<北海道から>泊原発近隣2自治体で「核のごみ最終処分地応募」問題が
相次ぎ表面化 闘い始まる

 北海道寿都(すっつ)町で、高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地への立候補が検討されていることを8月13日、メディアが一斉に報じた。片岡春雄町長は「国のエネルギー政策のためになる。町民以外の意見は聞かない」などと反対論に耳を貸さず、初めに受け入れありきの姿勢だ。9月11日には、泊原発のある泊村の隣接自治体、神恵内(かもえない)村でも地元商工会が受け入れの請願を議会に提出した。核のごみをめぐって、候補地に立候補する動きが複数の自治体で同時に表面化したのは史上初となる。

 ●寿都町の動き

 片岡町長は2001年の初当選時は無投票で、2005年、2009年、13年、17年の4回の任期満了時もすべて無投票。20年近くも町政に君臨しながら選挙の洗礼を受けておらず、受け入れの是非以前に「町長に政治的正当性があるか。このような人物に北海道全体の運命を決める資格があるのか」が問われなければならない。

 片岡町長は就任当初から「地方自治も大事だが金もうけも大事」と公言(2012年の時事通信インタビュー)。財政難を理由に行政サービスの値上げ、職員の賃金カットを強行してきた。寿都町の一般会計予算規模は56億円(2020年度当初予算)で、ボーリング調査応募で交付される20億円は町の年間予算の4割に当たる。北海道には全国で唯一、最終処分場を拒否する条例があるが、片岡町長は「泊原発を認めながら最終処分場は拒否するという論理は通用しない」と一時は道条例さえ公然と無視の構えを見せた。「反対運動こそ風評被害を招く」「反対派は少数派のくせに声が大きい」などと反対運動への敵意をむき出しにしてきている。「町民に伺いを立てて勉強会をすると言ったら面倒な話になる」など民主主義否定の暴言も繰り返している。こうした姿勢に対し、町民からは「暴君」などと厳しい批判も上がり始めた。

 結果的に、9月中に応募を強行決定するとみられていた片岡町長は決定を10月以降に先送りした。全国から殺到する抗議、町民説明会での厳しい意見を前に町長は揺れている。説明会では「核のごみは安全ですか」との小学生の質問に「私には答える頭がない。だから勉強しましょう」とごまかし、「私はアクセルは強いがブレーキは弱い」と自身の暴走をなかば認める発言もするなど、国を頼って力ずくで事態を打開すればいいのだという驕りと同時に、行き当たりばったり的な戦略性のなさも次第にあらわになりつつある。事態は予断を許さないが、反対の声をさらに強めるときである。

 ●周辺自治体も反対 道内では闘い始まる

 寿都町の周辺自治体や道内の反原発運動団体は一斉に反発、受け入れ阻止に動き始めた。観光先進地として、コロナ前までは全国から視察が殺到していたニセコ町、ドラマで町興しを進める小樽市は反対を表明。隣接3町村(黒松内町、蘭越町、島牧村)は受け入れをやめるよう8月24日、片岡町長に申し入れた。寿都町漁協など漁業者も反対を表明。急きょ始まった署名は短期間で8千筆を集めた。住民団体も発足するなど、受け入れ反対の声は急速に拡大している。

 8月29日、札幌市で「鈴木知事と寿都町長に伝えよう やめて!核のごみ捨て場 三越からサツエキまでちょっと離れてスタンディング」行動が行われた。道内の反原発団体が共同し、急な呼びかけにもかかわらず、雨の中、約300人がソーシャルディスタンスに配慮しつつ抗議した。

 上田文雄元札幌市長は「今カネをもらうために未来を売るのは間違っている。安全だという話ではなく、安全だと考えたいだけだ」と原子力ムラの「安全」宣伝にだまされないよう呼び掛けた。道内で野党共闘実現に尽力してきた「市民の風・北海道」共同代表の川原茂雄さんは「交付金による原発中毒の最終的悲劇が福島原発事故だった。片岡町長は、私たちの世代が何とかするのが義務と言うが、私たちが選択を国家に問われたことも選挙の争点になったこともない。勝手に進めた者の責任を問うべきだ」と、国と推進派に責任を取らせるよう訴えた。

 福島原発刑事訴訟支援団の地脇美和さんは「情報を隠し、過小評価し、うそをつき、お金をまき、事故が起きても調べない、教えない、助けない。そんな相手が呼びかける議論になど応じられない」。国や推進派が上から目線で権力的、一方的に呼びかける「議論」をきっぱりと拒絶する決意を示した。

 ●鈴木直道北海道知事は道条例遵守求める

 国の後ろ盾を得た片岡町長の強引な手法に対しては、日頃はあいまいな姿勢をとることも多い鈴木直道北海道知事までが怒りを表明した。「財政難の基礎自治体の頬を札束で叩くやり方だ」という強い表現は行政トップとして異例だ。国に知事としての意見を求められた場合は反対を表明する方針も明らかにした。

