●2世紀も戻った歴史の針
2月24日、ロシアが引き起こしたウクライナ侵略戦争は、世界情勢を文字通り一夜にして塗り替えた。21世紀も5分の1をすでに終えた今日になって、20世紀どころか19世紀に戻ったかのような野蛮な帝国主義がこんな露骨な形で復活するとは予想さえしていなかった。近年の「戦争」は、国家対テロ組織のような形で行われるものが多く、互いに国連に議席を持ち、国際社会に承認を受けている主権国家同士のこれほど本格的な戦争は、米国の対イラク侵略戦争以来、約20年ぶりのことである。
時計の針を2世紀も逆流させるような今回の戦争の発生は、多くの識者によって昨年秋くらいから予想されていたことでもある。ロシアが2021年から10万を超える兵力をウクライナ国境へ展開させていたからである。日本でもこのニュースは報道されている。
軍事に疎い一般の人々にとって、10万が軍事作戦上どのような意味を持つのかを判断するのは難しいかもしれない。しかし、自衛隊の兵員数が陸15万、海4.5万、空4.7万、計25万(出典:令和2年版防衛白書)という数字を示せばその巨大さがわかるだろう。自衛隊の約半数と同規模のロシア軍をウクライナ国境に投入するという信じがたい事態が起きていたのである。ロシアのような広大な国土面積を持つ国では、兵員を移動させるだけでも莫大な経費がかかる。単なる軍事的威嚇のレベルでここまでの犠牲は通常、払わない。悪い意味でロシアの本気度を見せつけるのに十分な兵員数である。
もうひとつは、ウクライナの死活的重要性である。ウクライナはロシアにとって裏庭というべき存在であり、ロシア革命によるソ連建国後、第2次大戦中の一時期、ナチスドイツに奪われたことがあるものの、ソ連が奪還した。以降、ウクライナはソ連内の共和国として存在し、ソ連解体後も現在のゼレンスキーが大統領に就任するまではずっと親露派政権が続いてきた。ウクライナはナチスから奪還後、ロシアにとって敵対的外国勢力には一度も割譲したことがない絶対不可侵の土地である。
ソ連・ロシアでは第2次大戦中の独ソ戦を「大祖国戦争」と呼ぶが、ウクライナ東部では、ソ連軍とナチスドイツ軍が激突、死闘が繰り広げられ、多くの犠牲者を出した。世界地図を見ればわかるが、ウクライナ、ベラルーシ両国が親露派の手中にある限り、NATO(北大西洋条約機構)加盟諸国は陸路で直接ロシア領内に入れない。一方でここを失うなら、ロシアにとってウクライナ領内に展開するNATO軍と国境で直接対峙しなければならない。冷戦終結当時「NATOは1インチたりとも東方拡大させない」との約束が反故にされ、NATOに加盟したバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)とロシアはすでに国境を接する事態を迎えている。バルト3国は、ロシア革命後のソ連政府が自国に編入した経緯もあり、最初から自宅の裏庭だったわけではないから我慢できるとしても、戦後一度も親西側勢力に譲ったことのない「裏庭」ウクライナまで失うならば、それはロシアにとって悪夢そのものであり、第2次大戦後最大の危機といえる。盗人にも三分の理と言われるが、戦争では一方だけに100%責任があるということはなく、ロシアにもこうした「言い分」がある。もちろん、そうした理由があっても武力による国境線変更を正当化できるものではない。
今、国内では何の罪もないロシア料理店が破壊されるなど、反ロシア感情が暴走する兆しも見え始めている。こうした嫌がらせは中韓両国に対する「ヘイトスピーチ」と同じであり、戦争とは別問題として毅然と対応すべきであることは言うまでもない。
<地図>ウクライナがNATOに加盟した場合、NATO軍はウクライナ経由で直接、陸路からロシア領内に侵入できる。
●理解できるウクライナ市民の心情
