失われた30年、変われなかった日本に迫る「無条件降伏」
 第2の敗戦後の新時代に私たちのなすべきこと

 今、私には奇妙な時代感覚がある。太平洋戦争末期の時代をリアルタイムで生き、経験しているわけではないにもかかわらず、今の日本社会が抱える絶望的な閉塞状況を通じて大戦末期を疑似体験しているような感覚だ。歴史の中の遠い時代であるはずなのに、「あの時」の社会的雰囲気も今と同じだったに違いないという絶対的確信に近い気持ちが私の中にあるのだ。

 社会全体を覆う絶望的ムードの中、人々が怒りと諦念を同時に抱きながらこの苦しい「今」との決別を待ち焦がれている。みずからの女性蔑視発言に対する内外からの批判の高まりの中で辞任を余儀なくされた森喜朗・東京五輪組織委前会長の、ほとんど唯一の「功績」を挙げるならば、バブル崩壊以降の日本の「失われた30年」、そして女性や若者に「正体不明の忍従」を強いてきた原因のほとんどすべてが「昭和のオヤジ支配」にあることを国内のみならず、全地球人類に知らしめたことだ。

 ●森辞任要求は国際社会からの「ポツダム宣言」だ

 ここ10年近く、国内問題にかかり切りで日本に関わる余裕のなかった国際社会も、この日本の惨状を目の当たりにして「再介入」へ舵を切ったように思える。「森発言」に対する国際世論からの批判は想像以上で、「黙殺すれば日本を待つものは完全なる壊滅のみ」としたポツダム宣言のようだ。

 ポツダム宣言が発表されても、昭和日本の指導部はなんとか「国体護持」したままソフトランディングができないか、「男たちだけの密室会議」が繰り広げられた。すでに日本に逆転の要素はなく敗戦は明らかな情勢だったが、陸海軍指導部はその現実を受け入れられず、右往左往したまま時間だけが過ぎていった。そうした姿勢が連合国側には宣言「黙殺」と受け止められ、原爆投下への準備が進められていくことになった。当時も日本の意思決定層は高年齢男性だけで占められており、会議をいくら繰り返してもいいアイデアなど出るわけがない。国民に向けては「日本は神国。いずれ神風が吹く」と精神論をあおりながら、本土決戦を呼びかけ続けた。やがて原爆投下、ソ連参戦という決定的破局を招き、日本は無条件降伏に追い込まれた。

 最近の日本の惨状を見ると、大戦末期の無為無策の歴史が繰り返されているようにしか私には思えない。国民には多様な意見があるのに受け入れられない。誰もがこのままではいずれ破局を迎えると分かっているのに改革の気運は盛り上がらず、国民の8割が支持している脱原発、受動喫煙防止、選択的夫婦別姓導入などの改革が提起されるたびに、1~2割に過ぎない「正体不明の頑強な抵抗勢力」のためにいつも決まって潰される。東京五輪など無理と分かっているのに、「開会式までに必ず神風は吹く。いや、俺が吹かせてみせる」と「本土決戦」に突き進もうとする。

 国民の大多数には可視化されず巧妙に隠されているが、この「正体不明の頑強な抵抗勢力」の大部分は昭和のオヤジたちであり、その昭和のオヤジが総結集しているのが自民党というカビだらけの組織である。新型コロナウィルスの感染拡大という危機を前にして、「密室・密談・密約」のいわば「3密」(注)で政治・経済・社会のあらゆる領域を支配していた昭和オヤジ支配が揺らぎつつある。「3密」と会食は切っても切れない関係にあり、だからこそ自民党だけがいつまでも自粛破りの会食を続けなければならないのである。初めに述べたように、「宮廷内の密事」として周到かつ巧妙に隠されてきたこの支配構造を、不用意な発言で天下に知らしめてしまったことこそ森前会長のほとんど「唯一」の功績である。自民党は、いっそ自由民主党から「ジジイ飲酒党」に党名変更してはどうか。

