<北海道から>核のごみ処分地応募問題その後
道内で抗議集会相次ぐ、地元では住民投票への動き

 北海道寿都町神恵内村で、高レベル放射性廃棄物最終処分場候補地への立候補が同時浮上してから2ヶ月が過ぎた。両町村が10年以上前から国、NUMO(原子力発電環境整備機構)との懇談や勉強会を水面下で続けてきたこともこの間の報道で発覚した。核のごみ受入条例を持つ道の頭越しに、国と基礎自治体ががっちりスクラムを組んでの10年越しの計画浮上に、道内の各反原発運動団体も「応募自体を止めるのはもはや困難」と悟る。実際、両町村は10月上旬、相次いで応募に踏み切った。

 水面下に潜行させる形で地元自治体、議員、商工会関係者らと「秘密会合」を続け、地ならしをした上で、反対運動が分散し集結できないよう複数自治体で同時浮上させる手法は、高知県東洋町での失敗(本誌前号既報)を踏まえた原子力ムラなりの「電撃作戦」であり、応募までこぎ着けたことで「してやったり」と思っていることだろう。

 しかしことはそう単純ではない。北海道には、日本原子力研究開発機構幌延深地層研究センターのように、誘致から20年経過しながら最終処分場とすることを阻止し続けている粘り強い闘いがある。10月1日、原子力資料情報室共同代表で原子力市民委員会委員の伴英幸さんを招いて開催された札幌市内の集会では、「建設はさせても核のごみだけは条例を盾に絶対に入れさせない闘いを作ろう。20~30年闘争は覚悟の上。寿都、神恵内を第2の幌延にしよう」との決意が示された。1980~90年代に日本原子力研究開発機構深地層センターを誘致した幌延をめぐっては、すぐ隣の豊富町で、反対派が昼食に出かけた隙を突いて推進派が臨時町議会を招集し誘致決議を強行採決した。これに激怒した住民が、推進派の中心2町議に狙いを定めて町議リコール運動を展開。1990年、リコールが成立し2人を失職に追い込んだ。闘いの緒戦で推進派に浴びせたこの「大打撃」が、誘致運動勃発から30年後の今日に至ってもごみを持ち込ませない闘いを作り出した。「寿都、神恵内を第2の幌延にする」との決意には、この幌延をモデルとして息長く闘う決意が込められている。

 権力を持っていない私たちが国家権力を相手に勝つことは難しいが、単に「負けなければいい」闘いならいくらでもできる。処分のあり方自体にも技術的不透明さがつきまとう。2自治体に応募させてしまったことは確かに手痛い事態だが、改めて考えると阻止の展望はあちこちに転がっている。

 ●寿都町 反対派から逃げ回る町長 住民投票署名が法定数突破

 寿都町は、町内に処分場建設に必要な平地もあり、一見、有望に思われるが、町内漁協が組織をあげて反対しており、町民(2020年3月末時点で2893人)の4分の1に当たる700筆の署名を1ヶ月足らずで集めた。町内には誘致反対の住民団体も立ち上がったが、住民投票を求める運動の他、町長リコールを求める意見もあり、情勢は混沌としている。

 町民の意見を聞かない片岡春雄町長と反対派の対立は頂点に達し、応募表明当日の10月8日早朝には、ついに町長宅で放火事件が起きた。反対派も浮き足立っており、短絡的な行動に走る者も出始めている。長期戦を見据え、住民を落ち着かせる情報戦略も必要になっている。

 応募に名乗りを上げた片岡町長は「過半数の住民が内心では誘致賛成であることは“肌感覚”でわかる」「20年も町長を続けている自分は町民の目を見れば考えていることがわかる」などの発言を繰り返している。「信者」の前では実に饒舌で、自分が全知全能の神ででもあるかのように振る舞っている。その行動様式はインチキ新興宗教の“教祖様”のようだ。

 一方で、片岡町長は「そんなに自信があるのであれば堂々と住民投票をやればいい」と呼びかける住民からは目をそらして答えず、伴さんを迎えて寿都町内で開かれた講演会でも、理路整然と施設の危険性を訴えた後「参加している町長からもご意見、反論があったらいかがですか」と問う伴さんに対し、ひとことも発せず会場から「逃亡」した。「信者」の前では饒舌で自信満々で、暴言放言のオンパレードでも、それ以外の場所では弱さをさらけ出す町長。お得意の「肌感覚政治」に独特の場当たり感も見えてきた。