全人類を何度も全滅させることができるといわれる6千発の核兵器をロシア軍は持つ。そんな超大国と戦いたい国などあるわけがなく、現時点ではNATO加盟国でもないウクライナはNATO加盟国にとって「集団的自衛権」の発動対象に当たらない。どこからも助けが来ないまま、早ければ2月中に首都キエフがロシア軍の圧倒的軍事力の前に陥落し、ウクライナは独立国家からロシアの事実上の衛星国になるか、最悪の場合、旧ソ連時代のような形(ロシア連邦共和国内の1共和国に格下げ)となる――本稿筆者もまたロシアによる開戦の時点ではそのようなシナリオしか思い描けなかった。
ところが大方の予想に反し、ロシアによる侵攻開始から3週間を過ぎた本稿執筆(3月20日)段階でもウクライナ全土はおろか首都キエフが陥落する気配さえ見えない。ロシアは国際法違反を承知で大規模な軍事侵攻を仕掛けた行きがかり上、引くに引けない。一方、ウクライナはNATOに接近し、加盟を望むという「命知らずの政治的冒険」の過ちを犯したとはいえ、それだけで国際法違反に当たる一方的軍事侵攻を受け、屈服を強いられなければならない道理はない。危惧されるのは、お互いのメンツがぶつかったまま、落としどころが見つからず、消耗戦に突入して犠牲者数だけが積み上がることである。
ウクライナは、スターリン時代、モスクワの党中央による非人道的飢餓政策が採られるなど「大ロシア」に虐げられた歴史を持つ一方で、第2次大戦後は旧ソ連を構成する共和国同士、ロシアとは家族のように仲良く暮らしてきた。そうした歴史と、西側とロシアの狭間で両文明の衝突を防がなければならない自国の微妙な地理的事情を踏まえることなく、バランス感覚を失い、NATO接近と加盟を訴える危険な人物をトップに選んでしまったことで、ウクライナ市民が払う代償は高くつきつつある。しかし、「民主主義は、これまで人類が経験してきた他の制度を除けば最低の制度である」(ウィンストン・チャーチル英元首相)という言葉通り、民主主義もまた多くの欠陥を抱えている。多くの国々で民主主義が選択されているのは完璧な制度だからではなく、単なる比較優位の結果に過ぎない。
選挙で誤った人物を選んでしまうことは「自由選挙」である以上はいつでも起きうる。侵略決行を決断したウラジーミル・プーチン大統領が口を極めて非難するヒトラーもまた「正当な自由選挙」によって生まれた。米国ですらドナルド・トランプという奇特な人物をトップに選ぶことで国際的評価を大きく下げるという経験を最近したばかりである。プーチン大統領にとっての最善の道は、ロシアにとって家族だったウクライナとその市民を信じ、ゼレンスキー大統領が他の親露的人物に取って代わられるまで数年間我慢するという理性的な方法を選ぶことだった。だが、その数年間すらプーチン大統領は待てず、時計の針を2世紀も逆戻りさせる野蛮な帝国主義的侵略に打って出た。この暴挙を許すことはやはりできない。
筆者にはウクライナ市民の心情は大いに理解できる。同列に論じられないかもしれないが、本稿筆者もまた2011年3月の福島原発事故以降、ずっと東京電力と闘い続けてきたからである。東電という企業には、一般的な企業が持ち合わせているような良識、常識はまったく通じない。ライオンがウサギを殺すにも全力を尽くすといわれるように、原発反対派をつぶすためにどんな卑劣な手段でも平気で使う。見え透いたデマやプロパガンダを平然と流し、1万の証拠を突きつけても事実を認めることも恥じることもない。いわば東電とその背後にいる原子力ムラは「日本経済界のプーチン」である。
自分たちは何も悪いことをしていないにもかかわらず、一方的に生業を奪われ、生活を壊され、健康を害され、財産を毀損させられ、踏みにじられる。その原因を作った相手がどれだけ巨大であっても、自分の名誉・生活・健康・財産を守るために闘いをやめる選択肢はない。正直なところ、勝てるとは思えない。しかし、自分たちを見くびった代償がどれだけ高くつくかくらいは、せめて相手にわからせたい。武器を取るか取らないかが違うだけで、巨象と闘うアリの心境としては通じるものがある。筆者の立場上、戦争や日本の軍事支援に同意することは決してできないが、ウクライナの市民がロシアに屈せず闘い続ける心情には、寄り添いたいと思っている。
●今後の行方は?