 当コラム筆者から提案がある。新型コロナウィルス感染拡大に伴って、補償も十分受けられないのに営業自粛で損害を受けている飲食店向けに、どこかの酒造会社が新酒「自由飲酒党」でも売り出したら案外、売れるかもしれない。旧ソ連で、アルコール依存症の蔓延に危機感を抱いたアンドロポフ共産党書記長が飲酒規制を打ち出したら、党への皮肉を込めて「アンドロポフカ」(アンドロポフ印)の通称で酒を販売した商店があると聞いた(その後、買いに来た顧客ともども検挙されたそうだ。1980年代初頭の話である)。日本でも、国民に自粛を強いながら自分たちだけ特権とばかりに会食を繰り返す「ジジイ飲酒党」への当てつけとしてちょうどいいのではないか。言論・表現の自由がある日本では与党を揶揄する名称の酒を販売しても、旧ソ連と異なり検挙されることはない。

注)頭の良さより「共感力」で人生が決まる納得理由~「無能なナルシスト」は、もう成功しません」(東洋経済オンライン)。記事著者の岡本純子さんは、日本の政財界リーダーは「コミュニケーションは「密談・密室・密約」という3密が基本だと思っている」と厳しく批判している。

 ●過去の失敗などどうでもいいではないか! 総選挙で政権交代を

 民主党政権の無残な失敗以来、日本の市民のほとんどは「自分の生きているうちに二度と政権交代なんて起こり得ないだろう」という諦念にも似た気持ちを抱いて、安倍政権以降の10年近くを生きてきた。その証拠に、安倍政権があれだけのでたらめを続けたのに、安倍政権打倒を求める声はあっても、政権交代を求める声はまったくといっていいほどどこからも聞こえてこなかったからだ。日本では成立の余地などないと証明された「保守二大政党制」という幻想を抱き、政権交代の夢を追い続けてきたのは、私たちのような反自民派よりもむしろ「自民党的なるもの」に飽き足りなかった保守層だったように思える。

 自民党政権の終わりの予感は、菅首相が国民に自粛を強いておきながら、緊急事態宣言下、自分たちだけ連日ステーキ屋で会食をしていた年明け早々から徐々に出始めていたが、そんなことくらいで壊れてしまうほど自民党政権がもろい構造ではないことは、私たち反自民派こそ最もよく知っている。まさか、とずっと思っていた。
ところが、である。「女がいると会議が長い」という無根拠で極めて差別的な森喜朗・東京五輪組織委会長の「暴言」で、ひょっとしたら五輪のみならず、自民党政権の息の根まで止まるかもしれない。そんなムードが急速に出てきたように思える。

 安倍政権以降のここ数年、ネット上の攻撃は弱者にばかり向かっていて、不毛で腹が立つことしかなかった。この間、何度「ネットを辞めよう」と思ったかわからないほどだ。それが今回、批判、攻撃が強者、それも森会長のような「本来向かうべき相手」にきちんと向かったという意味では、久しぶりの「祭り」だと思う。瞬発力の強さという意味では昨年の黒川検事長問題をも大きく超えていて、ネットとしては2012年の「大飯原発再稼働反対官邸前20万人デモ」以来の盛大な祭りだ。

 先日も、買い物に出かけたスーパーで、普段は政治の話をしようとすると遮るようなノンポリの人たちが「私たちが選挙に行かなかったからかしら。自民党以外に入れたらいいの?」と立ち話をしているのを聞いた。ネットでも「どんなに自民党政権がひどくても悪夢の民主党政権よりはマシ」と言っていた人たちが「とにかく自民はダメ。政権交代可能な野党がなくても、国民には自粛しろと言いながら自分は毎日ステーキ食べてるような奴らは一度下野させないと」「俺たち下級国民は重症でも入院できないのに、自民党関係者だけPCRをいつでも受けられ、陽性だったら無症状でも即入院できるなんて許せない」と言い始めている。安保法や黒川検事長問題の時ですらまったく政治に興味がなかった一般の人たちの間に、自民党に対する久しぶりの「懲罰感情」が芽生えているのだ。

 このような状況下で、衆院議員の任期がまもなく切れる。この秋の総選挙は、政府与党が望まない不利なタイミングでの実施を強いられる珍しい形でのものとなる。今後起き得る事態を考えてみよう。

