2017年12月、博多発東京行き山陽~東海道新幹線上り「のぞみ34号」の台車に亀裂が発生、名古屋駅で運転を打ち切った事故に関する運輸安全委員会の事故調査報告書が3月末に公表された。JR西日本社員に極力、列車運行を継続したいという心理が働き重大事態との認識ができなくなる「正常性バイアス」が事故の原因と結論づけている。「正常性バイアス」は、福島第1原発事故でも東京電力が事前対策を怠った原因のひとつに挙げる声があり、重要な指摘に違いないが、公共交通の安全問題を長年見つめてきた当研究会の目には違う光景も浮かぶ。
●事故の経緯について
1年以上前の事故でご記憶の向きも少ないと思うので、ここで事故の経過をもう一度まとめておこう。
2017年12月11日、年末年始の繁忙期を間近に控えた時期に事故は起きた。博多駅を東京に向け発車(13時33分)したのぞみ34号の乗務員が異変に気付いたのは発車間もない小倉駅(13時50分)でのこと。7~8号車付近で異臭を感じたが、列車指令に報告するのみでそのまま運行を続けた。さらに異変が起きたのは福山駅発車(14時59分)後だ。13号車の車内でもやが発生、視界が悪くなる現象があった。
岡山駅到着(15時16分)とともにJR西日本の車両保守担当社員3名が乗車する。異音が気になった保守担当社員は列車指令に対し「床下を点検したい」と報告。列車指令から「走行に支障があるか」と問われたのに対し、「そこまではいかないと思う」と応答。「新大阪駅で床下点検をやろうか」と提案したが、列車指令が別の指令員からの問い合わせに対応していたため、この重要な提案に応答できなかったとされる。モーターに異常があるかもしれないと考えたのか、乗務員は岡山~新神戸間でモーター開放(異常を疑ったモーターを電気回路から切り離し、走行に使用しないようにすること)の処置を行ったが異音に変化はなかった。
列車はそのまま新大阪でも点検を行わず、「異音あり」との引き継ぎのみで乗務員の交代(JR西日本→東海)を行い、発車。車両保守担当社員が名古屋駅到着時に異音を感じて床下点検を実施したところ、台車枠に亀裂を発見。そのまま運転を打ち切った。
以上が事故調査報告書に基づく事実経過である。当時の報道によれば、亀裂は台車枠側面17cmのうち14cmに達し、破断まであと3cmという間一髪の状態だった。東海道新幹線上り列車で名古屋の次の停車駅は1時間20分後の新横浜。名古屋で運転を中止しなければ、この間のどこかで破断に至っていた可能性は高い。東京~新大阪間の開業から54年目にして初めて起きた重大インシデントとして、運輸安全委員会がこの間、調査を続けてきた。
●乗務員、指令員の判断は妥当か
小倉駅到着までに異音、異臭を感じたにもかかわらず列車運行を中止しなかった判断については疑問が残る。「焦げるような臭い」を感じたと関係者は証言しており、通常は発生しない異常な摩擦が発生していたとなれば火花が散る、火災が発生するなどが考えられるからだ。JR各社は安全確保と同時に列車の安定運行の責任も負っており、列車を止めにくい事情はわかるが、博多発の上り列車の場合、九州から本州に入れば一気に乗客が増え、ますます運行中止が難しくなる。新関門トンネルを越えた新下関駅には車両を引き揚げ留置できる線路もあることから、新下関まで様子を見て、乗客が少ないうちに運行を中止する判断もあり得た。
異音、異臭の報告を受けた列車指令が車両保守担当社員の乗車を手配し、岡山駅から乗車させたことについては、運行継続を前提としている限り絶対に必要な措置である。乗車した社員が床下点検を行うべきだと判断したのも、彼らの役割を考えれば当然のことだ。列車はすでに岡山を発車しており、この次に大規模な車両基地があるのは新大阪だから、異常が発見された場合の対応も含め、新大阪が適当と考えた社員の判断はこの時点ではやむを得ない。乗務員が異臭、異音の報告を受けてなぜモーター開放の措置を執ったかは不明だが、通常、異音は動く部分で発生するから、回転部分であるモーターを真っ先に疑ったとしても、この時点では不自然とは言えない。