 寿都では、町長による応募表明に合わせて急きょ、立ち上げられた「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」が10月23日、法定数(有権者の50分の1以上)を上回る有権者217人分の署名を提出、住民投票条例制定の直接請求を行った。寿都町の法定数は、直近のデータである2020年3月31日現在における町人口(2893人)を基に計算すると58人であり、集まった署名数はその3.5倍に当たる。

 町議会が、わずかな票差ながら応募に同意したことを考えると、住民投票条例が成立するのは困難のようにも思える。だが実際には町議会議長含む10人の町議のうち、応募賛成の確信犯は4人程度だ。「自分は応募に賛成だが町民の意見を聞いてみるのも悪くないのでは」と考える議員は応募容認派の中にいるかもしれない。

 住民投票条例制定のための直接請求署名は、一般の署名と異なって氏名の他、住所、生年月日を記載の上、捺印までしなければならない。応募表明のあった8月まで住民が平和に暮らしており、住民運動など起こる以前にやり方も知らない町民がほとんどだった町で、このような心理的ハードルの高い署名がわずかの期間でこれだけ集まった。町民の怒りがいかに大きなものかを物語っている。この住民の声を理解する正常な「肌感覚」を持たない片岡町長に、筆者はただちに辞職するよう勧告する。

 ●神恵内村 すさまじい地形にあ然 そもそも建設できるのか?

 一方、神恵内は原発立地地域交付金に毒され、今も反対派の住民団体さえ立ち上がっていないが、ここにも展望はある。核のごみは、乾式キャスク1本が約100tにも及ぶ巨大なもので、処分場には大規模な平地と高規格道路が必要だが、神恵内村には825人の村民が肩を寄せ合って暮らすわずかな集落部分以外にまったく平地がない。受入が決まっても建設地はおろか、工事資材置き場やダンプの駐車場さえ確保できる見通しがない。建設を可能にするためには、(1)集落全住民が退去(=事実上の村消滅と同じ)、(2)山を大規模に切り崩す――が考えられるが、(2)も残土置き場がないため現実的ではない。(3)として、沖合に資材置き場やダンプ駐車場を作るために埋め立てることが考えられるが、沖合には大規模な活断層が走っており(図参照)、この活断層のために現在、原子力規制委による泊原発の安全審査がストップしている状況にある。埋め立てとなっても、いつ動き出すかわからない活断層の上に巨費を投じて資材置き場の建設から始めなければならない。軟弱地盤の存在が発覚し、工事が行き詰まりを見せている沖縄県名護市辺野古における新基地建設工事と同じ状況になりかねない。現実的に建設不可能だと訴えていけば、ここにも展望はある。

 

 ●北海道に核のゴミ捨て場は要りません 「さようなら原発集会」に400人

 10月18日、札幌市・大通公園で「さようなら原発北海道集会」が開催され、地元紙・北海道新聞の報道によれば400人が集まった。

 この集会は、北海道平和運動フォーラムなどの主催で、福島第1原発事故後は毎年3月と10月に行われている。今年3月の集会は新型コロナウィルス蔓延の影響で中止となったため、約1年ぶりの開催となった。

 福島第1原発事故からまもなく10年。北海道は福島から遠いせいか、反原発運動側はもちろん真剣に取り組んではいるものの、どこか違う世界の出来事のような「ある種の余裕」があった。泊原発の廃炉を目指す取り組みや、核のごみ地層処分研究のための施設「深地層研究センター」(幌延町)の話題が中心で、自分たちが当事者という意識は福島や首都圏などと比べて薄かったように思う。

 それがどうだろう。この日の集会参加者の表情は一様に硬く厳しい。自分たちがついに「当事者」になったのだというある種の悲壮感が見えた。理由は言うまでもなく、8月13日以降、明らかになった寿都町、神恵内村の高レベル放射性廃棄物地層処分地への応募表明だ。北海道民にとっての「8.13」は、福島県民が味わった「3.11」に匹敵するものがある。

 この日の集会では6人が発言した。地質学者の小野有五・北海道大名誉教授は「今の世代が責任を持たなければならないと文献調査に応募表明した2町村長は言うが、私たちは原子力発電をしてくれなどと頼んだ覚えはない。勝手に原発を始め、ごみを作り出した者が後始末をすべきだ」と電力会社・原子力ムラの責任を追及した。

 道内最大の生協組織「コープさっぽろ」の麻田信二理事長は「食と観光、北海道にはこの2つしかないのに、核のごみが来たら両方ともダメになってしまう。北海道産というだけで売れなくなってしまうだろう」と懸念を表明した。実際、この懸念は的外れではない。泊原発の運転が始まった1989年、隣接する岩内町から大手乳業メーカーの工場が撤退した事実もある(「幌延=核のゴミ捨て場を拒否する」滝川康治/技術と人間/1991年より)。処分不可能な危険なごみを生み出し続ける原発。事故がなければいいというわけにはいかない。