 東京に住んでいると見えないかもしれないが、地方では、熱心に自民党候補者のポスターを貼っているのはたいてい土建業者か、ホテル・飲食店・土産品店などの観光関係の自営業者らである。こうした人たちが営業自粛を強いられているのに、補償は十分もらえていない。意気消沈して「今まで熱心に応援したのに、自民に裏切られた」と感じ、彼らの中から5%くらい棄権が増える。一方で「野党に政権を取らせるところまでは望んでいないけれど、自民党を少し懲らしめたい」と、眠っていた無党派層が10%くらい決起し、安倍政権下で行われた過去6回の選挙で55%前後だった投票率が、60%くらいに少し上がる。

 無党派層、普段はノンポリの人たちの「懲罰感情」ほど怖いものはない。野党側に政権担当準備があってもなくても、勝手に政権が転がり込んでくる、という可能性があるのは実はこんなときだ。直近で言うと、1989年や2009年の政治情勢に似ている。1989年も「女性は政治家の講演会に来てもネクタイの柄を見ているだけで、話の内容なんて聞いていない」という中曽根康弘首相の女性差別発言が出た。ちょうど同じタイミングで、社会党が女性として初めて土井たか子さんを委員長に据えたら、ブームが起きて自民党が参院で過半数割れを起こした。反乱が女性から始まった、という点でも当時とムードが似てきている。

 1月31日に投開票された北九州市議選(定数57)で自民が6議席減の大敗北を喫したが、57議席中の6議席といえば1割強なので、これを定数465(過半数233)の衆院に当てはめると、ちょうど自民が50議席くらい減らす計算になる。現在の279議席から50減らせば229議席で、単独では過半数に達しない。公明党と合わせてようやく政権維持、維新の力まで借りてようやく政権を安定させられるくらいになる。これだけでかなり政治は面白くなると思う。

 地方議会は中選挙区制なので、選挙区によっては3~4位でも当選可能だが、北九州市議選では自民がトップ当選をあまりできていない。小選挙区制はトップ以外当選できない制度なので、北九州市議選よりもっと極端な変動が起きる可能性もある。ただ立憲民主党は、2009年の民主党に比べてもあまりに非力すぎる。自民党に単独で取って代われる強力な野党が存在していない現在、当時のような劇的な形での政権交代という事態はあり得ないだろう。

 だが、1993年のような「熱量の低い形での政権交代」ならば考えられる。有権者としては「自民党を懲らしめる」程度のつもりだったが、小選挙区制であるために思ってもみなかった大規模な与党の議席減少が起き、自民が70~100議席くらい減らす。その結果、自民、公明、維新以外の議席を全部足してみたら、自公維に勝っていた。「もう一度、自公維以外の政党が力を合わせて、政権を作ってみようか」--そんな事態なら、野党第1党が非力な現状でも十分あり得るのである。

 失言で辞任した森前会長が、かつて「無党派層は寝ていてくれるのがいい」という発言をしたことを思い出してほしい。この間、選挙に行かなかった人たちはいつまで民主党政権の失敗にこだわり続けているのか。このような事態を生み出した責任は選挙に行かなかった人々にもある。「国民には自粛しろと言いながら自分は毎日ステーキ食べている自民党」「俺たち下級国民は重症でも入院できないのに、自分たちだけPCRをいつでも受けられ、陽性だったら無症状でも即入院できる自民党」を許せないと思うなら、次はぜひ投票所に足を運び、野党第1党、野党統一の候補が非力でもそこに票を集中させてほしい。5~10%程度の投票率上昇でも上記のような事態を引き起こすことは可能なのである。

 「会社が仕事をもらわなければならないから仕方ないんだ」「商工会長にはお世話になっているから」など、過去のしがらみや人間関係などの情けない理由で自民党に投票しようとしている人を見たら、すべての女性(心ある男性も)は力を合わせて止めてほしい。「それで、その自民党があなたに何をしてくれたの?」「自民党に投票しようとしているということは、あなたも森さんみたいに女がいると会議の邪魔だと思っているの?」と問うてほしいのだ。「自民党のような女性、マイノリティ差別政党に投票するならあなたとは離婚する」と勇気を出してパートナーに告げてほしい。もちろん自分も絶対に自民党にだけは投票してはならない。

 国民の8割が望む政策の実行を妨げているほとんどの原因は昭和オヤジ組織の自民党にある。この党を政権から排除するだけで、「何をしても変わらない」とあきらめかけていた政策の9割以上は実現に向かうだろう。選択のときは半年以内に迫っている。

 (2021年2月20日 「地域と労働運動」第246号掲載)

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