週刊金曜日原稿 9.19福島原発強制起訴刑事訴訟 それでも最後は勝つ

 真面目に安全対策をする企業が損をし、安全対策に資金をかけず短期的利益を追求する不真面目な企業ほど得をする――そんな社会を堂々と是認したことが9.19判決の最大の問題点である。

東海第二原発を擁する日本原子力発電は、長期評価を取り入れた安全対策を講じ、かろうじて難を逃れた。「福島」後は再稼働できないため、この原発専門会社は倒産の危機にある。そんな会社が自分の利益を削ってまで津波対策をしているのに、電力業界で最も稼いでいた「ガリバー」東京電力が対策を講じなくても無罪という判決に納得できる人などまずいないだろう。このようなことが続けば安全性が低下し、やがて原発を容認していた市民・利用者からの信頼まで失われる。その程度の道理もわからないとは、つくづくこの国の司法も墜ちたと思う。真のエリート裁判官なら、たとえ無罪の結論にするとしてもここまで偏った判決は書かないものだ。

『何の罪もない子どもたちをはじめとする次の世代のために、加害者らに罪を意識させ、この社会から失われてしまった誠実さや責任感といった人間性を取り戻すことを、残りの人生の仕事にしたい』――2012年、福島県民が決然と立ち上がった第1次告訴にあたって私はこのように陳述した。その後、福島から北海道に居を移したが思いはまったく変わらない。控訴審で逆転有罪を勝ち取ることはもちろん大切だ。だがそれにも増して大切なのは、真面目に安全対策をした企業が報われ、安全に真摯でない企業は不利になる当たり前の社会に日本を生まれ変わらせることである。

永渕健一裁判長の、動物にも劣る野蛮な訴訟指揮から今回の不当判決は想定の範囲内である。だが負けたのは日本の司法であって私たちではない。私たちが何も悪いことをしていないという事実を覆すことはできないからだ。暴力と汚い金にまみれた原発への怒りは今日もこの狭い列島に満ちている。遠からず原発は滅びるだろう。最後に勝つのは私たちである。

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