 食糧自給率が下がり続ける日本にあって、自給率が200%を超える北海道は日本の一大食糧基地だ。生乳(牛乳)に至っては、今年か来年にも全国の生産量に占める北海道産の割合が50%を超える見通しだ。北海道でも農家の廃業は続いているが、それ以上に道外の農業基盤弱体化が進んでいる。道内農業界にとって本来なら喜ぶべきことのように思えるが、生乳生産量全国シェアに占める道産50%超えは「分母」が少なくなった結果としての達成に過ぎないのであり、数字の裏には喜んでいられない現実がある。

 コロナ禍による自粛ムードが世界を覆い尽くしていた今年4月、WHO(世界保健機関)とWTO(世界貿易機関)は「コロナ禍が長引けば飢餓人口拡大の危険性がある」と警鐘を鳴らしている。食料生産はできても「自粛」で食料流通を担う運送業界の人手が確保できない。人類はそんな恐るべき事態に直面していたのだ。

 こんな危機の時代に、日本の食料生産の大半を支える北海道に核のごみを持ち込もうとする自公政権ほどの愚か者は探してもそうそう見つかるものではない。自民党政権やその支持者はすぐに私たちを「反日左翼」呼ばわりするが、何のことはない。日本を破壊し、日本人全体を食糧難に追い込む自民党をこそ国賊と呼ばずして、いったい誰を国賊と呼ぶのか。

 大きな拍手で迎えられたのは、核のごみ処分場への応募に揺れる地元からの現地報告だ。寿都町でペンションを経営する槌谷和幸さんは応募に反対する住民団体を地元で急きょ立ち上げた。労働組合活動の経験はあるものの、こうした住民団体をゼロから設立しての運動経験のある人は地元にはほぼいない。「北海道全体に影響を与える大きな出来事を、小さな一自治体の長の判断だけで決めることができてしまうこの国の現実がある。多くの人が国に対して声を上げ、このようなことができなくさせる新たな法律を作らせることが必要だ」と訴えた。同時に、「寿都にはこちらからお願いしたときに来てくれればいい。過剰な取材、要望やアドバイスはありがたいが小さな町ですべてに応えることはできない。ひとりひとりが国策を止めるため自分にできることをしてほしい」と、現地入りよりも各自が自分自身でできること、やるべきことをきちんとやりきる必要性を指摘した。

 このほか、室蘭工業大教員で「戦争させない北海道委員会」共同代表・清末愛砂さんから発言があった。日本学術会議の新会員推薦者のうち6名について、菅政権が任命を拒否したが、清末さんは憲法学者の立場から「この攻撃は6人に対してだけではなく、また学者に対してだけかけられたものではない。国家権力に逆らう者はこのような目に遭うのだという全市民への威嚇である」と警告。「1つの考え方だけに染まってしまうことによる過ちから政府を守るために設置された学術会議は税金で運営されなければならない」として、安易な民営化論、新自由主義者から野放図に加えられている「嫌なら税金を返上して民間で勝手に学問をやればいい」論を明確に批判した。

 政党からは、道下大樹衆院議員(立憲)と畠山和也前衆院議員(共産)から挨拶。核のごみ処分場阻止への決意表明があった。野党からたった2党だけか、と思う人もいるかもしれないが、北海道では先に行われた立憲・国民の合流で、両党の国会議員は全員が立憲に合流。野党共闘への大きなステップとなった。

 なお、寿都から現地報告をした槌谷和幸さんと、清末愛砂さんの発言は、いずれも安全問題研究会youtubeチャンネルにアップロードしたので、興味のある方はお聞きいただきたい。また、この集会後に引き続いて行われた野党共闘実現を求める街宣行動では、この前日(10月17日)に1億円もの法外な税金をはたいて国葬が強行された中曽根康弘元首相の生前の「罪状」を示す立看板が登場した。こちらについても記事にした。併せてご覧いただくと、この国の「巨悪」が戦後、途切れることなく連綿と続いて今日に至っていることがきっとご理解いただけるだろう。

 <音声>槌谷和幸さん現地報告(安全問題研究会youtubeチャンネル)

 <音声>清末愛砂さんの発言(安全問題研究会youtubeチャンネル)

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 (2020年10月25日 「地域と労働運動」第242号掲載)

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