列車指令からの問いかけに「走行に支障があるとまではいかない」と応答した車両保守担当社員の判断、そして列車指令が新大阪駅で床下点検をやりたいとの提案を聞き漏らしたことは事故発生原因にかかわる重大問題で、運輸安全委がここにこだわったのは納得できる。
ここまでで重大なミスと言わざるを得ないのは、列車指令から指示がないまま、新大阪駅でJR西日本、東海のどちらも車両点検をしないまま列車を発車させたことだ。ここでの点検で異常を発見した場合、直ちに乗客を降ろし、鳥飼車両基地(新大阪~京都間)に車両を移動させればダイヤへの影響も最小限で済んだだけに悔やまれる。
一方で、JR西日本、東海両社が、新大阪発車後も車両保守担当社員を降ろさず、乗車させたまま列車の監視を続けさせたことは好判断と言えよう。結果的に名古屋駅で再び異音を聞き、車両点検で亀裂を発見したのは彼らだった。会社間の境界だからといって彼らを新大阪駅で降ろしていたら、「のぞみ34号」は異音にも亀裂にも気付かれないまま走り続け、破局に至っていた可能性が高かった。この判断をした根拠はわからないが、現場を知る者にとってそれだけ不安な状況だったに違いない。駅に到着するときに都合よく異音が発生してくれるとは限らないから、今回は幸運なケースだったとは思うが、列車がスピードを上げるときや落とすときは、モーターや車輪の回転数が急激に変わるため、安定走行の時よりは異音が発生しやすい状況が生まれることは、指摘しておいてよいだろう。
2017年12月11日、月曜日。危機を迎えながら走っていた「のぞみ34号」は、判断ミスと好判断のせめぎ合いの中で、かろうじて間一髪、破局を免れた。報告書からは、そんな危うい当日の状況が見えてくる。
●「正常性バイアスが原因」と断定
「JR西日本の関係者が異音、異臭等を認めながら、列車の走行に支障があると判断するに至らなかったこと」について、報告書は(1)司令員の「列車の走行に支障があるか」との問いかけに対して、車両保守担当社員から「そこまではいかないと思う」との返答を得ていたことなど、指令員は、異常の重大性を理解するための明確な情報が得られていない状況にあったこと、(2)車両保守担当社員と指令員との認識の隔たりがあったこと、(3)車両保守担当社員が専門家であることから、本当に危険なときはそう言うはずだと思っていた指令員と、「床下点検の実施の判断は指令員の権限」と考えていた車両保守担当社員が、列車運行継続の判断について相互依存していたこと――を指摘。「大したことにはならないだろうとの心理」(正常性バイアス)、「列車の走行には支障がないだろう(支障ないとありがたい)」という自分の思いを支持する情報に対し意識が向く心理(確証バイアス)が作用した可能性が考えられる、とした。その上で報告書は、「何が起きているのか分からない事態は重大な事故に結びつく可能性があるとの意識を持って状況を判断し、行動することが重要」として、「適切な判断を行うための組織的取り組み」を鉄道事業者に対して求める内容となっている。
車両の運行体制や点検、整備などの技術的側面に触れることはあっても、列車を動かす側の心理にまで踏み込んで運輸安全委がこうした指摘を行ったことは注目に値する。福知山線脱線事故でもJR西日本による厳しい社員締め付け教育(日勤教育)の問題性に触れる場面はあったが、それはあくまで副次的な位置づけに過ぎなかった。