ロシアに戦争を止めさせる唯一の手段は、ウクライナが望むNATO加盟をあきらめさせることである。第2次大戦後、人の一生に匹敵する時間を家族のように暮らしてきたロシアの元に戻るか、ロシアの専制主義的政治体制に同意できないのであれば、せめて文明の衝突を防ぐ「緩衝地帯」として、政治的には民主主義を、軍事的には中立を維持する。前述した歴史、地理的条件を考えると、ウクライナにはこの2つの道しかない。
大半の日本人にとって初めて聞く話かもしれないが、ウクライナのゼレンスキー大統領は元コメディアンである。政治経験、行政経験はなく、ポピュリズムと、旧ソ連時代、スターリンに虐げられてきたウクライナ国民の歴史的反ロシア感情をうまくくすぐり、大統領の地位を射止めた。「吉本興業のお笑い芸人が大阪維新に担がれて首相を射止めるようなもの」だと例えれば日本人にもぐっと理解が容易になるであろう。面白半分に維新所属の犯罪予備軍を選挙で連戦連勝させるようなことをしていては、日本もいずれ戦争を招き寄せることになる。日本人にとっても教訓とすべき事例だと筆者は考える。
軍事力による現状変更は認められないという近代以降の世界が確立してきたルールに忠実であろうとするならば、今回の軍事侵攻でロシア軍が強奪し、支配下に置いた場所はウクライナに返すべきである。プーチン大統領は「民主主義的“自由選挙”の下では、自分たちの意に沿わない人物がリーダーに選出されることがある」ということを理解しなければならない。ロシアでもはなはだ不公正ではあるが「選挙」が行われており、自分自身もそれにより選ばれることで大統領の地位に就いているはずである。
有権者は、公職に選ばれた人が自分の投票した人物以外であったとしても、ルールとして受け入れると同時に、全体の奉仕者として行動しているか任期中常に監視する。選ばれた公職者は「自分に投票しなかった有権者も含む国民全体」を代表しているのだという自覚の下に政治、行政を担う。この原則が貫かれる限り、「これまで人類が経験してきた他の制度を除く最低の制度」としての民主主義の地位くらいは少なくとも維持できるだろう。
平穏期と動乱期が交互に現れ、その両極端を行ったり来たりするのがロシアの歴史であるという点で、ロシアに詳しい識者の認識は一致している。ロシアはソ連時代という安定期を終え、ソ連崩壊から始まった本格的動乱期に入ったと認識すべきである。これから2020年代末くらいまでは何が起きてもおかしくないと見ておかなければならない。
ウクライナ侵略への懲罰として国際社会が科している経済制裁が実を結ぶかどうかは正直なところわからない。ロシアは何度もこのような極限の経済危機に直面しては、克服してきた歴史を持つからである。レーニン率いるロシア社会民主労働党(ボルシェヴィキ)が人類史上初の社会主義革命を実現したときも、世界はこの革命が広がることを恐れてソ連に経済封鎖を科した。ロシアの通貨ルーブルは紙屑同然になったが、スターリン政権は重工業部門での生産力強化と並行して無価値となったルーブルを事実上廃棄、チェルヴォーネツという新通貨を臨時に発行した。一部を金との兌換制(金本位制の部分的復活)とし、市場流通する財・サービスの総価値を超えるチェルヴォーネツの発行を禁止することで通貨価値を維持した。この大胆な新政策に成功し経済を急回復させたことがその後の「大祖国戦争」における勝利にもつながった。
ウクライナ戦争に伴う制裁で今またルーブルが紙屑になっても、過去の歴史に学んだロシアが経済制裁に耐え抜くという展開もあり得る。広大な国土面積を持ち、エネルギー・食料から生活必需品に至るまで何でも自分たちで作ることができるという点もロシアの強みである。世界がロシアを必要とする時期は遠からず再びやってくる。この大国を追い詰めすぎることが得策とは思えない。