 鈴木知事は「知事の反対があれば国は調査には進まない」との確約をするよう梶山弘志経産相(動燃出身)に回答を求めた。梶山経産相は「知事が(次の段階の)概要調査地区の選定に反対であれば、処分地選定プロセスから外れる」旨知事に回答したが、一方で「知事の反対で文献調査から概要調査への移行がストップしても、いったん応募した候補地から除外されるわけではない」と経産省が回答した事実を9月5日付「北海道新聞」が暴露した。経産大臣と経産省事務方の見解が食い違っているが、梶山経産相から鈴木知事へは言質を取られないよう電話回答が行われている(文書回答ではない)ことを考えると、梶山経産相の回答は個人的見解の域を出ず、「空約束」に終わる可能性が高い。

 菅新首相の「操り人形」と批判されてきた鈴木知事の反対は筆者にとっても意外だった。詳しい背景は不明だが、北海道新聞など地元メディアの報道を総合すると、いくつかの背景が見えてくる。(1)鈴木知事が進めてきた北海道「観光立国」政策に決定的なダメージを与える、(2)道の頭越しに受け入れに向けて暴走し、道条例を公然と「無視する」と発言する片岡町長に対し、道政トップとして道条例を守らせるのは当然、(3)自分は財政再建団体に指定された夕張市長時代、苦しくても迷惑施設に頼らずに頑張ってきたのに、楽をして金をもらおうとする寿都町の安易な姿勢が許せない――等である。筆者は、鈴木知事が夕張市長時代に進めた公共サービス切り捨て、市職員の待遇切り下げ等の新自由主義政策には同意できないが、寿都町に対し道条例を順守させようとしている知事の姿勢は、市民として後押しする価値のあるものと考える。

 ●幌延町での先行事例から~「動燃」の後継組織を信用できるか?

 現在、道内には幌延町に幌延深地層研究センターがあり、高レベル放射性廃棄物の地層処分に向けた研究が続いている。2000年に動燃(当時)が開設し、20年の研究期間を経た後は地下施設を埋め戻して地元に返却されることになっていたが、施設を運営する日本原子力研究開発機構は昨年7月、この協定を一方的に破り、さらに一定期間研究を継続したいとして、終了期限を示さないままの延長を地元に申し入れている。幌延町も北海道も延長を受け入れ、事実上約束は反故にされた形だ。

 梶山経産相の出身母体でもある動燃は、1980年代に深地層研究センターを誘致する際は、反対派が連休で監視小屋を留守にした隙を狙ってだまし討ち調査を行い、その後も機動隊を導入して反対派を排除するなど、本気になったら何でもしてくる組織である。1995年、高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が起きた際には、事故隠しを強要された職員が「自殺」する事件も起きた。この職員の遺族が自殺とする動燃の発表に疑いを抱き、真相究明を求めた裁判も行われている。

 道当局、道民との約束を一方的に破り、だまし討ち、強制排除、情報隠蔽を繰り返すなどの謀略的体質を持つ組織を相手に、片岡町長が「候補地に応募してもいつでも引き返せる」と考えているならあまりにも甘いと言わざるを得ない。

 ●神恵内村でも応募の動き表面化

 寿都町に続き、9月11日には神恵内(かもえない)村でも地元商工会が村議会に候補地への応募を求める請願を提出した。町長が上から応募を提起してきた寿都町に対し、神恵内では地元商工会が応募に向けた請願を議会に提出するという体裁を取っている。原子力に賛成の「住民」もいるのだと装うために商工会などを使って下から請願を出させる。原発再稼働を求める推進派が各地で使い古してきた「やらせ請願」の典型だ。

 神恵内村は、泊原発の立地自治体である泊村に隣接しており、おおむね30km圏内の自治体が対象の「電源立地地域対策交付金」が支給されるいわゆる周辺自治体に当たる(他に岩内町、共和町が周辺自治体に該当)。道内最小自治体である音威子府村(人口770人、2018年度)に次いで2番目に人口が少ない(人口823人、2020年8月末現在)神恵内村は、泊原発の運転開始から30年間の原子力行政に協力してきたとの名目で、2020年に2億7300万円という桁外れの交付金を受け取っている。

 神恵内村議会では、当初は請願が採択確実とみられていたが、議会内部からも村民からも異論が噴出。「採決は時期尚早」として継続審議扱いとなった。伊藤公尚村議会議長は「全員一致の結論」と説明するが、寿都町と併せて9月末にも国・NUMO(原子力発電環境整備機構)を招いての説明会が行われることになっている。議会が「十分勉強」した後は採決に踏み切る可能性もあり情勢は予断を許さない。