今回の報告書では、「再発防止策のポイント」に2ページが割かれ、台車亀裂防止の技術面と、現場が列車を止められない心理面が1ページずつ、ほぼ同等の文量となっている。事故の形態によりケースバイケースの部分はあるものの、運輸安全委が「巨大技術を扱う人間の問題」を以前より重視するようになっているのであれば、好ましい方向への変化といえよう。福島原発事故でもしばしば問題にされるが、技術面もさることながら「安全対策を行うべきであるのにしない」「列車を止めるべきであるのに止めない」という人間の行動こそが今、まさにクローズアップされているからである。「前進はできても退却ができない旧日本軍」以来連綿と続く日本人の「失敗の典型例」がここでも繰り返されていることは間違いない。
●その他の問題をめぐって
この事故をめぐっては、他にも指摘しておかなければならないことがいくつかある。台車枠が亀裂に至った原因としては、メーカーである川崎重工業が台車枠製造の際、設計よりも薄く削ってしまったため強度不足に陥ったことがすでに分かっている。川崎重工業は謝罪会見を行い、社長みずから報酬の50%カットなどの処分も行った。川崎重工業に不信を抱き、同社からの部品納入を減らしているJR東海と対照的に、JR西日本は事故後も川崎重工業との取引を変わらず続ける。福知山線脱線事故から12年後の事故から見えてきたのは、相変わらず列車を止められないばかりでなく、事故から学ぶこともないJR西日本の姿勢である。
「JR西は、(福知山線脱線事故以降の同社は)安全だと言い続けてきたが、それがゼロに戻った。苦しんできた12年間は何だったのか」。福知山線脱線事故で夫の浩志さん(当時47歳)を失った遺族の原口佳代さんはそう語る。長女早織さん(当時23歳)を事故で失った大森重美さんも「きちんと連絡が取り合えないなんて、あきれるしかない」と、変わらないJR西日本の体質に疑問の声をあげる。大森さんは現在、企業にも刑罰を科せるような法制定を求める団体「組織罰を実現する会」代表として活動を続けている。事故は福知山線脱線事故遺族からも大いに疑問を投げかけられている。
「ハードウェアにより異常を検知するシステムを構築して、乗務員や指令に異常の発生やその程度を知らせる仕組みを検討することが望ましい」。報告書「再発防止策のポイント」が今回、行った重要な指摘だ。昨年4月、福知山線脱線事故の再発防止を目指す市民で作る「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る尼崎集会」で講師に招かれた筆者は講演で次のように指摘した。「鉄道と航空機は異なるシステムなので、すべて航空機と同様にすることはできないと思う。だが今回の事故で、新大阪駅での床下点検を求める車両保守担当社員の声を、列車指令が他の指令員(事故発生当時は「上司」とされていた)との対応に気を取られて聞き落としたことは重大問題だ。航空の場合、緊急事態を宣言した航空機がある場合、管制室にある全管制官のモニター画面に一斉に便名と“EMG”(緊急事態)が表示され、同時に警告音も鳴って知らせるシステムがもう30年以上前から運用されている。管制官の上司も警報を聞き、部下の管制官と同じモニター画面を覗き込めば、わざわざ聞かなくても緊急事態発生とその便名が把握できるシステムだ。上司に『何があったのか』と聞かれて指令員が答えているうちに、列車からの重大な連絡を聞き漏らすようでは本末転倒であり、鉄道の列車指令室にも航空管制室と同じようなシステムがあれば、それだけでも随分違うのではないだろうか」。今回、ここまで具体的でないとしても、それに近いシステムの整備を検討するよう運輸安全委が報告書で提言したことで、安全問題研究会の認識の正しさが裏付けられたものと思っている。
今年もまもなく4月25日がやってくる。本号が読者諸氏のお手元に届く頃、メディアでは福知山線脱線事故から14年目の特集が行われているに違いない。事故の風化とともに「かつて来た道」を再び歩みつつあるJR西日本に対し、当研究会は、14年前の初心に帰るよう、改めて強く警告しなければならない。
(2019年4月25日 「地域と労働運動」第224号掲載)