一方、世界をあっと言わせる別の展開もあり得る。ロシアの再社会主義化である。荒唐無稽だと思われるかもしれない。しかし世界史の教科書を紐解き、もう一度、社会主義がどんなときに生まれてきたか調べてみるといい。戦争と動乱、格差拡大と貧困が同時進行するときに社会主義は生まれてきた。
ロシアの中高年世代にはまだソ連時代の記憶が残っている。加えて、ロシア議会(一院制)には小選挙区制が導入されており、プーチン与党「統一ロシア」7割、ロシア共産党3割という議席構成になっている。ロシア共産党は、ゴルバチョフ大統領によるソ連解体と共産党解散に反対していた旧党員らがその後再建したが、ソ連のような一党独裁制は再び採用しないとしている。プーチン政権の政策に反対はしておらず準与党的立場にある。真の意味での野党は存在せず、そのことが「プーチン1強」の政治的土壌となってきた。
このまま制裁による経済危機が長引けば、ソ連解体で巨大な財を成した「オリガルヒ」(新興財閥)がプーチンを見限る可能性がある。一方、プーチンは自分に敵対する者は許さないとして、オリガルヒの財産を接収し、国有化すると言い出すかもしれない。それは決して杞憂ではない。実際、制裁によってロシアから撤退したスターバックスやマクドナルドなどの西側企業の「接収」をほのめかす発言が「統一ロシア」幹部からすでに出ている。プーチンが統一ロシアを解党してロシア共産党と合流しそのまま全産業を再国有化(ロシアの再社会主義化)――冗談ではなく本当に起こりかねない。そのような可能性さえ視野に入れなければならない動乱期に、ロシアは突入しているのである。
●反戦の闘い続く
野蛮な帝国主義的戦争の勃発によって、この2年、人類を悩ませてきた新型コロナ問題はすっかり後景に退いた感がある。新型コロナ感染拡大以降、人々の感情は自分自身の内部へと向かい続けてきた。長く続いた行動自粛とあいまって鬱屈した市民感情が、何らかのはけ口を求めるタイミングでウクライナ戦争は起きた。抑鬱的状態にあった市民感情が爆発的に解放された結果、はなはだ不適切な表現だが、日本国内にも世界にも妙な高揚感すら漂っているように感じる。まだまだ新型コロナの感染拡大が続く地域があるにもかかわらず、世界は科学的検証抜きに「ポストコロナ」時代という新しいフェーズに突入させられた。プーチンという野蛮で常識外れの指導者が「世界劇場」のカーテンを暴力的に引き裂いたのである。
抑鬱的感情が解放された結果、市民はコロナを恐れず街頭で再び意思表示を始めた。2月24日以前はウクライナがどこにあるのかさえわからなかった市民までが、黄色と青の旗を振り、反ロシア感情をみなぎらせている。ウクライナ国旗の色は、青空とその下で黄色く実る小麦畑を象徴する。「木の枝をウクライナの土に突き刺せば、そのまま育つ」といわれるほど肥沃な土地を持つウクライナは世界の穀物倉庫として重要な役割を果たしてきた。そこでの戦争を止めることは、世界を食糧危機突入という事態から救う意味でも、価値ある行動であることは確かだろう。
今月号の本誌はウクライナ情勢一色になると見込まれる。首都圏や関西圏での戦争反対行動に関しては他の執筆者に譲って、本稿では筆者も参加し、札幌で開催されたウクライナ戦争反対集会についてのみ報告する。
3月19日、「戦争させない北海道委員会」主催のウクライナ反戦集会には、約200人が集まった。主催者を代表して、佐藤環樹代表(自治労北海道本部副委員長)があいさつ。「大阪では、都構想をめぐる住民投票が二度行われ、二度とも否決。2015年は橋下徹・大阪府知事が辞任。2020年は松井一郎・大阪維新の会代表が政界引退を表明した。改憲国民投票でもし負ければ、トップは辞任しなければならないことを与党は理解しており、だからこそ今年夏の参院選で改憲派に3分の2を与えれば、彼らは死に物狂いで改憲に全力を挙げるだろう」と参院選に向けた結束と「3分の2阻止」を訴えた。