 ●福島からまもなく10年~「後始末」の時代の入口に立った原子力

 原発の運転に伴う高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)は無害化までに10万年かかるとされる。「将来の技術開発」に期待をつなぐ形で処分方法も処分地も決まらないまま国は原発を「見切り発車」させた。問題化することはわかっていたが、「今さえ利益が出ればいい」と無責任に原発を推進した結果だ。

 国は、処分施設建設のためのボーリング調査に応じただけで20億円が交付される制度を創設。2007年、高知県東洋町が候補地に名乗りを上げたが住民の反対で取り下げられる。これ以降、厄介な核のゴミの最終処分施設の誘致を目指す地域は現れなかった。

 今回、北海道2町村で同時に浮上した候補地への応募の動きの背景には、コロナ禍による自治体財政の急速な悪化という事情が見え隠れする。これは決して道内自治体だけの問題ではない。地方の過疎化と構造的財政難という従来からの問題に加え、地域にとって唯一の産業でもある農林漁業の不振、民主主義の内部崩壊など、地方では程度の差はあれ共通して抱える事情も背景にある。「第3、第4の候補地」はいつどこに現れても不思議ではない。

 同時に指摘しておかなければならないのは、一連の候補地応募の動きに水面下で国、NUMOなどが関わっている可能性が高いことだ。日本の核燃料サイクルを支えるはずだった「もんじゅ」は結局、ナトリウム漏れ事故後は1ワットの発電さえできず、1兆円もの血税をドブに捨てたあげく、2016年に廃炉が決定した。同じく核燃料サイクルの要とされた青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場も稼働見込みが立たないまま、25回目の延期で2021年に先送りされた。原子力規制委員会は最近、施設が安全基準に「適合」しているとして合格させたが、再処理後の使用済み燃料を覆う「ガラス固化体」が長期使用に耐えうるのかの検証はないままだ。

 各地の原発から出る使用済み核燃料も処理の見込みが立たないままとなっている。六ヶ所村はすでに使用済み燃料でいっぱいになり、搬入先のなくなった使用済み燃料は各地の原発の燃料プールを満たしつつある。原子炉からの使用済み燃料の取り出しができなくなり、各地の原発が連鎖的に停止に追い込まれる事態は、福島の惨劇が仮になかったとしても、推進派自身が四半世紀も前から予測していたものであり驚きはない。彼らが予測した通りの未来が、予測通りの時期に訪れようとしているに過ぎない。なりふり構わぬ候補地応募への動きはこうした国や原子力ムラの焦りの反映でもある。

 世界的に見ても、高レベル放射性廃棄物の最終処分施設で稼働中のものはない。唯一、建設中のものもオンカロ(フィンランド)のみだ。オンカロは原発2基分のごみしか収容できないため、フィンランド政府は、国外の原発のごみは受け入れられないとしている。単純計算はできないが、オンカロと同規模の処分施設を建設する場合、原発が50基もある日本では25カ所もの最終処分施設が必要となる計算だ。これだけの処分施設を確保することはどう見ても非現実的であり、最終的には国内全原発を停止させ、原発敷地内に廃棄物を暫定保管する以外の解決方法はないと考えられる。

 英国への原発輸出から最終的に撤退を決めた日立が、北海道大学と共同でバイオマス発電の研究に乗り出すとの報道(9/20「北海道新聞」)もあった。高コスト体質で利益が出なくなった原発に経済界も見切りをつけつつある。安倍政権下で官邸を支配していた経産省出身の今井尚哉前首相補佐官が、菅政権発足後、実権のない内閣官房参与に祭り上げられるなど官邸内力学も変化した。将来世代にさまざまな形で付け回しが行われると誰もが知りながら、その不都合な現実から目をそらし続けてきた原子力問題は、いよいよその精算という形で最終局面を迎えつつある。日本の原子力政策を根本的に転換させる最初で最後の機会といえよう。


<参考>●北海道における特定放射性廃棄物に関する条例(2000年10月24日公布、施行)

 北海道は、豊かで優れた自然環境に恵まれた地域であり、この自然の恵みの下に、北国らしい生活を営み、個性ある文化を育んできた。

 一方、発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物は、長期間にわたり人間環境から隔離する必要がある。現時点では、その処分方法の信頼性向上に積極的に取り組んでいるが、処分方法が十分確立されておらず、その試験研究の一層の推進が求められており、その処分方法の試験研究を進める必要がある。

 私たちは、健康で文化的な生活を営むため、現在と将来の世代が共有する限りある環境を、将来に引き継ぐ責務を有しており、こうした状況の下では、特定放射性廃棄物の持込みは慎重に対処すべきであり、受け入れ難いことを宣言する。

   附 則

 この条例は、公布の日から施行する。


 (2020年9月25日 「地域と労働運動」第241号掲載)

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