軌間自体は変わらない「通り変位」がある)。軌間変位は通り変位と異なり、線路を枕木に固定する「犬釘」の緩みや脱落によって起きることが知られている。つまり保線が十分に行われていないところで起きるのが軌間変位による事故であり「貧乏鉄道」型の事故といえる。2013年9月、北海道・函館本線大沼駅付近で起きた貨物列車脱線事故も軌間変位が原因とされたが、いま振り返れば、その3年後に「自社単独で維持困難」10路線13線区の公表に至ったJR北海道の「窮乏化」の予兆だったのだ。
紀州鉄道事故をめぐっては、2018年1月、運輸安全委員会が調査報告書を公表している。報告書は「再発防止策」として「軌道整備の着実な実施」「木製枕木からコンクリート製枕木への交換」が望ましいとまるで他人事のように指摘している。たった2.7kmの線路すらまともに維持できないのか、と大半の読者は驚かれるかもしれないが、地方の零細ローカル鉄道は、その程度のことさえできないほど経営が弱体化している。紀州鉄道の経営陣からすれば「そのくらいのことは言われなくてもわかっているが、それでもできないから困っているんだ。そんなことを言うなら補助金出せよ」が偽らざる本音であろう。
紀州鉄道に限らず、零細ローカル鉄道の中には、すでに毎日、定刻に列車が来ていること自体、奇跡に近い状況のところが数多くある。実際、JR北海道では、仮にも「本線」を名乗っていた2路線(根室本線、日高本線)で大雨が降り、少し線路が流されただけなのに、復旧もしないまま、ある日突然列車が来なくなり、日高本線に至っては大半の区間がそのまま廃線になってしまった。こんなギリギリの状況のところで、事故が起き、運輸安全委員会から「再発防止のため、今後はもっとしっかり保線やってね」と言われたら、そのこと自体が廃業への引き金を引くことになりかねないのである。
一方で、運輸安全委員会としても「財源の話は国交省の政策部門にしてほしい。事故調査組織であり、担当でもない当委員会に言われても困る」というのが本音だろう。こうして、縦割り行政の弊害で誰もが弱小鉄道を救済しないまま無駄に時間だけが流れているのが問題の背景にある。日本の公共交通はお寒い実態にあり、零細ローカル鉄道もバスも、今日を生きるために少々無理をしても商売せざるを得ない知床遊覧船と五十歩百歩の状況に置かれている。
弱小公共交通が戦国大名のように群雄割拠する時代はいつまで続くのだろうか。事業者にとっては無益な消耗戦が続き、利用者にとっては安全が犠牲になり、監督官庁にとっては業者の数が多すぎて実のある検査を行き届かせることができない。インターネット用語で言うところの「誰得案件」(誰も得をせず、全員が敗者状態)は、公共交通に限らず他業界にも蔓延しており今や「日本のお家芸」の感があるが、この状態でいいとは誰も思っていないだろう。
一般路線バス(高速バス以外の通常のバス)をめぐっては、公共交通を熟知している大手持株事業者の下で零細地方バス会社の再編が進行している。本来なら一般路線バス事業を複数の都道府県にまたがって営業することはできないという道路運送法の規定がある(タレント蛭子能収さんが出演する人気番組「全国路線バスの旅」で、出演者一行が県境になるとバス路線がないため、険しい山道を徒歩で越えなければならないのもこの法律に原因がある)。だが、実際には法の目をかいくぐるように、東日本では「みちのりホールディングス」、西日本では「WILLER」(ウィラー)グループが次々と地方零細バス会社を傘下に収めており、このまま行けばいずれ日本全国の一般路線バス会社のほとんどがこの東西2社の子会社として統合されかねない雰囲気が出てきている。
太平洋戦争開戦前夜、国が「陸上交通事業調整法」を制定し、公共交通機関の戦時大統合を行ったこともある。折しも世は100年に一度のパンデミックと100年に一度の戦争が重なり合う未曾有の局面にある。そろそろ政府が強権を発動しての統合という荒療治を行うことも必要なときではないだろうか。
(2022年5月20日 大鹿の十年先を変える会会報「越路」掲載)