同委員会呼びかけ人の清末愛砂・室蘭工業大学大学院教授は「ウクライナ戦争を台湾有事に結びつけ改憲をあおる動きに断固抗議する」とロシアと国内改憲勢力を批判する一方、旧ソ連による侵略が行われたアフガニスタンについて、今日のウクライナのような世論の盛り上がりはなかったとして「私たちの中にあるレイシズムと不平等性を問いたい」とした。同じ戦争被害者なのに、世界のどこにいるどんな人々かによって関心に差を付ける日本の市民の意識に一石を投じる重要な問題提起として受け止める必要がある。
岩本一郎・北星学園大学教授は核保有国による帝国主義的戦争が核抑止戦略を破たんさせ、冷戦時代さながらに人類を滅亡の危機に追いやっている、とした上で「プーチンに対し、勇気を持って民主的手段で反戦の声を上げているロシア市民を支えなければならない。21世紀を20世紀のような野蛮な暴力と戦争の時代に戻してはならない」と訴えた。
北海道高等学校教職員組合に所属する20代女性労働者からも発言があった。「私は学者でも政治家でも専門家でもなく、地域の有力者でもないただの1人である。戦争を前にして市民にできることは少ない。しかし2015年の戦争法強行採決の際、テレビの前で怒っているだけでは何も変わらないと、初めて自分の意思でデモに参加した。黙っていてはいけないという自分の意思に背中を押された。会場に行ってみると、同じ思いの仲間がこんなにいたんだと思い勇気が出て、毎週のように仲間がいる会場に行くようになった」。
札幌での護憲集会、反戦集会では必ず一般市民の発言枠が設けられる。労働現場で、デモや集会の現場で、闘いながら成長する自分の姿を生き生きとした言葉で表現する。その表現が空気振動のように、場を共有する参加者に伝わる。オンライン集会では決して味わうことができない久しぶりの臨場感。やはり街頭集会はいいと思う。「今日は久しぶりの大型の街頭集会ですよ」という市民の弾む声を開始前にも聞いた。ステイホームが始まって2年、市民はこの瞬間を待っていたのだ。
「安保法は成立させられてしまったが、私たちの闘いによって強行採決せざるを得なかったという事実は残った。世界には逮捕される危険があっても街頭に出る人たちがいる。ロシアで声を上げる人たちへの連帯を表明し、世界中の人々が見ているよ、と伝えたい」――若き労働組合員からの訴えは続く。この日の集会で、発言者が異口同音に訴えたのはプーチン政権に怯まず平和的、民主主義的手段で闘う市民への連帯だった。
この他、同じく戦争させない北海道委員会呼びかけ人の上田文雄・元札幌市長から「ロシア軍によるウクライナの原発占拠が、福島を経験した日本の市民の前で、よりによって3月に行われるとは許しがたい暴挙だ」との発言があった。
●小さな「予兆」
集会翌日の20日。ロシア国営テレビで生中継されていたプーチン大統領の演説の映像が突然途切れた、というニュースが短く伝えられた。日本のメディアでは片隅扱いの小さなニュースを、しかし私は見逃さなかった。中継が途絶えた画面の向こう側で何が起きていたのかを、遠く離れた異国の地では知る術もない。だが、1989年、ルーマニアでチャウシェスク独裁政権が一気に倒れたとき、筋書きのないドラマは首都ブカレストで開催された政府支持の官製集会で、演説するチャウシェスク大統領を映す国営テレビの映像が突然途絶えるという小さな異変によって幕を開けた。ルーマニア語では、飢え、寒さ、恐怖を表す単語はすべてFで始まることから、チャウシェスク時代のルーマニアは「3つの“F”の国」と言われていた。その国で起きた小さな異変が、後の大きな歴史的政変につながるとまで予想できた人は当時、ほとんどいなかった。時として歴史は人々の思惑を超えて大きく動くことがある。この小さな異変は、もしかするとプーチン失脚という大きな歴史的出来事の序幕になるかもしれない。
(2022年3月25日 「地域と労働運動」第260号掲載)